ディーバ<其が歌姫>
一週間前、とある辺境の国ローウェンの町において西グラビアナという国が、戦争目的のためアヴァロン国、国王及び王女の暗殺を目論んだ。
この事件は瞬く間に世界中へと広まり、大きな波紋を呼び、未だ事件全貌の解明や西グラビアナ国の解体は済んではいない。
それと同時期に、ある世界的有名人も表舞台から姿を消した。
名はディーバ。至高き音色の歌姫と呼ばれ、その歌声は世界中に響き渡り、その歌声は世界中を魅了し、その歌声は世界中から求められた。
彼女は事件のあった翌日から公演の全てをキャンセルし、関係者はその対応に追われていた。
記者達への発表によれば、故郷が襲われたため心労が溜まり公演に出演できるコンディションではないため、と報道されたが……
実際には歌姫は劇場からも、スタッフの前からも姿を消していた----
「おっす、フェイト」
「おはよ、相変わらず早いな」
ここは騎士学校ナイツォブラウンドの正門前。早朝模擬訓練のため、フェイトは友人であるゲイトとペアを組み練習しようと思い、待ち合わせていたのだ。
基本的に早朝訓練も、夜間訓練も個人の采配だが、現実騎士を目指そうと思うのならばこのように早朝も夜間も訓練に費やさねば、騎士という華の職業に届くことは出来ない。
とはいえ、メジャーなのは素振りか走り込みだ。
早朝では頭が働きにくいので、無理に複雑な運動は難しいため武器を振るう調整や、体力作りに当てられる事が多い。
逆に夜間は日中の訓練に授業にでヘトヘトなのは間違いないため、軽い訓練、つまり素振りや瞑想の他に武器の手入れ、もしくは人目が減るため新技の開発や特訓等にも利用される時間だ。
しかし、フェイト達が早朝から行おうとしていたのは……
「もうあいつら来てるぞ、ストレッチしてたし俺より早かったぜ」
「うっそぉ~」
フェイト達が待ち合わせに指定したのは朝の4時30分、友人のゲイトは律義に15分前に来る性格なのでフェイトもそれに合わせ12~3分前の4時18分にここに着いた。
だが、相手方はそれよりも更に早い時間に来ていたということになる。
「いくら三人共寮だからって早すぎだろ……普通の朝練なら5時30分位からなのに」
あくびを噛み殺しながらフェイトとゲイトは校庭へと向かう。
この学校敷地は24時間開放されており、校庭の夜間照明や、事前に申請しておけば仮眠所も使える。
昔は夜な夜な新技開発に打ち込む生徒がいるあまり、朝になったら地面が抉れていたなんて話もある位だ。
ちなみに当直の先生も、気が向けば訓練に声をかけて付き合ってくれる先生もいるらしい。
夜間に解放されているからとはいえ、ここが犯罪の温床になった事は一度もない。
何せ恐い先生が常に睨んでいるのだ。
元騎士やギルドに所属していたメンバーに立ち打ちできる者は、それこそ騎士か魔法師かギルドのメンバー位で、一般の不良生徒が100人徒党を組んでこようと勝てる相手ではない。
そんな雑談を交わしつつも校庭に辿り着くと、そこには朝の闇とわずかな光に照らされる二人の美少女が目に映った。
ピア・ハルトとレイ・ハルトだ。
名前の通り二人は姉妹で双子だ。眩いばかりほのめく金の髪に、意志の強さを表すようの紅蓮の瞳。
ピアはショートでレイはロングヘアーと髪形でも区別は付くが、顔だけではちょっと見分けが付かない程似ている。
もっとも背丈も二人で異なり、レイが高くスレンダーな体型に対し、ピアは小柄で豊満なバストを持つ。
二人共、フェイトの大切な友人だ。
一週間程前の大きな事件をきっかけに、レイはこれまで妹を憎んでいた感情を清算し、ピアに頭を下げたという。
ピアの方は怒るでもなく、ただ嬉しくて泣いたらしい。
どんな感情が二人の間にどれほどの期間存在していたのか、結局分からず仕舞だったが、姉妹仲が良ければそれ以上は何も言うまい。
「フェイトもゲイトも遅いわよ!」
「こっちは退屈で二度寝しちゃう所だったんだから!」
