表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

Chapter.9 霊腑と『破門』

 今、おれの目の前では色黒の男と、金髪の少年騎士が食事をとっていた。おれは男、ジャンの持っていた葉巻を分けてもらい久しぶりの一服をしている。勢いよく焼き飯をかき込むジャンの横で、少年カリストルは名門貴族の出らしい上品な所作で煮魚を食している。蓮田はセレファイスの内海から引き込んだ魚を生け簀に泳がせながら、奥の厨房で忙しく料理に精を出していた。

 ジャンの精神状態は精神への毒を抜いてやると急速に回復した。その過程で蓮田が対話を通して記憶の一部を改竄するように誘導し、おれへの敵意を薄めたらしい。何をしたのか具体的に尋ねると、九頭龍不人への憧憬が強まるような対話を繰り返し行ったそうだ。自我の弱ったところで蓮田にねちねちと刷り込まれるような対話をされる、と想像するだに、ぞっとしない。

 吸い込むように皿を空けていくジャンと目が合うと、照れたように頬を染めて目を伏せられた。先ほどまでの狂気じみた様子は消えたが、これはこれで妙な寒気を感じる。蓮田が何を吹き込んだのか、問い詰めるべきだろうか。

 一方でカリストルは、ジャンよりも幼い容貌であるにもかかわらず落ち着きはらった態度を崩さない。おれが下層でジャンを拘束している間に、彼は上層の牢を手当たり次第に切り崩して歩いていたらしい。蓮田は無理に拘束しようとはせず、穏便に地上にお帰り頂く体の交渉をしていた。驚いたことに、カリストルはマグダラ騎士団に見習いとして修行していた時期に蓮田を見知っていたらしく、すんなりと交渉に応じてくれた。


「まさかハスター・アーケイン様と、このような場でお会いできるとは思っておりませんでした。」


 煮魚のタレがついた口もとを、白絹でぬぐいながらカリストルが蓮田に微笑みかける。美少年というに十分だが、その笑みは年相応ではなく老成したものを感じさせる。おれはカリストルの言葉に問いかける。


「有名だったのか、蓮田は。」


 カリストルは笑みを崩さぬまま、おれに応じて、蓮田がいかに優れた騎士であり、マグダラの歴史に残るほどの功績を重ねたかを話し始めた。


「ハスター様の行くところ、連戦連勝向かうところ敵なしでございました。何よりも攻城戦に強く、城砦をお一人で陥落させたことも数え切れぬほどです。聖領の拡大への貢献は多大であったと言えるでしょう。」


 聖領とは教皇庁の直轄する土地である。マグダラ騎士団は教皇庁の一部と言ってもよいが、ヒトのみならず貴族ノーブルも所属するために外部組織の形をとっていた。統一王亡きあとの混沌とした版図を調停する、という名目のもとに教皇庁は武力を送り込んでは聖領として組み込んできた。直接的には貴族ノーブルと衝突せぬように、上手く立ち回りながらだ。


「しかしハスター様はある頃から騎士団の密命を受けて、所在を知れぬ探索にお出かけになることが増えたのです。そしてその内に連絡が途絶えてしまわれました。マグダラでは今なおハスター様のご帰還をお待ち申し上げているのではないでしょうか。」


 厨房から出てきた蓮田の手には刺身の盛り合わせがあった。この世界に生魚を食らう風習はあるのだろうか。ジャンは躊躇いなく皿に手を伸ばし、塩をつけて食い始めたが、カリストルは手を出さない。


「魚を生で食べるのは、初めてですね…。」

「蓮田、これ寄生虫とか大丈夫なのか?」


 おれの言葉を聞いて、考えなしに食べ続けていたジャンの手が初めて止まった。もっと早く言ってくれと言いたげな目線がおれを見て、すぐに蓮田に対し疑わしげに向いた。しかしお前は寄生虫よりもっと酷いモノをおれと蓮田から食らわされているぞ、という言葉を飲み込む。


「旦那、これほんとに大丈夫なのか。」


 不安げなジャンに対して、蓮田は多分、とだけ言って自分も皿に手を付け始める。作った当人が食べるのであれば、とジャンもまた手と口を動かし始めた。ふと、この魚は一度蓮田が食った後で体内で再生したものではないか、と思い当たった。それならば寄生虫の心配などいらないのは当然だ。


「いや、これは天然ものだよ、九頭龍君。」


 それにここにいる全員、霊腑レイフ持ちなのだから寄生虫なんかに負けないだろう、と蓮田が続ける。おれは納得しかけたが、ジャンとカリストルの様子は蓮田の言葉に若干引き気味だった。


