重々しく<pesante>
フェイトはあれから膝をついたまま面を上げる事をしない。
1分……2分……いや、5分程もしたところか、ディーバの方から声をかけてきた。--最も魔法を使わないと聞こえない小さな声に違いないが、
「あの……どうすればいいの?」
ディーバは困ったようにフェイトに尋ねていた。
ディーバの心に近づくため、騎士として忠誠を誓ったのだが、ディーバは騎士の手を借りる事に抵抗があるのかもしれない。
いや、騎士でなくても誰かの手を借りる事にもしかしたら罪悪感や、後ろめたさを感じるのかもしれない。
親しい人を亡くした人は、きっと自分だけ救われることに拒絶を感じてしまうのかもしれないな。
そうフェイトは思い、ディーバに対して面を上げ言葉を交わす。
「ディーバ姫、私は誰かの手を借りる事が裏切りや救われたいという罪悪感になるとは思っていません。生きる者は幸せになる権利があるのです。そしてあなたはたった今出逢ったばかりですが、私という騎士が忠節を誓い、支えたいと思えた人物なのです。--だからこそ、この手を取ったとしても、あなたは誰から疎まれる訳でもなく、ほんの少しだけ心の荷を預けられる御者のような者だとお考えいただければと、存じ上げます」
スラスラと淀みなく流れ出る言葉に耳を傾けていたディーバだったが、ふと気付いたように首を傾げ、その頭にまるで疑問符が乗っているかのような表情をする。
……あれ?おかしいな?会話が噛み合ってない??
そんなフェイトの違和感は、次のディーバの言葉で決定的になる。
「あの……私どうしたらいいか、分からなくて……」
あの説得でもダメだったのか……とフェイトは落ち込みそうになるが、めげない。
何と言っても今は耳を傾けてくれているのだ。心が鎖に囚われる前になんとしてでも、救い出さねば。
「ディーバ姫、騎士という者をそんなに大層に考えないで下さい。確かに私は騎士として称号を授かりましたが、この称号は誰か傷ついている人を守るために頂いた称号なのです。もし、あなたが仮に歌姫でなくても私は手を差し伸べたでしょう」
ディーバは再びフェイトの話をキチンと聞いてくれたが、どうやってもまた疑問符が頭に浮かんでいるようだ。
……なんでこんなに会話が平行線なんだろう?フェイトがようやくそれに気付き始めた頃、ディーバもようやくフェイトの間違いに気付いた。
「もしかして」
「あの、忠誠を誓われても私どうしたらいいのか……」
やっぱりそうだった。
事は本当に単純に、ディーバは騎士の誓いの後、どうすればいいのかが分からなかったのだ。
だからこそ、説得しても疑問符が浮かぶし、会話も食い違う。
考えてみれば酷く単純で、不謹慎だが笑いそうにもなってしまう。
「--失礼しました。姫?事は単純に、私の手を取って頂くか、御傍に仕える事を御許し戴く言葉を賜るか。姫が私に対して何でもいいので、応えていただく事がこの儀式の焦点になります。ですから、あまり考えることも緊張なされることもありません」
そう、歌姫とはいえ騎士の世界に疎ければこういった作法が分からず、故に騎士と名乗られ忠誠を誓われても困ってしまったのだ。
ようやく会話が噛み合ったのか、それともこんな小さな食い違いでお互いずっと勘違いしていたのが面白かったのか、本当に少しだけ頬を緩めこちらを見つめる。
「……私、今は声が出ないからあなたに言葉を贈る事ができないの。--だから、今はこちらで応えさせて」
そうディーバはフェイトに言葉をかけ、フェイトの手を両手で包み想いが伝わるよう握りしめてくれた。
ようやく意志の疎通が出来た所で、ふとフェイトは友人達を思い出した。
情報が出てきたら連絡する、という当初の約束は既に破綻していたが、本人と出逢えたのならば細かい事は気にしない事にする。
「さて、これからのことなんだけど、まずここで黙祷させてもらっていいかな?」
誓いの儀も済んだことだし、フェイトは口調を幾分砕いて話す。
騎士の喋り方を続けては心が傷ついている人の距離を埋めるのが、難しいと思ったからだ。
それに年は三つ上だったと記憶しているため、そんなに失礼だとは思わない。
ディーバは頷くでもなく、断るでもなくフェイトを見つめるだけだったが、フェイトはそれを肯とし、名も顔も知らぬディーバの両親に黙祷を捧げた。
1分ほど黙祷を捧げた後、改めてフェイトは提案する。
「よかったらこの町に俺の友人がいるんだが、会ってみないか?」
そう提案してみた。
残念ながらディーバとは年代が違って皆幼いが、それでも自分が赤魔騎士等という称号や魔法を扱えるといった事を話しても驚きこそすれ、それで疎遠にもならず、特別扱いもせず、心を許せる人間であることは熟知している。
