仲直りの儀式はベッドの中で
目が覚めると、朝日が昇っていた。どういうことだ。俺は、千鳥足テレポートに失敗しすぎて遂に時空を超えてしまったのか。なんてことはなく、酔っぱらっていることが条件の千鳥足テレポートの燃料補給にと酒をしこたま飲んだせいで酔いつぶれてしまったらしい。
結局、俺は一度たりとも千鳥足テレポートを成功させることができなかった。遊び人曰く、二人でやると成功率があがる。とのことだったが、それにしたって10割失敗というのはどういうことだろう。
俺には、まだ千鳥足テレポートを使いこなすことができないのだろうか。
真っ先に思いつくのは、俺が呪文を間違っていた可能性だ。だが、この魔法は妙な条件付けが為されている一方で呪文に関しては非常に簡易なものである。俺は遊び人の隣で、幾度となくこの魔法の呪文を聞いて来た。一言一句違えていないはずだ。
二つ目に挙げられるのは、燃料不足。つまるところ酔いが足らないという可能性だが。この点、俺は昨日酔いつぶれるほどに、しこたま酒を飲んだ。あれで燃料が足りないということは無いだろう。
……いや待てよ。果たして、そうだろうか。
昨日の俺は、本当に酔っていたのだろうか?そもそも、『酔い』を『摂取したアルコール量』と仮定するのは些か安直な気がする。酒に強い女もいれば下戸の男だっているんだ。どれだけ酒を飲んで酔っ払うかどうかなんて人それぞれなんだから。
ならば酔いとは何だろうか。千鳥足テレポートは使用者に何を求めているというのか。
いや、正確に言えば求めているのは千鳥足テレポート自身ではない。求めているのは、そう。このみょうちくりんな魔法を生み出した元魔王の大賢者。『Bar ゾクジン』のマスターが、客を自らの店へ招き入れる条件だ。
昨日の自分の姿を、ふと思い出す。酔っぱらって大暴れ、なんてことにはなってはいない。だが、床を水浸しにし、硫黄の臭いを宿に振りまき。
あまつさえ、主人に苦言をていされる始末。今になって思えば、昨日の俺はとても普段通りとはいいがたかった。とにかく、早々に酔って千鳥足テレポートを試そうとやっきになっていた。
そんな状態で飲んだ酒は、まったく美味しく感じられなかった。いや、そもそもここの酒がまずいのは間違いないのだが。
だが、そんなまずい酒でも、俺と遊び人は素面の状態からたった一杯の酒でテレポートに成功した。
ふむ、なんとなく見えてきたぞ。
水差しに手を伸ばす。中には、ほんのわずかではあるが昨日の酒が残っていた。
俺は、それを一息に飲みほした。
遊び人と初めて出会った日のことを思い出す。そうあれは春先のことだった。この村と似た辺境の片田舎だ。そこの秘密酒場で、彼女から声をかけてきたんだったな。
それから数日後には、二人で教会のワイン樽を全部空けてしまったこともあった。あの日見た、彼女の下着の白さを久しく忘れていた。
一気に飛んで、一昨日も酷い一日だったが。それでも、いいことだってあった。そう、一昨日は彼女が俺の手を引いて秘蔵のカクテルバーに連れて行ってくれたんだった。
俺は、あらんかぎりの彼女との思い出を引き起こす。ワイングラスの間接キッス。純白のパンツ。彼女の小さく柔らかい手。そうすると、僅かな酒しか体に入れていないというのに、不思議と頬が熱くなってくる。
この部屋には、鏡がなくてよかった。おそらく今の俺は、とんでもない間抜け面をしていることだろう。
俺は、成功を確信して呪文を唱える。
「ちどりあしてれぽーと!」
この魔法は、酔っていなくては使えない。
――――――
「いらっしゃいませ」
マスターの声に、俺は胸をほっと撫でおろす。
店の奥には、一人の女がカウンターに突っ伏している。ブロンドの美しい髪、屋内でも決してとることのない赤いマフラー、そしてまるで道化師のような派手な服。
彼女は、そこにいた。
「あ……」
「こんなところにいたのか」
