1.友達
何となく、きっと死んでしまったのだと思っていた。
クラスには空席がある。どうやら私が引越して来る前に事故で入院したらしい。
春が過ぎて、夏が来て、なんとなく空いたままの席のことを、意識しなくなっていった。
秋が過ぎて、冬が来て、三学期の二日目、彼は突然学校に来た。
高岐伊織は、よく笑う人だった。
冷めた目をする人だった。瞳はいつでも底無しの暗さを湛えている。笑顔の時でも、何をしていても。それが不気味で、怖くて、意識の端で常に様子を窺っていた。
数日経って、どうやら彼は私の存在に気がついたらしい。既に、高岐は周囲から遠巻きにされるようになっていた。
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未だに一年着ただけの制服を手放すことが出来ない。もう三学期だと言うのに、別の高校にいる気分のままで、クラスに馴染めるはずが無かった。先生に頼まれたノートを抱えて教室に戻る。各生徒の机に返さないといけないが、顔と名前がまだ一致していない。
ちらちらと、こちらを見やるクラスメイトの視線が痛かった。でも、時間だってそう残っていない。直ぐにでも、どうにかしないといけない。
「佐藤さん。俺、全員の席と名前覚えてるから、手伝うよ」
近くまで来た高岐が、私を見下ろしてくる。話しかけられたのは初めてだ。
「それは、助かるけど」
「ちょっと貸して。えーっと。……これが、前から順に窓側の列」
受け取ったノートを持って、窓側の席に順に置いていく。周りの生徒が驚いた顔で高岐を見て、そのまま私のことも見てくる。目が合うと気まずそうに、もしくは関わりたくないというように目をそらされた。同情するような視線。彼は皆に一体何をしたんだ。
彼は全く気にしていないようだったけど、こっちは何となく居心地が悪い。
戻ると、教卓に分けたノートが置かれていた。列ごとに並び分けてくれたらしい。
「配るのはお前がやって」
「うん。ありがとう、めちゃくちゃ助かる」
「めちゃくちゃか」
「うん」
内心ほとほと困り果てていたから、本当に助かった。彼が皆にどう思われているにしろ、助けてくれたのは高岐だけだ。
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返事がないチャットを眺めて、何度か送ろうと思った言葉を消した。きっと一生好きだと思った友情だって、所詮はこの程度だ。仕方がない。
新しく駅前にケーキ屋が出来ても、気になる映画があっても、読んだ本が面白くても、もう、一緒には行けないし、本は貸せない。
そっちに帰ったときに行こうと話したそれらもきっと、誰かと行ったのだろう。誰かを見つけただろう。実家がある訳でもない。向こうに戻れたのは夏休みの一回だけ。
私は財布を持って教室を出た。すれ違う生徒は大抵友達連れか、カップルか、何かの集まりのために弁当箱を持って移動してる子とか。別に一人は平気だ。だけど、学校は、先生は、独りぼっちをどうにかしようとする。
購買のパンとちょっと悩んだけど、面倒だったので自販機にお金を入れた。パンを取り出して移動しようと振り向くと、すぐそばにいた人影にぶつかりかけた。
「うわ」
「それ、美味い?」
「あー……。アルコールみたいな味がするけど。美味しいよ」
高岐は、自販機に千円札を入れた。パンが出て来たら、お釣りで吐き出された小銭を入れて、再びパンを待つ。中の機械が動いて、袋に入ったパンが押し出されて、下まで運ばれるのに暫く時間がかかるのだ。
彼は三つ目のパンを取り出し口から引っ張り出すと、横にいた私に持たせる。残った小銭を財布にしまった。
「お前さ、友達いねえの?」
「うーん」
最初こそ休み時間に一緒に過ごしてみたり、色々したけれど、ただ何となく馴染めなかったのは私だ。同じ空間で過ごして、ある程度は会話もして、それでも結局、友達とは思えなかった。毎日一緒にいようとは思えなかった。ただ丁度、気の合うやつが居なくて、そうなっただけだ。そればかりは仕方がない。