「やっぱり勇者って、どこか頭の線が可笑しいんじゃねえの…。」

貴族ノーブルだって病気にくらいなりますよ…。」


 むしろカリストルの言葉に、おれが驚かされる。霊腑レイフという強力な生命の源を持っていて病気になる、というのは、おれの常識にはなかったからだ。


「始祖に近い方々の霊腑レイフなら、病になんかならないんでしょうけれどね。私たちのような薄い貴族ノーブルは肉体的な頑強さはあっても、常識的な範囲でしか生きられません。まあ、ヒトの寿命に比べたら遥かに長いですが。」


 彼が語ったのは要するに神性の度合いが強い血筋なら、という意味合いなのだろう。どうも聞いていると二人は真名の解放もできないらしい。修行云々ではなく、霊腑レイフの質というか、血の濃さ、とでもいうべき問題なのだそうだ。エッツォ家は血の濃さに差が大きいらしく、カリストルは後継者問題ではかなり下の順位だと自嘲気味に語った。ジャンがカリストルの殊勝な態度を笑うと、蓮田から頭に管を刺されている。その様子に今度はカリストルが顔を背けた。かなりブラックな食卓になってしまったが、談笑しながら食事をとるというのは久しぶりだ。



 Chapter.9 霊腑と『破門』



 蓮田は地中を潜航しながら、セレファイスから離れていく。捕獲した貴族ノーブルらの霊腑レイフの解析はすぐに終わった。結果として模造できる種類が増えただけで、一から霊腑レイフを産みだすところにまでは届かなかったようだ。


「質がさー、低いんだよね。」


 おれとジャンは生産を開始された煙草を呑みながら、蓮田のぼやきを聞いている。曰く、霊腑レイフの中身に欠けているような部分が多い、のだという。おれの霊腑レイフも含めて、虫食いの文章のように不完全なのだ。捕獲できた中堅以下の貴族ノーブル霊腑レイフたるや無残なもので、アルマの素体に搭載したところ、ほとんど人格を持たない木偶が出来上がってしまった。


霊腑レイフに刻まれた情報量が少ない、ってことか。」

「つまんない人生送ってるから、こんな霊腑レイフが出来上がっちゃうんだよー。」


 とはいえ、蓮田は中堅貴族サンプルを切り刻むうちに、霊腑レイフがどういう性質のものかを理解し始めたようだ。おれと蓮田の剣呑な会話を聞きながら、ジャンは複雑な表情をした。どうやら自分も解剖されるのではないか、と恐れているらしい。すでに蓮田の繊細な触手によって体内をくまなく調べ上げられ、霊腑も含めてデータをとられたあとだと伝えたところ、さらに複雑な表情で泣き笑いのように煙草の煙をふかしている。

 一方、カリストルはといえば、おれとジャンが座るソファの前に広がった即席の訓練場で、蓮田と模擬戦を繰り広げていた。蓮田は超大型の熊のような肉体を造り上げ、丸太ほどの前脚を振り回す。カリストルは涼しい顔で、嵐のような連撃をくぐり抜けながら、宝石剣から発射される光線の刺突を浴びせていく。

 カリストルは剣士を装っていながら、間合いの概念を無視した強力無比な光線を操る。故に普段の彼はあえて間合いを詰めるように見せ、相手の意表を突く殺し技で勝利を得てきた。それは一対一の命をかけた対人戦に投げ込まれた少年が見出した必殺剣であった。だが今は手の内が割れた相手との戦いだ。しかも駆け引きを望まず、ただひたすらに前進する暴威が相手だ。ステップで後退し続けても、蓮田は同じだけの速度で距離を詰めてくる。剣閃が躍るたびに蓮田の肉体に風穴が開くが、瞬時に修復されていく。このまま長引くのを待つまでもなく、勝敗は決している。


「参った、参りました。」


 降参だ、とカリストルは両手をあげる。だが蓮田は止まらない。


「大丈夫、霊腑レイフのデータは取ったから、死んでも模造エミュレートしてあげる。」


 蓮田の言葉に少年騎士の顔が引きつる。食事に混ぜられた蓮田の肉体を通して、とっくにジャンとカリストルの体内は調べ上げられていた。必要なものを頂いてしまった以上、交渉する必要性など無いのだ。だが、この模擬戦は重要な意味を持っている。

 蓮田は猛獣が捕らえた獲物を弄ぶように腕を振り回す。微笑を絶やさなかったカリストルの顔が歪んでいく。死の舞踏と呼ぶにふさわしい戦いが突然に転調する。蓮田の右からの振り下ろしをくぐり、左の薙ぎをスウェーしたカリストルの腹部を、新しく生えた三本目の腕が突き込んだ。鳩尾にめり込む獣の腕は、突きの勢いを緩めることなく少年を壁まで運んでいく。空中に吹き上がった血の軌跡が、白く無機質な床を汚していく。


