盗撮は犯罪ですから
久しぶりに大学の友達と夜まで飲み明かした映撮は、ほろ酔い気分で鼻歌を交えながらに、築四十年のオンボロアパート、時和荘に帰ってきた。
震度一の初期微動でも倒壊しそうなほど悲しくなるアパートなのだが、ここが映撮の自宅なのだ。
しかし、いつ見てもボロい。これならまだ犬小屋の方がよっぽど丈夫である。来年こそは今まで貯めに貯めた親の仕送りで、もっと良いとこに移り住もうと酔いの回った頭で考える映撮なのだった。
映撮は、自分の部屋の二○二号室のドアを威勢良く開け放つと、靴を脱ぎ飛ばしながらフラフラとメトロノームの様に横に揺れながらベットを目指す。ドアを開けた時、どこか部品が一個外れたような音が聞こえたが、そこはご愛嬌である。
部屋のいたる所に落ちている食べ残しのカップラーメンに気を付けながら、やっとのことでベットに到着する。彼女の居ないつつましい一人暮らしの大学生にとって、たぶん十人が十人とも、映撮と同じ現状だろう。
酔った手つきで片方の靴下を足から摘み上げると、おもむろに匂いを嗅いでみた。
食べたことはないが、賞味期限の切れた牛乳と腐ったバターロールのモーニングセットの匂いがした。いったいどんな食べ物だ。
自分で自分にツッコミを入れながら、ふと足元を見ると、くねくねと這いずり回る黒いが物体が目に止まる。
「あっのやろー。また出やがったか」
映撮はその黒い物体に狙いを定めると、勢い良く自分の靴下を振り下ろした。ぴくぴくと数秒……。黒い物体は痙攣したあと、やがて大人しくなる。
「ふっ……。五十六戦五十六勝。ギネスに乗るのもそう遠くはないな……」
そんなギネスがあるはずもないのだが、映撮は満足のいったという表情で、大の字にベットに突っ伏した。
すると視界に、窓の傍に立ててある三脚と、その上に取り付けてあるビデオカメラが目に止まる。
貧乏で家電製品が買えなかった映撮にとって、そのビデオカメラだけが唯一の高級品である。
今の大学に入学して、ここに引っ越して来たばかりの時の映撮は、本当に貧乏で家具すら持っていなかった。そんな映撮を気遣って、入学祝だと言ってこのビデオカメラをタダで譲ってくれたのが、映撮の隣人、ニ○一号室の隣田である。
その時の映撮と言ったら、もうそれは大喜びしながらその場で跳ね回った。隣田は苦笑いを浮かべていたが、たぶんあれは、映撮が跳ねる毎にミシミシ悲鳴を上げてたこのボロアパートを心配しての事だと思う。
しかしそのビデオカメラも今では、映撮の手に渡ってからというもの…………。本来の真っ当な使い方はされていなかった。
なぜなら映撮には、とても人には言えないような危ない趣味があるからだ。
ビデオカメラで、危ない趣味。
そう、盗撮である。
隣田にビデオカメラを譲って貰ったいらい映撮は、留守で家を出ているほぼ一日の大半をこの盗撮という常人では理解できない趣味に当てている。
かくして、盗撮に使われるという哀れな人生を歩んできたビデオカメラは、映撮のベットのすぐ近くで、映撮のボロアパートの真向かいに建てられた少し綺麗なアパートを写すように、窓の傍にセッティングされていた。
もちろん、録画ボタンは押してある。
あたり前だが、新築のアパートを写してエクスタシーを感じるほど、映撮は物好きではない。
目的は、自分の部屋の階と同じ高さにある、正面の部屋の住人なのだ。
住人の名前は、真向井という。某テレビ局の美人女子アナで、最近人気が出始めた売れっ子アナウンサーだ。
その美人アナウンサーこと真向井に、映撮が気づいたのはここに引っ越して来てから三日目のことである。その日いつも通り大学に行く準備をしてた映撮は、偶然、向かいのアパートの窓から美人アナウンサーが顔を出しているとこを目撃した。半信半疑ながらも、期待に胸を膨らませて外で待ち伏せしていると、そこに現れたのは紛れもない、あの美人女性アナウンサー真向井だった。これから始まるアパート生活に、期待に胸を膨らませながらホップステップジャンプしてバス停に行ったのだが、結局その日はバスに乗り遅れたのだった。
そんな懐かしの思い出にズボンを固くさせながら、映撮は真向井の部屋の窓を眺めた。
電気は点いている。しかし、カーテンは固く閉ざされている。
時刻は午後十一時を回っていた。
中で人が動いているのが見える。今日は人影が一つだ。
というのも、この盗撮を始めてから気づいたのだが、どうやら、真向井の部屋にはもう一人誰かが住んでるようなのだ。最近、近所の噂好きのおばちゃん達が立ち話をしているとこをたまたま聞いたのだが、なんでも、美人女子アナはテレビ局のプロディーサーと不倫状態にあり、奥さんに内緒で家に連れ込んでるだとか。はたまた、美人女子アナというのは表の顔で、実は裏ではヤクザと繋がりがあるだとか。
そんなこと俺の凛に限ってありえるわけないだろ。とその時の映撮は、軽く受け流したのだった。ついでに、凛とは真向井の下の名前で、これは単なる映撮の勝手な妄想である。盗撮だと自分では言っているが、簡単に言えば、ストーカーなのである。
しかし、全国に噂好きで名高るおばちゃん達も、ことある毎に美人アナウンサーを噂の種にしたがるのも、無理はない。
なぜなら、何もおばちゃん達でなくて、映撮が見ても、真向井の一連の行動は不可解なのだ。
夜遅くに仕事から帰ってきたかと思えば、派手なボディコン姿でどこかに出かけて行くし。昼夜関係なく、いつも部屋のカーテンは閉め切られている。以前、おばちゃん達の中に、街中のある一角で、真向井がこわぼての男性と抱き合ってるシーンを目撃した人がいたそうだ。
どれも、テレビの中で見せる清爽なイメージとは真逆で、一度、実は向かいのアパートに住んでるのは本物の真向井アナウンサーではなく、まったく別人の人なのではないかと思ったことがある。
と映撮は考え込むように、体をへの字に曲げながらうつ伏せに向かいの窓を観察していると、先ほどから回っていた酔いが効いてきたのか、急に眠気が襲ってきた。
テープの映像を見るのは明日でいっか。と最後に、尻をゆっくりと落としながら考えて、心地よく眠りにつく映撮なのだった。
次の朝、映撮は土木建築現場さながらの騒音で目を覚ました。
外では、パトカーのサイレンの音がけたたましく鳴り響き、お祭りでも始まるんじゃないかと思うほどの人の声が聞こえる。
なんだ?なんか事件でもあったのか?
