20話 進む。
いつものように屋上に来ると、コンクリートに腰を下ろして、俺は朝空を眺める。千切れた雲が漂っていく光景をここで眺めるのが、いつの日からか日課になっていた。
けれどそれももう、今日で終わりだ。
この景色も見納めかと思うと、なんだか寂しくなるな。結構気に入ってたんだけど。
「……ふう」
水筒に入ったお茶を飲むと、喉に冷たい感覚が流れていった。一緒に持ってきたサバの缶詰を頬張りながら、なんとなく物思いにふける。
思えば、俺は鹿児島より外にでたことが殆ど無い。県外に行った経験ってのはせいぜい、修学旅行で福岡に行ったときくらいだろう。そう考えると、なんかこう、漠然と不安を抱くっていうか。
上手くやれるかな。いや、やるしかないんだが。
道に迷ったりしないだろうか。地図はあるけど、それを見て運転するなんて経験は一切ない。変なとこに辿り着く可能性もゼロじゃないし、注意しないとな。
「穂村くん」
考え事をしていると。
後ろから重い扉が開く音がして、飾さんの声が聞こえてきた。
「最近ずっとここにいるわね」
「ああ、なんとなくな」
彼女は座っている俺の隣に立つと、鉄柵越しに景色を眺める。昇りかけている日が、風に吹かれて揺れる飾さんの髪を、柔らかく照らす。
「ここともしばらくお別れね」
「そうだな」
けど、しばらくだ。
俺達が魔王を倒し、旅を終えた暁には、いつかは帰って来る日が訪れる。沢山の思い出を置いていく、この小さな町に。
その時、隣には誰が立っているのだろう。
母さんだろうか。それとも、小日向さんだろうか。今はまだ分からないけど、でも誰かが隣に立っているのなら、それは素晴らしいことだと思う。
「そろそろ行こうか」
「ええ」
これから先、俺達はできるだけ多く移動をしなければならない。出発は早いほうが良いだろう。
俺は最後の一欠片を飲み込むと、お茶を流し込んでから腰を上げた。
「先生達が見送ってくれるって。出るときに呼びに来てって言ってたわ」
「分かった」
そこまでしてくれなくてもいいんだけどな。そう思いつつ、気持ちはありがたく受け取っておこうとも思う。
まだ彼らと出会って五日ほどしか経ってないが、この異様な状況のおかげで――おかげでってのも嫌な言い方だが――ある程度仲は深まっている、のかもしれない。
俺はそこまで他人と話すようなタイプじゃないからあれだけど。けど、先生も井村さんも気にかけてくれているし、温田くんもなぜだか俺を慕ってくれている。まあ、俺がこの場で一番強かったってのが、大きな理由だろうけど。
俺と飾さんは屋上から去ると、いつもの教室にみんなを呼びに行く。ガラガラと引き戸を引けば、中にいた三人の視線が俺へと集中した。
「おはようございます」
「おお、穂村。おはよう」
先生は手を上げ、俺の方へ駆け寄ってくる。
「もう行くのか」
「はい。早いほうがいいので」
「そうか」
彼は頷くと、明るく声を出した。
「じゃあ、盛大に見送らないとな。見えなくなるまで手でも振ろうか」
「いやいや、そこまでしなくても大丈夫ですよ」
今生の別れじゃないのだから。俺は、そう信じているから、大丈夫だ。
俺を先頭にして、全員で校庭へと出る。こうして俺が一行の頭を歩くのも、とりあえずは最後だな。
ポケットからキーを取り出して、車の鍵を開ける。水筒を適当に投げ込んでから、俺は振り返った。
先生、井村さん、温田くん。次に会うのは、だいぶ先のことだろう。
「皆さん、お世話になりました」
「いや、世話になったのは俺らのほうだよ。ありがとな、穂村」
先生が差し出した手を、俺は握り返す。痛いくらいに強く力を込めてきた彼は、朗らかな笑みを浮かべていて。
「頑張れよ」
「はい」
俺が頷くと、先生は満足したように手を離した。
「飾も、ありがとうな。お前が作ってくれた装備、大切に使うよ。応援してる」
「こちらこそ、ありがとうございました」
二人もまた、同じように握手を交わした。
「気をつけてね、二人共」
「はい」
「井村さんも、ありがとうございました」
井村さんはまだ心配そうな表情を浮かべている。その横で、温田くんがガッツポーズを作った。
「先輩達が無事に魔王を倒せるよう、応援してますから」
「ありがとうな」
「ええ。温田くんも怪我しないようにね」
三人ならきっと大丈夫だろう。先生は十分戦える人だし、温田くんも瑞々しい元気がある。井村さんは落ち着いていて、どこか安心できる人だ。
町にはまだ沢山のモンスターがいるだろうけど、きっとやっていけるはず。俺が知り得る知識も全部伝えたし、それにみんな十分育っている。
このゲームを生きていけるだけの実力は、少なくともこの町を生き抜くだけの実力は、もう付いているはずだ。