フェイトとゲイトは顔を見合わせ、プッと吹き出した。
ゲイト終始詳しくは知らないままだったが、レイから姉妹の仲が悪かったのよ、と聞き納得した後は、何も無かったかのように姉妹1セットで扱うようになった。
「全く、準備はいい?時間なんてあげないんだから、直ぐに始めるわよ」
「姉さん、それじゃ作戦通り行くよ!」
「おいおい、敵さん準備万端だぜ?フェイト、こっちの作戦は?」
「無い、やるぞ!!」
そうして、早朝にしてはとても珍しい2対2の模擬戦が始まった----
「ハァ……ハァ……私達の……勝ちね」
「負けた……」
「ちくしょ……作戦有りと、……作戦無しって……卑怯だろ」
「ハァ……ハァ……遅刻する方が……悪い……のよ」
厳密に言えば遅刻でも何でもないのだが、結果として姉妹の作戦に嵌ってしまいフェイトチームは負けた。
こんなに疲れている理由は、まだ朝の闇が残っている時間だったため、相手を見失っては追いかけるという鬼ごっこ状態になったからだ。
端的に言えばゲイトの武器であるランスは、重量系の武器にカウントされるもので、校庭を四方八方縦横無尽に走り回られればゲイトの持ち味が全く活かせず完封される。
加えて、フェイトも魔法無しでは体力的に平均値のため優秀生のレイを捉えきれず、逆にゲイトと離れた所をレイとピアに挟撃され撃破されてしまった。
「でも、いい運動になったわ~今日も学校頑張ろうっと」
およそ1時間近くも戦っていたためか、校庭には朝練のための人が集まってきている。
こんなに人がいては模擬戦は危なくなるので、早朝に集合したのだ。
「さってと、私達はシャワー浴びてから仮眠室に行くわ。フェイト達は?」
ピアが尋ねてくるが、実はこの後フェイトはゲイトの特訓に付き合う予定だった。
「いや、俺達バテたからもーちょい休むわ。先行っててくれ」
と、ゲイトが代わりに答えた。
「んじゃゲイトも頑張りすぎないでね。フェイト、また後で」
レイはフェイトと一緒のトレーニングスケジュールが組まれているため、後で一緒になるのだ。
1年間は個人の資質にあったトレーニングが取られるため、クラスの仲間や友人と会うのはこうして早朝、放課後に集まるか、座学の授業中だけである。
フェイトとレイは一緒だが、ゲイトともピアとも一緒にいられないのは四人に取って残念でもあった。
二人を見送り、ゲイトが立ち上がる。
「んじゃフェイト、始めるか」
「おう」
ゲイトがこうしてフェイトに頼むのは新技の開発だ。
フェイトはそんなに気にする程ではないと思うのだが、ゲイトは初日の絡んできた貴族のナイトや、レイ、ピア、フェイトよりも武器の扱いや実践力に劣る。
1年生の中で見ればそれほど劣っている訳でもないのだが、他の皆と肩を並べていざという時に備えたい。
そんな向上心が強いため、フェイトはゲイトの心意気に打たれこうして付き合っている。
「さあーて行くぜ?男子三日会わざれば活目してみよ!ってな」
「昨日も会ったから、そんな爆発成長はないと思うけどな」
そんな軽口を叩きあいつつも、二人は周囲の朝練に混じって体を動かした。
結局二人はシャワーを浴びる時間すら惜しんで、訓練に費やし午前中のトレーニングに入る。
が、それは校舎中に流れた放送によって中断された。
「皆さん、おはようございます。生活指導のバイアス・セブンです。本日はトレーニングに入る前に各クラス毎にHRが入ります。繰り返します、本日はトレーニング前に各クラス毎にHRが入ります。皆さん、速やかに各教室に移動するように。以上、爽やかな朝に爽やかな先生バイアスからでした」
最後の冗談は全校生徒がスルーしている中、フェイト達は首を傾げた。
「なんか事件か?」
隣のゲイトが声を掛けてくるが、生憎見当がつかない。
「分からん、とりあえず教室で待つか」
そして教室に移動すると、先に待っていたピアを見つけ側に近付く。
「二人共随分遅くまで頑張ったみたいだね……汗臭いよ」
