3話 プロゲーマー
思ってもみない提案に、俺は一瞬硬直してしまう。
自分の部屋に女子を入れる。いや、なんてことはないのだが。この状況で変なことを考えているわけでもないし。ただなんというか、理由もなく緊張が走るというか。
「まあいいけど」
「やった! 漫画、どれくらい持ってるの?」
「んー……十作品くらいかな」
「えー、じゃあ選び放題だあ」
偶々色々揃えていて功を奏したな、なんて思いながら。
俺は彼女を連れて、二階の自室へと向かって階段を登っていく。扉を開き、慣れないながらも冷静を装って招き入れると、
「おじゃましまーす」
なんて言いながら入ってくるので、なんだか余計に緊張してしまう。
生まれてこの方ゲームしかしてこなかった人生だ。こんなことに慣れているはずがない。
小日向さんは部屋に入ってすぐ、俺の机を指さした。
「あれなに?」
その先にあったのは、コントローラーだった。
といっても、所謂一般的なコントローラーではない。格闘ゲーム特化の、長方形の箱のような形状をしているものだ。
「ああ、これはコントローラーだよ」
「コントローラーって、あの……なんか、これじゃないやつじゃないの?」
「まあ、普通は見ないよな」
箱の天板に、レバーが一本とボタンが九個くっついているこれは、格闘ゲームをやったことがない人にとっては見慣れないものだろう。
一般的にはアケコンと言われているが、そのまま言っても伝わらないだろうからこの言い方はやめておこう。
「俺みたいな格ゲーが好きな人は、こういうの使ったりするよ。勿論普通のコントローラーの人も多いけど」
「ほおほお」
興味があるのかないのか、彼女は指先でボタンをつつきながら相槌を打つ。
「すごいねえ。なんか本格的」
「生きがいみたいなものだったからな」
「うおー。じゃあ、強かったの?」
問われて、返答に詰まる。この質問に対する答えはゲーマーにとってそこそこ重い意味を持つからだ。一見簡単な問いだし、小日向さんも軽い気持ちで言ったんだろうが。
俺は強かっただろうか。ゲームに真剣に向き合ってきたから、この質問には真剣に答えたかった。
少し考えてから、口を開く。
「それなりに強かったと思うよ。プロやれてたから」
「……へ?」
俺の返答に、小日向さんはきょとんと目を丸くした。
「ぷろ?」
「ああ」
「じゃあ、雪斗くんは格闘ゲームのプロゲーマーってこと?」
俺はまたもや頷く。
「ああ」
「ええーっ!!!」
瞬間、飛行機が離陸でもしたのかと思うほどデカい音が鳴った。よっぽど驚いたらしい。
「すごいじゃん!!」
「いや、それくらいしか取り柄がないだけだよ」
こういう風に褒められたとき、どうすれば良いのかわからなくなってしまう。だから、今まで他人に自分がプロゲーマーだということを話すことはそうなかった。
俺が格闘ゲームのプロゲーマーとして活動していることを知っているのは、母さんとゲーミングチームの仲間くらいだ。それくらい、情報は徹底して隠していた。
「プロゲーマーがいるって、学校でも聞いたことないよお。隠してたの?」
「そうだね」
「なんで?」
「面倒なことになりそうだろ」
俺が言うと、小日向さんは妙に納得した様子で。
「確かに。絶対噂になるよ」
「ま、けどもうこんなことになっちゃったから、わざわざ隠す必要も無いかなって」
世界がメチャクチャになった今では、そんなことはもうどうでもいい。今置かれているこの状況よりも面倒なことなんて無いんだから。
「そっかあ。えー、すごいんだねえ雪斗くん」
何度もそう言ってくれる彼女に、同じように俺も返す。
「ありがとう」
「柚子ちゃんにも教えてあげないと! お風呂上がったら自慢しよ~」
自慢って。出会って間もない俺のことなんか言って、一体どうするんだ。
おいおいとツッコみたくなることを言いながら、彼女はふんふんと鼻歌を歌い、流れるように本棚を物色し始めた。本棚全体に目を滑らせた彼女は、いくつかの本を抜き取っていく。
そうすること少し。合計十冊を平積みにして、彼女はそれを両手に抱えると、勇ましく俺へと振り返った。
「よおし。いくよ、雪斗くん!」
「……半分持つよ」
適当に、少し多めに本を取って、俺達はリビングへと戻る。
漫画を机に置き、ソファに座った小日向さんが漫画を読み始めてからしばらくすると、扉が開く音がして。
「ふ~」
「あ、柚子ちゃん」
湿った髪をタオルで拭きながら、飾さんが帰ってきた。
「服、適当に借りたわ。ありがとね」
