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千鳥足テレポート



「黄金色の酒だ」



 錫製のジョッキを傾け喉を潤す、初めて摂取するアルコールに全身が奮え、舌の上で炭酸の刺激と苦みが踊っている。


 その強烈さに、不眠もあってか薄ぼんやりとしていた意識が覚醒していく。


 胃は拒絶反応を起こし今にも逆流しそうだが、霞が晴れるようなその快感に俺はジョッキを傾けるのを止められない。


 そして、遂にはジョッキの中のビールを全て飲み干してしまっていた。


 その様子を、遊び人は満足げに眺めていた。



「……苦い、はっきり言うとあまりおいしくない」



「いい飲みっぷりだったけどね。まあ、初めてはそんなものよ。しかし、黄金色の酒ね……なかなか洒落たことを言うじゃないの」



 勇者が持っているのは、剣と魔法の腕だけではないということさ。


 俺は、自分で言うのもなんだがあらゆる可能性を秘めている。魔王を倒したら吟遊詩人になってもいいかもしれないな。



「麦色」



「私は、初めてのビールに畑一面に広がる麦を連想したものよ。まあ麦酒なんて言うくらいだしね」



「そうか、この苦みは麦のものか」



 そういえば魔王討伐の旅の中、手持ちの食糧が尽きかけ、鞄の底に残っていたわずかな麦をそのまま齧ったことがあったが。


 この苦みは、あの時感じた麦のそれと似ているかもしれない。



「いや、ごめん。感じ入ってるところ悪いけどビールの苦みは麦のものじゃないわよ」



「すいませーん。ビールおかわり!」



 恥ずかしさを誤魔化そうと、俺は新たなビールを注文した。



「ビールの苦みはホップに由来するものなのよ」



「ホップ?」



「そ、ホップステップジャンプのホップ」



 遊び人のにやけ面からするに、これは冗談を言っているのだろう。


 これだから、酔っ払いの相手をするのは嫌なんだ。下らない冗談を、得意満面に話すなんて恥ずかしくないのだろうか。


 どうせ言うならもっと洒落た冗談を言って欲しいものだ。例えば、そうだな……。


 ホップ……モップ……コップ……いや、やめておこう。このままだと碌なことを言いだしかねない。



「いい判断だね」



「ホップか……聞きなれない名前だ。どういうものなんだ」



「噛むと、むちゃくちゃ臭い植物。もし機会があっても止めておきなさい、小半時はもがき苦しむことになるわよ」



 その時を思い出しているのか、遊び人の表情は酷く強張ったものになっている。


 この女は、内面が表情に全て出るタイプらしい。もしくは、酒のせいでそうなっているだけなのかもしれないが。



「このビールは臭くなかったが、どういうわけだ?」



「貴方がそれを知る必要は無いわ……」



 今度は、遠い目をしている。どうやら、俺の質問に答えられないのを誤魔化そうとしているようだ。やはり、酔っ払いというのは面倒な連中だ。



「なによ、その目は。いやらしい。あーいやらしい」



 俺の、冷たい視線を感じてか遊び人はお茶らけてみせた。もしくは、俺の目が本当に彼女のことをいやらしい目で見ていたのかもしれない。彼女には、それだけの魅力があった。



「ホップには、防腐剤の効果があるのよ。それに、ビールに独特な風味や香味を付け足してくれる」



「ビールには欠かせないものなのか」



「そうね、とある侯爵は領内で栽培されているホップを他国に持ち出したものを死刑にしたぐらいよ」


 ウェイトレスが新しいジョッキを、机にドンっと置いていく。


 今度は、その苦みを意識しゆっくりと味わってみる。やっぱり、まずい。



「そうね、こんな話もあるわよ」



 聞きもしないのに、語り口を続ける。これも酔っ払いの特徴だ。酒は人を自己中心的にさせる悪魔の飲み物だ。


 だが、どういうわけか俺はついつい彼女の話に耳を傾けてしまっていた。



「とある異教の国の司教が、死んだ時の話なんだけどね。彼は、仁徳深い人で葬式にも大勢の人が参列したの。それで、埋葬しようと彼の遺体を運んでたんだけど、まあとある町で人々は休憩をとったわけよ」


「みんな喉も乾いてて、喉が渇いたときに飲むのはビールでしょ?ビールを飲もうとするんだけど、残念なことにマグカップ一杯分しかビールが無い」


「ところがあら不思議。マグカップのビールは飲み干しても飲み干しても、まるでマグカップから湧き出るように無くならないの。遂には、参列していた人々全員の喉を潤してしまった」