ウッ、と二人は息を詰まらせる。どうせ個人トレーニングだから、とシャワーの手間を惜しんだのが今日は裏目にでた。
「そんな鈍感なお二人さんでも、私は見捨てないから感謝しなさいよ~?」
と、邪気のない笑顔で言われれば苦笑を返すことしかできない。
「そりゃどーも、ピアだって寝ぐせ残ってるぞ」
ウソッ!と絶句したように慌てて自分の髪を手櫛で直しつつ、カバンから手鏡を出して確認するが、髪の乱れは見当たらない。
「ピア、今のはゲイトの嘘だ。ピアの髪は乱れてないから安心しろ」
と、フォローなのか説明なのか分からない言葉を発すると、ピアはゲイトを睨みつけた。が、ゲイトはどこ吹く風と知らんばかりに顔を逸らしている。
「ゲイトッ!バカ!!」
そんな雑談もそこそこに、担任である筋肉が服からはみ出そうな程マッチョなギルバードがやってきた。
クラス中が今日のHRについて興味を示し、入ってきたギルバードを注視するが、ギルバードは堂々と教壇の前に立ってからようやく話し出した。
「先日この学校から近くにあるコンコルチェの町がテロの現場になった事は、皆の記憶に久しいと思う」
そう、一週間前騎士王アルト、グランドプリンセス・ユキが標的にされ、召喚獣まで用いられた大規模な暗殺……というか戦争は当事者である騎士王アルトと、表上名前を伏せられたフェイトの活躍によって鎮静化されたのだ。
だが、フェイトが飛行魔法を使い回り、アルト王とユキ姫と一緒に行動していたことは町の住民から証言され、噂レベルではなく確信としてフェイトがなんらかの武功を建てたと、既に騎士学校では周知されていた。
その際アルト王からもらった妖精のマントや、授かった称号『赤魔騎士』は現場に居合わせたレイとリードには知らせ、そこからピアとゲイトにも伝わっている。
最も、他に知っているのはアルト王とユキ姫、それに校長であるライト・ローリングだけだ。実際この他に情報を知っている者はいない。
それはともかく--
「そこに皆は知らないかもしれないが、とある有名人の目撃情報が出てな。保護のために我々教師が動員される事となった。名前や個人情報は開示できないが、重要人物だ。それに先日戦乱が起きた地でもあるため、付近の我々に捜索保護命令が下った。よって本日の授業は全て休講とするため、各自で自習するように!以上だ」
そう伝えると、ギルバードは忙しくなく教室から出ていってしまいクラス中が興味で歓談に移る。
「有名人だってよ?誰だろ?」
「多分世界規模の人でしょ?目的は知らないけど、あの町の戦乱に花を手向けにきたのかも」
そんな友人同士の会話にフェイトは加わらず、聞くだけだった。
が、喧騒の中突然教室に闖入者現る。ズカズカとこちらまで歩いてくる人影は、何を隠そうレイだった。
「あんた達知らないの?っていうかピアも新聞位読みなさいよ……恐らく一週間程前失踪した至高き音色の歌姫、ディーバの事よ」
「「「嘘!!!!」」」
と三人同時に大声でハモってしまったため、大分声が大きくなっていた。
レイから鉄拳が飛び三人とも揃って拳骨を頂戴してしまった。
「声が大きい!……全く、騎士学校の生徒は殆どが新聞を読んで無いのかしら……?」
自分の行動が常識だと言わんばかりに腕を組み、思案するレイだが、間違い無くレイの方が変わっている。
新聞読む程時間がない生徒達ばかりなのだ。レイはその中でも一際優秀な成績を誇っているためフェイト達より過酷な訓練をしているハズだが、一体いつそんな時間を作っているのだろう?
「っていうかレイなんでこっちの教室にいるのさ?クラスの友達は?」
「--う、うるさいわね!フェイト、後でシメルわよ?」
「姉さんこの前皆同じクラスが良かったって言ってたから、きっと寂しいんだよ?」
まさかの妹からの密告により、レイは更に顔を赤くして動揺する。
「ピア!?今はそんな余計なこと言わなくて--」
「へぇ?レイもピアに似て可愛いとこあんだな?もっとガサツで偉そうな----」
ズゴン!!