映撮はまだ眠たい目を擦りながら、ベットから立ち上がった。ふと自分の足元を見ると、靴下が片方しか履かれていなかった。なんともマヌケである。
近くに転がっていたもう片方の靴下を装着してから、牛乳を冷蔵庫から取り出してグビグビと一気飲みをする。ぷはー、とゲップ交じりに朝の恒例行事を終え、やっと遅れてパトカーのサイレンが気になり始める。
牛乳パックをゴミ箱にシュートすると、窓に近づいて外の様子を伺った。
外には、数台のパトカーが止まっており、また何台かのテレビ局のワゴン車が所狭しと止まっていた。警察官が、「これ以上近寄らないでくださーい!」とか言いながら押し寄せてくる野次馬の集団を防いでいる。
それだけでも驚くことなのだが、むしろ驚く点はそこではない。
なぜならそのドンチャン騒ぎが、映撮のアパートの目の前、つまり向かいのアパートのしかも美人女子アナの部屋のすぐ下で行われていたからだ。
当然、映撮は目をまん丸にして驚いたのだが、それも数秒。すぐに持ち前の楽天思考で頭を切り替えると、まっ……いっか、と興味無さげに窓から離れたのだった。
そんなことよりも、いま盗嬢映撮が成しとければならない任務は、朝飯である。
『朝は飯から始まり、夜はテープの回収で締めくくる。即ちこれ、オカズが二度楽しめるということ也』
何を言おう、とても恥ずかしくて人前では口外できないが、これ、映撮の座右の銘なのだ。
と普通の人間なら自分の家の前で何か事件が起きてたら、興味本位で現場に向かってみるものなのだが、何かあったんですかとばかりにフライパンの上で目玉焼きを焦がしてる映撮は、たぶん稀に見ない新種だろう。
映撮は、このあらゆる出来事に動じない性格からか、大学では『不動の映撮』と呼ばれ、学生達からは一目置かれる存在だ。
まあ、それはさておき。焦げた目玉焼きをフライパンから剥がすのに手間取っていると、玄関先から訪問者を告げる為の、音程の外れたチャイム音が室内に鳴り響いた。音も『ピンポーン』ではなく、『ポンピーン』だ。なんともマヌケなチャイム音だが、映撮にはいい具合にピッタシである。
誰だろう?訪問販売のセールスか?だったら怒鳴りつけてやろう。あいつら最近、詐欺まがいの事する連中もいるからな。てかチャイム直そう。
そんな事を考えながら映撮は、「はーい、今行きまーす」と言って玄関に向かい、ドアノブをひねった。
「あ、大変忙しいところ申し訳ありません」
ドアの向こうでは、三十代前半と見られる男性が、右手をピシっと指先まで伸ばして兵隊の様に礼をしていた。
映撮もつられて同じポーズをとる。
「府川警察署の者です。少しお聞きしたい事があるのですが、お時間よろしいでしょうか」そう言って男が、証明書の様な物を映撮の前に提示した。
「へぇ?」と映撮の声。
男が出した証明書を見てみる。
たしかに本物の警察手帳だった。
……………………。
……………………。
……………………。
ケイサツ?
……………………。
……………………。
けいさつ?
……………………。
………警察!?
「どうしました?」
しばらく機能停止していた映撮を、警察官と名乗る男が奇妙な目で見つめる。
「ああ、いえ、大丈夫です。それでこの私目に、ななな何の御用でしょう?」
至って平然に応えたが、映撮はかなり動揺していた。
見たところ、男はたしかに全身青い服に包まれており、いかにも警察官という感じである。
というより正真正銘、本物の警察官である。
しかし、その警察官様がいったい全体、映撮に何の用だというのか。
しばし考え込む。
……………………。
はっ!まさか……。
映撮の頭の中で、最悪のバッドエンドが思い浮んだ。
……盗撮のこと、バレたのか?
