4話 頼みの綱
小日向さんが風呂から上がってきた後、ついでにと続けて入った俺がさっぱりとした気持ちでリビングに戻れば、何やら二人が真剣な面持ちで待っていた。
彼女達は俺が戻ってきたことに気がつくと、ソファから腰を上げ俺と目を合わせる。
「ねえ、穂村くん。折り入って頼みがあるんだけど」
きっと真面目な話だろう。察するには簡単すぎるくらい、そんな雰囲気が漂っていた。
「えっと。何かな」
「穂村くんがお風呂に入ってる間、二人で話し合ったんだけど……」
そう念頭に置いて、飾さんは話し始める。
「さっきも言ったけど、私達、学校に戻りたいの。きっとみんなが待ってるはずだから」
「ああ」
「けど、そのためには」
言わずともわかる。二人がここにいる原因を作った、あれのことだろう。
「熊をどうにかしないといけない」
「そう、なのよね」
俺が言うと、飾さんはこくりと頷く。
「けど、私達じゃどうすればいいのかも分からなくって。遠回りして、熊を避けて迂回するにしても、もしかしたら他にもああいう化け物がいるかもしれないし」
「そうだな。っていうか、それに関しては絶対あると思うよ。俺、ゴブリンみたいなのを見かけたから」
「ほんとに? それって熊みたいやつ?」
「いや、熊ではないけど、モンスターであることは確かだな」
「もしかしてあれかなあ? ほら、なんか変なのが居たから、みんなで避けて歩いたんだよ」
「わからんけど、そうかも」
俺の言葉を繋ぐように、飾さんは続ける。
「とにかく、そういう変なのと会うかもしれないじゃない。って考えると、迂闊に外を出歩くってわけにもいかなくて」
「まあ、そうだな」
「だから、穂村くんに助けてほしいの」
その言葉に、俺は首を傾げた。
「え、俺に?」
「ええ」
「男手が欲しいってことか? 悪いけど俺、今んところ何も出来ないよ」
助けてあげたいという気持ちが無いわけではないが、それを可能にできる力は現時点では俺には無い。
「熊と戦うとか無理だと思う」
だが、俺の言葉を、飾さんは否定する。
「ううん、違くて」
「違う?」
「ほら、穂村くんってプロゲーマーじゃない。ってことは、このゲームもきっと、上手いはずでしょ」
さっきも同じようなことを聞いたな。あの時は否定したけど、今となっては、同じ否定の言葉を口にする気は起きなかった。
もしかしたら。そんな希望が、俺の中に芽生えていたからだ。
そう思うのと同時に。俺は、飾さんが言っていることの意味を把握することができた。
「つまり、ゲームが上手い俺に、どうにかしてこの局面を打開してほしいと」
「そういうこと。ごめんなさい、無理を言ってるってのは分かってるつもり」
謝りつつも、飾さんは語気を強くする。
「それでも、私達には、穂村くんを頼るしかないの。お願い」
「お願いします」
「ちょっ」
二人は、同時に俺へと頭を下げた。思わず、それを止めてしまう。
「いや、そこまでしなくていいよ」
「ううん。私達にできることは、これくらいしかないから」
「いやいや」
とりあえず、なんとか言って頭を上げさせてから。
「……うーん。そうだな」
少し、考えてみる。
実際問題、俺にこの状況をどうにかできる力があるのだろうか。確かに俺はゲームが上手いかもしれないが、それがこの世界にも通用するかどうかは分からない。
いや、一旦考え初めてしまえば、全てが分からないことだらけだ。だが、その中でも、希望が見えないと言ったら嘘になるだろう。細く、掴めるかどうかも分からないそれは、酷く輝いているようにすら見える。
「ちょっと考えさせてくれないか」
だが、ここで結論を出すことはできなかった。なにせ簡単に請け負っていいようなことじゃない。いいよと言うのは簡単でも、その言葉には重い責任が生じる。
「大丈夫よ。ごめんね」
「いや、いいんだ。俺も、いつかは動き出さないといけないって思ってたから」
俺にとっては、それは今日だった。食料がなくなり、ついに外に出なければいけなくなった。
同じように、俺はまた立ち上がらないといけないのかもしれない。世界がおかしくなってから三日が経ち、ようやく現実を受け入れ始めたこのタイミングで。
壁にかかった時計の針は、いつの間にか十二時を指していた。丁度お昼だし、飯を食べながらでも考えようと、俺は適当にパンを取り出す。本当はもっとガッツリしたものが食べたいけど、火もなければお湯も出ないこの状況じゃ中々難しい。
さて。この状況、どう動こうか。
菓子パンを頬張りながら、俺はしばし思考を巡らせる。
「…………」
咀嚼すれば、甘い味が口の中に広がった。糖分を補給しつつ、最高速で脳を回転させる。
ふと、いつもと変わらないな、と思った。
対戦中、俺は常に頭を使い続けた。その席に座っている間、目の前に立つ敵に全ての意識を向け、持てる手段の何もかもを使った。相手が何をしてくるかを予測し、どう動くかを考えた。