「いつまでもお行儀よく付き合うと思うなよ、少年。」


 獣の相を崩して、熊型の着ぐるみから、艶めいた黒髪を腰まで伸ばした女が現れる。白い肌は床と同じ色をしている。背に盛り上がる肩甲骨が、めりめりと羽を伸ばし、その一翼一翼が触腕となって、カリストルの突き刺さった壁に向けて突撃する。千手観音というには禍々しい姿で、蓮田はカリストルを殴りつける。触腕の先はいつの間にか拳を象り、一撃をくれて拳を引けば、その手には新たに槌が握られている。変幻し続ける蓮田の攻撃は、端的に言うなれば過剰オーバーキルだった。壁から引き抜かれ、宙吊りにされたカリストルの姿は変わり果てていた。両腕は防御の構えのまま肩口から胴体に押し込まれ、腿から下は関節が幾つも増えたように折れ曲がっている。破砕した鎧が胴を破って背から抜け、おびただしい出血となって床に溜まっていく。蓮田は少年の体を血だまりに向けて叩きつけた。びちゃりと肉が裂ける音と、けふと吐き出された弱々しい吐息を聞きながら、おれは見た。カリストルが解かぬままにした腕の防御の中に、光るものがあることを。意を得たり、と蓮田が頬を歪ませ笑う。展開された数多の腕が床に転がったカリストルを叩き潰そうと降り注ぐ。そして、それは起こった。

 ぶわりと圧風が吹き、血だまりの中心に空白が生まれる。押し込む蓮田の腕が見えない壁に遮られて空中でせめぎ合う。未だにカリストルは身動き一つとれないまま、血の混じる呼吸を続けている。だが、彼の中で何かが生まれた。蓮田は腕の本数を増やし、力づくで壁をこじ開けようと殴りつける。見えない壁はぐりぐりと押し込まれていく。カリストルの胸に抱かれた光が、次第に強さを増していく。それは彼の得物である宝石剣だった。連撃を受けるなかで刃は折れ、かろうじて柄の装飾部だけは砕けずに守られていた。傷ついたカリストルの身体そのものが輝いていく。骨の砕けるとも肉の千切れるとも思える音が何重にも重なって響き、彼の肉体は復活した。力の奔流が光の波となって蓮田の触腕を崩壊させていく。スペクトルが輪となって彼の周囲の一切を呑み込んだ。光の波は引き潮となって、カリストルを中心に収束していく。

 そこに立っていたのは金剛石の腕を持つ騎士だった。彼の右腕は変質し、宝石剣と融合したように輝いていた。カリストルは自らの右腕の変化に戸惑った様子を見せながらも、目の前の敵を打倒すべく、構えを新たにする。

 次の瞬間、爆音とともに部屋中の壁から紙吹雪が放出された。


「おめでとう、カリストル君!」


 ジャンもカリストルも火薬の音で耳をやられたのか、呆けた顔をしている。おれと蓮田は立ち上がり、拍手とともにカリストルの成長を祝った。実験は成功だ。蓮田は更新されたデータを即座に解析しながら、満面の笑みを浮かべている。カリストルは自らの霊腑に刻まれた神性を、新たに引き出すことに成功した。霊腑レイフは成長する。しかも新たに刻むのではなく、既に刻まれた古き神性を呼び覚ましたのだ。

 ただの血筋だけの問題ではない。強くなる修行でもない。生命への渇望、死の否定、世界との繋がりを求める心、蓮田の脳ネットワーク内で膨大な仮説が検討され始める。だが一つだけわかったことは霊腑レイフは凝り切った化石ではないということだ。永劫の時のなかで脈々と受け継がれながら眠り続けているだけだ。


 おれ達は『破門』とは何かを探っていた。かつて、自分たちが追い詰めた統一王の残骸、そして今は世界との繋がりを絶たれたという■■■■■■■、赤竜姫の受けた『破門』の本質を探索していた。赤竜姫と堕落フォールダウンした赤竜翁は、今もなおアーカムを煉獄と呼ぶべき惨状に変えながら戦い続けている。およそ何者も介入できない神話の如き巨獣同士の戦いは、あの敗走の日から三か月、今日まで続いている。だが、おれ達は一筋の光明ともいうべき手掛かりを得た。

 霊腑に刻まれた神性が、絶たれた世界との繋がりを求めて最大限に解放されているのではないか。そして『破門』とは、霊腑レイフそのものに対して否定の言葉を刻む呪詛。強すぎる神性を宿した身に、この世界との繋がりを否定させ、内なる竜を暴露する強制的な堕落フォールダウン。それならばおれの取るべき道は一つだ。■■■■■■■に、彼女に語りかける。おれの言葉を、彼女の霊腑レイフに刻み付けて渇望を満たす。失われたはずの赤竜姫フランベルジェの名を、おれは心の中で叫び続けた。


 針路は再びアーカムを指している。


次回更新は3月8日を予定しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