騎士学校
翌日校庭で目を覚ましたフェイトは鉛のように重い身体を何とか起こしてみた。
「う……ってえ~。足も腕も全身がカチコチだよ」
うっかり伸びをしようものなら筋肉がみしみしと嫌な音を立て、体中を激痛が走る。
「なんとか、立てそうか、な。よっと」
まだ全身が悲鳴を上げそうだが、昨日の立つことすら出来ない状態に比べれば随分まともになったとも言える。
まだ空は白み始めたばかりだが、回りも朝練を欠かさない人達が多かったらしく、目を覚ましている人物は思ったより多い。
とはいえ、誰もが立つのがやっとで少しばかりは歩けるのだろうが、素振りを出来る元気が残っているものはいないようだ。
と、隣を見るとゲイトも目を覚ましたようだ。
「ん……もう朝か。ふわぁ~まだ眠いし痛いぜ」
自分と同じようにまだ寝ぼけていそうな友人に声をかける。
「おはよう、俺より少しだけ寝坊だな」
気安く笑いかけるが特に気にする風でもなく、よお、と手を上げて応えるゲイト。
「体はっと、うん動くな。朝練は無理そうだが」
そう言って立ちあがるゲイトは、フェイトよりも幾分余裕がありそうだ。
「んーー!っとさてどうするか?まだ学校が始まるまで時間があるけど?」
体を伸ばしながらこちらに目をやるゲイト。訂正、こいつやっぱり体力あるわ。
「俺はとりあえず教室に戻るかな。教室まで行けば替えの服もあるし、空調も効いてるだろうし」
「だな、なら行くか。フェイト歩けるか?」
ゲイトの言にフェイトは不遜な態度で応える。
「余裕だよ、行くか。……っとどうせならピアも見つけて行こうぜ」
一歩程先を進んでいたゲイトも、思い当たったかのようにこちらに振り向いた。
「そうだな、あいつも回収していこうぜ。仮にも女子だしな」
そして広い校庭を二手に分かれて探しているとゲイトの方がピアを見つけた。
ピアはまだ体力が戻っていないらしく、これだけ回りが起き始めているのに眠ったままだ。
「ったくよ、やっぱ女子にはキツイだろうによく耐えたもんだ。やっぱすげぇんだな、お前」
1年生全体の3割程が女子だが、女子だからと言って洗礼が軽くなるわけではないのだ。
成長期であれば体力に差がつき始める頃なので、まだ男子の上位に混じれる女子も少なくはない。
とはいえそれは一般的な話なので、同じ騎士を目指している者達の中で女子はやはり体力的に劣っているものが多い。
それなのにこの友人は、一丁前に昨日のしごきに堪え切ってみせたのだ。
まだ体力が回復しきっていないこの状態をみれば、昨日は本当に最後の最後まで強い精神力で乗り越えたのだろう。
「無茶しやがって」
少しまだ体に負担が掛かるが、よく眠っているピアをゲイトは起こさないようそっと背負い、フェイトに合流するため歩き始めた。
「お、ピア見つけたんだ。……で、ゲイトおぶってきたと」
これは女子をおぶった状況が羨ましいとかではなく、女子とはいえ一人を背に担いで歩いてこれた、ゲイトの基礎体力と体力回復速度に心底驚いただけだ。
「あぁ、ピアも教室に連れて行ってやろうぜ」
「……いいけど、悪いが俺交代は出来なさそう」
既に自分が歩くだけで精一杯のフェイトはそれだけ口にして、ゲイト、ピアと共に教室に向かった。
同じ男子なのに、どうにも羨ましい体格差だった。
「お、一番乗りー♪」
明るい声ではしゃぎつつも、フェイト達は教室に着いた。
「よっと、この辺りに下ろしてやるか。フェイトなんか敷くものとかないか?」
そう尋ねられたフェイトはバスタオルを自分のカバンから取り出し床に敷き、ゲイトはその上にピアを下ろした。
「用意がいいな」
からかい混じりにゲイトが問うと、
「シャワーを浴びるためだよ。もっともそんな余裕はなかったが」
これだけ歩いてきてもピアはまだ目を覚ましておらず、余程疲れているのだとみえる。
「んー、じゃあ俺らもシャワーでも浴びにいくか?」
「おい、俺今タオル無いっての。それにどっちにしても今お湯なんか当てたら筋肉が悲鳴上げそう」
みっともないが正論でゲイトをかわし、
「なら俺シャワー浴びてくるわ。ピアをよろしくな」
そういって元気な友人は自分のカバンを持ちシャワー室へと行ってしまった。
「全くあいつときたら。……でもピアもよく頑張ったよな」
そっとピアに優しい視線を落とす。意志の強そうな紅蓮の瞳も目を閉じていれば、スヤスヤと眠る同世代の女の子でしかない。
それに眩しいばかりの金の髪、同世代の女の子としては発育している胸周り……とここまで考えた瞬間思考を振り払った。
「いかん、何を考えているんだ。ピアは友達--」
「それが友達?友達っていうよりは足手まといじゃなくて?」
ふと後ろの方から声が掛かりフェイトは慌てて振り向いた。