新たな客に、ふと顔をあげた彼女は、俺の姿を見ると再び机に突っ伏してしまう。脇には、チェリーが入った逆三角形のグラスがひとつ。まるで、先日から彼女の席だけ時が止まっていたかのようだ。
「まさか、ずっと飲んでたのか?」
俺の問いかけに、彼女は答えない。
「ひとまず帰ろう。ずっといたらマスターも迷惑だろう」
やはり、返答はない。
だが、ここで彼女と押し問答をする気は俺にはなかった。二の轍を踏んで、マスターを再び怒らせることもあるまいと思ったからだ。
「マスター、会計は」
「先日、十分な量をいただきましたから」
俺は、黙ったままの彼女の横に立ち手を胸の前まであげる。すると、遊び人が声を上げた。
「まって」
「……まだ、飲み足りないなんて言わないでくれよ」
「そうじゃないの。勇者、私帰れなくなっちゃった」
――――――
彼女の話によると、帰還術式である手を二回たたく動作をしても一向に帰還できないということであった。ようやく『千鳥足テレポートが成功しない』を解決したかと思えば、今度は『千鳥足テレポートの帰還術式が発動しない』問題の発生だ。
なにか問題が発生したら、むやみやたらに試行錯誤を繰り返すよりも、まずは状況を整理する。一見遠回りに見えるが、これが一番いいことは先の失敗から既に経験済みだ。俺は、まず落ち着いて状況を整理することから始めることにした。
そもそも、千鳥足テレポートとは、二つのテレポートによって構成されている。
まず1つ目のテレポート、これが成功すると、テレポートの行使者は酒のある屋内へとランダムテレポートする。
ただし、そのランダム性には行使者の嗜好、望む場所が影響を与える。俺が、初めて飛んだのは、ラムランナーの秘密倉庫。そして先日は、炎魔将軍の便……いや、思い出すのはよしておこう。
まあ、あそこは魔王軍の幹部の隠れ家だ、おそらく相当な量の酒をため込んでいたに違いない。
そして2つ目が帰還術式によるテレポートだ。
一つ目のテレポートが成功したにしろ、失敗したにしろに関わらず、テレポート先で手を二回叩くことで元の場所へと戻される。……そう言えば、初めての千鳥足テレポートでラムランナーの秘密倉庫から帰還した際は、俺はいつの間にか宿屋のベッドの中にいた。元の場所に戻されるとすれば、飛ぶ前に居た違法酒場であるはずではないのか。……初めての飲酒で、酔いが回っていたせいで酒場から宿屋へ戻った記憶が飛んでいたのだろうか。
今回は、この2つ目のテレポートに何らかの不具合が生じているのだろう。
「なあ、キミと俺が初めて出会った日のことなんだが。あの日、俺を宿屋のベッドに放り込んでくれたのはキミか?」
「……ちがうわよ。あのときはたしか、アタシはもといた酒場にもどされたけど。キミの姿は見えなかった」
「つまり、俺は宿屋のベッドに直接送り返されたということか?」
遊び人が、顎に手をあて黙り込む。
「そういえば、あんまり考えたことがなかったけど……アタシも、ベッドに直接飛ばされたことが何度かある。ヨっぱらって宿屋にかえった記憶がないだけかと思ってたけど、イマ思えばあれは転送先がベッドの中だったとしか思えない」
酔いが抜けていないせいか、どこか遊び人の言葉はたどたどしい。
しかしなるほど、確かに一人で千鳥足テレポートを使っていれば帰還先のことなど考えもしないことだろう。 なぜならば、この魔法の行使者はみな等しく酔っぱらっている状態だ。多少の記憶の齟齬は、酔っぱらっていたで説明がついてしまう。
今回、俺たちがこの疑問にたどり着けたのは、俺たちが二人でこの魔法を使っていたからだ。
考えれば考えるほど妙ちくりんな魔法だ。過去の経験から推測するに、千鳥足テレポートの行使者の酩酊具合によって、帰還先が変化しているようだ。これに。いったい何の意味があるというのだ。
だが、どうやらこの辺りの条件付けに、問題が潜んでいそうな気がする。
