とりかえ様
父さんと二人だけのその小旅行のことを母さんがどの程度知っていたのか、今となっては確かめようもない。
二つ下の妹が不慮の事故で死んでしまってからの一年、私の家は時が止まってしまっていて、父さんも母さんも、そしてまだ幼かった私ですらも、深い霧に迷い込んでしまったような日々を送っていた。
男の子にしては華奢な体型だった私は、妹とそっくりだと言われることが多かった。私のことを見るたび、妹のことを思い出すのか、父がたまに思いつめた目で私を見つめでいることがあった。
そんな時、私はなぜか妹の死が自分のせいに感じられて、ひどく落ち着かない気持ちになるのだった。
妹の一周忌が過ぎ、少し経ったある土曜日、私は父さんに車に乗せられ、長いドライブに出かけた。高速道路を数時間走り、下道をさらに数時間、車は山奥にある廃村のさらにその奥の小さな神社の前で止まった。
赤い色がほとんど剥げてしまった古びた鳥居をくぐると、その先には長い間手入れをされた形跡の無いごく小さな祠が立っていた。よく晴れた秋の午後で、小さな神社には不似合いなほどの大きな楓が二本、色づいた葉を境内に降らせて踏み石を隠していた。
父さんは祠の前に立つと、私のほうへと振り返り、ひどく悲しげな目をしながら何かを言いかけ、しかし結局言いかけた言葉は飲み込んでしまった。そして、私の肩に手をかけると、そっと祠の前に押し出し、その後ろで何かを熱心に唱え始めた。
何が起こっているのか分からず不安を感じ、早くこの場から立ち去りたいと思ってはいたが、後ろから聞こえる父さんの声には鬼気迫る雰囲気があり、振り返ることさえ出来なかった。
しばらくそうしていると、やがて夕立の前触れのような黒く厚い雲に頭上が覆われ、それに続き竜巻状の強い風が渦を巻いて、神社を取り巻いた。楓の巨木が風に軋み、降り積もった枯葉が風に吹き上げられ空に吸い込まれるように舞い上がっていく。
不意の強風によろけ、思わず瞑ってしまった目をなんとか開くと、いつの間にか祠の前に巫女装束を着た黒髪のおかっぱ頭の、老女にも童女にも見える小柄な女性が二人立っていた。二人は、それぞれ身長1メートルほどで、双子のようによく似た顔立ちをして、老女のものにも童女のものにも聞こえる声で話し始めた。
「とりかえ様を呼び出しなさったのはおぬしかえ」
「なるほどこれが人身御供か、よう似とる」
「おおよ、さすがに兄妹だわ、よう似とる」
「それじゃ連れて行くとしようかいの」
そう言うと、二人はそれぞれ私の両腕を掴むと小柄な女性とは思えない強い力で引っ張り始めた。祠の扉が開き、その中で目を焼くほどのきらびやかな極彩色の光が輝き、渦を巻いている。
私は慌て、その場でなんとか踏ん張ろうとしたが、次第に祠の中へと引きずり込まれそうになり、助けを求めて父さんのほうを振り返った。
同時に、腕を引く力が弱まった。
「はて、どうやら我らの誤りのようであるぞ」
「おお、これはどうやら我らの誤り。人身御供はあちらであったか」
「なるほど、さすがは親子、よう似とる」
「それじゃ、連れて行くとしようかいの」
そう言うと二人は私から手を離し、父さんの腕を引っ張り始めた。父さんは二人に掴まれ祠へと連れていかれ、同時に私は強い力で後ろへと跳ね飛ばされる。私の方へ振り返った父さんは、ひどく満足気な表情で、微笑んですらいるように見えた。
「こんなやり方してごめん。いきなり父さんだとあの子の代わりにはなれなくて。上手くいくかどうかわからなかったけど、良かった。妹のこと、頼むぞ」
父さんは最後にそう言い残すと、ゆっくりと光の中へと吸い込まれていった。
祠の扉がパタリと閉まり、風が止み、明るい日差しが戻った。そして、静寂を取り戻した神社の祠の前に、妹が立っていた。
その神社が「とりかえ様」と呼ばれ密かな信仰の対象になっていたことは、その後の伝聞で知った。失くしてしまった何かとよく似たものをお供えして祈ると、お供えと引き換えに失くしたものが戻ってくるという不思議な言い伝えのことも。
その後、妹は健康に育ち、私は出来うる限り彼女の力になり、妹が嫁いだ夜に初めて父さんのことを思い、少し泣いて、そして、私はようやく父のことを許すことが出来た。