教室の入り口に立つピアと同じ眩いばかりの金の髪、そして紅蓮を想わせる意志の強い瞳。何より背格好こそ違うが、良く見ればピアと同じように整った顔立ちや鼻立ちまでそっくりだ。
唯一違うとしたら、腰まで届く流れるような髪の長さと、それに似合うようスレンダーだが痩せすぎと見えない凛々しい体格、そして何より胸周りの残念さだけだろう。
「あなた達が今日初めて校舎入りした1年生よ、だからほんのちょっとだけ興味を持って追いかけてきたけど、期待はずれね」
やれやれ、とため息交じりに初対面から非難されてはフェイトもむっとしてしまう。目の前の女性は騎士剣を腰から提げ、自分が間違ったことを言っていないと確実に思っているような人物だ。
「あいにくあなたがピアの肉親だろうと、他人だろうと俺とあなたには全く関係がない。用が無いなら放っておいてくれないか?」
第一印象は間違いなく最悪なハズだ、入学から3日だというのにトラブルに巻き込まれるのはこれで二度目か。……そう思っていたら、
「ああ、ごめんごめん、自己紹介しましょうか。私はレイ・ハルト、お察しの通りピアの双子の姉よ。武器は見ての通り騎士剣、よろしくね」
名乗られたからには名乗らねば騎士ではあるまじき不遜になってしまう。フェイトも尋常に名乗りをあげる。
「俺はフェイト・セーブ。ピアの友達であなたと同じ1年生だ。武器は今手元に無いが剣を使っている」
普通ならここで武器なしという愚行や暴挙に目を丸くでもしそうだが、レイは特に何も反応を示さずにこちらに握手を求めてきた。
「よろしく、妹からあんたの事聞いてるわ。斬鉄をぶちかました非常識な剣士として、ね」
あ、納得した。ピアが事前に話していたからこそ剣が無いと知っていたし、驚きもしなかったのだ。
だが、逆に疑問に思うのは何故ピアからそんな話を受けるほど信頼されている姉が、妹を足手まといと蔑むのか?
「あんたにはまだ話す時じゃないと思うから何も言わないけど……少なくとも1つだけ言えるわ。あんた妹とは関わらない方がいい、この子じゃ有事の際本当に足手まといになるから」
結局フェイトが握手に応じなかったため、差し出された手は交わることはなく、レイは教室から出て行ってしまった。
……一体何なんだ?確かにピアとは会ってまだ3日目だし、家庭の奥深くまで事情を聞いている訳でもない。
でもあのレイという女子は、あからさまにピアにだけ侮蔑をぶつけている。よくない話だ、姉妹で争うなんて。
フェイトはピアの側にしゃがみこみ、そっと髪を撫でる。
「ピアは友達だよ。--でもお姉さんとも仲直りできるといいな」
■■■■■■
そうこうしているうちに時間が経ち、教室には次第に人が増えてきた。
ゲイトも丁度いいタイミングで戻ってきたが、未だピアは目を覚ましていない。
すでに時刻は9時の10分前でギリギリだ。後10分したら教師が来てしまう。
「しょうがない、起こすか。でないと身だしなみを整える時間もないだろうし」
ゲイトがここまで女子に気遣えるという長所を持っていたことに驚いた。ゲイトの見た目からいって女子に気遣えるような性格に見えない(失礼)ので大変驚いた。
そういえばきちんとおぶってきたのも彼だし、もしかしたら自分より女子に手慣れているのかもしれない。
「んじゃ起こそうか、ピア起きろ~」
耳元で声を出してみるがうぅ~んと、口からくぐもった声が少し聞こえただけで起きる気配はない。
「ピア起きろ、朝だぞ」
ゲイトも隣から声を出してみるがそれでもピアは起きる気配がなく、それどころか
「あ……あ、ぅ~ん」
などと寝言を言ってくるので少しドキドキしてしまった。これではまるでこちら側が悪いことをしているようだ。
「仕方ない」
そう決意すると、フェイトは最終作戦とでもいうべき強硬策に打って出た。
「起きろ~!えいっ!!」
そしてピアの鼻を摘んだ。妹のアイリスが起きない時等はよくこうやったものだが、友達とはいえ女の子に、それも人前でやるにはいささか常識が欠けていたらしい。
それはピアが身を持って教えてくれた。
「………………うーうーーうーーーー!ぷはっ!!」
息が出来なくなりようやく起きたピアが周りを確認し、ここが教室で俺とゲイトが寝顔をずっと見ていて、しまいにはフェイトが自分の鼻を摘んだということまで意識が回ること5秒。
みるみるピアの顔が朱に染まり、染まりきらなかった朱は爆発した。
「バカァ!!」
こうして、フェイトは右頬に鉄拳を打ちこまれたのだった。
「もう、起こすなら普通に起こしてよ」
まだ怒っているピアをゲイトがなんとかなだめてくれつつ、フェイトがひたすらに謝っていた。
ちなみにクラスの女子からも男子からも集中砲火を喰らっていた。「あれはないな」「サイッテー」「妹とクラスの女子の区別も付かないの?!」などだ。ムゴイ。