……………………。
いや、間違いない。絶対にそうだ。そうに違いない。オレのささやかな楽しみの内の一つの盗撮が、とうとうお巡りさんに嗅ぎつかれたんだな、クソ!まだ昨日の分のテープ見てねえのに。
「今朝、向かいのアパートの裏で、女性が死体となって発見された事で、少しお聞きしたことがあるのですが」
はい、そうです。僕です。最初はつい出来心だったんです。でも、いつの間にか盗撮のスリル感から抜け出せなくなって……。
ああ、お父さん、お母さん、とうとう僕にもお迎えが来たようです。
「昨夜、不審な人物がこの辺…………って聞いてますか?」
「はい!すみません!この変態スケベの盗嬢映撮、もう覚悟は出来ております!」
「はあ?」と警察官が、意味不明な言葉を発している映撮に言った。
「はい?」
ここでやっと、映撮の鈍すぎる頭でも、なんか変だぞ、っというこに気がづく。
「あの、すみません。話聞いてませんでした。何の用でしたっけ?」
はあ……。と警察官が溜め息をついた。
「いえ、ですから……。今朝、向かいのアパートの裏で女性が死体となって発見されたんです。その事で、昨夜この辺で不審な人物を見ませんでしたかって事を聞いたんです。どんな些細な事でも構いません」
どうやら、お迎えではなかったようだ。映撮はホッと肩を撫で下ろす。
しかしそんな事言われても、昨夜、映撮が家に帰ってきたのは、たしか午後十一時過ぎのことである。
しかも、あの時はいい具合に酔っ払っていたし、ベッドに着くやいなや、すぐ寝てしまったのだ。
そんなこと映撮には知るはずもなく、「わかりません」と首を振った。
警察官は「そうですか……」と肩を落とし、「では、大変忙しい所、ご協力ありがとうございました」と大きな声でその場を後にしたのだった。
たぶんあの様子じゃあ、どこの家でも目撃証言は得られなかったのだろう。
ぼんやりとそんな事を考えながら、そろそろ腹が減ったきたし、さっき失敗したあのグロテスクな目玉焼きでも食べるか。と玄関のドアを閉めようとする。
――が。
閉まらない。
どんなに力を入れようが、引っ張っても押してもビクともしないのだ。外側から蹴っ飛ばしでもすれば、なんとか閉まりそうなのだが……。
いや、蹴ってどうする。それじゃあ家に入れないじゃないか。
玄関のドアノブを手から放すと、だらーんとだらしなくドアが開いた。
だだ開き状態の玄関など、泥棒にどうぞお入りくださいと言ってるようなものだ。
しかも困ったことに、どうやらこのボロ扉、昨日の夜からこの状態であると判断した方が良さそうだ。
そう思うのも、虚ろな昨夜の記憶の中に、ドアを開けた瞬間どこか部品が一個外れるような音を聞いた記憶があるからだ。
だが、どうしてこの閉まらずの壊れたドアが、さっまでは正常に閉まっていたのだろう。
これではまるで、誰かが外側から無理やり閉じたみたいである。
「うーん」と、映撮は探偵みたいにうねる。
やがて――たぶん隣田さんが親切に閉めてくれたのだろう。という考えに行き着いた。
なんとも下町風情が身についた良い人なんだろう。と映撮は隣田に感心しながら、ドアを開けっぱなしにした状態のまま部屋に戻った。
「それより♪テープの回収だ〜♪」
ドアがぶっ壊れてた事などもう忘れたかのように、焦げた目玉焼きを口に含みながら、ビデオテープの回収に取り掛かる。
「さあ、今日こそ真向井アナウンサーの裸体は、俺の網膜に焼きつくのだ」
興奮で鼻息を荒くしながら、カーテンしか映ってないだろうビデオテープを、ビデオカメラから取り出そうとカセットカバーを開けてみる。
――が。
「なんですと!」
驚きの余り、ついヒステリックな声を張り上げてしまう。
そこには、某グラビアアイドルに引けを取らない程の悩ましい色気とナイスでビューティフルでワンダフルな洗練されたボディーが写ってるはず………………だった。
「ない!ない!ない!」
ビデオカメラをひっくり返して振ってみたが、そこからビデオテープが出てくることはなかった。
どんな映像が写ってるうんぬんの前に、それを写したテープがないのでは、お話にならない。
余命一日と宣告されたかのような衝撃に、映撮はその場にクニャリとへたり込んだ。
さすがに『不動の映撮』でも、これは精神的ダメージは大きい。
何しろ、こんなこと初めての事なのである。
映撮は焦点の合ってない両眼で、しばし呆然としていたが、すぐに我に帰ってテープ失踪の謎を考え出した。
昨日の自分の行動を順々に追って回想してみる。昨日の朝はまず、起床してから定番のモーニングミルクを一杯飲み、それから朝食に焦げた目玉焼きを食べた。その後は、ビデオカメラに新しいテープをセットし、録画ボタンを押してから大学に向かった。
つまり、テープの入れ忘れではなく、まだこの時にはテープはたしかにビデオカメラに入っていたのだ。
それから、大学の飲み仲間に居酒屋に誘われ、久しぶりに夜まで飲み明かしていたというわけだ。
そして重要なのは、ここからの記憶なのである。
ほろ酔い気分でアパートに戻ってきた映撮は、酔った勢いで玄関のドアをぶち壊してベッドに潜り込んだ後……と、そこからの記憶はもうない。
いつもなら、帰ってきた後はかならずテープの回収をするのだが、昨晩はそのまま寝てしまった。
