02
数年前に比べ、だいぶ風通しの良くなった北区、それでも街にはストリートチルドレンや浮浪者が溢れている。
「なぁ、お前何がしたいんだ?」
薄汚く、悪臭漂う日当たりの悪い、ストリートチルドレンの溜まり場に、綺麗な身なりのこの場所に不相応な少年が自分の膝にほおずえを付きながら話しかけてくる。
「何って?何?」
「いや、何って、こんな底辺のガキどものお山の大将やってて、お前そんなタマじゃないだろ?」
「お前、俺より頭良いし、何考えてるか解らないし、時々意味不明な事口走るし。なんなら俺が親父に口聞いて俺らのスクールに入れてやってもいいぞ。」
そういって、やや呆れながらも、真っ直ぐな眼差しでこちらを見る少年。この時代の、この年齢の少年にしてはとても早熟しており、その上貴族階級に生まれた事により染み付く階級に対する偏見も少ない。うまく出世すれば実に理想的なこの時代の後のリーダーになりうる資質を持っている。人格形成をするにあたって幼少期に何か家族との間に何か確執があったのだろうか?
そう妄想を膨らませながらぼんやりと口を開く
「いや、何。君にそのように買い被って貰ってとても恐縮なのだが…私はスクールに行くほどの器ではないよ。私の器はえらくイビツでね…規格に合わないのさ。まぁ、スクールに蔵書されている書物に魅力を感じていないと言えば嘘になるかもしれないけどね。君はこのままスクールに通い続けた方が良いと思うよ。」
(この時代、いくら活版印刷の技術が存在していると言え本は高い。本一冊手に入れるのにどれだけ食を抜き、危ない橋を渡った事か…)
「それに…何もないし、不便だし、空腹だけどね。私はこの生き方が性に合ってるんだよ。私にとって自由ってのはね、他の殆どを天秤にかけても良いくらい大切な価値なんだよ…」
「お前…本当に変わってんな…貧乏で、飯もろくに食えなくて、自由がない。そんな生き方が気に入ってるなんて、そんな事言うやつお前くらいなもんだぜ。」
(自由がない…か。確かにな。この時代の自由とは物質的豊かさの事を言うのだろう。なら私には自由は無いさ)
「別にこの生活が気に入ってるとは言ってないさ、それは今なんとかしている最中さ。」
「何とか〜?どうするつもりだよ?」
(確かに彼の言う事は正しい… 人材も、予算も、時間も何もかもが足りない… 悔しいが、ここが今の私の限界。どんなにコストを払っても到達できない壁がある。 自分がどんなに犠牲を払っても、どんなに辛酸を舐めようが、地べたを這いずり廻ってもそれ以上進めないガラスの天井が存在する。 やってみて初めて痛感する。これ程までに出来ない奴だったとは… 我ながら、自らの不甲斐なさに落胆する。)
(権力者、既得権へのチャンネルが無い… いくら底辺を手に入れ、組織化しても、それだけでは必ず壁に突き当たる…)
「それは…」
そう言って話を続けようとした時、路地裏から浮浪者の少年がこちらに走り寄ってきた。
「アネキ〜、いつまで俺らはこの”オベンキョウ”ってヤツをやるんだよ?ジなんか読めたってよー。腹なんかふくれね〜よ…」
そう言って浮浪者の少年がふくれっ面を見せながら、子供っぽく抗議してくる。
「そう言うな、飯はちゃんとやってるだろ?それにここは私のテリトリーだ。私のやり方が気に食わないならいつだって出て言っても良いんだぞ?それがここのルールってヤツだ。」
「でもよ〜、アネキ俺らにメシ食わせる為に、全然メシ食ってねーじゃん…」
そう言って心配そうな瞳でこちらを覗き込む。
「私の事を心配してくれるなら、一日でも早く字を覚えるんだな。わかったらさっさと”オベンキョウ”に戻りな!」
そう言われ、納得のいかない顔をしながらも少年は駆け足で授業が行われている場所に戻って行く。そのやりとりを見ていた貴族の青年が驚きながらこちらに質問してくる。
「お前、浮浪者のガキどもに何やってんだよ?良いか、アイツ等はお前や俺らと違って頭が悪いから、才能がないからここに流れ落ちたんだ。わかるだろ?アイツ等に読み書きを教えるだと?お前は全く無意味な事をしてるんだぞ!」
