5話 リーサル
「――――っ!!!」
息を大きく吐き、俺は地面を蹴る。同時に、ゴブリンの胴体に向けて全力で包丁を突き出した。
肉をかき分けて断ち切る感覚と共に、目の前の化け物が叫ぶ。
「ギャアアアッッ!!?」
刺した包丁を、力任せに横へと薙ぎ払う。ゴブリンの胴が中心から裂け、緑色の血が横っ腹から勢いよく吹き出した。
ゴブリンの赤黒い目が俺を捉えるが、そのままよろよろと後ろへ退いて呻く。
「ギャウ……」
その視線からは敵対的な意志を感じるが、腹部を押さえたまま襲ってこないところから察するにかなり効いているらしい。
さらに踏み込もうとした瞬間、視界に現れた新たなUIに気がついた。ゴブリンの頭上に"ゴブリン"、そしてレベル1との表示があり、その下に緑色のバーが表示されている。
俺の視界の左上にあるものとほぼ同じ形状をしているが。やはり、これは。
「HPか!」
直感でそう理解する。緑色で長方形のものといえば、ゲーム的に考えればやっぱりHPゲージしかないだろう。
それはみるみるうちに減少していき、半分ほどの短さになる。減った分は灰色になっており、これはHPが削れているということに他ならないだろう。
勝てる。
即座にもう一度走った。
「ギャオオッ!!!」
呼応するようにゴブリンが鳴く。
そのまま、右手に持っていた棍棒を振りかぶった。俺はすぐに足を止め、その場から跳ねるように飛び退く。
数瞬後、さっきまでいた場所を棍棒が音を立てて通り過ぎる。空気ごと押しつぶすような重低音に、思わず手が震えた。
当たったら絶対にやばい。あれを掻い潜りつつ、残りのHPを削りきらなければ。
包丁を握りしめ、HPゲージを見やる。一撃で半分まで削れたところから見るに、一撃とまではいかないまでも、二、三発も打ち込めば倒れるはずだ。
息を吸い、吐く。熱くなりそうな脳をクールダウンさせるように。
「ふう……」
今みたいな時に熱くなるとまずい。思考が狭まり、取れる選択肢が少なくなる。そうなってしまえば、必要な情報に気づくことが出来ず、負ける。ただ負けるだけならまだしも、今回の負けは死に直結するだろう。
だが。生憎、こういう場は何度も経験してきた。
負けられない。
絶対に勝たないといけない。
だからこそ、冷静さを保つ。可能な限り落ち着きを取り戻し、心の底で燃えたぎる炎に蓋をする。
けれどそれでも抑えられない情熱が、額に汗を伝わせる。
「…………」
攻撃方法は、棍棒のみと推測できる。素手での攻撃もあるだろうが、現時点では警戒度は低い。
機動力がそこまで無いように見える。俺が包丁を振り下ろせば、ほぼほぼ命中するだろう。
体力は半分まで削れている。とどめを刺すのにそう時間はかからない。
「いくぞ」
呟く。
とどめを刺すまでの道筋。
リーサルが、見えた。
「は――ッッッ!!!」
地を蹴り、駆ける。懐に包丁を構え、狙いをゴブリンの胸へと定める。
直後、俺は"あえて"少し浅めに踏み込んだ。相手からの攻撃が届くか届かないか、ギリギリの距離。
「ギャアウッ!」
吠え、振り下ろされる棍棒。だが、その動きは単調に他ならない。
縦振りか。
直線的な軌道で、読みやすい。なにより、横振りじゃないのが大きい。攻撃範囲が横に広いと後ろへ飛び退くしか避ける術が無いが、縦なら左右に動くだけで済む。
横振りだった時のことを考え引き目に立ち回ったが、必要なかったようだ。
俺は半身を引くと、棍棒をするりと避ける。攻撃が当たらず姿勢を崩した状態のゴブリンの胸元へ、右腕を振るい包丁を勢いよく突き立てた。
「ギャオッ!?」
そのまま全力で横に振りきると、胸からゴブリンの体が裂ける。同時に、視界に映るHPゲージがゴリゴリと削れていった。バーから緑色が完全に消え、灰色一色と化す。
