中にはまずい酒もある
千鳥足テレポートの帰還術式で酒場に戻った俺たちは、村のはずれにある宿屋へと向かった。
おそらく元は酒場だったものを改装したのだろう、扉を入ると机がいくつか並べてあり宿泊客らしき人達が食事をとっていた。
広間の奥には、カウンターがあるが本来酒が置いてあるはずの棚には代わりに部屋の鍵らしきものが並べてある。
机の隙間を抜け、カウンターの中にいる禿頭の大男へと話しかける。
「宿をとりたい」
禿頭の大男改め宿屋の主人がチラリと俺たちの様子を見る。
見慣れない旅人、飛び込みの宿泊客を見定めているのであろう。
「一部屋でいいな。二階の一番奥の部屋を使ってくれ」
そういう仲ではないと主人を制すると、遊び人が抗議の意思がこもった視線を飛ばしてくる。
「私は一部屋でも構わないけど」
「いや、できれば二部屋とりたい」
確かにこれまでの旅路の中、ほぼ毎日床を共にしている。勘違いしないでほしいが、床を共にしたというのは至極直接的な意味であって。残念なことに何か過ちが起こった夜など一夜としてない。
ではなぜ、俺たちが恋仲にあるでもなく部屋を一つしかとらなかったかといえば答えは単純で金欠であったからである。
俺たちは立ち寄った村々で剣の腕をつかい路銀を稼いできたが、そういった仕事も毎度あるわけではない。そして何より俺と彼女の旅はその性質上、資金のほぼ全ては酒代へと消えていくのだ。
おのずと酒代以外の費用は節約するという習慣が俺たちには備わっていた。
「俺に少し時間をくれ遊び人。主人、二部屋で頼む」
しかし、今の俺には正直なところ彼女と同じ部屋で過ごす余裕がなかったのだ。
炎魔将軍を止められなかったという後悔の念、つい口走ってしまった言葉で恐怖に歪んでしまった彼女の表情。 彼女の頬に振るわれた炎の刃が脳裏から一向に離れる気配がない。
様々な思考が、脳内を駆けずり回っている。経験上、こういうときは一度冷静にならないと非常に危険だということを俺は知っている。
魔王討伐の旅は一歩間違えれば、簡単に命を落としてしまう辛い旅だ。一瞬の迷いが、死に直結してしまう。
悩みや後悔の種は、育つ前に摘み取らなくてはならない。だからこそ、俺には一人で冷静になれるだけの時間が必要だったのだ。
大男が唸りながら宿帳をとりだした。
「うーん、実は今晩来る予定だった御者がまだ来ていないんだ。日を跨いでも、そいつが来なかったら一部屋空くかな」
「じゃあ、部屋が空いたら教えてくれそうしてくれ。だめなら諦める」
遊び人のほうを振り返ると、何がそんなに気に食わないのか彼女の眉間にしわが幾重にも寄っていた。路銀を節約するのも大事だが、時には俺に一人になる時間をくれたっていいじゃないか。
それに路銀のことを言うなら、千鳥足テレポートを使わない日は休肝日にでもすればいいじゃないか。 魔王を探し出すための必要経費と言うならともかく、君は普段から酒を飲みすぎている。
もちろん、そんなことは口を避けても言えない。それは、酒が俺の不眠を和らげてくれているということもあるが、なにより俺自身も彼女と酒を酌み交わす時間がとても好きだからだ。その楽しいひと時を失うことは是が非でも避けたい。
「ひとまず、荷物を部屋に置こう。それから夕食にしようじゃないか」
「だったら、私の荷物も置いてきてよ」
どこか険のある言い方だった。
「どうした、何が気に食わないんだ?」
「おじさん、ここの宿屋にある中で一番強いお酒を頂戴」
店主が困った表情を見せる。
「おいおい、こんな所で喧嘩は止めてくれよ。それにうちは真っ当な宿屋なんだ酒なんてあるわけないだろう」
彼からすれば、俺たちのやり取りは単なる痴話げんかに見えているのであろう。
遊び人が店主をにらみつけると、店主はたいした酒は置いてねえぞと呟きながらいそいそと店の奥へと引っ込んだ。
「おい、店主に八つ当たりすることは無いだろう」
「早く、荷物を置いてきてよ」
彼女の言葉は、とても静かで落ち着いたトーンであった。しかし、そこには一切の反論を許さない遊び人の強い意志がこもっている。
かつて幼き日に母がヒステリーを起こした時をふと思い出す。
こういう時の女には逆らってはいけない、それは火に油を注ぐような愚かな行為である。
俺は、いそいそと彼女の荷物を背負い宿屋の主人から告げられた二階の部屋へと上がった。
部屋に荷物を置き、階段を降りると遊び人が既に机の一角に陣取っている。
他の宿泊客は先ほどのやり取りを聞いていたのだろう、まるで演劇の一幕を楽しむがごとく奇異の目を向けている。
中身はともかく外見は平凡な俺と、ただでさえ可愛らしさに満ち溢れているのに更には白と黒の派手な服を着た美少女のカップルだ。人目を引いてしまうのは致し方のないことだ。
「話がしたいの」
「それは構わないが、道化師の傍らを演じるつもりはないぞ」
「じゃあ、これ飲んで」
「なんだこれ」
「さあ、店主の自家製らしいわ。いいから、飲んで」
グラスを傾け謎の酒を喉に通すと、喉がやけたような刺激に襲われる。なんだこれ、まっず。
「そうね貴方の言う通り、衆目にさらされるのは本意じゃないわ」
「そうだな」
「だから、静かに話の出来る場所に行きましょ」
彼女が、俺に手を差しのべる。
なんだ、なんだかんだ言いながら仲直りの握手というわけだ。
ならば、そのまま二人仲良く手を繋いで静かなスピークイージーへと繰り出すのも悪くないではないか。 なにより、この宿屋においてある酒は碌なものではない。まともな酒が飲めるなら、どこだっていい。
ウキウキと浮足立った俺は、何も疑問に思わず彼女の手を取った。
「千鳥足テレポート!」
「え!?」
俺と遊び人の体から光の粒子が立ち上っていく。
あぁ……俺の浅はかな勘違いは、まるでこの立ち上る光の粒みたいだ。
楽し気に舞い上がったのち儚く消える。
できることなら、この勘違いが遊び人に気づかれていませんように。
光の粒を星に見立て、俺は切に願った。