……って、俺は阿呆か。なんて無駄な思案を巡らせていたんだ。今、この場において問題は既に解決されたも同然ではないか。なんたってここには、千鳥足テレポートを開発した大賢者がいるのだから。
「ムダよ……アタシが何の手段も講じずに、ここでカクテルを楽しんでいたとでも思うの?」
表情から、俺が何を考えているのか察したのだろう。遊び人が、水を差してくる。……いや、キミの場合、それが十分にありえるのだが。
「残念ですが。これはあなた方の問題でしょう。私が口出しするのは野暮ってものですよ」
遊び人の言葉を裏付けるように、マスターは俺に釘をさしてきた。
しかし、その口ぶりからは、マスターは問題の原因に既に思い至っていることが伺い知れた。
「ご注文はお決まりですか?」
正直、酒を飲みたいという気分ではなかった。だが、バーに来て一杯も飲まないなんてのもマスターに失礼な話だ。俺は少しだけ考えて、彼女と同じものを頼むことにした。
マスターが酒を作っている間、俺は何とかマスターから情報を引き出せないものかと考えた。そうした気配を感じ取ったのか、マスターは先日とは比べ物にならないスピードでカクテルを作り上げてしまった。
「マンハッタンでございます」
やはり、なみなみに注がれたグラスが、その中身を一滴も零すことなく遊び人の隣の席へと運ばれる。
マスターの、「彼女の隣に座れ」との心遣いなのかもしれないが、どうにも面倒なことをしてくれる。俺が、彼女の隣に座ったものかと逡巡していると。マスターが「おっと、これはしまった。氷を切らしてしまいました。少し出てきます」と、わざとらしいセリフを残して店を出て行ってしまった。
今しがた、マスターが店を出て行った扉に目をやる。カウンターの向こう側、酒が並べられた棚の横に設置されたその扉は、俺の腰の高さほどしかない。まるで、童話に出てくる小人たちが拵えたもののようだ。
帰還術式が使えないなら、この店から直接外に出ればどうなるのだろう。店を改めて見回すと、カウンターのこちら側、すなわち客が座るであろうスペースには一つだけ扉が設置されていた。
マスターの使っていた扉とは違い、こちらはごく普通のサイズだ。開けてみると、中にはさらに扉が一つ。さらにそれを開けてみると、中はただの便所だった。
マスターの言っていた言葉を思い出す。ここは、千鳥足テレポートでしか来れない店。つまるところ、客が出入りする扉はそもそも設置していないのだ。そこに、マスターの店の秘匿性を徹底的に守るという強い決意が感じられる。
ならば、と俺はカウンターを乗り越え、今しがたマスターが出て行った扉に手をかける。
鍵がかかっているわけでは無い、だがどんなに力を入れようとドアノブはピクリとも動かなかった。このドアノブの硬さは物理的なものではない、魔術的な何かだと考えるのが妥当だろう。
千鳥足テレポートは、その帰還術式以外での帰還は絶対にできない。そういうことなのだろう。
ふむ、手詰まりだ。自身の魔法への知見が浅いとは思わないが、これだけ複雑の条件付けが為されているとお手上げだ。少なくとも、酒が入っている状態で取り組むべき問題ではない気がしてきた。
俺は、再びカウンターを乗り越え客側へと戻った。当然のことだが、俺の酒は彼女の隣に置かれたままだ。正直なところ、気まずさから席を一人分空けたい気分ではあるが。
それでは、俺が逃げたみたいで実に情けないではないか。俺は、覚悟を決め彼女の隣へ座った。
彼女の手元にあるものと同じ、強い赤みを帯びた琥珀色の酒に口をつける。マンハッタンといったか。いったいどういう意味なのだろうか。
「アタシは、マンハッタンが一番好き」
「甘くて、芳ばしくて。それに、最後に口に放り込むチェリーがたまらないの」
俺も、もともとはあまり甘いものが好きというわけでは無い。だが、ウイスキーが放つ香りと混じり合っているせいか、このカクテルの甘さは俺にあっていた。