「弁当忘れたの?」
「持ってきたし、もう食った」
立ち上がった高岐にパンを返した。
あんぱん、クリームパン、デニッシュパン。
全部甘い菓子パンだ。
「あのさ。……ちょっと付いてきて」
「え、うん。なに」
若干の仲間意識が芽生え始めていたこともあって、素直に彼の後について行くことにした。
下駄箱で靴に履き替えて、歩く。一歩が大きい高岐に合わせると、少しだけ小走りになった。私に合わせる気は無いらしい。
校舎の裏、道路沿いの自転車置き場。二階建てになっていて、階段を上がって屋根の影に入らない位置で高岐は腰掛けた。周囲には誰もいない。
教室があるのは、校庭側の校舎だ。渡り廊下を渡ったこちら側は主に選択授業か、部活で使うことが多いので、人があまりいない。たまに人影が見えるけれど、その程度。
少し間をあけて、隣より上の段に座った。高岐を見下ろせる位置だ。彼は私を見上げて少し笑った。
休み時間の騒がしさを遠くに聞きながら、ここはそれでも静かだった。少し寒くて、マフラーでも持ってくれば良かったと思う。
「ここって、まあまあ田舎だから。ほとんどのやつは小学校からずっと変わらねえんだよ。高校生にもなると街の方行ってるやつもいるっぽいけどな」
「うん」
「親戚の集まりに知らない人が混ざってる感じだろ、皆からすれば、お前は」
「高岐は?」
「俺?」
「ずっと、みんなと一緒だったんでしょ」
「佐藤さんは、俺のことどう思う?」
「ぼっち仲間。あと、見た目の割に、落ち着いてるよね」
染めてるのか地毛なのか、髪は赤っぽい。近くで見て知ったが、透明なピアスが幾つか付いてるから、普段はもっとピアスだらけなのかもしれない。背が高くて、目立つ。見た目だけなら正直、近付きたくない雰囲気の男の子だ。
ただ、黒板に書く文字は想像よりずっと綺麗で、居眠りするところも見たことがない。最近はずっと、席でひとり本を読んでいる。
「今の俺は、あいつらが定義する高岐伊織から欠けてる。それって、すでに同一では無いだろ。人が変わったって言われた。別人みたいだってさ」
「真面目になった?」
「気味悪いらしい」
「……もしかして、そう言われたの?」
「言ってんのが聞こえただけ。というか、なに不機嫌になってんだよ。佐藤さんだってそう思ってる癖に」
高岐は、残りの一口を放りこんで、パンの袋をくしゃくしゃに握り潰した。
「そろそろチャイムが鳴るけど、それ、食べ切れる?」
「高岐」
「うん」
「私、その。ごめん。……目が、なんか怖くて」
「じゃあ、近くで見てみる? 俺の目。多分理由が分かる」
真っ暗で底無しのような瞳がこちらを見ている気がする。不安とも恐怖とも言えないような感覚が、呼吸を重くしている。
そろりとすぐ側の彼を見上げた。意識して逸らしていた視線を合わせれば、実際には、あまりに無機物なそれがあった。暗い赤色の、ランプが点滅している。真っ暗な瞳の中に、レンズのような物が見える。
「もしかして、目、見えてない?」
「見えてるよ、一応。スマホのカメラで動画を撮ってる時みたいな。あんな感じ」
「その。そうだったんだ」
「脚も片方駄目にしてるし、見てみる? あと……」
「待って、もういいよ」
ズボンの裾を捲り上げる手を抑える。黒い、金属のようなものが少し見えた。彼の手は、私より厚着しているはずなのに、なお冷たくて、私より大きい。手を返して、なぜか、握り返してきた。
「い、言いたいなら、全然聞く、けど。でも。もう、怖くないよ。だから」
「そっか。良かった」
高岐は目を細めるように笑う。
予鈴が聞こえた。
+++
義眼、義足、あと何か。
父と母は、技術者だ。よく分からないけど、ロボットや何か機械のパーツを作ったり、ロボットのように動かせる義手なんかも作った話を聞いた記憶がある。