と、凄まじい音と共にゲイトが壁にめり込んでいた。
……手の動きが目で追えなかった。今のパンチ光速を超えてたんじゃ……
「フェイト?フェイトはゲイトと違ってバカな事を口に出さないわよね?」
「っていうかゲイトどさくさに紛れて何私を引き合いに変な事言ってんのよー!バカ!!」
怖い程笑顔のレイに、こちらも赤くなって当たり散らすピア。
----やっぱ姉妹ですね。
■■■■■■
「さて、ここで俺から一つ提案があるんだけど?」
ゲイトも壁から救出され、レイもピアもある程度落ち着いた時点でフェイトが切り出した。
「何?自習を使ってまた模擬戦でもやる?」
「新技開発だよな?」
「折角ゆっくりできるんだから、この前の話し詳しく聞かせてよ」
と、皆バラバラな意見だがフェイトは全て却下した。
「違う違うー!!せっかく世界の歌姫がこんな辺境の国に来てくれてんだ。俺らが先に歌姫を見つけて仲良くなろうと思う」
「ごめん、今日のトレーニングノルマ終わらせなきゃ」
「俺今閃いた新技を早速実践してくる」
「私は姉さんに着いていこ」
「待てーい!!!」
フェイトはナイス提案だと思ったのだが、この友人達は考えもせず即答で却下してきた。
「なんでだよ!?いいじゃん、歌姫ディーバ。皆だって名前も知ってるしその歌声にどれだけの人が集まってくるか知ってるだろ?」
「そりゃ……知ってるけど」
レイが少しだけ歯切れ悪く答える。実際ゲイトは周りの空気を読んだだけだし、ピアはレイと行動したいだけに見える。ならば、レイを陥落すれば勝機が見える!
「俺の飛行魔法があれば一発だって、もう俺が魔法使えるのなんか皆知っちゃってるんだから今更隠す気ないし、な?な??」
「……でも先生に見つかったらどうすんのよ?飛行魔法なんか使ったらそれこそ一発でバレるわよ?」
レイの正論にフェイトは少し押される。だが、負ける訳にはいかない。
「どーせ処罰喰らうとしても俺だけだ、それにレイがそもそもディーバだって知らせてくれたからこそ俺が提案したんだ。俺が姫様を見つけるのが夢って知った上でその情報をくれたんなら、レイは責任を取らなきゃ」
今度はウッ、とレイが押された。レイはなまじ責任感が強いため、責任、と言われれば弱くなってしまうのだ。
「な?レイだってそんなニュース聞いて、いても立ってもいられなくなったから、俺達のクラスに飛んできちゃったんだろ?なら決定だな」
「飛んでなんか来てないわよ!」
反論がズレた時点でこの論争の勝敗は、フェイトに傾いた。
「ゴメンゴメン、じゃ決まりだ。早速出発、教師より早く見つけないとな」
立ち上がるフェイトにゲイトが続き、ピアも続いて立ち上がってしまったため、レイも観念した。
「わかったわよ、でも行くとなれば先生に見つからない内にサッサと行くわよ」
最後には委員長ばりに皆をまとめ、四人は自習をほっぽり出して町に歌姫を探しに行く事となった。
一方町では----
ディーバは少しばかり変装し、実家のあった場所でずっと立ち尽くしていた。
歌姫ディーバの家は西グラビアナ国により強制的に戦火に巻き込まれた、このコンコルチェにあった。
近所に住む人はディーバの両親の事も、ディーバの事も知っていたため両親が戦火に焼かれた事をディーバに手紙で伝えた。
それからというものの、すぐさま公演を全てキャンセルし帰国してきたディーバを持て余し気味にいた。
ディーバはこうして崩れた実家の前にずっと立ち尽くすだけだが、夜になればいつの間にか姿を消し、また翌日に同じ場所に立ち尽くしている。
当初心配して皆で色々話しかけたものだが、ディーバは一言も口を開く事はなく、それが一週間も続いたためとうとう心配して騎士学校に連絡を入れたのだ。
失ったものが大きすぎて、心の隙間が埋まらない。そんなことは身近な人の死を経験したものであれば、思い当たる経験でもある。