今やっていることもそう変わらない。今俺ができることと、現状から考えられることを頭に入れて、最善の策を導き出す。
違うことといえば、これにはきっと、命がかかっているということくらいか。いや、俺は命をかけていたと言えるほど真剣にゲームに取り組んできたから、まあ、そう考えてしまえばもはや本当に何も違わないのかもしれない。
「……」
菓子パンを食べ終わる頃には、あらかたの策は考えついていた。だが、それでもなお、俺の心にある迷いは消えずに残っている。
本当にそれで正解なのか。見落としていることはないか。一つでもミスったら、きっと死んでしまうであろうこのゲームに、俺は本当に挑むべきなのだろうか。
ふと。
母さんが言ってくれた言葉を思い出す。
昔。俺がプロゲーマーになる前、チームにスカウトされたことがあった。要するに、プロゲーマーとしてうちで活動しないか、という提案だった。
普通なら飛びつくような案件かもしれない。けれど、俺は迷った。プロゲーマーなんて安定しない職業に、活躍できるかどうかも分からない世界に飛び込むのが怖かったのだ。だが、そうやって迷っていた俺に、母さんはこう言ってくれた。
――後悔するくらいだったらやってしまえ。
今思えば、使い古された言葉だと思う。けれど、それはあの頃の俺にとっては――いや、今の俺にとっても、とても大きな一言だった。
後になって後悔するくらいだったら、自分がやりたいと思うのだったら、やってみなさい。母さんはそう言って、俺の背中を押してくれた。その言葉に納得したからこそ、俺はプロゲーマーになって。そして今、ここに立っている。
「……やるか」
小さく、呟く。それは、自らの意志を固める決意の表しだった。
俺は空になった菓子パンの包装をゴミ箱に捨てると、二人に向き直る。
「ちょっと考えてみたんだけど」
「あ、うん」
「俺としては協力してもいい、かな」
その言葉に、二人は目を爛々と輝かせる。
「ほんとに!」
「ああ。そもそも、俺も学校の人達と合流したいしさ」
俺はこのゲームのことを何も知らない。となれば、複数の人と集まって情報を共有したほうがいいはずだ。
二人に協力することは、俺にも大きなメリットがある。学校の人達と協力すれば、きっと格段に生きやすくなるはずだから。
「ありがとう、穂村くん」
「いや、全然」
いいつつ、それじゃあと俺は立ち上がる。
「早速だけど、やりたいことがあるんだ。ついてきてもらっていいかな」
「ええ、勿論よ」
「じゃあとりあえず……」
俺は台所へ向かい、包丁を三つ持ちだす。それを一本ずつ手渡すと、二人はきょとんとした表情で俺を見つめた。
「モンスターと戦いに行こうか」
「「……え?」」
偶々武器が三つあってよかったな。
そんなことを思いながら、俺は困惑した様子の二人を連れて、外へと繰り出した。
家を出ると、さっきみたゴブリンを探して道を行く。
近くにいればいいけど、と辺りを見回しつつ歩いていると、その後ろから、連れてきた二人が不安そうに俺に聞いてきた。
「ねえ、どういうことなの? いきなり外に出て……」
振り返ると、二人が怯えた様子で包丁を大事そうに抱えていて。
「こわいよお雪斗くん」
まあ、そりゃそうだよな。と思う。
なにせ俺は二人に何も説明をしていない。そんな状況で、敵が蔓延る外の世界に包丁片手に連れ出されれば、恐怖を感じるのは当たり前だろう。
流石に話さなきゃな、と俺は周りを警戒しつつ口を開く。
「簡単に説明してみるよ。まず前提として、俺の予想ではだけど、多分この世界は王道のRPG的なものになってると思う」
「「王道のRPG?」」
二人の声が綺麗に重なった。語尾につくはてなマークすらも一致していそうなくらいだ。
「RPGって、あの?」
「ああ。なんとなく聞いたことはあるだろ? 有名なゲーム多いし」
「そりゃ知ってるけど……」
困惑気味の飾さん。けど、彼女達もそれに関しては検討がつくはずなのだ。
「ほら、覚えてないか? 魔王の声が聞こえてきた時にさ、RPGでは王道の設定がなんとか、みたいな話してたの」
「あー……そういえば、なんか言ってたかも」
「だろ。元凶っぽいやつが言ってるんだから、そこはそうなんだと思うんだよ」
前提の部分を共有した上で、さらに続ける。
「で、なんで俺が外に出たかって言うと」
「うん」
「RPGって、王道の設定があるのと同じように、王道の攻略法があると思ってて」
俺はあまりRPGに明るいわけではないが、それでも知っているくらいには有名な攻略法が、この世界には存在する。
二人はまたもや首を捻って、疑問符を浮かべていた。
「そうなの?」
「ああ。って言っても、そんな難しいもんじゃなくてさ」
王道。そう言われるくらい、昔から存在して、使われ続けたもの。
つまり。
「レベルを上げて、敵を倒す」
簡単な話である。王道かつ、今でも全てのゲームの基礎になっていると言っても過言ではないシステム。
