うさぎの紅茶屋さん
雨がポツリ、ポツリ。
あなたがスマホをポケットにしまったとき、雨が降りだしました。
伝えたい言葉があるけれど、なんだか恥ずかしくて、送るのがこわくて……。
あなたは下書きのまま、スマホを閉じました。
そのまま、どこへ行くとも決めないで、トボトボと歩きだしました。
雨のしずくがほっぺたにあたります。つめたくて、ちょっぴり痛い雨でした。
ふと気づくと、見たこともない道に立っていました。
古いビルのあいだにある、せまくて、暗い道です。
「ここはどこかな?」
スマホで地図を見ようとしましたが、電波が届きません。
画面は真っ暗なままでした。
雨はだんだん強くなってきました。
上着がびしょぬれになって、ずっしりと重たくなったときです。
道のすみに、ポッとあかりが見えました。
それは、小さな木のトビラがあるお店でした。
看板はありません。
でも、トビラのすきまからあたたかな光がもれて、ふんわりと紅茶のいい匂いがしてきました。
甘くて、なんだか懐かしい匂いです。
あなたは、そっとトビラをひきました。
カラン、コロン。
ベルが、とてもきれいな音で鳴りました。
「いらっしゃいませ」
声のする方を見ると、カウンターの奥に、一匹の白うさぎが座っていました。
くりくりとした丸い目。ひくひく動くお鼻。雪のように真っ白な毛。
うさぎさんは前足をちょこんとついて、あなたをじっと見ていました。
あなたはびっくりして、トビラをあけたまま固まってしまいました。
「どうぞ、お入りください。雨が入ってしまいますよ」
うさぎさんがやさしく言うので、あなたはあわててトビラを閉めました。
お店の中は、お日様みたいにポカポカしていました。
壁にかかった大きな時計は、三時十四分で止まったままです。
「どうぞ、あちらの席へ」
うさぎさんが、まどぎわの席を教えてくれました。
座ると、イスがギィとやさしく鳴きました。
「うさぎさんがおしゃべりするなんて、ふしぎだなぁ」
そう思いましたが、なんだか「ここはそういう場所なんだ」という気がして、あなたはフフッと笑ってしまいました。
いつのまにか、テーブルの上には湯気のたった紅茶が置かれていました。
フワリ……。
「あ、知っている匂いだ!」
それは、あなたがもっと小さかったころ、大好きな誰かがいれてくれた紅茶の匂いでした。
「お砂糖は、三つでいいですか?」
うさぎさんが聞きました。
「……どうして、僕(私)が三つ入れるって知っているの?」
うさぎさんは答えず、ニコニコしながらもう一度「お持ちしましょうか」と聞きました。
チャリン、チャリン、チャリン。
コップの底で、白いお砂糖が三つ、ダンスをします。
スプーンでまぜると、甘い匂いがもっと強くなりました。
「お待ちしていましたよ」
うさぎさんが言いました。
「でも、行くねってお約束はしていなかったよ?」
「ええ。でも、あなたが来ることはわかっていましたから」
うさぎさんの丸い目は、ちっともうそをついているようには見えませんでした。
紅茶を一口飲むと、あたたかくて甘い味が、心の中にじわーっと広がっていきました。
雨の音はいつのまにか消えて、お店の中はとっても静かです。
「ここは、なんていうお店なの?」
あなたが聞くと、うさぎさんは前足をきれいにそろえて言いました。
「名前はありません。いらないからです」
そして、どこからか銀色の時計を取りだして、チラリと見ると、また言いました。
「時間は、たっぷりありますよ」
壁の時計は、まだ三時十四分のままです。
窓の外はくもりガラスで、よく見えません。
でも、ガラスをさわってみると、ひんやりとして気持ちがいいのでした。
「あなたは……」
うさぎさんが静かに言いました。
「何度、書き直したのですか?」
ドキリ。胸がはねました。
「……なにを?」
「さあ、なんでしょうね」
うさぎさんは、ひくひくとお鼻を動かして、あなたをじっと見つめます。
ポケットの中には、三回書き直して、どうしても送れなかったメッセージが入ったスマホがあります。
「ここは、迷子のための場所なんです」
うさぎさんは、二杯目の紅茶をいれながら言いました。
「道をまちがえた人じゃなくて、心の中で迷っている人のための場所なんですよ」
その言葉を聞いて、あなたはハッとしました。
立ち止まってスマホを開くのがこわくて、ずっと歩き続けていたことに気づいたのです。
「迷っている人は、本当はもう、答えを知っているのですよ」
うさぎさんの声は、とってもやさしく響きました。
「ただ、認めるのが少しだけこわいだけ。でも、大丈夫。三度でも四度でも、何度書き直しても、あなたの答えは、ちゃんとそこにありますよ」
あなたは、ポケットの中のスマホを取り出しました。
三回書き直したメッセージ。
でも、一番最初に書いた言葉が、自分の「本当の気持ち」だったことに気づきました。
「そろそろ、お時間ですね」
うさぎさんが言いました。
見ると、コップの紅茶はいつのまにか空っぽになっていました。
「もう、行かなくちゃいけないの?」
「いいえ。でも、あなたはもう迷っていないみたいですから」
あなたは少しだけ笑って、立ち上がりました。
上着はもう、乾いてあたたかくなっていました。
「また、いつか迷ったときには……」
うさぎさんはそれだけ言うと、ちょこんとお辞儀をしました。
あなたがトビラを押すと、カラン、コロンとベルが鳴りました。
外は、雨上がりの光でキラキラしていました。
空のすみっこが、少しだけ明るくなっています。
あなたはスマホのボタンを押しました。
四度目のメッセージは、無事に届きました。
ふと振り返ると、そこにはもう、お店はありませんでした。
ただの狭い空き地があるだけです。
でも、お鼻の先にほんのり、甘い紅茶の匂いが残っています。
あなたはもう一度だけそこを見てから、前を向いて、元気に歩きだしました。