「……じゃあ、行こうか」
飾さんに声を掛ける。彼女が助手席へ乗り込んでから、俺も運転席へと入った。
ドアを閉め、エンジンを掛ける。重低音が校庭に響き、俺はアクセルを踏み込んだ。
進み出す車の窓を下げて、俺は外に向けて叫んだ。
「皆さん、お元気で!」
「ああ! 二人も元気でな!」
手を振る三人が、少しずつ遠ざかっていく。
学校の正門を抜けて道にそって車を曲げると、その姿は完全に見えなくなった。
俺は窓を上げる。エンジン音だけが響く車内には、少し寂しげな雰囲気が漂っていて。
「私達、戻ってこれるかしら」
飾さんがぽつりと零した。
「ああ」
俺は、ただ肯定する。
「きっと」
諦めてしまえば、未来はない。進まなければ、結果は得られない。努力をしなければ、何かは手に入らない。
俺が今までやってきた経験が、そう言っている。
プロゲーマーとして努力をしてきた。世界がおかしくなっても、その矜持を胸に持ち続けて頑張ってきた。それに見合う結果が得られたのかは分からないが、けど、俺にはそう信じて進み続けることしか出来ない。
「まあ、考えすぎないでいこう。メンタルの不調はパフォーマンスに出るから」
俺は道に沿ってハンドルを動かしながら、アクセルを踏み続ける。
「……ええ。そうね」
「そこにコンパスと地図があるだろ。飾さん、それで俺に道案内してくれないかな」
がさごそと音がして、飾さんが視界の端で本を広げた。あの本は確か鹿児島の地図だったか。他にも熊本や福岡の地図など、九州各都道府県ごとの地図が乗ってある本があるはずだ。
それらを適宜使い分けながら、北へと足を進めていく。分かりやすくて簡単な話だな。
「えーっと……高速は使うの?」
「ああ、とりあえず近くのやつに乗っていこうかな」
答えながら、ふと思う。
あの時上るのに苦労した坂は、車なら余裕だったろうな。
「っ」
そうだ、何も徒歩で行く必要は無かったじゃないか。あの時俺が車で移動することを思いついていれば、今頃……。
道の傍らに、瓦礫が散らばっている。そこは忘れたくても忘れられない、きっと一生記憶にこびり付いて離れないだろう、マッドベアと戦った場所だった。そして何より、小日向さんが死んだ場所でもある。
俺の甘さが、死を招いた。悔やんでも悔やみきれない。
「穂村くん」
「ん、ああ」
呼ばれて、意識が引き戻された。
「高速なら結構上まで行けそうだわ。けど、細かい所がどうなってるのかが分からなくて」
「俺も知識ないししょうがないよ。とりあえず行けるとこまで行って、良さげなとこで降りよう」
「だいぶ適当だけど、大丈夫かしら」
「気楽な方が良いよ。どうせ、この旅はそれなりに続くんだし」
そうだ。
忘れる必要はない。けれど、それが重しになりすぎて動けなくなってはいけない。似たような経験がある。かなり大きな大会で負けて、凹んでどうしようも無くなったときだ。
けれどその時は、考えることをやめて次の大会へとモチベーションを切り替えた。例えば技の選択を失敗をした時、ある程度まで考えるのは反省だが、それ以上を超えるとそれは無駄な自己批判になる。反省ではパフォーマンスが上がるが、過去の判断を悔やみ続けることは、その先に何も残らない。
大切なのは、その失敗をどう活かすかだ。
「……」
そうは言っても、小日向さんの死は忘れられないだろう。今後も俺の心の片隅に、いや、もしかしたら大半を埋めたままかもしれない。けれど、そうやって過去を悔やみ続けることは、きっと今後の攻略の糧にはならない。
今はただ、先を見よう。やるべきことを為して、進んでいこう。
気を楽に持っていこう。小日向さんの死を、決して無駄にしないために。
「飾さん」
「うん?」
「頑張ろうな」
俺が言ってから、少しの間があった。運転中で横が向けないせいで顔が見えないから、どんな反応をしているのかがわからない。
「ええ。頑張りましょう」
けれど、その言葉が返ってきただけで、十分だった。
「お」
ふと、目の前にゴブリンが現れた。いつものように棍棒片手に彷徨っている。
見慣れたモンスターだ。俺はブレーキを踏み車を止めると、パーキングに入れてから車を出る。助手席から、扉越しに飾さんが聞いてきた。
「倒すの? 穂村くん」
「ああ、レベリングはしないといけないから。見かけた敵は、それなりに倒しておこう」
俺は武器を取り出す。
両手に二対の剣を構えて、唱えた。
「スレイヤー」
地面を踏み切り、俺は駆け出す。青空の下、相も変わらず存在する非日常相手に、必死になって戦う。
いずれ辿り着く未来は分からないけれど、それでも、俺は走り続ける。
冒険はまだ、始まったばかりだ。




