プロローグ
街は彼らのものだった。彼らはクズだったが、それでも彼らの街だった。
アマリリスはこの街一番のキャバレーでいつも盛況だった。今夜も仕事終わりの男たちと娼婦でにぎわっていた。
エレナはそういった連中は嫌いだったがアマリリスの事は好きだった。
それは初めてエレナの曲を披露した店だったからだ。そのためエレナは作曲に困った時に夜な夜なアマリリスへ向かい、あの時の興奮とインスピレーションを思い出そうとした。
エレナはカウンターに座る男を遠くのテーブルから眺めていた。
男は一時間前からカウンターに座り、何も頼んでいない。
それだけでも不思議であったが特に気になったのは彼への扱いだった。
男の服装は労働者が着るような野暮な服ではなく、洗練された服だ。
明らかに貴族や金持ち、ともかく金の持っていそうな格好なのにも拘わらず娼婦の誰もが気にしていない。
それが気になった。エレナはテーブルから立つと男のいるカウンターに座った。
「こんばんは」
エレナが話しかけると男は少し驚いた。
「あなた、気になっていたんだけど何も飲まないで何しているの?」
「人を待っているんだ、ここじゃ見ない顔だね?」
「そうね、ここに着いたのは少し前ね。曲を作ってるの、エレナよ。」
「アルフレッド・デリンジャー。」
バーテンダーがグラスを磨きながら二人の様子をチラチラと伺っている事が気になった。
「仕事は何しているの?アル。」
「奇跡を売ってるんだ。」
冗談でしょ、とエレナは笑っていたが、アルは真剣な顔をしていた。
その態度にエレナは一瞬アルが「輝ける太陽」の司祭か、と思ったが、その考えを一蹴した。
こんな酒場に司祭様がいるわけがない。
からかっているだけ?
エレナはアルの発言とその態度に少しイラついたが、しかしアルが何か作曲のインスピレーションを持っているのではないかと好奇心をそそられた。
「わかったわ、ミステリアスな人なのね。じゃあ、アルはこの街の人?昔からいたの?」
「昔からいたよ、生まれてからずっと。」
「本当のところを教えて、あなたは何の仕事をしているの?」
その時二人の後方で叫び声があがった。
二人が振り返ると男が血を流して倒れ、その傍にナイフを持った男が立っていた。
「わかったか、くそったれ。なんとか言ったらどうだ。」
男はそういうと倒れている男の後頭部を足で何回も踏みつけた。
踏みつけるたびにグシャリと音を立てて血が飛び散った。
「死にたいのか、ここがどこかわかってるのか?」
ナイフの男を静止しようと近くにいた男が言った。
しかしナイフの男は相当怒っているらしく雄たけびを上げて聴こうとしない。
アルはため息をつくと、カウンターから立った。
その時、バーテンダーがアルの手をつかんだ。
「デリンジャーさん、勘弁してください。」
バーテンダーは泣きそう顔をしてアルに言ったが、アルは腕を振り解くとまっすぐにナイフの男へ歩いて行った。
「殺されてぇのか。」
ナイフの男がアルに気づくとナイフを向けて言った。
口の端からは泡が溢れ出している。
アルはナイフなんかないかのようにナイフがあと数十センチで腹に刺さってしまう距離まで近づいた。
「ふざけるのはやめろ。」
アルはまっすぐに男の目を見つめながら言った。
「そっちこそふざけるのはやめろよ。」
男は言葉を返すとナイフを大きく振りかぶってアルを切りつけようとした。
その時だった。
アルは男に一歩素早く近づくと右手で男の顔をわしづかみにした。
エレナはアルの右手が赤く発光しているのに気付いた。
右手は炎の様に真っ赤で揺らぎ、掴まれた男の顔からは黒い煙まであがっている。
男がさっきまで上げていた雄たけびは叫び声に変わった。
ほとんど言葉にならない大声があがり、次第にそれは弱々しくなって消えた。
掴んでいた手を放すと男の顔には焼けた痕が残った。
男は地面に倒れると動かなくなった。
「あなた、何なの?」
エレナは言った。