「たまには、甘い酒も悪くないな」
「あらあら、気取っちゃって」
横目に、彼女をチラリと見る。
彼女の頬は、いつになく赤く染まっていた。彼女がこんなに酔っているのをみるのは初めてだった。
だが、そこには確かに更に赤黒い一筋の線が見て取れる。モヤモヤとした薄暗い感情に、俺は視線を正面に戻される。
「キミがこんなに酔っているのは初めて見た。体調でも悪いのか」
「嫌なことがあったから飲みすぎちゃった」
「俺が、帰った後もずっと飲んでたのか?」
「たぶんそう」
先日とは打って変わって、彼女は素直に見える。これもまた、酒の力であろうか。冷静に話をするなら、今がいい機会なのかもしれない。
この間の話の続きを、するべきなのであろう。それは、魔王を見つけた時の取り扱いであり、彼女がひたすらに隠す彼女自身の素性についてであり。
そして、最も重要なのは魔王探索の最前線から彼女に退いてもらうことである。その説得の困難さを鑑みると、どうにも気が重くなってきて自然と眉に皺がよってくる。
「まだ怒ってる?」
顔中の皺という皺を眉に寄せ、口を真一文字に結び、腕を組んで正面を凝視する俺の様子を窺うように、遊び人が俺の顔を覗き込んできた。
「俺は、そもそも怒ってなんかいない」
「いや、怒ってたよ」
「何に対してだ、俺が怒る要因など何一つない」
「でも、私のせいで炎魔将軍を取り逃がしちゃったじゃん」
「それは、そういうこともあるさ」
「でもでも、二度とこんなのはごめんだって……」
ああ、誤解の原因はそこだったのか。彼女は、俺が炎魔将軍を取り逃がしたことを怒っていると思っているのだ。
故に、その原因となった彼女を俺が旅から排除しようとしていると勘違いさせてしまっていた。ならば、その誤解さえとければ、俺は彼女を納得させられるのではないだろうか。彼女との協力関係を保ったまま、前線に一人で立つことができるのではないだろうか。
「二度とごめんだ」
彼女は悲しそうに「ほら」と呟いた。
「ちがう。そうじゃないんだ」
「じゃあなに?」
「……」
沈黙が流れる。答えに詰まったわけではない。明確な答えは俺の中にある。だが、それを言うには相応の勇気が必要なのだ。人々から、勇気あるものと称される俺をもってしても躊躇してしまうほど恐ろしい壁があるのだ。目をそらしてはならない、俺は自身の罪へと向き合わなくてはならなかった。
カウンターの上に置かれていたウイスキーを無造作に取り上げる。ラベルには、見たこともない角ばった文字らしきものがでかでかと書かれている。気にせず、ビンを開け、一気に喉へと流し込む。所謂ラッパ飲みだ。
肺が空気をもとめ、胃が突然の強い酒の侵入に嫌悪感を示す。えづきそうになるのを我慢して、俺はどうにかビンを全てからにすることに成功した。
「君の顔に、傷が残ってしまった」
彼女が驚いてこちらを見ていた。俺もまた、彼女の目をそらすことはなかった。
彼女は、自身の頬に何げなく触れた。そこには、炎魔将軍によってつけられた刃傷がありありと残っていた。炎魔将軍の高温の剣は肉を切り裂くと同時に彼女の皮膚を焼いていた。血が出なかったのはそのせいだ。その傷は回復魔法をかけても跡が消えることはなかった。
俺は、美しく愛らしい彼女の顔をまっすぐ見ることができなくなっていた。彼女を無防備にも魔王幹部に近づけてしまったこと。そして、あまつさえ彼女と連中のやり取りを盗み聞きし彼女の素性を探ろうとしていたこと。
彼女に一生ものの傷を負わせてしまったのは、自分であるという後ろめたさがそうさせたのだ。
絞り出すように、俺は懺悔をつづけた。
「かつて俺はキミに約束した。俺が君を守ると」
「いや、そんな約束した覚えがないけど」
「す、すまない、気のせいだったかもしれない」
あれ?気のせいだったか?俺の記憶違いなのだろうか。いや、確かに以前そんな約束をした気がする。景気づけに、カウンターから再び一本ウイスキーをとる。あける。飲み干す。