だからこそ提案してみたのだが--
「ごめんなさい、今はあんまり人と会いたい気分じゃなくて……」
と目を伏しながら自信なさげに話す。
--それもそうかもしれない、今魔法を使わなければフェイトだってディーバの声が聞き取れないのだ。
それにこんな状況で改めて友達を何人も作れるならば、そもそもこんなに悩んでいないだろうから。
「ごめん、ちょっと考えが足りなかったみたいだ。それじゃあいつらに連絡だけしておくから、俺達は俺達で普通にどこか場所を変えて話そうか」
場所を変えるのは、気分を変えるということだ。
目の前に崩れた家があった状態で話しをしても、暗い気分を引き出す以外に役立たない。
「……なら私の部屋でどう?ホテルに部屋を取ってあるからそこで話しましょう。貴方の事、騎士の事を聞かせて」
悪くない提案だ。忠誠を誓った騎士だからとはいえ、他人の心に踏み込んでいくのは気持ちが内側ではなく外を向いている。
だが油断も出来ず、フェイトは何年掛かってでもいいから、ディーバの心を解きほぐそうと心の中で誓った。
「じゃあ案内をお願いします、姫様」
姫様、というのをちょっとだけ軽い口調で言うようにしてみたが、反応はいまいちで困った顔を見せてくれる訳でもなく、まるでそれが当たり前だとでもいうような感じで先頭に立って歩く。
(もしかしたら、ここら辺に鍵があるのかもな)
フェイトは心にメモをしつつ、ディーバの後を追った。
ディーバはホテルと言ったが、どうもホテルというにはチープな感じがする。
木製の床に、木製のテーブル、ベッドのシーツも一般品。
どう考えても歌姫の年収からすればチグハグな身の合わせだ。
ディーバは気にした風でもなく、機械的にベッドに腰を掛ける。
フェイトは部屋を見渡すと、水差しから水を注ぎディーバに差し出す。
ディーバは受け取ったコップから水を飲み干すと、息を吐き出した。
「どこか適当に座って」
と言われたが、ベッドは一つしかないし、必然座る場所はインテリアに程遠い木製のやたらと足が長い椅子に腰掛けた。
「うん、聞きたかったのはさっきも言ったけど、貴方の事と騎士の事について教えて欲しいの」
ディーバからリクエストがあったのは、先と同じ質問内容だ。自分の事も騎士の事についても悩んで話す必要は全くなく、考えを纏めずとも話し始めた。
「まず俺は騎士学校ナイツォブラウンド所属1年、フェイト・セーブです。とある事情により騎士としての称号「赤魔騎士」を頂き、こうして自由時間には町を歩いてみたりしています」
多少の脚色が入ったが、大きな問題でもなくディーバは目で続きを促す。
「騎士というのは、そもそも国に仕える者を指します。この国、ローウェンではローウェン騎士団として所属するのが一般的な様に、各国とも騎士団を持っている国は自国に尽くします。とはいえ、誓う対象は国であったり、王であったり姫であったりと様々ですが、騎士たる証として決して裏切る事は致しませぬ」
その言葉に少しだけ警戒の層が溶けたような気がしたが、まだディーバは説明を待っている。
「他には騎士として特定の主に仕える事もあります。多くは個人に見惚れて意志を貫き捧げるものですが、全体としてみれば多くはありません。それと同時に魔法師、という存在が騎士と同時に有名でもあります。魔法師は個人研究を除き、全て国の研究施設に入り、要請を受けた場合騎士とパーティーを組み討伐や調査に同行したりもします。
……他にはギルド、というものがありますが、これは騎士や魔法師が所属する国に属さない組織としてなりたっています。正規の騎士や魔法師は所属することが出来ず、もっぱら個人主義の人物が多い事で有名ですが、稀に国から要請を受けて騎士団と共に大遠征に加わることもあります。--主な内容は賞金首となった人やモンスターの討伐、後は勝手にボランティアとしてやっている町の治安維持、大きく二点になりますがこれがギルドの活動になります」
フェイトの長い説明も、まるで今初めて聞くかのように子供の好奇心さながらに注目していた。
一息つき、だいたいの説明が終わった所で、ディーバから質問があった。
「騎士学校って何?」
おっとこれも説明しなきゃ駄目か、と思い直し表情には決して出さずに説明する。
「騎士学校とは将来騎士を目指すための学校です。15歳から入学できる事は同じく魔法師を目指す魔法学校と大差ありません。騎士になるには倍率で言えば20倍程、今年800人入学しましたが、最上級生の5年生には40人残ればいい方だとも言われます」
倍率等には特に興味はなかったようで、次の質問を口にする。
「なんでフェイトは騎士になろうとしたの?」
「……俺は、自分だけの姫様を守りたい。それが夢だから、です」