そう言う彼女は、俺が普段から使っていた灰色の、胸元にワンポイントの入ったTシャツを着ている。俺用のサイズだからそれなりにダボダボしていて、少々着づらそうだ。下には白いラインの入った黒のジャージを履いていて、上下合わせてかなりカジュアルな格好である。
「全然。風呂は寒くなかったか?」
「うん。お湯が出なくても、お風呂ってさっぱりするわね」
「そりゃよかった」
「お茶貰っていいかしら」
「ああ、どうぞ」
了承を得て、冷蔵庫からお茶を取り出す飾さんに、小日向さんがニコニコしながら話す。
「ねえねえ、聞いてよ柚子ちゃん」
彼女の表情は綻んでおり、なんだか楽しそうだ。飾さんはお茶をコップに注ぎながら相槌を打つ。
「なによ、そんな嬉しそうに」
「あのねえ、これびっくりなんだけどねえ」
「うん」
どうせさっきのことなんだろうけど。そんなにハードル上げて大丈夫か? 滑っても知らないぞ、俺は。
「なんと雪斗くん、プロゲーマーなんです!」
「……はいぃ?」
お茶の入ったコップを口に運ぶ途中でピタッと止めて、彼女は大きく首を傾げた。
「プロゲーマー? 穂村くんが?」
「そーなのです」
そう言って胸を張る小日向さん。なんで小日向さんが自慢げなんだよ。
「ほんとに?」
疑惑の目を向けてくる飾さんに、俺は頷いて答える。
「ああ」
「すごいじゃない、それ。全然知らなかったわ」
「まあ周りには言ってなかったからな」
「格ゲーのプロなんだって、すごいよねえ」
「かくげー? かくげーって何?」
飾さんもか、と思いながら俺が口を開こうとすると、小日向さんがばっと手を挙げる。
「わたしに任せて」
「……どうぞ」
数分前、俺がした説明をそのまま飾さんに話す小日向さん。飾さんはお茶を飲みながら、その説明へと耳を傾ける。
「というわけです」
「へー。なるほどね」
適当そうな相槌を打つと、飾さんはコップを置いた。本当に分かったんだろうか。
「とりあえず、穂村くんはゲームが上手いってことでいい?」
「まあ、大雑把に言えば」
「それは頼りになるわね」
頼りになる?
その言葉にどういう意図があるのか分からず、俺は聞き返す。
「どういうことだ?」
「いや、だってほら、この世界はゲームになっちゃったわけじゃない」
「……あー、そういう」
要するに、彼女は俺はゲームが上手いから、ゲームと化してしまったこの世界でも上手に生きられると考えているらしい。
そういうことか、と飾さんの言ったことの意味を把握すると同時に、俺は速攻でその意見を否定する。
「いや、俺が上手いのはあくまでゲームだけだよ。現実世界での諸々は不得意だったから、期待されても困る」
「諸々って?」
「運動とか。俺運動神経悪いし、多分戦闘とか下手くそだよ」
「でも、きっとそれでも、私達よりは上手なんじゃないかしら」
反論しようとして、言葉に詰まってしまった。まあそりゃ、二人と比べれば俺のほうができるかもしれないけど。
でも、格ゲーが上手いからって、この世界の攻略が上手くできるわけではない。きっとそのはずだ。一応は同じゲームという土俵であるとしても。
……いや、実際どうなんだろうか。
俺は、その気になればこの世界で上手に生きていけるのだろうか。プロゲーマーである俺なら、もしかしたら。
この世界で、このゲームで、強くなることができるのだろうか。
魔王の言葉が、頭の中でリフレインする。
――――「この世界を平穏なものに戻したいのなら、魔王である私を倒さなければいけない」
考えもしなかった可能性が、頭の中を巡りだす。
――――「私を倒せば誰か一人を無条件で生き返らせることができるアイテムを入手できる。救いたいものがいるのなら、私にかかってきたまえ」
そうだ。
俺が魔王を倒してしまえば。
母さんを、生き返らせることができるかもしれない。
「…………」
今まで考えもしなかったことだった。母さんが死んで、世界がおかしくなって、それどころじゃなかったからだ。
けど、そうだ。他人から言われてようやく思い出した。
俺はプロゲーマーで、少なくともゲームに関しては、殆どの人間よりも、上手い。
不可能なことじゃない。そう思えて仕方がない。心の中に突如現れた眩いほどの熱源が、刺すように俺へと叫んでいる。
もう一度、コントローラーを操る時が来たのだと。
「雪斗くん、わたしもお風呂借りていいかな」
俺が考え込んでいると、小日向さんが漫画を閉じて立ち上がった。
「ああ、どうぞ」
「ありがとー。洋服とかも借りていい?」
「好きなように使ってくれて構わないよ」
お礼を言って、小日向さんは風呂へと向かっていく。俺はその背中をぼんやりと眺めながら、胸にある感情を確認するように、ぎゅっと拳を握りしめた。