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酔っ払い、喧嘩する



 人間、酔っぱらうと本性がでるものである。


 理性という名の鎧が、普段は身を潜め息を殺してきた溢れんばかりの衝動によって内からはち切れるのだ。 抑えるものが何もなければ、例え進む先が地獄だとしても迷わずに突き進んでこその酔っ払いである。


 言いたいことをいい、やりたいことをやる。何を恐れるや。その姿、まさに勇者と呼ばれるにふさわしいのではないか。



 では、女神からお墨付きを受けている唯一本物の勇者である俺が酔っぱらったらどうなるのであろうか。残念なことに、みなの期待には応えられそうにはない。俺は勇者ととしての使命感からか、仮に酒に酔ったとしても何ら素面の時と変わらないのだからから。


 まっこと残念なことである。まっこと。


 だがしかし、それでも多少なりともほんの僅かであろうが口の滑りが良くなることはあるやもしれない。



 さて、酔っ払いが二人。共に思うところあって、懐にのっぴきならぬ問題を抱えて、さらには口に酒を含んだらどうなるか。行きつく先なんてのは、火を見るよりも明らかではなかろうか。



 それは、ついつい初めての「カクテル」に興味心を引かれ昼間の険悪な雰囲気を忘れていた俺。そして、ついついお気に入りのバーに来たことで大好きなカクテルで喉を潤すことに没頭してしまっていた彼女。


 数多の酔いどれをして、「うわばみ」と称されるカップルと言えど酔いには逆らえないのが世の常。


 夜も更け、俺たちはいつになく酒に酔っていた。


 ワイン蔵を文字通り空けてしまったこともある俺たちをして、僅かなカクテルに酔わされるとは不思議なものである。だがこのカクテルバーという独特の雰囲気を持つ場には、それを成す何物かが潜んでいるのだ。


 つまるところ、俺と遊び人の間に何が起こったのかというと。良い雰囲気に流されて、男女がともにくんずほぐれつ汗をかく……なんてことが起こるはずもなく。


 ごくごく酒場にあり触れた光景。腹を割ってのタイマンである。要は喧嘩である。




 切り出したのは、彼女からだった



「ねえ勇者。キミは魔王にあったらどうするの?」



 立ち上がりは静かなジャブから。


 俺は、彼女の質問の意図を探るように回らない頭を回してみる。カランカランと音がする。まるで氷の入ったグラスのようだ。結局は、回らないものは回らないと諦め、対外的にバツの悪くない答えを返す。



「魔王を倒すのが勇者の仕事だ」



「はぐらかさないでよ。倒すってのは殺すって意味?」



「場合によっては」



「じゃあ、魔王が人に無害になっていたとしたら殺さないでいてくれる?」



 彼女は何を言いたいのだろうか。



「彼らは一度滅んだ。キミの手によってね。でも、今はただの酒の密売人組織じゃない」



「犯した罪は消えない。かつて魔王は世界を混乱に導いた」



「それって王国も同罪じゃない。所詮は国同士の戦争よ、魔王個人に罪を背負わせるなんて道理じゃない」



「元騎士の君がそれを言うのか」



「……魔王を殺さないでいてくれる?」



 彼女のそれは既に質問というより懇願に近いものだった。


 その問いに、俺は答えることができなかった。なぜなら、魔王を殺さない選択しなど、そんなこと一度たりとも考えたことがなかったからだ。

 

 ……仮に選択肢の中にあったとしても、俺がその一つを選び取れるのだろうか。



 この店に来て初めて魔王そっくりのマスターの姿を見た時。俺の中から沸き上がったものは、遂に魔王を殺せるという喜びだった。



 かつて深手を負わせたものの殺しそこなった男を。長年にわたって追いかけてきた宿敵に、ようやくトドメを刺すことができると俺は歓喜に打ちひしがれていたのだ。


 もしも、遊び人の静止がなければ俺は間違いなく剣を抜いていただろう。



 全く情けないことに、あの時の俺に勇者としての使命感はほんの欠片すらなかった。ただひたすらに、自身の感情、欲望に衝き動かされ剣の柄に手をかけたのだ。……そんなの、まるで酔っ払いではないか。


 そんな俺が本物の魔王を相対して、どうなるのか。殺さないという選択を取ることができうるのか。俺にはわかりかねた。



「そう……」



 沈黙する俺に、何かを察したかのように遊び人が呟いた。何を察したのかはわからないが、おそらく何かしらの誤解が生じた気がする。



「魔王が……いえ、魔物がそんなに憎いのね?」



 ほら生まれた。おんぎゃーおんぎゃー。



「そんなことはない」と、とっさに否定を試みる。



「そんなことなくはないでしょ。初めて出会ったあの夜のことを忘れたの?」



 マスターの眉が片方だけピクリと動いた。


 おいおい、「初めて出会ったあの夜」なんて艶めかしい言い方するから、マスターにもあらぬ誤解が生じたかもしれんぞ。



「変な言い方をするなよ。初めて、魔王残党の密造酒倉庫に忍び込んだ時の話だよな! 」



 マスターにも届くよう、説明じみた答えを声を張り上げて返す。



「キミはミノタウロス達を躊躇なく殺そうとしたじゃない、あまつさえ拷問すらしようとした」



「そ、それは」



「それにさっきだって、私が止めてなければ君はマスターに切りかかっていたでしょ!」



「……そうだが」



 ちがう、そうではない。いや、そうであるのだが事情が事情だ。



「それに関しては、何の説明もなく連れて来る遊び人が悪いじゃないか。突然、目の前に魔王によく似た男がいたんだぞ。俺が何年、魔王を追い続けてるか知っているのだろう?」