レベルを上げ、技を覚えて、敵を倒す。一度でもゲームを触ったことがある人なら、大抵は経験しているはずだ。
「それだけなんだけど」
分かっているような分かっていないような雰囲気の二人。伝わっていればいいけど……。
とにかく、と俺は話を進める。
「で、じゃあレベルを上げるためにはどうするかって言うと。わかる?」
「え、うーん……」
問うてみれば、飾さんは困ったように眉尻を下げる。
「そうね……それこそ、敵を倒すとか?」
「お、そうそう。俺も、レベルを上げるためには敵を倒さないといけないんだと思うんだよ」
俺は灰色のボタンを押し、ステータス画面を立ち上げる。そこには、レベル0の文字と、次レベルまであと10EXPという表記がなされていた。
「二人はUIは見た?」
「UI? なにそれ」
「ほら、なんか右上にあるでしょ? ボタンみたいなやつ」
「ああ、これかあ」
小日向さんが指先を宙で動かすと、彼女の目の前にウィンドウが現れた。続けて飾さんもウィンドウを表示させる。
これ、他人からでも見えるんだな。初知りだ。俺のも二人からは見えているんだろう。
「この中に、レベルって欄があると思うんだけど」
「うん」
「その下に、次レベルまであと10EXPって書いてあるでしょ」
二人はしげしげと画面を見つめる。
「あ、ほんとね」
「これ、ゲームやったことある人なら分かると思うんだけど。EXPって要するに経験値のことなんだよ。つまり、これは経験値を10手に入れたらレベルが上がりますよって言ってるってことだ」
「うんうん」
こくこく、と小日向さんが頷き、さらさらとした黒髪が揺れる。
「となれば、そのEXPとやらを手に入れたくなる。じゃあこのEXPを手に入れるためにすべきことは?」
「はい! 先生!」
ここまでくれば分かったのか、小日向さんはばっと手を挙げる。
「敵を倒すと、いーえっくすぴーが貰えるってことですよね!」
「そうだ」
そうなれば、もう後は簡単だ。
「俺が考えてるのはシンプルでさ。このシステムを使って、単純に敵を倒してレベルを上げて強くなって、熊をぶっ倒して学校に戻ろうぜって」
「ほー」
「だから、敵を倒すために外に出てきたってこと?」
「そういうことだな」
納得してもらえているかは分からないけど、とにかく理解はしてもらえたみたいだ。
だが、飾さんは未だ疑念を抱いている様子で。
「けど、私達に敵って倒せるのかな。モンスターって熊みたいなのばっかじゃないの? だとしたら結構、きつそうにしか見えないんだけど」
「ああ、そういうわけでは無いと思うから大丈夫じゃないかな。さっきも言ったけど、俺ゴブリン見たし」
「そのゴブリンってやつは戦って大丈夫なの? ほんとに?」
心配なのだろう。その表情と声音から簡単に察せられる。
だが、恐らくこれも大丈夫なはずだ。
「ゴブリンって、ゲームだと一番弱い扱いされがちなモンスターなんだよ。だからまあ、多分いけるんじゃないかな」
「ちょっと適当すぎない……?」
「まあ縮こまってても仕方ないからさ」
心配するのは分かるが、一度動くと決めたのならきちんとやるべきだ。俺だって怖いし、心配なんて尽きることはないけど、それでもやるしかない。
「あと、これのことだけど」
俺は手に持った包丁を二人に見せる。二人も一本ずつ持っている大事な戦力だが。
「多分すぐ使わなくなると思う」
「え? なんで?」
「いやほら、ここに――」
と。
言おうとして、俺は即座に口を閉じた。
「……?」
急に喋らなくなった俺に戸惑うような顔をする小日向さん達。
俺はウィンドウを視界から消し、包丁を構える。
「足音がする」
「!」
「えっ」
少し先にあるT字路。その右側から、聞き覚えのある音がした。忘れもしない、あの時聞いたものと同じはずだ。
俺は二人を連れて壁際に寄ると、その方向へゆっくり近づいていく。包丁を握る手に思わず力が入り、緊張で体が熱くなってくる。
やばいな。思ったより怖い。けど、先陣を切るのは俺しかいない。それができるのは、俺だけだ。気丈に、俺は心を強く固める。
「こ、こわいよ……」
後ろで、ぽつりと小日向さんが漏らす。
「俺がやるから、後ろで援護してくれればいいよ」
「え、援護ってどうやって?」
「包丁投げるとか。危なくなったら俺見捨てて速攻逃げてくれ」
「え、ちょ、ほんとに? ほんとに大丈夫なの?」
俺は黙って、目の前を見つめる。
本当に大丈夫なのか。その答えは、今からの戦いで、すぐに出ることになるだろう。
少しずつ、少しずつ、足音が近づいてくる。
大丈夫だ。落ち着け。頭の中で描いたように動けばいい。そうだろ?
冷静になれ俺。まだ待つ。もう少し、待つ。段々と音が近づく。角から姿が見えたら、出る。いつもしていたように、脳内で作戦を立て、実行する。この作業には慣れているはずだ。
目を見開き。
全神経を集中させて。
ついに。
「ギャァ」
緑色の体が見えた。