マンハッタンとスクリュードライバー
「カクテルってのはねえ、組み合わせによって無限の広がりをもつものなの」
逆三角形のグラスには、店のランプのせいだろうか少し赤みがかった琥珀色の液体で満たされている。魔法薬だと言われれば信じてしまいそうな妖しい色彩だ。酒の中でプカプカ浮いたり沈んだりを繰り返しているチェリーも、見ようによってはホルマリン漬けされた実験体みたいで気味が悪い。
「まあ、論より証拠よ。飲んでみたら」
気づくと、俺の前にもすでにグラスが置かれている。パッと見たところ、ただのオレンジジュースに見えるが、これが本当に酒なのだろうか。幸いなことに、その疑いはたったの一口で晴らされた。
強いアルコールがガツンと脳を揺らす。これをジュースと呼ぶ奴がいたら、そいつは間違いなく素面ではないだろう。オレンジジュースと何かしらの蒸留酒が混ぜてあるのだろう。慣れ親しんだオレンジの酸味が、強いアルコールを飲みやすいものへと緩和している。
「うまい」
なにより飲みやすい。俺は、初めて酒を飲んだ日の事を思い出す。ビールも、ワインもどちらの初めても最初の一口は、まるで異物を体内に取り込んだかのような拒絶反応が起きた。胃が逆流してくるような強烈な嫌悪感に襲われたものだ。
しかし、この飲み物はすんなりと喉を通る。体が何の拒絶を起こすことなく受け入れている。起きるものといえば、せいぜいが清涼感ぐらいのものだ。
気づけば俺のグラスは既に空になってしまっていた。
「お気に召しましたか?」
答えは聞くまでもないという表情でマスターがニヤニヤ笑っている。
「ああ、えっと何だ。スクリュードライバーをくれ」
「かしこまりました」
まるで、必殺技みたいな名前だな。
「わたしも、初めての時そう思った」
遊び人は、謎のカクテル『マンハッタン』をちびちび飲んでいる。どこか表情は緩んでいて、機嫌もよさそうだ。
さて、状況を察するに俺と仲直りをし仲良く飲みなおそうというのはあながち勘違いではなかったらしい。
ふと遊び人と目が合う。
「なに?これが飲みたいの?」
遊び人が俺をおちょくるようにグラスをクランクランとまわして見せる。
「それは、どんな酒なんだ?」
「論より証拠」
遊び人が差し出したグラスを一口もらう。そういえば、いつぞやは間接キス程度でドギマギしていたこともあったな。それが、いまやこの程度じゃ動揺すらせんぞ。俺も、成長したものだ。
そんなことをツラツラと思いながら、マンハッタンに口をつける。
「なんだこれは」
なんだこれは。
スクリュードライバーとはまた違った衝撃だった。
「すごいでしょ?」
香ばしく濃厚な香りに、少しだけ果物特有の甘い香り。それぞれが特色を持ちながら、もともとは一つとして生まれたかのような完璧な一体感。
「なるほどな。カクテルとは、例えるなら酒を使って酒をつくる料理というわけか」
「いいこと言うじゃない。私もねかつてこう思ったのよ。もうこの世には新しい酒なんて生まれてこないんじゃないかって」
「新しい酒……?」
「だってそうでしょう?ワインだってビールだって起源を辿れば何千年も前にできてたわけだし。最近の工業化で蒸留酒が出回るようになったときは、久々の新しい酒だってそりゃもう歓喜したものよ。でも技術革新による新製法なんてものは、そうそう考え出されるものじゃないしね」
遊び人の言葉が止まらない。酒の話になるといつもこれだ。
「そんな時に、このカクテルを私は知ったのよ。工業的な技術によらない、文化的革新。組み合わせ方によって、無限に広がっていく味・香り・風味! 酒の行きつく先、それこそがこのカクテルなのよ!」
ぱちぱちぱち。心の中で、万来の拍手を彼女に贈る。
「ちなみに、この世界にカクテルバーはここしかないわ」
さらっと新情報。
「じゃあ、ここが酒の文化的最前線というわけか」
「いえ、実はそういうわけではありません」
マスターが、新たにグラス注がれたスクリュードライバーを俺の下へと静かに寄越す。
俺は、魔王によく似た男をじっと見つめる。奴は、にこにことするだけで口を開く様子がない。まるで、俺からの催促を待っているようだ。
「……遊び人、そろそろこの店とこの男のことを教えてくれ」
誰がお前に催促何かするものか。俺は、マスターを無視し遊び人に向けて質問を投げかけた。
「では、マスター。ご指名ですので」
遊び人がおどけて畏まると同時にマスターがしたり顔を寄越してきた。