「……一理あるわ」



 一理どころか、百理も二百理もあるわ。なんだこの女、急に素直になりやがって酔っぱらってるのか? ……そうだった、酔っぱらっているんだった。



 遊び人は、まるでそのことに考えが及ばなかったとばかりに一頻り頷いてみせた。



「もう一度だけ応えて。あなたは魔族が憎い?」



「ミノ達の件は、それが必要だったからだ。当時の俺には、魔物を殺さないでおく余裕も魔物たちから情報を引き出す術もなかった。決して魔族憎しで動いているわけじゃない」



「でも、彼らが人間だったとしたら殺さないし。拷問もしないんじゃないの?」



 まあ、その通りだ。魔族と人間の違いは、その膂力の大きさにある。例え子供の姿をしていようが、俺を殺し得るポテンシャルをもっている。それが魔族だ。



「魔族は、人間とは違う。だから対応も違ってくるは当然だ」



「魔族は危険だってこと? だったらそれは人間だって同じじゃない」



「危険の度合いが違う」



「……」



「なあ、結局のところ何が言いたいんだ」



「私は、あなたに魔族を嫌ってほしくない。ごく普通に、人間とそうするように接してほしい」



 譲歩はしている。かつての勇者なら、理由がなければ出会った魔族に手心を加えるなんてなかった。


 だが、遊び人が無益な殺生を嫌っている以上。そして俺が彼女に嫌われたくはない以上。俺は彼女の意向に沿って、最大限の努力をしてきた。


 そうでなければ、ここにたどり着くまでに俺たちは数多の魔族の死骸を積み上げてきたことだろう。



 俺の「殺さない」努力を彼女は一切顧みていない。これは一体どういうことだ。俺のかつての戦いぶりは、元騎士であるというのなら噂ぐらいは耳にしているはずだ。


 勇者の通った後には草すら生えない。勇者のブーツは常に血の赤で濡れている。これまで散々なことを言われてきた。


 そんな俺が、彼女と出会ってから今日という日まで命をひとつも奪っていないということがどれほどの事なのかをわかっていない。


 惚れた弱み。そう惚れた弱みであるが、これほどまでに尽くしているというのに……。その無関心には怒りすら覚えてしまう。



「遊び人、俺からも君に質問がある」



「なによ」



「君はなぜ魔王を追っている」



 ほんのジャブ程度の質問のつもりだった。俺の努力を顧みない彼女に対してのほんの意趣返しだったのだ。本当のところは、彼女が魔王を追っている理由などどうでもいい。


 ただ、彼女がひた隠しにする目的を露わにせんとすることで少しでも彼女が嫌がる姿が見たかったのだ。



 だが、俺は俺自身のことをよくは理解できていなかったらしい。


 そのたった一つの質問を皮切りに、堰をきったように俺の中に溜め込まれていた疑問、いや欲望というべきものがあふれ出したのだ。



「君は、元騎士だと言っていたが何処の騎士団だ」


「なぜ、遊び人なんてやっているんだ」


「年はいくつなんだ」


「どこの出身」



 今の俺には、彼女の返答を待つことすらできなかった。こんなこと、本当なら初めて出会った夜に、初めて背中を任せられる仲間に出会たあの夜に聞いておくべきだったのだ。


 共有する時間が増えるにつれ、彼女のことを知らぬまま彼女への思いが募った結果がこれだ。



「一人の時は何して過ごしているんだ」


「俺のことをどう思っている」


「なぜ魔物にやさしくする」


「この店にはしょっちゅう来ているのか?」



……



 彼女は黙ってそれを聞き続けた。答える隙などなかったのだから、仕方あるまい。



「君の名は」



 ようやく、俺の問いかけが尽き。しばしの沈黙が流れた。遊び人は、最後の俺の問いかけに対してか何かを言いかけたものの息を吐きだすに留まった。



「私は、ただの遊び人よ」



 彼女は、俺の心からの問いかけにそう答えた。


 この期に及んで、秘密を明かすつもりは毛頭ない。そういうことなのだろう。


「いい加減にしろ」という言葉が喉まで出かかった。


 だが、所在なさげに自身の頬を撫でている彼女を見てハッとした。



「痛むのか?」



「ちょっと痒いだけ」そう言って彼女は炎魔将軍にやられた傷を再びさすった。


 俺は、彼女のその姿から目をそらさずにはいられなかった。



「もう終わりにしよう」



 まるで恋人の会話みたいだな。



「まるで、恋人みたいな言いぶりね」



 以前の俺なら、頬を染めていたに違いないであろう言葉も酒の助けもあってか今なら難なく言える。俺も成長したものだ。……成長?本当に俺は成長したといえるのだろうか。



「千鳥足テレポートも覚えた。もう二人で飛ぶ必要はない」