そうして、ドーピングを重ねないと本心を明かすことができないなんて、実に燃費の悪い身体だ。
「……君が傷つくのは二度とごめんだ」
我ながら思う。うすら寒い台詞だと。照れのせいかどうにも鼻がむずかゆい。
「……そう」
「……あぁ」
「……じ、じゃあ、次は君が守ってよ」
そう言って彼女は机に突っ伏してしまった。どうやら、俺の説得は失敗したらしい。彼女は、俺が本心を明かしてもなお前線についてきて俺の隣に立つつもりでいた。
しかし、その挙動に一つまみ程の不審さを抱いた俺は、組んだ腕の中に自身の頭を納めこんでいる彼女を、その腕の隙間からのぞみこんでみた。薄暗くてよく見えないが、頬が先ほどよりも更に赤くなっている気がする。呼吸もいくばくか、荒くなっている。
飲みすぎて気持ち悪くなったのかと、背中をさすろうと手を伸ばすと、彼女はゼンマイ仕掛けの玩具のようにバッと起き上がった。
「わ、私の秘密、ひとつだけ教えてあげる」
その頬はやはり、赤い。というか、頬に限らず顔全体が赤く染まっている。
「お、おぅ」
「君さ。たぶん、自分では気づいていないようだけど」
「お、おぅ?」
「……酔っているとき、心のモノローグがだだもれだよ」
~~~~~~
「ビールの苦みはホップに由来するものなのよ」
「ホップ?」
「そ、ホップステップジャンプのホップ」
遊び人のにやけ面からするに、これは冗談を言っているのだろう。
これだから、酔っ払いの相手をするのは嫌なんだ。下らない冗談を、得意満面に話すなんて恥ずかしくないのだろうか。
どうせ言うならもっと洒落た冗談を言って欲しいものだ。例えば、そうだな……。
ホップ……モップ……コップ……いや、やめておこう。このままだと碌なことを言いだしかねない。
「いい判断だね」
~~~~~~
「うんうん、そうだな。俺も、君の中身のほうを楽しみたいものだ」
~~~~~~
「それを言うなら、遊び人さんは。地獄のサルの尻のように顔が赤い」
「女性の顔を、エテ公の尻に例えるたあ、勇者様のデリカシーのなさに磨きがかかってきましたなあ。というか、地獄のサルって何よ……」
「いや、なんとなく旨い事言おうとして失敗しただけだから深堀しないで」
「……ならもっと可愛いものに例えなさいよ」
ふむ、サルの尻より可愛いものときた。さて、そんなものが現実に存在しうるのだろうか……。
いや待て、考えるまでもなくそんなものは世に数多あるわ。星の数よりあるわ。
ありすぎて逆に、回答に困るやつだわ。
「はよしろ。あほう勇者」
焦らすなよ。
そうだなあ。かわいいもの、かわいいものねえ。うん、そうだ。
例えば、今俺の目の前で頬を染めて酒を飲んでいる黄金色の髪をもった女の子とか。
あ、これはだめだ。
これじゃあ、可愛いものの例えじゃなくて可愛いそのものではないか。
「 ちどりあしてれぽーとおおおおおおおお!! 」
~~~~~~
かつての、自身の発言が走馬灯のように駆け巡っていく。その光は、俺の全身を青白く照らした後、反転急上昇、今度は真っ赤に染め上げていく。
今度は、遊び人に変わって俺が机に突っ伏す番だった。今ならわかる。彼女が、顔を隠すように机に伏せていたのはそういうことだったのだ。俺は恥ずかしさのあまりに、顔をあげることができなくなってしまっていた。
隣では、彼女が「うえっへっへっへ」とそこいらの酒場に溢れる下品な親父みたいな、汚らしい笑い声を漏らしていた。
「おや、問題は片付いたようですね」
マスターが小人の扉を潜り、店の中へと戻ってくる。氷を買いに行くと言っていたはずが、その手には何も握られていなかった。
「……問題は解決していない。依然、彼女はこの店に捕らえられたままだ」
腕の隙間から、かろうじて声を出す。
「いえいえ、もう邪魔な壁は取り払われているとお見受けします。全く憎らしいことに」
憎らしい?