引っ越してきたばかりの頃は、バタバタと忙しそうで、朝は早く夜は遅く、帰ってこない日もあった。もしかしたら、と思う。
高岐は優しかった。
歩幅は、合わせてくれやしないけど。彼のスマホの待ち受けは水中の魚で、弁当箱の中には毎回たこさんウィンナーが入っている。筆箱の中には何故か消しゴムが二つ入っていた。
浮いているもの同士、ぼっち同士、なんとなく二人並んで過ごすことが増えて、彼と関わることで猶更周りから遠巻きにされるようになった気がする。
「土曜って空いてる?」
「え?」
「空いてる?」
「まあ、あいてる、けど」
「じゃあ、そのまま空けといて」
「なんで」
「空けといて」
頷いておけば、高岐はまた、本に視線を戻した。毎日持っている本が違う。今日は、よく分からないけど哲学っぽい。暫くして、本を閉じた。いつものことだけど、栞も挟まない。
「余ってるから、これあげる」
高岐は何かを言いかけて、結局なにも言わずに、私が差し出した栞を受け取った。一度は閉じた本を開いて、挟む。
クラスで浮いていても、前の学校の友達と二度と会えなくても、なんだかもう、別にどうでもいい気がしていた。
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「そうだ、伊織くんと同じクラスだったよね。学校ではどんな感じ?」
その名前を聞いて、ああやっぱり、と思う。
向こうには友達がいて、お気に入りのお店があって、中学から続けていた部活もあって。
だったら高岐が引っ越してくれば良かったのに。でもどうだろう、そしたら彼は私なんかと仲良くしてくれなかったかもしれない。
「高岐のことなら、元気にしてるよ」
「そっかそっか、よかった。受け答えも自然かな。変なこと言ったりしてない?」
「変なこと。って、普通、だけど」
剥き途中のみかんから顔を上げる。私と目が合うと、母は少し不思議そうに瞬きをした。
今でこそ普通に見えても、両目が見えなくなって、歩けなくなっていたのだ、高岐は。もしかしたら入院中は特に、心の状態とか良くなかったのかもしれない。平気なフリをしてるけど、内心は今でも不安定かもしれないのだ。
「ねえ。義足と義眼も、お母さんたちが作ったの?」
「……伊織くんに聞いた?」
「うん。義眼と、義足。脚はちゃんと見てないけど」
「義足は大変だったなあ。膝が残ってないからね。でもあの子、すごく自然に動かすから、びっくりしちゃった」
義眼と、義足と、あと何か。そう言えば、もう一つは、どこなんだろう。
スマホを取りだして、彼とのチャットを開く。最後はよく分からないスタンプの応酬で終わっていた。
ねえ、あのさ。
既読が付いた。どうした、と返信が来る。
目と脚と、もう一つは何。打ってから、消した。
「ねえお母さん、高岐は、目と脚以外って、何が」
母の様子を見て口を噤む。これは聞いてはいけないことのようだ。困った顔で黙っていた母は、私の不安を察したのか、表情を崩した。
「本人の意思に反して言いふらしたり出来ないのよ。だからごめんね」
「それはそう、だよね。うん。私も軽率だった、かも」
手の中で、スマホが揺れる。どうしたと、同じメッセージがもう一度届いている。開いて、どう返すか悩んでいると着信音が鳴った。慌てて自室にかけこんで、通話ボタンを押す。
『何かあった?』
何か言わないと。だけど、否定するのも何かあったと言っているようなものだろう。部屋の灯りをつけて、床に座った。高岐は私の言葉を待つように黙っている。
「あした、どこ行くの?」
『水族館。あと、海』
「歩いて回るの、大丈夫?」
『大丈夫。人より、休憩多いかもしれねえけど』
顔を合わせて話すよりも冷たい、温度のない声。表情が見えないから、そう感じるのかもしれない。なんだか落ち着かないような、不安になるような。
「高岐」
『なに』
「高岐、笑ってみて」
『……笑ったけど』
「分かんない」
『ははは』
「何それ、わざとらし」




