第3話 蠅の王part1
アマリリスは静かだった。いつも盛況で輝ける太陽の司祭からいつも目の敵にされるほどうるさく堕落した人間は馬鹿騒ぎするはずだったが、この日ばかりは静かだった。
それは酔っ払いが暴れた末に殺された事に驚いたのではない。それよりも人の手が炎の様に熱せられて真っ赤に染まり人間の顔を焼いた事に驚いたのだ。
「あなた、何なの?」
エレナは言った。
「何でもない、ただのー」。
「なに集まってるの!」
アルが応えるよりも早く、野太い声がアマリリスに響いた。
思わずその場にいた全員がその声の方へと顔を向けた。
声の主は赤いドレスを着た太った女性のようだったが、頭は綺麗に剃られたスキンヘッドだ。
その女性とも男性ともつかない人はアマリリスの入り口にいて、倒れた男を囲んだ客が邪魔で状況を把握しきれていないらしい。
そのスキンヘッド女は客が集まっている原因を知りたくて倒れた男を囲んだ客をかき分けて最前列に立った。
そのスキンヘッド女は腹から血を流している男と顔の焼けた男を見ても身動ぎ一つせず、それよりも男の近くに立っていたアルの事を睨みつけた。
「デリンジャー、なにをしたの?」
その声は低く、怒りを隠そうともしていない。
「何でもない、酔っ払いに絡まれただけだよ。スカーレットさん。」
「そうなの?」
スカーレットの声は大声で、集まっていた客の方へ質問した。
集まっていた客は互いを見やってこの質問に答えるように促し合っていた。
「どうなの?」
「ええ、酔っ払いに絡まれただけよ。」
答えたのはカウンター席の近くに立っていたエレナだ。
「絡まれて危うく殺されそうになったの、この・・・アルフレッドさんが。」
「そう、絡まれただけなのにこんなことになるなんてね、不思議ね。わかったわ、そこのお嬢さんに免じてそのあり得ない話を飲み込みましょう、デリンジャーさん。」
スカーレットはそう言うと顔の焼けた男の死体に向かって唾を吐いた。
「バーテン、この二人を片付けなさい。」
スカーレットはカウンターで直立していたバーテンダーに指示を出すと、手を叩いた。
「はい、集まっているお客の皆さん、もうアマリリスは閉店だよ。早く帰りなさい。」
帰宅を促されたお客たちは文句の一つなく、いそいそとアマリリスから出ていった。
アマリリスに残されたアルはマダム・スカーレットに促され、二階の“お得意様”の部屋に通された。
お得意様の部屋の中はマホガニーの机に肘掛け椅子が向かい合う様に置かれ、奥の壁にはマダム・スカーレットにまだ綺麗な金髪が生えていた頃の肖像画が飾られている。
スカーレットは部屋のカーテンを閉めると奥の肘掛け椅子にどっかりと座った。
「馬鹿な事はもうしないで頂戴。アル。」
「わかってるよ。」
アルは答えながら部屋の壁を手の甲で叩いた。この部屋の壁は特別厚く作られていて、外から話が聞こえないようになっている。
アルはその事を知っていたが、いつも話をする時には壁を叩いて厚さを調べる事が癖になっていた。
「真剣に言ってるのよ。」
アルは壁を調べる事をやめ、肘掛け椅子に腰を下ろすとスカーレットと目を合わせた。
「ちゃんとわかってるよ。」
「いいや、わかってない。あなたの事を心配して言ってるのよ。あの男は何?本当に私があなたが酔っ払いに絡まれて仕方なく魔法を使ったと思ってるの?」
「この店を守るためだよ。」
「別にいいわよ、こんな店。大事なのはあなた。」
スカーレットはアルを見た。
端正な顔立ちに黒い髪。スカーレットは不意にアルを抱きしめたい衝動にかられた。どうしてこうなってしまったのだろう。アルは裏社会でそれなりの地位を築いたが、そもそもの始まりはスカーレットの店を守るためだった。
「だから馬鹿な事はやめて。」
アルは片手で頭を抱えると、何も答えなかった。
アマリリスのバーテンダー、サム・カーネマンは頭を抱えていた。アマリリスの地下室には二人の男が床に転がっている。
「どうしたものか・・・。」
考えがふいに口をついて出てきてしまった。アマリリスの床には大きな血の海が出来てしまっている。ウェイターが水の入ったバケツにスポンジを持ってきて掃除を始めた。
スポンジを上下に動かして血を落としていくが、血のシミは床に染みしまって取れなくなってしまった。
「すいません、血が取れそうにないです。」
「わかったから黙って手を動かせ。」
サムは髪を撫でつけながら考えた。今日は蠅の王が来る。それまでに失礼はないようにしなければいけない。