「しかし、老いぼれが若い二人の邪魔をするのも無粋ですし、私からの餞です」
「餞別?」
「いま、お二人が飲んでいる『マンハッタン』の由来をお教えしましょう」
「『マンハッタン』とは異世界のある都市の名前で、このお酒はその都市に沈みゆく夕日をイメージして作られたと言われています」
唐突なマスターの語りに、俺は埋もれた頭をもちあげていた。
「人々は、夕日が沈む前に帰路につくべきなのです」
俺は、マスターの意図を探る。いくら俺たちがマンハッタンを二人して飲んでいるからと言って、その由来を意味深に語る意味はなんだ。そして、それを餞別と表現する意味。
そんなのは考えるまでもない、これはマスターからの餞。すなわち、俺たちが抱えている帰還できないという問題のヒントになっているのだ。
解決法を自身で見つけろと言いながらヒントを与える。マスターが作り出した魔法が原因となっていることはさておいたとしても、なんともまあ、お人好しな好々爺ではないか。
夕日が沈む前に、人々は帰路につくべき……ね。
「つまり、足元が暗くなる前に帰りなさい」ということだろう。だが、果たして酔っ払いが日も変わらぬ前に家路につくか?いや、そんなことはありえない。酔っ払いであればあるほど、その楽しいひと時を延ばしたいと家には帰りたがらない。その結果、酔いつぶれて街の闇に沈んでしまう。
だからマスターは、さっさと帰れと促しているのだ。
しかし、千鳥足テレポートを使うものは総じて酔っ払い。マスターの言うことなど、誰一人として聞かないだろう。泥酔した状態で、元居たところへ帰還するのだ。そんな酔っ払いたちを、目の前のマスターならどうするだろうか。……この好々爺は、きっと酔いつぶれた客をそのまま何処とも知れぬ帰還先に放っておくことなどできないはずだ。
つまり……。
「酷く酔った千鳥足テレポート行使者は、帰還先が自宅へと変更される?」
マスターは、答えを返す代わりにニッコリと笑って見せた。
俺が宿屋に戻れて、彼女だけが店に取り残された合点がいった。
つまり旅の俺たちにとっては、自宅など存在しない。それでもなお、俺が宿屋の部屋に直接帰還した経験を鑑みるに、俺たち旅人の自宅とは、その都度とった宿ということだ。
あの日、宿屋に彼女の部屋はなかった。とれた部屋は一部屋だけで、彼女はその部屋に一歩もはいらなかったし、荷ほどきもしていなかった。
俺が同室を拒否したことも相まっているかもしれない。たとえ俺に、そのつもりがなかったとしても彼女はあの夜、宿なしのまま酒を飲みにでてしまった。
そして、俺たちはマスターの前で醜態をさらすほどに酷く酔ってしまった。
原因は、既に解明された。……ならば、解決法に見当はつく。問題は、解決法は二つありそのどちらが俺にとっての正解かということだ。一つは、彼女の酔いが冷めるのを待ってから帰還する。そして、もう一つは。
「わかったようですね」
「あぁ……」
「どういうこと」と、遊び人が一人だけ頭上に疑問符を浮かべている。
「……すまない、マスター何でもいい。何か強い酒をくれ」
「男なら」
「ん?」
「男なら、酒の力を借りずに為すべき時があります」
