気づけば御曹司
室町将軍の血を引きし木戸家。明治大正時代には巨大な財閥を築き上げ、今なお政治経済に多大なる影響力を持っているとされる。その木戸一族の長にして、大企業『木戸屋』の社長、木戸昌夫の御曹司として生まれた木戸斗真は、15歳の夏、家の長い廊下ですっころんで頭を打つ。
「んがっ」
しかしその際に前世の記憶を取り戻した。
「はっ!」
かつて己は異世界に生きる「ウラルリルド・ヴォ・ジャクソン」という名の男だったこと。そして(太陽暦換算で)僅か35歳にして非業の死を遂げたスタックワルド人だったことを。
頭部への衝撃とともに、前世の記憶が鮮やかに蘇る……。
※※※
──そうだ。俺はあの時、死んだのだ。
それは現実世界ではありえない記憶だった。
──馬車に轢かれそうになった「野良トカゲウナギ」の子供をとっさに助けて、その代わりに自分が轢かれてしまい、短い一生を終える。
なんとも間の抜けた話だが、自分の身に実際に起きたことだと確信できる。夢ではなく、前世の記憶だと。そうハッキリ認識できている。自分の中に、別の世界の別の人生の記憶が眠っていたのだ。(因みに「野良トカゲウナギ」とは、中生代にいたトリケラトプスに近い生物である。)
「大変だ!人を轢いてしまった。誰か医者を」
「駄目だよ、助からないぞ」
あの時、馬車の御者が大騒ぎしていたのは覚えている。馬車て。今にして思えば、あそこは近世と現代が混じりあった不思議な文明だった。地球上のどこにも、あんな文明はないだろう。俺はその中に確かにいた。
そうだ。あれは「スタックワルド」と呼ばれた世界。魔法と近代工場の世界だった。
──俺は異世界の住民だったのか……?
一つ思い出すと、芋づる式に前世での思い出が蘇ってくる。
魔法の存在した文明だったのに夢なんて何一つなかった。
振り返ってみれば同性、異性との華やかな交流とは無縁。実に寂しい生活を送るのみ。ただただ「プテラノドン・ケチャップ工場」の生産ラインで、忌まわしき原材料「キノコトマト昆布」と格闘するだけの日々。疲れ果てて家に戻っても、休日を無為に過ごし、ただただ1人で孤独に、マジカルネットネットの五目並べに似たゲームに没頭するのみ。
そしてルシール歴398年の17月の8日、89時。俺は死んだのだ……。独身のまま、子孫を残すことなく、体がバラバラになって。なんで野良トカゲウナギなんて助けたんだろうか俺は?最期までアホだった。
薄れゆく意識の中で俺は自問する。
俺は死ぬのか。ああジャクソンよ、人生とは一体なんだったのか?
──あの時に出会ったのは神なのだろうか。
闇に包まれ、野次馬の声も、御者の声も次第に聞こえなくなっていく。ふと目を開けると、倒れている俺の前に老人が立っていた。顔を上げ覗いてみると、その老人は「杖を持った神々しいソクラテス」といった容姿。後光が恐ろしいほどに差しまくっている。
「ウラルリルド・ヴォ・ジャクソンよ。お前は今、死を迎えようとしている……」
気づけば周囲の野次馬達は消えている。これは幻覚かもしれないと思ったが、老人の言葉に返答してみる。不思議と声が出てくる。
「マジですか?やだなぁ。未練ありまくりです」
「ジャクソンよ。確かにお主の人生は理不尽で不幸なものであった。ゆえに特例として転生させてやろうと思う。転生先はニホンという異世界だ。戦国時代に送ってもいいのだが、せっかくだから平和な時代が良かろう。感謝しろ」
彼の言葉はまるで意味が分からない。ただ気づけば切断されたはずの手足が戻っている。俺はフラフラと体を起こす。
「え?ニホンってどこなんですか。転生とは一体……」
「疑問は無用。とっとと行け。私は忙しい」
「ちょっと!」
彼が杖を振ると、何もかもが消え失せた。俺自身も。
──今のして思えば、酷くぶっきらぼうな爺だった。あれでも神だったのかな。
これが前世の最後の記憶。その後は意識を完全に失い……記憶はない。気づくと俺、ジャクソンは、木戸斗真として生まれ変わり、新しい「超名家の御曹司人生」を順風満帆に歩んでいた。
一昨日に頭を打つまでは。
※※※
──蘇ったあの記憶。本物だろうか。
自宅のベッドに腰掛け、白昼夢を見るようにボーッと考え事をしていると、横に腰掛けている幼馴染の大久保文華が心配そうに尋ねた。
「木戸様、その頭の包帯は?」
瞬間、はっと我に帰る。
「一昨日、家の廊下で転んじゃってね。父上と母上がえらく心配したもんで、半ば強制的に病院で検査入院させられたのだよ」
「心配です、文華に見せてください」
白く細い手を俺の頭に添えて、まじまじと傷口を見つめる文華。幼馴染……といいつつ実質的な婚約者でもある。もっとも親同士が勝手に決めた話なのだが。
「酷いお怪我だったのですね。文華に教えてくださらなかったのは何故です?」
「ああ、ちょっと色々と混乱しちゃってね。しばらく1人で色々なことを考えてたんだ」
「寂しゅうございます」
彼女はやりきれない表情で顔を背ける。クラスメートとして学校帰りに見舞いに来てくれた彼女を不機嫌にさせてしまったようだ。
──文華。
一昨日までは「傍にいるのが当然の子」だった。小さい頃からずっと一緒にいたのだから。仲の良い兄妹のような……異性であることを意識するような関係じゃなかった。
しかし前世の記憶が蘇った今は違う。心の中の平民ジャクソンが絶叫している。
「「馬鹿野郎!どうみたって彼女は圧倒的な存在だ。何が「異性を意識する関係じゃない」だ。グーでぶっ飛ばすぞ!死ね!」」
ああ。文華を前にして良き兄でいられた木戸斗真はどこへやら。
──ななな……なんちゅう美人さんや。
黒髪ツインテールにリボンを巻いた麗しい美少女。こんな麗しい美少女と、前世で何回遭遇しただろうか?王女様を遠くから拝見した時ぐらいしかない記憶にないぞ。
しかも横にいて心配してくれているなんて。前世ではありえなかった驚天動地の奇跡。
文華は数多くの大臣を輩出する名家の娘である。それでいて学校での成績も良い。前世界スタックワルドであれば、迂闊に会話をしただけで牢獄に入れられて、市中引き回しの刑の後、雑に処刑されてしまうこと請け合い。それぐらいの高嶺の花なのだ。
──眩しい。眩しすぎる。
じーっと見つめてしまったので、文華は頬を染めた。
「木戸様、私の顔に何かついていますか?」
神様ありがとう。俺は転生人生を、文華と共に幸せに歩んでいきます。