どうやら、一番肝心なところを覚えていないようだ。自分で言うと情けなくなるが、本当に使えない頭である。
自分の記憶力の無さに嘆きながら、サルと大した容量の変わらない脳みそをフル回転させ、今ある数少ない情報を整理してみた。
すると二つの事柄がわかった。
一つ目は、テープが失踪したのは、ただ単に映撮の勘違いというわけではなく、何者かによって持ち去られた可能性が高いということ。
もう一つは、その犯人が使った侵入経路は、おそらく夜中の間ずっと開きっぱなしだっただろう玄関のドアだということ。つまり犯行は、映撮が寝ている間に行われたのだ。
と名探偵コ○ン並の推理力?で、この難事件を無事解決した映撮は、ちょっと得意気になった後、急に犯人が他の物を盗んでないか心配になり、部屋の物を一つ一つ点検して見て回る。
幸いにも、テープ以外なくなった物はなかった。
映撮はほっと安心してその場に座り込んだ。
しかし、この事件……。どうも一つだけ引っかかる点がある。
なぜ犯人は、いっさい金目の物は盗らず、よりにもよってビデオテープなんて盗んだのかという事だ。
おかしい。明らかにおかしすぎる。
もし映撮が犯人だったら、少しでも金になるようにと、テープではなくビデオカメラ本体を盗んでいたと思う。
要約すれば、つまり犯人は何を考えてテープを盗んだのか、まったく動機が掴めないのだ。
映撮は両手を組んでしばらくうねっていたが、時計を見るともう大学に行かなければいけない時間になっていたので、仕方なく疑問を残したまま登校の仕度を始めた。
家を出る時、玄関ドアを外側から蹴っ飛ばして閉めて、「後で大家さんに言って直してもらうか」と一人ごとを呟きながら錆びた階段を降りていく。
――と、いきなり背後からドン!と肩を押され、拍子に階段から転び落ちそうになる。
慌てて体勢を整え、文句の一つを言おうと後ろを睨み付ける。
「ご!ごめんよ!急いでいたから階段に誰かいると思わなかったよ」
意外にも、そこにいたのは映撮の隣人、ニ○一号室の隣田だった。
歳は二十代後半で中肉中背。眼鏡が特徴的で、仕事は真向井アナウンサーと同じテレビ局のカメラマンをやっている。
彼には、ビデオカメラをただで譲って貰った件で、いろいろと世話になった。なにより優しいし物知りなので、映撮は隣田を兄のように慕っている。
なので、映撮は自分の肩にぶつかってきたのが隣田だとわかるやいなや、
「なんだ隣田さんだったんすかー。驚かせないでくださいよ。一歩間違えれば殺人事件ですよー」と笑って許した。
「ははは。殺人事件かー、映撮君はおもしろい事言うね」
そう言って隣田も一緒に笑った。
そんな隣田の顔を見てると、ふとビデオテープの事を思い出し、昨日の夜に映撮の玄関付近で怪しい人は見なかったか聞いてみた。
隣田は「わからないなー」と言ってただ首を横に振るだけだった。
「世の中、物騒だからね。十分、家の戸締りには気をつけたほうがいいよ」
「そうですね。あっそういや、隣田さん階段で話してて大丈夫なんですか?さっき急いでたみただけど」
はっと気づいたように隣田は自分の腕時計を見た。そして顔が青ざめ、急に焦り始めた。
「や!やばい!つい話しこんじゃったよ!今日は早めに行かないとやばいんだ!」
「なにかあったんですか?」と映撮。
「ほら!真向井さん!向かいのアパートの真向井さん死んじゃったんだよ!彼女はうちのテレビ局では売れっ子だったからね。今日は大変な一日になりそうだよ」
……………………。
「え?」
自分の顔が、みるみる青ざめていくのが自分でもわかる。
なんだって?真向井が死んだ?そんな馬鹿な。
「うちの局から電話かかってきたけど、何でも事件らしいよ。だから君も気をつけた方がいいよ。じゃあ僕はこの辺で行くとするよ」
隣田はそう言って、映撮に手を振りながら階段をドタバタと走るように降りていった。
映撮は放心状態のまま、意思を無くしたようにその場に立ち尽くした。
嘘だ。嘘だ。嘘だ!真向井が死んだなんて嘘だ!
映撮は階段の上で地団太を踏んだ。
しかし、その映撮の動揺をあざ笑うかのように、向こうではパトカーのサイレンの音がうるさいほどに鳴っていた。
ついで今朝の部屋の窓から見た光景を思い出す。たしかに、あの数台のパトカーは真向井の部屋の下で止まっていたのだ。
その事実が、映撮の心をいっそう動揺させた。
そんな事があるはずがない……いや、しかし……。相反する思いが、映撮の心を錯綜する。
そしてついに、確かめてみるしかない。という結論に至った。この目で直に確認するまでは、事実を受け入れられないのである。
映撮はゆっくりと階段を降り、アパートの角を左に曲がる。
果たしてそこには、さっき窓で見た時と同じ光景が広がっていた。野次馬の群れを掻き分け、前へ前へと進んでいく。
そして最後の一人を掻き分け、前に立っている警察官を押しのけた時、映撮の口から言葉にならないうめき声が漏れた。
「あぁ」
「だからこれ以上、入ってこないでください!」警察官が何やら映撮に向かって叫んでいるが、そんなことはもう聞こえない。
そんなことよりも、今、目の前にある事実で頭がいっぱいなのだ。
「あぁぁぁあああああ」
映撮の瞼から、ポロポロと涙がこぼれた。
大衆の面前だというのに、お構いなしに映撮は泣き喚いた。
「ああああああ!」