途端に、ゴブリンの体が発光した。
「うっ!?」
次の瞬間。
「ギャォ」
俺の目の前に立っていたゴブリンは、光の粒子となり、魂が割れるような音を立てて砕け散った。空中へキラキラと弾けたゴブリンは、そのまま空に溶けていく。
まるで、母さんが消えた時みたいだった。
きっとこれは、命が潰えた証だ。
「はあ、はあ……っ」
切れた息を整える。宙に浮いた包丁の切っ先を地面へと向け、俺は膝に手をついた。
勝った。倒した。そんな余韻に浸る間もなく、効果音が鳴って、同時に目の前にウィンドウが立ち上がる。
そこにはレベルアップの文字と、1という数字の表記がされていた。
バカでも分かる。俺はレベルアップしたのだ。
「雪斗くん!」
一人になった俺のもとに、二人が駆け寄ってくる。二人の包丁は、今回は出番はなかったな。
「ほ、穂村くん、大丈夫?」
「ああ。無傷だよ」
思ったより上手くいったな。正直、一発や二発喰らうことは覚悟してたんだけど。
と、それよりも気にしなければいけないことがある。目の前にあるこれのことだ。
「それよりも、ほら」
俺がウィンドウを指差すと、二人が横から覗き込んでくる。
「レベルアップって書いてあるね」
「ねえ、正直よく分かってないんだけど、レベルアップするとどうなるの?」
「詳しいことはまだ。けど、すでに俺は強くなってるはず」
ウィンドウをタッチすると、画面がステータス画面へと遷移する。そこにはレベル1との表記の他に、複数変わっているところがあった。
その中でも、特に一際目立っていたのは。
「職業:剣士……」
コンビニに行きながらステータス画面を見ていた時、職業欄にはレベル1到達時に開放との文字があったが、それが達成されたのだ。
剣士。剣士かあ。
響きは、実にRPGらしい。王道的で捻りのない、ありきたりな職業。だが、それが今の俺には限りなく頼りがいがあった。
それに、王道というのは素晴らしいからこそ王道であり続けられるのだ。剣士って無難にかっこよくて、否応なくテンションが上がる。だって剣使って戦うんだろ? めちゃくちゃかっこいいじゃんか。
なんか、変なのじゃなくてよかったな。八百屋とか。八百屋だったら戦えなくて終わるし。八百屋じゃなくて剣士でよかった。
「なにこれ」
「さっきの戦闘でレベルアップして、職業が開放されたんだよ。で、見た感じ俺は剣士っぽい」
「職業?」
「多分どんな風に戦うかってことじゃないかな。俺は剣士だから、剣を使って戦うんだと思う」
それと。職業の隣に、Eランクとの表記がある。多分この剣士という職業自体のランクだろう。他ゲーのことを考えれば、恐らくこのランクが高ければ高いほど強い職業ってことになるはずだ。
Eランクかあ。こういのって、一般的にはEとかDとかから始まって、C、B、Aって感じで上がっていくだろ? てなるとかなり低いよな、多分。
ま、最初に手に入れる職業なんてそんなもんか。
「んで…」
次に、スキル欄へ目を移す。確か職業を入手すると開放されると書いてあったはずだが。
見れば、そこには一つだけ"ブレードアタック"とスキル名らしきものが。直訳すれば剣の攻撃とかか? 名前からなんとなく内容を予想できるな。スキルの説明を見ると『攻撃力を上昇(小)』と書いてある。弱そうだけどまあ、最初だしそんなもんだろう。
そして、装備欄。ステータスウィンドウ内には装備を着脱できるらしい空間が用意されていて――上から武器、頭、胴、脚と分かれている――前に見た時はすっからかんだったんだけど。
「なんか装備してんな」
武器のところに、シンプルな剣のアイコンがあった。名前もついており、ブロンズソードというらしい。なんかちょっと弱そうだ。