ディーバに通じるのか分からないが、ディーバは目を伏しこちらを見ることを止めた。
彼女が今何を考えているかは分からない。正直にこちらの夢がバカみたいで呆れたのか、それとも歌姫として地位を築いた彼女にとって他人の夢は十把一絡げなのか、判断はとうとうつかなかった。
そんな空気が重たくなってきたことをフェイトは察知し、ディーバに声をかける。
「外に出ましょうか」
■■■■■■
「で、フェイトはまた運良くも有名人にご縁があったと」
イライラを滲ませながら、レイが他の二人に当たる。
「ちっくしょ~俺が絶対見つけようと思ってたのに……」
「あんたじゃ無理って最初から踏んでたから大丈夫。それよりも、こっちに合流出来ないってどんな理由なんだろ?」
ピアが思案顔になるが、レイが答えを出す。
「きっとご両親を亡くされたのよ。……故郷が襲われた、だけで公演をキャンセルするには少し弱い、実際にディーバがこの町に来ていた事から見てもご家族に不幸があって慌てて公演をすっぽかしてきた、ってとこじゃないかしら?」
レイの推測が非常に的を得ていたもので、皆納得する。
「んでフェイトがたまたま見つけて、声を掛けて姫の騎士になった、と。どんだけ羨ましい運命だ」
「フェイトって私達と同い年なのよね~、たまに忘れそうにもなるけど」
ピアがそう言うのはフェイトに少し安心したからだ。
魔法を使えたり、騎士の称号を持っていたりと自分達より何歩も先に歩いているのだから、気遅れしてしまう部分が少なからずあるのだろう。
「そりゃイキナリ自習すっぽかして、町で歌姫を探そう、ですもん。あいつが同い年なのはそういうバカがある所が証拠よ。どんなに実力があっても子供なんだから大人の問題に首を突っ込みすぎても、手が届かない事もあるに決まっているのに」
「その通り、子供は子供で自習していればいい」
ん?三人の会話に不自然に割って入ってきた人物がいた。
「私は自習、と言ったんだが、もしかして『実習』とでも聞こえたかね?それは失敬、この通り口が上手い方ではないのでね」
三人が冷や汗を流しながら、後ろから聞こえる声に振り向く。
正体は分かっていても、振り向かねばならない時はあるのだ。--今がきっとその時だと思う。
「さて、フェイトもサボりか。それも性質の悪いサボりだ、大人の問題に首を突っ込むという、な」
汗が止まらない、プレッシャーが凄まじい。下手したら竜種に相対した時にはこの位のプレッシャーを感じそうな位重圧がかかる。
「ギルバード、先生」
「おまえら、明日朝イチで俺の所に出頭しろ。フェイトにも勿論伝えて、な。今フェイトの居場所を教えて捜索に協力するなら見逃してもやるが?」
まさしく飴と鞭で生徒から情報を巻き上げようとするギルバード。
手法は間違ってもないし、このプレッシャーを前にしたら、いかに1年生最優秀のレイでもこの条件を飲んだに違いない。
だが、残念なことに彼らは--
「場所までは教えてもらってないので、教えることが、……出来ないんです」
庇う訳でもなんでもなく、事実として知らないのだから、こう言うしかなかった。
それにギルバードはニヤリと口の端を吊り上げると、三人を断罪した。
「じゃあ明日忘れずに出頭しろよ?忘れたら----」
バチン!!
と、ギルバードが自らの両拳を打ち合わせ大きな音を立てた。
今目の前で起きた事をそのままいうのならば、あまりの高速に空気が圧縮され、拳を打ちつけた瞬間に、その空気が外に逃れるように弾けたのだ。
ようするに、拳と拳は触れ合ってすらいないのにそれだけ大きな音が発生したのだ。
凄まじい腕力と、拳の振り抜いたスピードに三人は恐怖を覚えた。
「フェイトにもキチンと伝えろよ」
絶対に忘れるもんか、と三人は固く心に誓ったが、願い虚しくフェイトは呼び出しを気付かずに結果バックレてしまったのは、また別のお話。
風が透き通っている--
春の息吹に相応しく草木は新緑で迎え、遅めの桜は未だ桜色の花びらを辺りにはなめかす。
小高い丘の上、春風のフルートとでも名付けるような風景がフェイトとディーバの目の前に広がっていた。
「どうかな?俺のお気に入りの場所なんだけど」
フェイトは飛行魔法を使い、この丘にディーバを連れ飛んできていた。
初めの方こそディーバは辺りを頻りに見渡し、景色を眺めていたがある程度時間が経つと飽きたかのように草むらにしゃがみ込んでいた。
(まいったな、あれきり声を掛け辛い)
ディーバは出逢った当初こそ、こちらとの会話にも興味を示してくれていたものの、今はあまり会話らしい会話にならない。
原因が不明なだけに対処に困るのだが、外に出る事についての提案にも乗ってきたりしたのだから、嫌われているわけでもないのだろう。
ならば一体?