周りの野次馬達も、何事かと映撮の方に注目する。
それでも映撮は泣き止まない。
それを見かねた警察官が、映撮を彼氏かなんかと勘違いしたのか、ポンと肩に手を置いて「申し訳ありません」と一言、頭を下げた。
彼女を助けてあげられなくて、という意味だろう。
野次馬の中には、ついこないだ真向井の事を噂していたおばちゃん達もいたが、そんなこと関係なく映撮は気が済むまで泣いた。
途中、おばちゃん達のヒソヒソ話が聞こえた。不倫中の男の妻に怨まれて殺されただとか。やっぱりヤクザに狙われてただとか。死んだ真向井に向かって、おばちゃん達は容赦ない言葉を浴びせていた。
映撮は、そんなおばちゃん達に無生に腹が立って、食ってかかろうとした。
が、寸前の所でさっきの警察官が止めに入って、映撮は立ち止まっておばちゃん達を睨み付けた。映撮の怒り狂った顔を見たおばちゃん達は、ぎょっとして逃げ帰った。
興奮状態の映撮をなだめた警察官は、「今日はもう帰りなさい」と言ったのだった。
外はもうすっかり暗くなっていった。壁にかけてあるアナログ式の時計を見ると、短針は十時を指している。手元のティッシュ箱から数枚ティッシュを抜き取って、おもいっきり鼻をかんだ。そのティッシュをゴミ箱に投げたが、ポロっとはじき落とされる。良く見れば、ゴミ箱の辺りにはすごい数のティッシュが散乱していた。
あれから映撮はずっと泣いていたのだ。大学も行く気になれず、あの警察官の言う通り家にずっとこもっていた。
さっきまであれほど騒がしかった外も、今は数えるほどの声しか聞こえない。
何もする気が起きず、ふと近くにあったテレビのリモコンのスイッチを押してみた。ニュース番組が流れる。予想通り、うちの向かいのアパートが映し出され、アナウンサーが真向井の死を淡々と告げていた。
「死亡原因は、飛び降りによる頭部の強打。なお、府川県警は真向井氏が何だかの事件に巻き込まれた可能性が高いとして、依然、捜索が続けられている状態です」
映撮はテレビを消した。こんなのを今さら見ても何もおもしろくない。
もう真向井はこの世にいないのだ。今だからわかった事がある。それは、真向井のことが好きだったということだ。ずっと画面の中で見せるあの笑顔に、映撮はいつも憧れていた。いつの間にかその憧れは恋へと変わり、そして映撮を軽度のストーカーへと走らせた。
でも、あの笑顔を見ることはもう二度とないのだ。
映撮は悲しくなって、気を紛らわせようとタオルケットに包まって眠りにつこうとした。
――と、その時。
突然、壊れて音程の外れている映撮の部屋のチャイムの音が、部屋にこだました。
……誰だよ。と愚痴をこぼしながら、映撮はムックリと身を起した。
玄関ドアには、応急処置のガムテープが貼られており、何とか閉じられていた。
二回目のチャイム音が鳴るのと、玄関ドアを開けるのは同時だった。
扉を開けた瞬間、映撮は驚きのあまり息を詰まらせた。扉の向こうには、覆面をすっぽりと頭から被った女と、その横には大型のスタジオカメラを肩に担いだ……隣田がいたのだ。女は銀行強盗に使うような覆面で、手にはマイクを持ってる。横にいる隣田はというと、さすがテレビ局のカメラマンという感じだ。
いやいや、感心している場合ではない。いったい何なんだこの人たちは。
「じゃあ失礼しまーす」
覆面の女が元気良くそう言うと、映撮の部屋に勝手に上がり込んできた。それに隣田も続く。
「ちょ!ちょっと待ってくださいよ!何勝手に入ってって、オイ!」
映撮の声を無視して、二人はずかずかと家に入っていく。
扉が開きっぱなしだが、今はこっちの方が大事である。
追いかけて部屋の中央まで来ると、急に二人は立ち止まった。
二人はくるりと反転すると、覆面の方が映撮にマイクを突きつけてきたこう言った。
「真向井アナウンサーがお亡くなりになったことは知ってますね?」
なんなんだいったい?藪から棒に。
映撮は怒った口調で、「ああ」と頷いた。
そんな映撮の様子をカメラマンと思しき隣田が撮影する。
「ですよね。ですよねー。じゃあもしその死んだはずの真向井アナウンサーが生きていて、あなたの目の前に現れたどうします?」
はあ?何言ってるんだこいつは。
「どうします!」
覆面の女が映撮に迫る。
「どうするもこうするも、そんなことありえる訳ねえだろ。てかいったいあんた達、人の家に勝手に上がり込んで何してんすか?隣田さんもですよ。ちょっとこれは冗談がきついですよ」
そう言ってカメラを回し続けてる隣田を見る。あろうことか、隣田の顔は笑っていた。
それにいくらく腹が立ち、映撮は隣田を睨み付けた。
それでも隣田は無言で笑い続けている。
「もういいです!帰ってください!」
今度は二人に向かって怒鳴りつけた。
「いえ、あなたに見せたいものがあります」
そう言ったのは覆面の女だった。
覆面の女は、ゆっくりと覆面を取った。
「は!」
映撮は思わず息を呑む。
そこに居たのは、紛れも無い真向井その人だった。絶対に間違えるはずはない。毎日、テレビで彼女を見ているのだ。たしかに目の前にいるのは、死んだはずの真向井だった。
「なんでだ……。どうして……。どうして君が生きているんだ!」
「あら、生きててうれしくないの?」
真向井は色気のある声で言った。
「それに、周りをよーく見てみなさい」
周り?