「その事件をきっかけに、その人は教会から聖人として認定されて。今でも、ビールの守護聖人として崇められているのよ」



 随分、俗的な奇跡だ。



「なんとなく、酒絡みの奇跡というとワインが出てくる気がするが」



「ワインの歴史には負けるけど、ビールだって同じくらい古い歴史があるのよ。まあ、私の歴史に比べればどっちも浅いけどね。って、女の子に年齢の話をさせるもんじゃないわよ! 」



 何がおかしいのかわからないが、遊び人はケタケタと笑っている。


 何だこの女は。話に脈絡が無く、たいして面白くも無いのによく笑う。


 普段なら忌避したい典型的な酔っ払いの姿ではあるのだが、彼女の笑う姿を見ていると釣られて俺も表情が緩んでしまう。



「そういえば、エールってあるよな。あれはビールとは違うのか?」



「あー、エールね」



「味は知らないが見た目はよく似ている。製法や材料に違いが?」



「アンタね、私を何だと思っているの。醸造家か何かと勘違いしてるんじゃない?」



『遊び人』彼女はそう自称していたが、その派手な恰好はどちらかというと道化だ。


 当然、口には出さない。道化と言われて喜ぶ女がいないことぐらいは、経験の少ない俺にでもわかる。まあ彼女が普通ではない、道化と言われて感極まる異常者である可能性は完全には拭えないが、彼女の機嫌を損ねる危険を冒してまで試すことはないだろう。


 ……あれ、俺はなんで彼女の機嫌なんかに気を配っているんだ。



「私は、遊び人よ!」


「付け加えるとしたら、勇者様が魔王軍を壊滅状態に追いやったがために職を失った。元騎士の現遊び人」


「そんな私が、ビールとエールの違いなんて知るわけないでしょう。酒は語るもんじゃない、飲むものよ!」


 彼女の感情の起伏の激しさには目を見張るものがある。つい先ほどまで、ビールのあれこれを語っていたのは自分だというのに。


 酔っ払いとはみなこうなのか。ん、これさっきも言ったな。


 もしかしたら俺も酔っているのかもしれない。


 しかし、元騎士の遊び人か……。



 ――軍事組織としての魔王軍が壊滅して以来、王国の軍事費は縮小傾向にあった。


 争いが完全になくなったわけではないものの、対魔物用に整えられた装備は人間を相手にするにはあまりに強力すぎており。


 その絶大な威力と同様に、維持費もまた莫大なものであったためだ。



 なにより、人々は新たな争いよりも生活の再建を望んでいた。


 結果として、戦乱に乗じて乱立された多くの騎士団が解散される結果となった。


 彼女も、そんな解散した騎士団の中で路頭に迷うこととなった一人なのだろう。



 遊び人の言いぶりからすると、俺は多少恨まれているのだろう。面識のない俺に、突然声をかけたのも恨み節を聞かせるのが目的かもしれない。


 そんな推測が、酒の効能もあってか少しお花畑になっていた俺の思考を急激に冷ましていく。


 しかし、そのおかげで俺は場の空気に押され頭の片隅に追いやられていた自身の目的を思い出すことができた。



「もうそろそろ良いんじゃないか」



「なにが? もしかして、私を誘ってるの? 血気盛んなのは嫌いじゃないけど、ちょっと焦りすぎじゃない」



「そそそ、そうじゃない! お俺もこうやって酒を口にしたのだから、これで晴れて酔っ払いの一員だ。この酒場で、魔王に関する情報を持っている者を知らないか?」


「もしくは、君自身が何らかの情報を持ってはいないか?」



 俺は、息継ぎをする間もなく一気にまくし立てた。声は少し震えつつ、普段より半オクターブほど上がってしまっていた。


 全くなかったとは言えない下心を見透かされたようで、俺は明らかに動転してしまっていたのだ。



「勇者様は、せっかちだなあ」



「初めてのビール、俺にはあまり美味しく感じられなかった。ビールをまずいと言っているわけではないが……。俺の舌は、酒を楽しめる術を持っていないようなんだ。だから、遊びは休憩して本来の仕事をすることにしたんだよ」