フェイトの方こそ思考の迷路に入りそうになるが、手前で引き返す。
と、そこで彼女がこちらを見つめていることに気づく。
「どうかした?」
「……ううん」
やっぱりなんかが噛み合わない。
初対面だからそんなに深い仲になれないのは承知だし、それでも何か決定的に間違えた覚えもないし、フェイトは早くもお手上げ状態だった。
とはいえ、会話をしなければ手札だけから判別できないので、情報を得るべく言葉を紡ぐ。
「ディーバは今までどんな事をしていたんだ?」
ディーバは少しムスっとした表情を見せたが、答えてくれる。
「歌姫と呼ばれて幾つもの国を回って、いろんな偉い人に聞かせてきたわ。国王だって、大統領だって、貴族だって----」
「満足したの?」
フェイトの問いがあまりにも下らなく、そして無神経で、侮辱しているように思え、ディーバは声を荒げる。
「満足って何!?あんな人達を相手に歌ったって褒めるだけで、何も得られない。私はお金が欲しくてやってるわけ、--じゃ……」
ディーバの言葉は尻すぼみにどんどん自信を失っていくかのように、言葉の力が無くなっていく。
「だってディーバ、楽しくない思い出を思い出すのはなんで?俺はどんな事をしてたのか聞いただけ。楽しい事だっていいはずなのに、なんで楽しくない事を先に思い出しちゃうの?」
フェイトの言葉はもはや追求ではなく、確信した問いかけだった。
自分との会話の最中に何かあったのかは、分からないままだが、ディーバ間違いなく今までの公演でその精神、心をどこかに置いてきてしまっている。
「だって、私は呼ばれて歌うだけで、歌うだけ……で、……他の事なんか知らない」
そう、会場の抑え方も、音響の設置の仕方も、恐らくは観客の心も、知らない。
歌姫だが、歌姫ではない。
----まるで歌う機械のようにいつの日からか、心が麻痺してしまったのだろう。
どこに行っても自分がチヤホヤされ続け、怒られる事は一切なく、不平をいう人間は一言で黙らせる事ができる。--いつの間にか出来上がってしまった権力という力。
それが彼女の心を縛っているのだ。
「ディーバ、君のもっと小さい頃の話とか、聞かせてよ」
ディーバは、フェイトが少しずつ怖くなってきていた。
フェイトは騎士だと言って自分に仕えると言った、それは自分より下という意味。
それが、話して欲しいだとか我が儘を言ったり、そもそも自分に仕える者が自分の全てを知らないのが不満とで、ホテルに居る時から少しずつ不満がくすぶっていた。
しかし、話してみたら今度はフェイトがこちらの胸を抉る。
--一体フェイトは何をしたいのか?それが分からなくてディーバは不安になってきていた。
そこに、もっと小さな時の話を聞かせて、と言われた。
フェイトが知っているハズもない、自分の幼少の頃だが知っていないのが不満に感じた。
それと同時に、自分でもいつの間にか触れなくなっていたパンドラの箱のような部分に、フェイトは触れようとしてきた。
意識して思い出さずとも、記憶は何かがきっかけとして脳の記憶を呼び起こす。
自分でも意識せず、記憶がどんどん溢れてきて覚えていないような事を思い出したり、嫌な思い出を思い出したくないのに、無理やり止めようとしても止まらないのと同じように----
ディーバは小さな頃を思い出していた。単純に褒められるのが嬉しかったあの頃、お金なんかいらなかったし、自分より小さな子供にお歌を聴かせる事が好きだった。
みんな喜んでくれたし、何より自分が生き生きしていた気がする。
そんな時両親は決まって、『ディーバ、偉いな』と褒めてくれた----
そこまで思い出すと、ディーバは今の自分に意識がシフトし、たまらず逃げ出した。
「ディーバ?!」
後ろからフェイトの声が聞こえるが、
「来ないで!!」
拒絶する事しかできない。
--そしてその拒絶は本来言葉にもならない程小さな声で、その事が更にディーバを苦しめる。
不格好に逃げ出すディーバを、ついにフェイトは追って来なかった。
自分のホテルまで辿り着くと、何も考えたくなくてベッドへ飛び込んだ。
悔しくて、無様で、癇癪を破裂させて、小さな事でイライラして、誰かが下にいないと落ちつかなくて、両親を失ったのが悲しくて、それでも泣けなくて、声も出なくなって。
ディーバは今の気持ちが整理できないまま、いつの間にか眠っていた----