映撮は周囲を見回した。案の定どこを見ても、カップラーメンの容器が散乱した汚い部屋しか見えない。
「違うわよ。そこじゃなくて、ここ」
真向井は自分の横にいる隣田を指差した。
映撮もそれに習って指の先を見る。隣田は何やら片手にボードの様な物を持っていた。
そしてそのボードに、黒のマジックで文字が書かれている。ゆっくりと一文字ずつ口に出して読んでみた。
「ど……っ……き……り」
ドッキリ。そう書かれていた。映撮は数秒停止した後、はっと気がついて大声を出した。
「ドッキリだって!」
二人は頷いた。
「はい。今日一日のことは全部ドッキリなんですよ」
「え?じゃ!じゃあ、今日のことが全部ドッキリだったってことは……」
映撮はその先にあるうれしい事実に気が付き、顔が満面の笑みに変わる。
「真向井さんが死んだのもドッキリだったんですか!」
二人は再び頷いた。
それを見た映撮は、感極まって真向井に抱きついた。
「もう死んだのかと……ダメかと、思いました。でもよかった。よかった。本当によかった……」
うれしさで鼻の周りを鼻水だらけにしながら、映撮は真向井の小柄な体を抱きしめてた。
そんな映撮を、真向井はそっと抱きしめ返す。少しの間、二人は無言で抱きしめ合っていた。
そんな時、ふと映撮の頭にある疑問が浮かんだ。。
よく考えれば、今の状況はとても変なことばかりである。というのも、極自然に真向井は映撮を抱きしめてくれているが、実はこれはおかしなことなのである。なにしろ、映撮と真向井は一度も言葉を交わしたことがないのだ。なのに真向井と映撮は、まるで離ればなれだった恋人の様に抱きしめあっているのだ。しかも普通、ドッキリでここまで手のこんだことをするだろうか?今朝の死体は本当にリアルでとてもマネキンやなんかとは思えない。それにさっきニュースだってやっていた。
そんな事を考えているうちに、だんだんと映撮は不安になってきた。
だから思い切って聞いてみることにした。
ゆっくりと顔を離し、映撮は真向井を見つめた。どうしたの?という感じで、真向井が映撮を見つめ返す。なので映撮は恐る恐る聞いてみることにした。
「本当に真向井さんですよね?まったく別人ってわけじゃないですよね」
「……………………」
真向井が無言で下を向いた。下を俯いているので、いったいどんな顔をしているのかわからない。それがいっそう映撮の不安を倍加させた。
カメラを担いだ隣田も、同じ様に下を向いている。
――やがて。真向井の肩がぷるぷると振るえ始めた。
映撮は恐る恐る真向井を見つめる。
とても嫌な予感がした。
そして――「ぷっははははははは!」という真向井の大きな笑い声と共に、その嫌な予感が的中したのだった。
「きゃはははははは!はは!おかしい、マジでおかしいよコイツ!」
真向井は腹を抱えて爆笑している。
映撮は突然の出来事に、まったくついていけない。さっきまでしんみりとしていた雰囲気が、一瞬で凍りついたような気がした。
真向井は気の狂った麻薬中毒者のように、噴出して笑っている。
「あの……。これはいったい……」
「きゃははは!マジであんたうけるんですけど!あの……これはいったい、って本気で言ってんの?」
真向井の言ってることが全くわからず、映撮はただただ、真向井のその狂気に満ちた顔に怖気づいた。
「ふん。どうやら本当にわからないようね。なら教えてあげる。本当のこと」
「本当の……こと?」
「ええ、そうよ。まぁその前にあんたの質問に答えてあげるわ。あんたさっき私が本物の真向井かって聞いたわよね?その答えよ」
映撮はゴクンと唾を飲み込んだ。
「私の名前は真向井綾。あんたが大好きな真向井凛の双子の妹よ」
衝撃的な言葉だった。真向井に双子の妹がいるなんてまったく知らなかった。だが、それだけにこの女の言ってることが疑わしい。
そんな映撮の疑いの眼差しに気づいたのか、真向井は「本当よ」と真顔で言った。
「そんなこと信じれるか。じゃあ証拠を見せてみろよ、真向井さん、あなたがその妹とやらだという証拠を」
「証拠ならさっきあんたがその目でしっかりと見たんじゃなくて?」
映撮はハッとなった。そして脳裏に、ある一つの考えたくないことが思い浮かんだ。
「まさか……」
「そうよ。さっきあんたが見た死体は本物よ。そしてその死体は私の姉、真向井凛よ」
そんな!、と言おうとしたが声にならなかった。
「信じられないかもしれないけど、全部事実よ。そんなに信じられないんだったら、あんたのお友達に聞いてみたら?」
映撮は隣田の方に視線を送った。
隣田は伏せていた顔を上げて映撮を見つめ返すと、さっきまで無言だったのが一変、先ほどの真向井綾の様に笑い始めた。
「はははは。まったく綾、君は本当に演技というものが苦手のようだね。そんなんじゃ一流のリポーターになれないぞ」
「いいのよ別に。私は姉さんみたいな仕事しようと思ってないから」
「まったくその通りだな」
言ってから隣田は再び映撮の方に向き直った。
「ああ、ごめんごめん。で映撮君が聞きたいのは凛君が死んだのは本当なのかどうなのかということだったね」
映撮は頷いた。
「事実だ」
隣田はあっさりと応えた。
こうもあっさりと応えられると、逆になんだか隣田に腹立たしさを覚える。