しかし、まだ18歳になったばかりのディーバにはこの悲しみを晴らす方法も、この苦しみを消し去る方法も、この憎しみの向く先を止める事も、この喪失感を一緒に想ってくれる家族も、全てが無かった。
悲しくても実感がついぞ湧かず、涙が流せなかった。
苦しくても受け入れて進む勇気は持っていなかった。
憎くても憎む相手は既にこの世には存在しなかった。
そして心の空洞を埋めてくれる、唯一の家族はもうこの世にいなかった。
「お母さん、お父さん……」
誰にも聞こえない程小さな声で、天に呟く。
言葉が漏れた所で誰に聞こえる訳でもなく、ただただ風に流され消えていく。
まるで今の自分だと、ディーバは思った----
フェイト達は飛行魔法によりものの数分で町に着くと、早速捜索を開始した。
「まずは聞き込みかな?」
フェイトが提案すると、皆もそれに頷く。
「バラけた方が効率がいいかもな、それっぽい情報があったら携帯に連絡して合流しよう」
「そうね、なら私は東ゲートから辿ろうかしら」
「じゃ、私もお姉ちゃんと一緒に東ゲート」
「お前ら、人の話を聞け……」
ゲイトがガックリと肩を落としたので、フェイトがフォローに入ることにする。
「全く、ゲイトがバラけた方がいいって言っただろ?折角四人いるんだ、東西南北のゲートに分かれりゃ丁度じゃないか。--って訳で俺も東ゲートに行くぜ」
「オイッ!?」
フォローに見せかけた追い打ちだった。
「へいへい、分かったよ!俺ら友達だもんな、なら一緒に東ゲートに行けばいいんだろ!?」
「ゲイトは南ゲートよろしく」
「ふざけんな!!」
レイのからかいにゲイトが憤怒していた。
「という訳で冗談はそこそこに、ちゃんと東西南北で分かれる事、いいな?」
改めてフェイトが場を仕切り直してようやくパーティーは解散となった。
「俺が見つけて吠え面かかせてやる!!」
と、フェイト以上の気合を入れたゲイトはいい兆候で、レイも普通にやってくれるし、ピアだって真面目になれば頼りになる。
「んじゃ俺は西ゲートから当たりますかね」
そしてフェイトはためらいなく飛行魔法を使い、西ゲートに飛んでいった。
道中風の魔法を併用して、町の声を拾いながら飛行していた。
言葉は元を正せば音の塊であり、音は空気中を振動して伝わるため風の魔法にて空気中の流れを操作し、自分に音が流れ込み易くすれば聞き込みせずに見つける事だって可能になるのだ。
そんな中、フェイトが偶然拾った声が
「お母さん、お父さん……」
というとても、とても小さく、今にも消えそうな切なさ、いや儚い呟きだった。
小さな声過ぎてよく感情も情報も聞き分けられなかったが、ただ一つ言えるのは、
「あんな……胸が締め付けられるような声、初めて聞いた」
恐らく魔法を使っていなければ絶対に聞こえないような声。それでもその声はまるで劇場で一流の女優が演じているような、無意識に観客達を引き込むために練習を数十年続けたベテランがやっと発せられるような、胸に迫る声だった。
「もしかして……」
そんな声を、もし『意図せずに出した』のだとしたら?それはあらゆる声を知り、あらゆる声の上を行く、世界がその名を知っている----
「あそこか」
そしてフェイトはゆっくりと着地を開始し、帽子で目が隠れる程深くかぶり、ジーンズにシャツという軽装を装った人物へと近づいた。
この一週間、変わる事なく繰り返してきた毎日。
今日初めて声を出せた、でも本当に小さく誰にも届かない声。
一週間経って、やっと変化した事がそんな些細なことだったなんて--ディーバは自分が許せない。
声を出した事なんかどうでもいい、私は、誰でも出来る人間の機能、涙を流したかった。
人は悲しいと涙を流す、という話のはずなのに私は涙を流すことができない。
両親を失ったというこの世で一番悲しい出来事を前にして、涙を流せない私は一体何なんだろう?