急に出てきたこの剣は、恐らく初期装備みたいなもんだろう。ゲームとかって基本、最初に弱い武器を持ってるものだから。そこからどんどん強くなっていくのが、RPGでの醍醐味ってやつだ。
アイコンをタップし詳細画面を見ると、『攻撃力+10』との表記が。
「んー」
10かあ。やっぱそこまで強くは無さそうだな。攻撃力のステータスは100だったから、それの十分の一ほどの効果と考えると、悪くはないのかもしれないけど。
ともあれ。装備欄にあるってことは多分使えるってことだよな、これ。どうすればいいんだろうか。
アイコンをタップすると着脱のメニューが出るのみで、使用に当たるようなボタンは見当たらない。でも普通に考えりゃ絶対使えるはずだ、何か方法があると思うんだが……。
むむむと唸りながら画面とにらめっこするが、特に何も発見がない。困惑が積み重なっていくのみである。
「だいじょーぶ?」
「いや、だいぶ大丈夫じゃない。ここほら、剣が装備されてるだろ? 多分初期装備ってやつで、なんかすれば使えるはずなんだけど」
「だいじょばない?」
「だいじょばないな」
小日向さんも一緒に画面を覗き込んでくれるが、同じようにむむむと唸ってそのままぷいと画面から目をそらしてしまった。
「わかんないなあ」
「私もさっぱり」
飾さんもふるふると首を振る。これじゃ完全にお手上げだな。
だがここで諦めるわけにはいかない。これは俺達の生命線なのだ。
「さっき、包丁はすぐ使わなくなるって言っただろ?」
「あ、うん。もしかして、こういうのができるようになるからってこと?」
「そういうこと」
飾さんが言って、俺はその通りだと頷く。
「だから、なんとかして使えるようにならないといけないんだけど」
「やり方が分からないのね。けどごめん、私ゲームはさっぱりだから」
「わたしもー」
くっそ、マジで分からねえ。絶対に方法はあるはずなんだけどなあ。ボタンもそれらしきなにかも無いし、けど装備はされてるし……。
「いっそ、魔法使いみたいに決めポーズしてみるとか?」
小日向さんの言葉に首を傾げる俺。
「魔法使い?」
「日曜日の朝、やってたじゃん。あんな感じ」
「決めポーズ……」
キツイな。この年になって決めポーズはちょっと。流石に。
だがなんの手がかりもない現状、少しでも可能性があるのなら試してみるべきだ。
己の中にある羞恥の感情を下へ下へと押し込み、黙って手を上に掲げる。それこそ、魔法少女や戦隊モノみたいに。
「…………」
だが、何も起きない。やはりだめか。
これじゃただ恥ずかしいだけじゃねえか、と感情の濁流をせき止めていたダムが決壊しそうな俺に、小日向さんがにやりと微笑む。
「セリフもいるんじゃない?」
「せ、セリフ?」
「へんしーん! みたいな」
「……」
ちょっとこの人ふざけてない?
いや、まだ分からない。案外変なところに正解があるのかもしれない。
「……変身」
ぽつりと呟く。だが、何も起こらない。
「ぷっ」
「あの、小日向さん?」
「ご、ごめんごめん」
実に楽しそうな表情を浮かべ笑いをこらえている小日向さんに冷たい目を向けつつ。もはや俺は諦めるわけにはいかない所まで来ている。
いや、実際のところ、間違った方向性だと断じるわけにはいかない気がしている。なにせこの世界はRPGで、ゲームだ。そういう"お手本"みたいなベタなものが、実際に実装されているかもしれない。
「装備。……ブロンズソードを装備。剣を装備。装着。ブロンズソードを装着」
手当たり次第に口にしてみるものの、やはり何も起こらない現状という壁にぶち当たる。なんか目の前にある壁が分厚いんですけど。これ乗り越えないと話にならないんですけど!