「おいおい、そんなに睨まないでくれよ。別に凛君をあんなふうにしたのは僕じゃないんだから」
最初、映撮は隣田が何を言っているのかわからなかった。だがしかし、綾の言葉でその意味を知る。
「だってしょうがないじゃない。あの姉ったら、ちょっと包丁で脅しただけでベランダから落ちちゃうなんて、本当マヌケなのよ」
映撮のわきから、だらりと汗が流れた。
ベランダから落ちただって?ま、待てよ。真向井さんの死亡原因はたしか、ベランダから落ちたことによる頭部の強打だ。つまり、これらを統合して考えると……。
「も……もしかして……殺したのか?」
気づけば映撮は震えた声でそう綾に聞いていた。
「まあ、本当はベランダから落とすんじゃなくて包丁でブッスリいくつもりだったんだけど、あのバカ姉たったら勝手に死んじゃったわ」何も悪びれずに綾はそう言った。
「お、お前!」
映撮は綾の胸元をぎゅっと掴んだ。
「な、なんで殺したんだ!」
大声で怒鳴りつけても、綾は瞬きすらしなかった。まるで自分のやった事は何も悪くないかのような態度だ。
その仕草にますます腹が立ち、映撮は声を荒げた。
「なんで殺したかと聞いているんだ!」
激昂した映撮を見て、めんどくさそうに綾は口を開いた。
「嫉妬してたのよ」
「はあ?嫉妬だと?」
「そうよ。嫉妬よ。ふん、あなたに分かるかしら?私の気持ちが。私はね……小さい頃から頭が悪い子で失敗ばかりしてよく親に怒られてた……。何でお前はお姉ちゃんみたいに頭が良くないんだ、てね」
綾はさっきまでとはうって変わって悲しい顔になった。
「何をするんでもいつも一番だった姉は、周りの人間からはちやほやされる存在だった。そしてその度に、私は姉と区別された。私は誰にも相手にされなくて悲しい時、必ず姉は私に言ったわ。『綾も頑張ればできるよ』ってね。でも……所詮、クズはクズなのよ。それを私は二十歳の時に思い知った。姉はテレビ局のアナウンサー、そして私は……キャバクラ嬢……」
綾は自嘲するかのように笑った。
「ずっと姉を憎んでたわ……何で私だけってね。だから復讐してやったの。まず初めに姉の生活を崩す事から始めたわ。姉の住んでるとこに引越して、近所に姉の悪い噂を流すの。とても面白かったわ、姉の困る姿が。私が男と夜遊び行く度に姉はうるさく言ってきた。そして私を世間の目に当てないように部屋のカーテンを閉めるのよ。本当、意味ないのにね。だから私は姉が何か言ってくる度に適当に誤魔化すのよ。でも……」
笑っていた綾の顔が、突然険しくなる。
「でも、あの日だけは違った……。あの日、姉は私に言ったの……『もう出てって』てね。
気づいたら包丁持って姉を殺そうとしてた。そしたらあのバカ姉ったら、驚いてベランダから勝手に落ちてくれたわ」
「もういい」
そこまで聞いて、映撮は綾の話を止めた。
「お前の言いたい事は十分わかった。だからもういい。でもな……。お前何か間違ってるよ」
「間違ってる?私が?いったい私の何が間違ってるって?」
綾は本当にわかないようだ。
だから映撮は綾に言った。
「ああ……教えてやるよ……今すぐな!」
言った瞬間、勢い良く綾を押し倒した。完全にふいを突かれた綾は、簡単に床に組み伏せられた。綾は必死に抵抗したが、やはりそこは女の非力な力である。一瞬で映撮に首元を絞められた綾は、大人しく映撮を睨んだ。
「殺すの?」
「ああ」と映撮。
「お前、人の苦しみが分からないだろ?何で私だけってさっき言ってたよな。それは違うよ。お前のお姉さんはな、お前の知らないところで血の滲む努力をしてたんだよ!それを自分だけは不幸な人間だってか?思いあがるのもいい加減にしろ!」
映撮の言葉に、綾の体がピクンと震えた。
綾は今まで誰にも相手にされてこなかった。だからこんなに自分を叱ってきた人間は、映撮が初めてだったのかもしれない。
「お前にもお姉さんの痛みを味合わせてやるよ」
映撮の両手にだんだんと力が入っていく。
「う……う……」
綾が苦しそうにもがいた。
それでも映撮はその手を止めない。
「痛いか?痛いだろ!これはお前のお姉さん
の痛みなんだぞ!」
綾の眼から涙が零れ始める。
「う……え……くるじ……い……」
綾の顔がもう限界だと告げていた。
――と、その時。
急に右腹の辺りに鈍痛が走り、映撮は思わず手を緩めた。綾もすかさず映撮から逃れる。すごい痛みだ。今までに経験したことのない刺激に、映撮は戸惑いながら自らの右腹を見た。
「な……」
右腹の辺りの服が破けて中の肉がえぐれていた。服が真っ赤に染まり、おびただしい量の血が噴き出している。
ゆっくりと右上を見上げると、薄笑いを浮かべた隣田の右手に、ぎっちりと包丁が握られていた。その包丁の刃先から、ポタポタと鮮血の赤い液体が垂れていた。
「ど……う……して?」
映撮は痛みに耐えながら隣田に聞いた。。
「悪く思わないでくれ。実際、僕も驚いたんだよ。まさか……君が僕と同じ趣味を持っていたなんてね」
「同じ……趣味?」
「ああそうだよ。僕と映撮君で同じ趣味っていったら盗撮しかないだろ?」
「な……」
隣田の言っていることが理解できない。