考えれば考える程、ディーバは自分が怖くなってきていた。
闇の迷路、思考の霧、夢魔の空間、何もない場所。
そんな所にディーバの心は墜ちていた。
「こんにちは、ディーバ姫。貴女の心の声を頼りに赤魔騎士・フェイト、御近くまで馳せ参じました」
横からぼんやりと落ちてくる音、不快な音。誰も、構わないで欲しい、私はこのまま消えたいのだから----
?
今なんて音が心に落ちてきた?心の声?私の、声?
さっき、天にたった一言だけ呟いた私の声を……聞いてきたの?
一週間心を閉ざし、立ち尽くしてきたディーバが初めて、呼ばれた声に反応した。
「こんにちは、ディーバ姫。貴女の心の声を頼りに赤魔騎士・フェイト、御近くまで馳せ参じました」
フェイトはディーバの傍まで来ると自己紹介を始めた。
ディーバは、近くから眺めるとその銀色の髪がまるで異世界からきたのでは、と思うほど吸い込まれそうなウェーブを打ちながらそよ風に揺られている。
それなのに、黒き瞳はまるで底なしの井戸を見ているかのように生気を感じない。
よく見ると、髪も本来手入れされてこそ、舞台で声を魅了する更なる武器として活躍するはずが、手入れがまったくされておらず枝毛や癖も目立つ。
整った顔立ちも、食事をロクに取っていないのか頬がこけ、女性的な魅力が欠けているどころかむしろ暗く感じさせ、無機質で不気味とすら印象付けられる。
ジーンズの裾についた糸屑も掃われた形跡がなく、不格好に付着している。
フェイトはレイから聞いた情報を思い出していた。
(故郷が戦火に焼かれた。そして----恐らく両親か親友か恋人か。誰かを失ったんだ)
フェイトが声を掛けてから優に1分は経つが、ディーバはただただ崩れた家を見つめるだけでこちらに気付いた風は一切感じない。
まるで人形と話しているようだ。--そう、そんな感想すら抱き始めたフェイトは、ようやく表れた変化に目を瞠った。
ディーバが首を動かし、こちらを見たのだ。
随分と遅れたが、言葉が届いて良かった。そうフェイトが安堵したのも束の間だけだった。
「--------------------------------」
?
確かにディーバは唇を動かしてはいたが、何も聞き取れない。いや、唇が確かに動いてはいたが、口が開いた訳ではないのでこれでは読唇術を持っていたとしても分からない。
失礼は承知の上だが、フェイトはもう一度ディーバの言葉を聞き取ろうと頑張ってみた。
「申し訳ありませぬ、ディーバ姫。私の不注意により姫の御言葉がよく聞き取れず。……大変申し訳ありませんが、もう一度御言葉の方、宜しいでしょうか?」
そしてフェイトは魔法をすぐさま発動し、集音に務める。
今度はフェイトの声がちゃんと聞こえていたためか、すぐにディーバは言葉を話し直してくれた。
「私の心の声が聞こえたってホント?」
--そう、魔法を使ってやっと聞こえた。
心の声?実際ディーバの声はこれでは魔法無しでは聞き取る事が事実上不可能な位だ。
ただし、ディーバが唇を動かし言葉を発しているという事実は本人も認識しているのだろうから、心の声、というのがこの実際喋っている言葉とは考えにくい。
とすれば、先ほど上空で聞き取った言葉に違いない。察すると--
「父君と、母君の事……ですね」
フェイトは目を伏せながらもディーバに答えを返した。
ディーバはそれに頷き、フェイトにまた言葉を発する。
「あなたは?」
相変わらず普通にしてたら聞き取れない声だが、これで確信できた。
あの切なく、胸を締め付けた声の持ち主はやはり歌姫ディーバだった。
至高き音色の歌姫と呼ばれるディーバが、何故こんなにも喋れないのか。
----それは心労の負担に間違いない。
ならば、自分の務めは----
「私は、貴女を苦しみから守りたい。それが赤魔騎士、フェイト・セーブの誓いです」
フェイトは姫に忠節を誓う義をこの場で示すため、ディーバに対して膝をつき頭を垂れた。
「姫様、私は姫様をお守り致します。--例え何が原因で何が起ころうとも」
フェイトは、目の前にいる無力な歌姫に忠義を誓った----