 そう、俺は成長した。なんたって俺は勇者だ。誰よりも才能に溢れ、女神の加護を受けた俺は人一倍の成長力を有している。


 現に見てみろ、かつて一杯のビールでふらついた足が今では浮つくことなく地面に確固としてその存在を主張している。



「魔王は俺一人で見つけ出す。そして生かしたまま君の前に引きずり出してやる。だから君は、酒でも飲んで待っていろ」



「私がそばにいるとまずいって言うの?初めて会ったときに行ったわよね、貴方は危なっかしいって。あなたを一人にするなんて無理よ」



「それは……俺ではなく魔物を気遣っての言葉だな」



 隣席から、猛烈に沸き上がる怒りの波動を感じる。


 ちょっとした嫌味のつもりだったが、その怒り様を見るに本当に俺のことを心配してくれているのだ。それはそれで嬉しいし、自分の心無い言葉に猛省もする。だが、俺がそれに怯むことは無い。


 彼女を如何に怒らせようと、たとえ嫌われることがあろうと、そう為さねばならない理由があるからだ。



「俺は今日見たいなことは二度とごめんだ」



「だから、それはごめんなさいって謝ったでしょ」



「謝る謝らないの問題じゃないんだ」



「そう!貴方はそんなに、炎魔将軍が大事なのね!」



 彼女の怒りが頂上へと達するその瞬間、まるで「私のことを忘れていませんか」と言わんばかりにマスターがグラスを二つ差し出してきた。



「お待たせしました」



 俺と彼女の前に、届けられたグラスにはそれぞれ透明の液体がなみなみと注がれていた。



「これは何だマスター?蒸留酒か?」



「中身はただの水でございます」



「誰がこんなの頼んだって言うの!ふざけないでよマスター!」



 突如、全身に悪寒が走った。手が震え、足が震え、視界が泳ぎ、歯がかみ合わずにガチガチとなりだした。酔いではない、勇者の持つ耐性で酒に強くなった俺がこんなにわかりやすく酔うはずがない。隣では、遊び人もまた同じ症状に襲われている。



「申し訳ありません。そろそろ店じまいしようかと」



 マスターは、その笑みを崩すことなくグラスを磨き上げ続けている。


 だが、言葉や表情とは裏腹に彼のオーラが「喧嘩は外でやれ」と雄弁に物語っていた。流石、先代魔王と言ったところだ。この勇者である俺をして、ここまですくみあがらせるとは。


 いや決して、決して恐れをなしたわけでは無いが俺は慌てて席を立つ。相変わらず、足がガクガク震えているがこれは酔いのせいだ。



  俺は、黙ってカウンターに銀貨を1枚おいた。カクテルが如何ほどするのかは知らないが、これだけあれば二人分の酒代は十分に賄えるだろう。


 すると、それに対抗するかのように遊び人もまた自身の懐から銀貨を1枚取り出す。あくまでも、今晩は俺に奢られるつもりはないという意思表示なのだろう。



「多すぎますよ」



 マスターが困った表情で、俺と遊び人の顔を見つめる。



「マスターに」「マスターに」



 期せずして、俺と彼女の言葉が被さった。マスターはくっくっと頬を緩め、「では頂戴いたします」と銀貨を引っ込めた。



「また来るわ」



 遊び人が、パンパンと手を二回たたき俺の体は再び光に包まれテレポートする。



「お待ちしております」



 マスターの声は光に消えていった。




――――――



「おや、兄ちゃん、どっから現れた!?」



 大柄で禿頭の店主が、突然転移してきた俺を驚きの表情で出迎えてくれた。



「悪いが、部屋はやっぱり一つしか取れなかったよ」



 最悪だ。部屋が一つしか取れていないことを、俺はすっかり忘れていた。この険悪な雰囲気のまま、彼女と一晩過ごすのはどんな強敵と戦うよりも困難を極めることだろう。



「あれ、あの可愛い姉ちゃんは一緒じゃないのかい」



 店主の言葉に、俺は慌てて周囲を見回すがどこにも彼女の姿はなかった。


 しかし、俺に動揺はない。なに心配することはない、彼女は腕もたつし夜にふらっといなくなることはよくあることだ。きっと、近くのスピークイージーになりへ行ったのだろう。


 俺は、気まずい夜を過ごさないで済むと少しだけほっと胸をなでおろし床へ着く。


 明日、どんな顔して彼女に顔をあわそうかと気に病む間もなく俺は意識を失うように夢の中へと落ちていった。



 残念なことに、もしくは幸いなことにか。翌朝、俺は気に病む必要などなかったことを思い知る。なぜなら、彼女は朝になっても戻ってこなかったからだ。



 そしてその翌日も、そのまた翌日も。


 彼女は帰ってこなかった。







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