「あの日……。僕がいつも通り仕事を終えてアパートに帰ってくると、君の部屋から光が漏れていた。最初はビックリしたよ、だって玄関ドアを開きっぱなしにしてるなんて正気じゃないからね。だから最初は本当に親切心で閉めてあげようと思ったんだけどね……途中で気が変わって君の部屋を覗いてみたくなった」
隣田が面白そうに言った。
「まさか君も凛君を盗撮してたとはね」
映撮は痛みで意識を失いそうなところをグッと堪える。
「とまあ、そこまではよかったんだ。きっとここまでだったら、僕は君のことを黙っていたと思うよ。でもね……」
隣田は笑みで口元を歪めた。
「あの日に限ってあんな映像が映ってるなんて思わなかったよ。まさか、凛君が殺害される現場が写ってるなんてね……。僕はすぐに君のビデオカメラからテープを抜き取って自分の部屋に持ち帰ったよ。なんでって?そりゃあこんな美味しい事、独り占めしようとしない奴なんて男じゃないよ。ああ、それと玄関ドア壊れてたから閉めるのに手間取ったなあ」
隣田は一人で喋り続けている。綾のほうはというと、さっきまで乱れていた呼吸を整え、隣田に横で平然と立っている。
最悪の状況である。隣田は刃物を持っているし、何しろ映撮はこんな状況だ。戦うどころか、これじゃあ逃げることする難しそうだ。
「それからはわかるだろ?君も僕と同じなら。そうだよ……そのテープを持って凛君の家に行ったんだ。もちろん脅迫するためにね。何しろ、殺害現場を押さえた決定的瞬間がそのテープには映っている。運良く犯人の顔もバッチリと撮れていた。その顔を見てすぐ気づいたよ、双子ってね。これを脅迫の種に、その双子を脅せば……きっと僕に逆らうことはできない、そう考えた」
隣田はそう言って綾の体を自分の方に引き寄せた。
「予想通りだったよ。僕が凛君の部屋に辿り着くのと、綾が家から出てくるのは同時だった。僕はすぐさま、逃げようとする綾を捕まえて自分の部屋に連れ込んだ。そしてテープを再生して綾に見せたら、案の定、何も喋らなくなったよ」
「もう、本当にあの時は驚いたわ」
綾はそう言って、隣田にゆっくりとキスをした。
「おいおい、キスなら今度やってあげるよ。でも今はこっちの話の方が大事だよ、綾。じゃなきゃ、僕の話を全部聞かないうちに映撮君が死んでしまうよ」
隣田の言う通り、映撮は本当にもう限界だった。意識は朦朧としてきたし、もう起き上がってることする辛い。
「ああ、後ね。映撮君を殺す計画を立てたのは綾なんだよ」
綾はVサインなんかしてやがる。
「もしかしたら映撮君が他にもカメラや何かを撮ってたかもしれないって、そう言うと、綾がなら殺してしまいましょうって言うんだよ。恐いだろ?でもそれだけじゃなくて、ただ殺すんじゃつまらないから楽しく殺しましょうって言うんだよ。さすがの僕でもあの時は綾が恐かったね。そして思いついたのが、このドッキリ作戦ってわけ」
隣田と綾の二人が見合って笑っている。
その笑い声も、意識が危うい映撮には悪魔の笑い声に聞こえた。
だんだんと視界が狭くなってきた。そして眠い。ゆっくりと両瞼が下りていく。
「もう限界のようだね。じゃあこれが本当に最後のお別れだ。僕は結構君のこと好きだったよ」
朦朧とする意識の中で隣田の手に持った凶器が、ゆっくりと自分に振り下ろされるのが見えた。
もうダメか。そう思った時、どこからともなく声が聞こえてきた。その声を聞いた二人が、身を翻して逃げていくのが見える。二人を追うように誰かが部屋を走っている。ドタバタと何人もの足音が聞こえて……そこで映撮の意識は切れた。
再び起きた時にはそこは病院で、自分はベッドに寝かされていた。後から聞かされた事だが、映撮は二日間も意識不明で寝ていたそうだ。医者が『あともうちょっと遅ければ危なかった』と怖いことを言って部屋を出て行ったのはついさっきのことである。今この部屋にいるのは、自分とイスに腰掛けた警察官の二人だけだ。その警察官は映撮の家に事情聴取に来た、あの日の警察官だった。
警察官が、いいですか?と映撮に聞いてから話し始めた。
「やはり真向井凛を殺害したのは妹の真向井綾でした」
「そうですか」
「そう気を落とさないでください。それと……犯人のうちの一人の隣田の供述を元に、盗嬢さんの部屋を調べさせてもらいました」
「え?」
「結果、隣田の証言通り盗嬢さんの部屋から、被害者の真向井の部屋を盗撮したと思われるテープ計百二十本が発見されました」
映撮は喋ることができなかった。まさかこんなことになるとは思いもしかった。映撮はショボンと肩を落としたのだった。
「とても残念です」
警察官が本当に残念そうに言った。
「何か言うことはありますか?」
警察官がそう言ったので、映撮はしばらく黙ってから口を開いた。
「最後に……」映撮がそう切り出す。
「はい?」警察官が聞き返した。
「最後に、言いたいことがあります」
「なんですか?」
「今回、この事件では俺も被害者の方なんじゃないっすかね」
しばしの沈黙が流れた。
そして沈黙を切り裂くように警察官が言う。
「いえ」
警察官は少々間隔を置いてから、こう言った。
「盗撮は犯罪ですから」
最後の方の文体が崩れぎみですが、終始読んでくれたことを感謝いたします。ミステリーっぽくない感じがしますが、一応そのつもりです。では、これからもお付き合いのほどをよろしくお願いします。