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ある魔法使いの別離

作者:

 保持する魔力量が異常に多い大魔法使いは、極めて短命か長寿かのどちらかに分かれる。

 寿命の長短は遺伝等に関係なく、個々の……いわば運次第。

 例外はない。


 そんなわけでグランクランは今年120回目の誕生日を迎えたわけだが、外見はまだようやっと30を迎えたばかりのように見える。

 艶のある銀色の長髪をオールバックに撫でつけ、煙管をふかしながら彼はベッドの側にある椅子に悠々と腰を下ろしていた。

 広いこの部屋にはベッドと椅子しか置かれていないが、内装も家具も庶民には手が出せないような高価で品の良い作りのものだ。

 そして何より、庭園に面した部屋の大窓から見える、中央の噴水を挟んで対称に色とりどりの春の花々が咲き誇ってる様子は、この上なく華やかで、この部屋の主の気分を慰めてくれることだろう。



「貴方に、寂しい想いをさせてしまうわね」


 ベッドの上の女は長く細い白髪を背に流したまま半身を起こし、クッションに(もた)れるように座っていた。

 グランクランも女も、互いに視線を交わすことなく、外を眺めていた。

「あんたが居なくなっちまったら、随分寂しくなる」

 グランクランが無造作に人差し指で(くう)を引っかくと、ふかしていた煙管の煙がプカリと動きだし、庭園に咲いている大きな花弁の花を模して煙の花を形作った。

「ごめんなさいね。娘たちも逝ってしまったし、思っていた以上に長生きできたけれど、……そろそろ私も限界ね」

 煙管の煙は、花から花へと姿を変えていく。

「魔力のない人間にしちゃあ、ものスゲェ長寿だよ」

 ふふっ。

 グランクランのおどけた口調に、女は笑みをこぼした。

「そうね。しつこいくらいに生きたわ。だから、もう充分」

 グランクランは苦笑して、女へと向き直った。


「イア」


 なあに?

 女も視線を彼へと向ける。

「随分……老けたな」

 グランクランは、若い時分のイアの姿を知っている。

 出会った時、イアにはすでに年頃の子供が3人いたが、それでも今の姿とは違う。

 出会った時から変わらず皺のない張りのある肌のグランクランと違って、布団から出たイアの手や顔や首は、肉が落ちて細く、幾筋もの皺が刻まれている。

 朗らかに笑うその声も、昔ほど高くはなく、かすかにしわがれている。

 イアは笑った。

「まあ。こんなお婆ちゃんでも、それは女性に言うセリフじゃなくってよ」

 しかしクッションに凭れてもなお伸ばそうとした背筋や、若い時分より低くなってもなお滑らかな口調に、出会った頃から変わらない彼女のプライドが表れていた。



「ねえグラン」

 プカリ。

 プカリ。

 煙管の煙はゆらゆらと不規則に動きながら花から鳥、鳥から雷光へと姿を変えていく。

「人を見送っていくって、辛いわね」

 それは彼女自身、彼女よりも先に天寿を全うした子供たちを見送ってきた経験があるからこそ言えることだった。

「そうだな」

 変化した煙の雷光は、小さな稲光を模しては解けていく。

「私、貴方に言っておきたいことがあるの」

 目尻に皺ができても、昔より穏やかな口調になっても、イアの意志を感じさせる灰色の瞳は相変わらずグランクランの心を捕らえた。

「私が居なくなったときに、悲しんでくれたら嬉しいわ。時が経っても私のことを思い出してくれると、嬉しい。だけど、旅立つ人に義理立てないで、また誰かを愛してくれるともっと嬉しいの」

 グランクランはハッと目を瞠った。

「貴方の人生はまだ長いもの。旅立つ人だけに心を預けたままにしないで。貴方がしあわせに生きてくれたほうが、遺していくほうも救われるものよ。それに……」

 イアはまるで少女のようにいたずらっぽく微笑んだ。

「愛のある人生のほうが、実りは多いんでしょ?」


 それはかつて、彼が彼女に向かって言った言葉。

 愛した人を失くして心を閉ざしていた彼女に、半ば自棄になって投げつけた言葉だった。

 クッ。

「かなわねぇな」

 くしゃりと顔を歪めて片手で覆った。

 解けた煙の稲光が、落葉へと変化してゆらゆらと上から下へとゆったり落ちてゆく。



「イア」


 なあに?

 これを言うべきか、彼は迷った。

 何十年という長い付き合いの中で、イアにこれを伝えたことはない。

 自分の心に寄り添ってくれた人だから、イアの居ない未来の話はできなかった。

 けれど今、自分の心に寄り添ってくれたからこそ、言っておこうと思った。

 きっとイアは、こんな自分のことなんてお見通しに違いないのだ。

 伝えられるのはこれが最初で、そして最後になるのだから。


 イアもわかっている通り、とグランクランは前置いた。

「俺の寿命は長い」

 グランクランがイアと出会ったのは、幼少時代をともに過ごした旧友や兄弟が自分を置いて老いさらばえ、次々と亡くなっていった後。

 時間の壁に隔てられた見えない距離を見せつけられ、自分を知る者が居なくなっていく孤独と恐怖から、もう誰とも関わらないと決めていた頃のことだ。

 イアと出会って、イアの子供たちと出会って、グランクランは否応なしに拒絶していた人との関わりの中に身を置くことになった。

「これからまた、今は生まれていない誰かとも知り合っていくと思う。もしかしたら、あんたが言うように、また……誰かを愛するようになるかもしれねぇな。そしてあと、何人……何十人、そういう人たちを見送ってかなきゃなんねぇのか、わからねぇ」

 正直、怖くないといえば嘘になる。

「あんたと出会ったのは、なりゆきっちゃぁなりゆきだが」

「そうね」

 当時を思い返して、互いに顔を見合わせて笑った。

 イアの娘が行き倒れているグランクランを保護したのが始まりだった。

「でも、おまえのおかげで、人と関わって見送っていく……その覚悟ができたよ」

 辺りを舞っては解けた煙の落葉が、緻密な模様を描いた六角形の結晶へと姿を変える。

 イアは不器用な男の決意に、聖母のような微笑みで応えた。

「イア、ありがとうな」




 鳥が鳴き、

 ふと、

 大窓の外の日が陰った。


「少し眠たいわ」

「あぁ」

 立ち上がって、グランクランはイアの背を支え、その細い体をそっとベッドに横たえた。

「グラン」

 なんだ?

「煙管……、綺麗だったわ。ありがとう」

 まだ辺りを漂う結晶は、イアの生まれた冷たく寒い季節の産物。

 幾つもの結晶が自分の上をゆらりと舞う様を見つめて、それからイアは静かに瞼を閉じた。





《我は大いなるものの眷属、精霊の血脈、魔の血流を身に纏いし者なり。世に返すは、清冽な泉、清廉な氷花。此の葬送の言の葉を以て、其へ加護を授けん》

 やがて結晶も解けて消え、グランクランはイアの額に口づけた。


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