言葉にするのは違うのか。じゃあ、念じるとかは? ゲームで見るかは怪しいが、アニメやらなんやらでは、魔法とかを念じて発動するみたいなのありがちだし。
「…………」
俺は黙って、心の中で念じてみる。
ブロンズソードを、装備。
すると。
「おわっ」
ぱっと手元が光り、剣が現れた。
咄嗟にその柄を掴むと、ほのかに柔らかい木の感触に続けて、ずっしりとした重さが手に伝わってきた。銀の刀身がキラリと、太陽の日を浴びて輝く。その見た目は、初期武器と言われて思い浮かべるような、スタンダードな西洋のものっぽい剣だ。
ソード、って感じそのままだな。
「どわぁ!?」
「お、出来たじゃない!」
きた。正解を引けたみたいだ。
念じる、か。どうやらこの世界では、念じることで武器を取り出すことができるらしい。
じゃあ、消す時は?
「…………」
心の中で消えろと念じると、武器がぱっと光を散らして消えた。なるほど、一度理解してしまえばかなり分かりやすいシステムだ。
飾さんが興味津々、といった表情で俺を見つめてくる。
「どうやったの?」
「心の中で念じたらいけたよ」
「へー。そんな魔法みたいなことあるのね」
もはや変わりきってしまったこの世界では、魔法みたいなことが起こっても驚くようなものではないのかもしれない
俺はもう一度剣を取り出すと、次の作業に移る。目標は、スキルを使うこと、だ。
だがそれほど難しいことでも無いだろう。武器と同じで、どうせ念じれば――――。
「あれ」
出来ない。少なくともスキルが発動しているような感触はない。
違うのか。少し考えてみる。RPGでスキルを発動するって言えば、念じる以外じゃあ何があるだろう。
出た答えは一つ、スキル名を口にしてみる。だ。
「ブレードアタック」
すると、途端に剣が淡く発光した。赤いオーラを纏っているように見えるそれは、明らかにスキルの発動が成功している。
よし。このゲームのシステム、だいぶわかってきたぞ。
あとは何かあったっけ、とウィンドウをいじる。気になるところと言えば、あとはそう、バッグがあったな。俺は操作し画面をバッグへと切り替えると、そこには見慣れないアイコンが。何やら動物の牙みたいな見た目のそれをタップすると、名前が出てくる。
「ゴブリンの牙――ドロップアイテムか!」
RPGではお約束のシステムだ。敵を倒したら、その敵からアイテムを手に入れることができる。恐らくこれもそういうことだろう。
なるほど、こういう系のやつがバッグに入るのか。前にバッグを調べた時は結構悩んで、結局用途は分からず終いだったけど……ゲーム的なものじゃなかったから収納できなかった、ということだったのかも。あの時試したのはスマホとか、そういう現実にあるものばかりだった。
「どろっぷあいてむ?」
言葉尻に疑問符が付いている小日向さんへ、できるだけ分かりやすく伝える。
「敵を倒すと、素材とかを貰えるんだよ。よくあるシステムだ」
通例じゃあこれで装備を作れたりするんだが、その方法は現状不明だな。けどどっかで使えるはずだ、これは大切に取っておこう。
「よし」
俺は剣を消すと、腰に手を当てる。
この戦いを経て、俺はだいぶ成長した。この世界の生き方がかなり分かってきた。俺の考えは、やはり間違っていなかった。
このままいけば本当に戦えるようになるかもしれない。魔王を倒し、母さんを救うことも不可能ではないかもしれない。
勝ちが見えてきた。
燃える。ゲーマーとしての魂が、火花を散らして大きく燃え盛り始める。ゲームのことを段々と理解していっている感覚。ゲームをが上手くなってきている感覚。
これは、俺の生きがいだ。
「二人は変化はないか?」
俺が問えば、揃って二人はウィンドウを立ち上げる。
「うん。なんにも」
「ってことは、倒した人以外には影響はないのか」
ゲームじゃパーティー全員に経験値が入るみたいなシステムがあるけど、この世界には存在しないのかも。
「とりあえず、今日はあと二体ゴブリンを倒そう。二人のレベルも上げたいから」
「えっ、私達も!?」
「そりゃそうだろ。俺一人じゃ熊は倒せないよ、多分」
いや、倒せないことはないかもしれないが、やはり戦力があるに越したことはない。
驚いた様子の小日向さんに、今度は俺がわざとにやりとして見せる。
「ほら、小日向さん。飾さんも、行こうか」
「ちょ、ちょっと待ってよー!」
俺達はまた、街を探索し始めた。