エレノアのスカート
エレノアは、リズ・エヴァーガーデンがその名を冠するよりも前から、エヴァーガーデン家を懇意にしていた女性だった。70代を過ぎ、数多の日々を生き抜いた風格のあるひと。普段は仏頂面のリズも、彼女の話には思わず笑みをこぼすことがあった。彼女の話をしようと思うのは、彼女がリズを失ったリズ・エヴァーガーデンに最初の仕事を持ち込んだ女性だからだ。エレノアの依頼はいつも決まっていた。エヴァーガーデンたちが作った洋服の補正。ぼくに依頼されたのは、リズが初めてエレノアのために縫った紺色のスカートの補正だった。歳を追うにつれ、ウエストが細くなったのだという。リズが失踪した顛末を話すと、彼女は大きめのバスケットを片手に翌日にアトリエを訪れた。バスケットの中身は糸や針といった、裁縫道具だった。「あの子らしいわ」針の抜かれたミシンを愛おしそうに撫でて、エレノアは言った。「それで、あなたが新しい仕立屋さんなのね」振り返った顔は、シワやシミこそあれ、かつての美しさを失ってはいなかった。ぼくは肩をすくめる。「役不足ですけど」「そんなことはないわ。役不足なら、リズはあなたを置いて行ったりはしない」
エレノアのスカートはシンプルなスカートだ。紺色で、申し訳程度に白いレースのトリミングが裾についている。仕立てこそシンプルだったが、布そのものは、光の下に晒されれば花柄の浮き出るジャガードだった。ジャガードという言葉は、エレノアから教えてもらった。レースは在庫から、リズと2人で選んだものだという。オーガニックコットン。それもエレノアから教えてもらった。「鮮やかではなく、楽しげのあるものにして欲しかったの」エレノアはレースを見て言った。確かにあしらわれたレースは淑女的なものではなく、もっと子供っぽいものだった。「リズはこのレースにわたしの魂を込めてくれたわ」エレノアは笑った。「あとはよろしく頼むわよ、エヴァーガーデン」
その日一日、ぼくはスカートの補正をして過ごした。ウエストのベルトを取り外し、なるべく丁寧にスカートを解体して、今のエレノアのウエストに合うようトリミングする。元の形を伴うように、最大限に。アイロンをかけてプリーツの位置を少しずらす。普通のフレアスカートではなく、ソフトプリーツのスカートだったのも、リズとエレノアの意向だったのだろう。いつまでも若々しくいてほしい、若々しくいたいという、2人の願い。ぼくはリッパーを置いて、改めてプリーツにしつけを施し、アイロンをかけた。エヴァーガーデン。ぼくがその名前を名乗れる日は、いつか来るのだろうか。
翌日、エレノアはスカートを引き取りに来た。カウンターの上で隅々まで確認し、苦笑する。「やはりリズほどの腕とはいかないようね」ぼくはまた肩をすくめた。「ぼくはエヴァーガーデンの人間ではないですから」エレノアは笑う。「リズが選んだ以上、あなたはエヴァーガーデンであるに相応しいということよ」「だとしたら、彼女は大きな見当違いをしている」エレノアはそれ以上聞かなかった。「ありがとう、エヴァーガーデンさん」カランと音を立てて、扉が閉まる。取り憑かれていたものが落ちたみたいに、ぼくはカウンターに置かれた質素な椅子にもたれこんだ。「仕立て屋なんてするもんじゃないかもしれない」そう1人ぼやく。それでもエヴァーガーデンの客は来る。次から次へと、リズや先代の品を持って。「ぼくがここから逃げない以上は、ぼくもエヴァーガーデンの意志をついでいることになるのだろうか」ひとりごちて、ぼくは天を仰いだ。まだまだ大変な日々になりそうだ。「リズ」ぼくは呼ぶ。
「あなたはどこへ行ってしまったのだろうか」
エレノアのスカートは実在しています。インスタグラム @lizevergarden よりどうぞ。