3.錯覚
暖かい店内で暖かい料理を待つ。二人席に向かい合って座ると、高岐の脚が長くてぶつかる。足元を見て足の置き場を譲り合った。
どうせ今日はお金を払わせてはくれない。食べたいだけ食べてやろうと思って、あれもこれも頼んだ。そんな私を見て、高岐はひとつしか頼まなかった。
あの後、自販機でペットボトルの水を買って、半分ずつ使って砂を流したけど、まだ砂っぽいままだった。爪は紫。髪はべたつくし、二人して海の匂いがする。高岐はここに来るまでずっと歩き方がおかしかったけど、寒くて、休もう、立ち止まろうとは言えなかった。
「脚は。大丈夫?」
「ああ、うん。壊れたっぽい」
「え、壊れた?」
「義足と言っても機械だしな、こいつ」
焦る様子もない彼は、なんて事ないように言ってのけた。実際大したこと無いのかもしれない、彼にとって。
彼は弔った。それを私は見ていた。駄目になったパーツは、脚と目と脳。それらは全部機械に置き換えられたのだとして、残った目の前の彼は、心が無くなった肉体は、一体何なのか。
「じゃあ、高岐の分も取ってくるよ。なんか暖かいもの。あんたも冷えたでしょ」
席を立ってドリンクバーへ行く。ホットドリンクは種類が少なかった。そう言えば、何度か食べているのを知っているから、甘いものは平気なはずだけど、高岐の好き嫌いを知らなかった。マグカップを取り出して、ホットココアを二杯分入れた。それを零さないよう気をつけながら運ぶ。
待っていた高岐は何をするでもなく、ぼんやりと店内を眺めていた。ココアをテーブルに置いて座る。まだ料理は来ていない。高岐は温度を確かめるようにココアを一口飲んで、息をついた。
「色々聞きたいこと、あるんだろ」
「別に色々じゃないけど。どうして、私を連れてきたのかな、とか」
「俺は」
機械でも躊躇って言い淀むのか。
瞳の赤いランプが消灯した。まっすぐ私を見ているようで、目が合わない。
「ただ、俺を、認識して欲しかったから。佐藤さんの中で、俺が人間になる前に」
淡々と並べられた言葉をラジオのように聞いている自分がいる。感情はどこかで足踏みしているらしく、ここにはいなかった。聞きたくないな、知らないままが良かったな。どうせ卒業まで一年しかないのだから。
「俺は、佐藤さんを利用してる。都合が良かった」
だから優しかったのか。友達なんて最初から居なかったのか。心は、どこにあるのだろう。機械って心はあるのだろうか。
「怖いとか、気持ちわりいとか、ねえの?」
「そもそも言ってる意味がよく分かんない。利用って何、認識するってどういうこと?」
頼んだものが届き始めて、会話は一時中断した。オニオンスープに、フライドポテト。高岐が頼んだオムライスに、私が頼んだカレーライス。ピザはマルゲリータ。テーブルの上に皿が並ぶ。
サラダを三分の一くらい取って押し付ければ、私の取った分と見比べて、諦めたように食べ始めた。一口食べれば、食欲が戻ってきて安心した。
「簡単に説明すると、俺には、ルールと命令、行動基準が設定されてる。人間で言えば、価値観や信念、欲望みたいなやつで、それらを達成することを目的に、俺は動いてる」
「ご飯食べて寝るのは?」
「行動基準」
「ルールは?」
「三日連続の徹夜は禁止、とか」
赤い灯りがちかちかと瞬いた。このランプはどういう機能なのだろう。
きっと私たちの会話は、周りにも聞こえているはずだ。なんだ痴話喧嘩かと言いたげな視線を向けていた、近くの席のお姉さんは不思議そうな顔をしていて、同席の人に、最近の恋愛は哲学がどうとか言っているのが聞こえた。
「その中でも、高岐伊織であることは、俺の中で、最上位のルールとして設定されてんだよ」
「あんたが何か、って言ったら、高岐でしかないよね」
「周りは過去の俺を見てるから、あいつらにとって、俺は高岐伊織じゃない。過去の俺と、今の俺は別人なんだよ」
前にも、似たようなことを言っていた。話を聞いて言葉は分かるのに、何となく言わんとすることは分かるのに、上手く理解できていない気がする。
私の反応に彼は、まあいいか、と呟いた。
「でも、それって、連れてきた理由にはならない気がする。だって、今までも利用してたんでしょ。目的は果たせてるじゃん」
「そうだけどそれは、最初に言っただろ」
目を細めるように笑う。
時々見る顔だ。
「佐藤さんの傍でなら、俺は俺でいられる。お前には、俺のことを知って、俺のことだけ見ていて欲しかった。だからだよ」
もしかして、私はいま、何かすごく、恥ずかしいことを言われたのではないか。
置き去りにしていた感情が追いついてくる。悲しさや失望と一緒に、照れだとか、緊張のようなものも一緒に押し寄せてきて、耳まで熱い。
情のようなものが見えても、それは錯覚だ。そうでなければ、わざとそう見せているだけ。
だって、妙に甘ったるい言葉も、表情も。
+++
テーブルいっぱいの皿が片付いて、動けない高岐をどうしようかと考えていると、サングラスをかけた長身の金髪の女性がやって来た。松葉杖を抱えている。