まぁ、この時代の人間だったらそう思うだろうな。いくらコイツが他よりも柔軟な思考を持ってたとしても、ここら辺がこの時代の限界だろう。
「ハハ、まぁそうかもしれないな?私はあのガキ供に飯を与えて空腹なのだよ。ここは一つ、人助けだと思って貴族様からご飯をご馳走になりたいもんだがね?」
「お前なぁ…本当、お前何やってるんだよ…?」
「なぁに、投資ってヤツさ。」
「とうしぃ?」
「エレノア!」
「お、ジョリアン?どうした?」
そこには私よりも背の高い褐色の健康的な青年が立っていた。彼は私よりもひと回り年上だが、根気強く(肉体)コミュニケーションを繰り返し、今はこうして良好な関係を築けている。彼を見てると時々、闘争と、暴力、生存の為のあの日々がふとした瞬間に思い出し、懐かしく思う。
「…あのジョリアンがねぇ…立派になったもんだ…」
「おい、恥ずかしいからやめてくれよ… まず、今日の仕事の話だ。ブライトンの親父がトルティーニャ産の酒と果物が欲しいって言ってたから、マルクスの奴らにチーム作らせてやらせてる。」
「ご苦労、ジョリアン君は実に優秀だねぇ」
「茶化すな!それと、お前が前々から頼んでた道楽、ジョニーのチームが多分当たりを引いたくさい。」
「…わかった。」
「最後に…コイツが商業区の裏側で座り込んでてよ…どうやら親に無理やり客取らせられてたみたいなんだ。それに嫌気がさしてよ、こんな感じだとよ。」
いつの時代にも、時代に取り残され、時代に適応できず翻弄される人間は存在する。子供はそう言ったうねりが生んだ汚水の最終到達点、犠牲者なのだ。
彼女はストリートチルドレン全てを救ったわけではないし救うつもりもない。彼女のこの行為は慈善活動では無いのだ。
適性の有る人間だけ拾う。自分の為、そして適性の有る人間の為に。
「彼女がここらの子供たちのまとめ役のシンデレラおねいちゃんだ。」
このジョリアンと言う青年は事あるごとに彼女のことをシンデレラおねいと言って茶化す。
(ジョリアン後で説教だな…)
「あ、あのぅ…私…」
「やぁ、私はエレノア、何もない薄汚い所だが居たければ好きなだけここに居ればいい。家が恋ければ戻れば良い。ここには君と似たような境遇の奴等が沢山いる。」
隣で話をじっと聞いていた身なりの良い青年が、小声で独り言を呟く
「エレノア(慈悲)ねぇ。エレノック(あばずれ / 暴力)の間違えなんじゃねぇの…」
「チャールズくん…聞こえてるぞ。」
「あ、あのぅ…すいません!私…もう、あそこには戻りたくないんです…なんでもします!ここに…いさせてください…」
「わかった、君はうちにいる間はうちが面倒を見よう。その代わり、働いてもらう。詳しい話はジュリアンから聞いてくれ」
彼女の名はシャーロットと言い、後に事務、雑務関係のエキスパートとしてエレノアを補佐することになるので彼女には関係のない事だが、エレノアも本質的には彼女の親と変わらない。後に彼女は強要こそしないが、能力の無い成人女性や、職にあぶれた女性を娼婦として働かせる事になるからだ。
「ではジョリアン、彼女の面倒は任せたよ。」
路地の壁に寄りかかりながら、二人の会話を話半分で聞いていたジュリアンがゆっくりと返事をする。
「…わかった。」
この少年、ジョリアンは彼女、エレノアと長い付き合いであり、この浮浪児たちのリーダー角である。エレノアは彼よりもずっと年下なのに、彼は彼女を尊敬し、彼女に従っているのである。それは彼女がこの街の浮浪児たちに秩序をもたらしたからだ。
「シンデレラおねい!お勉強終わったよー!!あたし、これから、ナカニーおじちゃん
所で店番に行くねー!」
「わかった、セラ、気をつけるんだよ。」
そう言って優しく微笑みセラを見送るエレノア、その瞳にセラは写っておらず彼女はジョニーのチームが見つけたと言う当たりについて考察していた。
(ジョニーのチームが当たりだと良いのだが…)