「遊びを休憩ねえ。まさか勇者様からそんな言葉がでようとは。勇者様には遊び人の才能もあるようね! だいたい最初から、酒を美味しく飲める奴なんていないわよ。みんな、少しずつ舌をならしていくんだから。時に失敗し、時に後悔し。人はそうやって、酒の楽しみ方を覚えていくもんだよ。女を抱くのと同じね」



 何を言っているんだこいつは。なんだかんだ、俺を誘っているのはお前の方なんじゃないか。


 黙り込む俺の様子を見て、何かを察したように遊び人は続けた。



「あらら、そっちも初心だったか。ごめんごめん」



「ば、馬鹿にするなよ、俺は勇者だぞ。恐れる者なんて何もない」



「まあ、なんにしても初めてってのはいいことだよ勇者様。何事も、一番最初が一番楽しいもんさ」



「初めての酒は、そんなに旨くなかったがな」



「ふむ、そんなこと言われたら。私のプロデュースが悪いみたいじゃないか」



「……そうは言っていないけど」



「ふむ、それじゃあ罪滅ぼしをさせていただきましょうかね」



 先ほどまで、無防備に振舞われていた天真爛漫を一切消し去り。彼女は丁寧で重苦しく言葉を紡ぎ出した。


 罪滅ぼし。一体、何を何で返してくれると言うのだ。


 その仰々しい物言いに、俺は少なからずの期待を抱いてしまっていた。



「魔王の元に辿り着ける、やもしれぬ魔法を教えて差し上げると言ったらどうかな?」



「なんだと!?」



 『やもしれぬ』という部分が半端でなく気がかりではあるが、俺は魔王の居場所に関する一切の情報を得られていない。


 この5年間、俺は藁にも縋る必死の思いで酒場を回ってきたのだ。そんな俺にとって彼女の言葉は、絶望の中の一筋の光。僥倖としか言いようのないものであった。


 少なからず感じていた酔いもぶっ飛ぶ気持ちで、俺は慌てて立ち上がった。



 足が多少ふら付くのは、酔いのせいか興奮しているせいなのか俺には判別がつかない。


 俺は、ふらつきながらも遊び人に詰め寄った。



「お、教えてくれ! いや、教えてください!」



 遊び人の口角が、にやりとあがっていく。



「おやおや、勇者様にはその魔法を使う資格があるようですね」



「資格がいるのか!? 俺は、既にそれを持っていると?」



 遊び人が、こくんと頷く。その表情は、またもや一転して明るいものとなっている。本当に、ころころと表情が変わる女だ。


 ……いや待て、落ち着くんだ勇者よ。


 彼女は、騎士団解体の件で俺に対して少なからずの恨みがあるはずだ。罠の可能性もあるのではないか。



「初めて会った俺に、何故そんな魔法を教えてくれるんだ。罪滅ぼしと言ったが、君には罪の意識なんて一切ないんだろう?」



「まあ、そうだね。そうだなあ……勇者様は遊び人の仕事って知ってるかな」



「あ、遊ぶことか?」



「そう、私の仕事は遊ぶこと。時に、石を拾ってお手玉をし、大声で歌い、指をぐるぐる回し、ダジャレを言ったり、足がもつれて転んだり」


「酒を飲んだり、紙に火をつけて投げつけたり、くしゃみをしたり」



「そんなの仕事とは言えない。ただの役立たずじゃないか……」



「そう、遊び人の行動の多くは無駄なことばかり。しかしだね、遊び人は時に誰かを励ますという仕事も持っているんだ」


「さて勇者様、これは恐ろしく強大な魔王のみならず、禁制である酒にすら挑まれた猛々しい勇者様へ。私から贈る、僅かながらのエールでございます!」



 罠かもしれない……いや、知ったことか。例えそうだとしても、俺が乗り越えてきた苦難に比べれば。


 女の子一人の仕掛ける罠なんてたかがしれている。それに対して、魔王の情報は千金に値する。


 これは、俺にとってノーリスクハイリターンも同様ではないか!



「頼む!俺は今度こそ魔王を……!」



「それじゃあ、肩につかまってくださいな」



 彼女の肩をつかむ。それは、俺の物とは違い酷く柔らかく感じられた。


 女の身に触れるのも初めてのことだった。力を籠めれば、肩を砕いてしまいそうだ。



「行きますよ勇者様」



「千鳥足テレポート!」



 視界がぐるぐると回る。


 まるで世界が混沌に包まれたかのようだった。


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