高岐が連絡して持ってきて貰ったのだろうことは分かるけれど、二人の間には挨拶ひとつ無い。喧嘩中なのだろうか。
もしかして、恋人とか。
だとしたらこの状況は、割と修羅場なのでは。どうしたものかと二人を眺めていると、女性は持っていた松葉杖を高岐に押し付けた。彼はそれを受け取って、慣れた様子で立ち上がる。
「佐藤さん。もう帰るよ」
「待って、この人は?」
「姉ちゃん」
彼の後を追うつもりで立つと、肩を叩かれた。差し出されたスマートフォンの画面を見る。そこに一言、『あいつは、やめた方がいいよ』と書かれている。
サングラスの奥の瞳は、生き物のそれで、それだけで酷く安心した。彼女は文字を追加すると、再び画面を向けてきた。
『伊織は、すごく面倒なんだよ。本人は自覚が無いのがタチ悪い。マジで困ったら連絡ちょうだい、電話じゃなくてショートメールにしてね、返事出来ないし』
彼女はずっと無表情だが、文章の気さくな雰囲気だった。私が読み終えたのを察してか、彼女はスマートフォンをポケットにしまう。そして、紙切れを私に押付けて、店を出て行った。
コンビニのレシート。裏には手書きの数字。
二人を追って私も店を出ると、松葉杖の高岐が待っていた。高岐のお姉さんはもう居なかった。
「待たせてごめん。お姉さんは?」
「帰った。見たいドラマがあるんだって」
「この近くに住んでるの?」
「マジで帰れねえってなったら、泊めてもらうつもりだった」
無表情と言えば、彼もそうだ。
今もそうだったけど、一人でいる時は表情が死んでいる。私に気がつくと表情は緩むが、どこか空気は冷たいまま。一方、高岐のお姉さんは無表情でも空気が柔らかかった。似ているようで、似ていない姉弟。
そもそも似ているはずがないのか。彼曰く、過去の高岐と、今の高岐は別人なのだ。
「あのさ、高岐って呼ばない方がいい?」
「え? なんでだよ」
「本当の名前とか、あるのかなって。それに前とか今とか紛らわしいし」
「高岐伊織として作られてるし、それしかねえけど」
機械人間と言ったら、製造番号とかあるイメージだったけど、それはフィクションだったらしい。
「じゃあさ、前の高岐は一号って呼んでいい?」
「俺は二号?」
「そうだけど、高岐は高岐だよ」
「じゃあいいよ」
こいつが機械なんかで無ければ良かったのに。
でも、機械だったら、何の不都合あるんだろう。
+++
電車から降りる頃には、同じ車両の乗車客は私たち以外は二人しかいなかった。少し出掛けるだけでこんなに大変なのだから、大学はうんと都会に行ってやる。
駅の外は暗くて、駅と自販機の明かりだけが、周囲を照らしている。
「まあ、そうなるよな」
「どうしたの?」
「お前の母さん、めっちゃ不機嫌だろ、あれ」
怒られるだろうな、遅くなったし、通知は途中から無視してご飯食べてたし。高岐はなんか松葉杖だし、海の匂いがするし。
自動車から出てきた母に駆け寄る。
「ただいま、あの、ごめん」
「おかえり。伊織くんが一緒だから、大丈夫だとは思ってたけど……」
母の視線が、私の後ろに向く。その時、金属の鈍い音がした。
高岐が、松葉杖を落としたようだ。だがそれより、彼らの様子がおかしい。高岐は黙ったままだ。
「おい、怪我したらどうする」
「あなたは黙って! 伊織、自分が何をしたか理解しているの。伊織を返して、あの子の代わりはいないのよ」
女性が、持っていたハンドバッグを、高岐に叩きつけた。バランスを崩した高岐がその場に倒れ込む。避けられなかったんだ、脚が、動かないから。
男性がハンドバッグを掴んで止めると、女性はそれをあっさり手放して、起き上がろうとしていた高岐の胸倉をつかむと頬を張り倒す。乾いた音が響いた。
「なにあれ」
「大丈夫だから、車の中で待ってて。こっちに来ちゃだめだからね」
自動車の鍵を受け取ると、母は揉めている彼らに駆け寄っていった。
車の中で、とか言われたって心配だ。何かを話して宥めているみたいだけど、女性は聞く耳を持たない。
「どうしてちゃんと出来ないのよ。あの子はこんなことしない。この出来損ない、今すぐ直してもらいましょう。幾らかけたと思っているの」
女性の傍にいた男性が彼女を押さえて、落ち着けと言い聞かせているが駄目みたいだ。夜の駅は、静かで、声が響く。多分あの人は、高岐の母親だ。
「あんたたちがこんな不良品寄越すから悪いんじゃない! 伊織が何したと思っているの、伊織を燃やしたのよ!」
高岐のお母さんの言葉は、高岐の存在がぐちゃぐちゃになっていて、目の前の彼も、灰も、一号のことも全部伊織と呼んでいる。
放置されたままの高岐が立ち上がろうと動いたので、慌てて駆け寄った。
「どうすればいい?」
「じゃあ、松葉杖を支えといて」
ずるずると地面で体勢を整えてから、立てた松葉杖を使って器用に立ち上がった。真っ暗な瞳が、無感情に目の前の大人たちを捉える。泣き崩れた母親を、彼は見下ろした。
「そんな目で見ないでよ、伊織、どうして」
高岐は何も言わない。
袖を軽く引くと、私を見た彼は、無表情を崩して困ったように笑った。