「フェイトも悪かったって言ってるし、それに最初は普通に声かけたり揺すったりして起こそうとしたんだ。それに時間が時間だし急いでいたっていうのを汲んでやってくれ」
ゲイトがピアに献身的なフォローを重ねてくれたため、ピアの怒りも大分収まってきているようだが、揺すったりはしてないんだけどなー。いや、ホント見かけによらず頭の回転と口が達者だったぜ。
「ま、いいや。運んでくれたのも二人でしょ?熟睡してた私も悪いしお相子ってことにしときましょ、ありがとゲイト、とフェイト」
おっとまだ棘が抜けきっていない。もう一回謝っておくことにした。
とはいえ本気で怒っている訳でもないので、ちゃんと許してもらえた。
席について間もなく教師であるギルバードが教室にきた。
「さて、ではHRを始める。うちのクラスから脱落者は三人だ、一人は退学届を出すだろうが、もう二人は病院での治療後に復帰する予定だ。とはいえいつ退学するか分からんがな」
教師が開口一番に出す言葉としては、クラス中を黙らせるには十分だった。
入学三日目で脱落者一人、そして二人もおそらくは退学になると告げてきたのだ。これに動揺を隠せないのは当然だと思う。
「今年は前年、前々年でなかった帰宅者が一人出た、他クラスだが発表しておくと名前はレイ・ハルト。騎士剣使いの正統派騎士候補だな。皆も見習うように」
クラスが今まで以上の緊迫感に包まれた。自分達はこの洗礼を、苦難を乗り越え仲間達との話題にするレクリエーションの一部だとしか考えていなかったのだ。
だが、現実にはそれを踏破し、騎士として自分達よりも確実に一つ頭が抜けている存在はプレッシャーの他ならなかった。
「あの自信……偽りじゃないって所か」
今朝出逢ったレイというピアの姉。ピアに対する発言こそアレだが、立ち居振る舞いは確かに熟練の気配を漂わせていた。
そして双子で一方は帰宅者、一方はつい先ほどまで眠っていたのだ。
--明らかな差がついている。
ピアの実力も高い方だとは思うが、やはり女子だとも思えるものが残る。
だが、レイならば恐らく同学年では誰も寄せ付けず、上級生にも混じって訓練に参加出来る位実力が既にあるのだろう。
「さて、では授業を始める。まずは校庭で腕立て腹筋背筋を300回ずつ、そして各々の武器の素振りを1000回。これを午後までにやること、出来なかった者は居残りだ」
冗談、ではないようだ。あれほどのしごきの後でも訓練を欠かさないとは……
騎士というものの高みの一端を知る思いだ。今年入学者がおよそで800人、そして現在の最上級である5年生はわずかに40人。
同じようにこの洗礼を乗り越えた2年生ですら110人。恐ろしい倍率だ……
つまりこれは振るい落としなのだ、今日これで居残り成し遂げたとしても明日も時間は待ってはくれない。ひたすらに高みだけを目指し崖を昇っていくようなものだ。
立ち止まることは許されない、俺達は子供でありながらも子供ではない尋常な選択を選んでいかなくてはならない。
「さあ、準備が出来たものから校庭に出ろ。別に職員室でも構わんぞ?」
不敵な笑みだけを残し教室から去っていったギルバード。発破をかけたつもりか。
ならやってやるよ、少なくともこいつらは俺と同じクラスなんだ。見捨てて騎士になりたい訳じゃない。出来るなら俺の周り関わった奴は夢を叶えるなり、幸せになるなりして欲しい。
……だから、俺がやってやる。そう決意して俺はギルバードに代わり教壇に立った。
「みんなー元気かー?元気なわけないよな、俺も骨がみしみし言ってきついし正直寝不足だし」
クラス中が不思議そうな顔でこちらを見てくるが、それでいい。
「注目!俺達は騎士になるためにここに来てるんだ!みんな努力も決意もしてきてたと思う、ならさっきの脅かされただけで不安になるな!俺達は既に覚悟をしてきているんだ!!」
まだだ、まだ皆の心は不安のまま、焦燥に駆られたままだ。もっと引き込まなきゃ!
「それでは発表します、この後校庭は他クラスも出て行って場所取り合戦が始まっちまう!そうしたら時間を浪費して昼飯が食えない!!みんな朝飯だって食べてないだろ?なら昼飯は、『全員で』、食べようぜ!!」
皆が俺に目を向けてくれた。……ははっ、みんな不安だっただけじゃん。
「そうと決まれば早速校庭に行くぞー!ノンビリしてたら他のクラスだって昼飯食えないことに気づくからな、善は急げ!!」
そして俺は教室を出ようとする。
すると背後からは席を立つ音や、肩を叩く奴ら、それに俺のすぐ後ろにはゲイトとピアが来てくれていた。
「行くか!飯は大事だもんな」
「私、さっきのHRでお腹鳴りそうだったのよ」
そんな俺の冗談に付き合ってくれる最高の友達がいた。