マスターの言うとおりだ。いったい俺はいつから、こんなにも弱くなってしまったのだろう。例え初めての経験だろうと、その勇気をもって臨むのが勇者ではなかったか。その名に恥じぬ男ぶりを見せないで、何が勇者であろうか。
俺は、覚悟を決める。
彼女の目に正面から向かう。遊び人は相変わらず疑問符を頭上に浮かべたままキョトンとしている。
俺は、彼女の目を見据え大きく息を吸い込み一気に言う。
「今夜、俺の部屋に泊っていけ」
遊び人は、ポカーンと口を大きく開け固まってしまった。そして、じわじわと時間をかけ口を閉じ、終いには俯いてしまった。
沈黙が、俺に不安を募らせる。
しばらくすると、彼女は顔をあげた。だが、目は半開きでしかも泳いでいる。俺に目を合わそうとしない。
「そ、それでは、宴もたけなわでございますが……」
急に改まった口調で宣いだした彼女に、俺はその意図を汲みかねる。
「たけなわ?」
「に、二本締めと行きましょう」
「二本締め?そんなの聞いたことないぞ……?」
「よぉお~~~!」
パンパン。
乾いた音が二回、店内に響き渡る。
有無を言わさない彼女の掛け声にあわせて、俺はつい手を合わせてしまっていた。光が俺と彼女の体を包み込む。
これはつまり。彼女なりの承諾ととってしかるべきなのだろう。
母さん、俺、今日こそ男になるようです。
――――――
光が収まり、バーは再び間接照明の落ち着いた色に染まる。静けさを取り戻した店内には、老いた店の主人の姿しかなかった。
「二人とも消えたということは、あの娘も彼を受け入れたとみて良さそうかな」
マスターは、店内に誰もいないことを確認すると、鼻をズズッとすすり、懐から出したハンカチで目元を拭った。
「まったく、世話の焼けるお客様だ」
そう独り言ちて、ふとカウンターに目を向ける。そこには、異世界で仕入れてきたウイスキーが二本。琥珀色の液体で満ちていたはずのそれらは、既に空き瓶とかしていた。
「……ツケにしといてあげよう」
マスターの声は、少しだけ怒りと悲しみに震えていた。
――――――
朝日が、カーテンの隙間から部屋に差し込んでくる。
大きなあくびを一つ上げ、ググっと伸びをする。
アルコールの強烈な香りが鼻をついてくるせいで、とても清々しい朝だとは言えなかった。床には割れたワインの瓶が転がっている。昨晩、彼女と飲みなおそうと教会から貰ってきたものだ。
宿屋の主人には悪いが、あの自家製酒はもう口にしたくなかった。
「まだ、結構残っていたはずだ。勿体ないことをしたな」
シャツを脱ぐと、襟から胸元にかけて赤いシミがべっとりついていた。どうやら、頭からワインを被ってしまったらしい。いったいどんな寝ぼけ方をしたのやら。
「おい、遊び人。朝だぞ」
この部屋にはベッドが一つしかない。俺は、先ほどまで自分が潜っていたベッドに向けて声をかける。
「おーい、キミに限って二日酔いなんてことはないだろう?」
ブランケットの中を覗き込む。
だが、そこには誰もいなかった。
「またかよ」
思わず声にでてしまった。
その日、遊び人は俺の前から姿を消した。
俺は当然のように再び、彼女を探す。
そうして、彼女が消えてから半年の時が過ぎようとしていた。
――――――
3杯目 カクタル思い
おわり
――――――