13話 スレイヤー(下)
「シャドウブレイズ!」
黒い炎が放たれ、同時に俺も駆け出した。
そのまま接近戦に持ち込むと、ヘイトを貰いながら逃げ続ける。
俺を捉えきれないマッドベアは腕を振り回すが、そんなものには当たらない。その隙に小日向さんの魔法が命中し続け、HPがどんどんと減っていく。
完全にパターンに入った。
もう、終わりだ。
HPは既に残り二割を切った。
「まだまだ……ッ!」
少しずつ、少しずつ。HPが減っていく。
相手の命を、剣と魔法で削り取っていく。
あと少し。
あと……一割。
「シャドウブレイズーー!!」
「ブレードアタック!!」
連撃がマッドベアを襲う。ついにあと数発というところまで追いつめた。
俺は再度スキルを使用し、マッドベアに襲い掛かる。
対抗するように、マッドベアの腕が赤く発光した。俺は動きを止め、それを避ける用意をする。もう対処法は分かった。
最後の悪あがきに付き合ってやるよ。
俺は、マッドベアに意識を集中させて……そして。
「……ん?」
なにか、違和感がある。よく観察すると、些細だが違いがあった。
さっきは腕の片方しか光っていなかったが、今回は両腕が紅いオーラを纏っている。
なんだ? まさかさっきと違うスキル――――
――――直後、俺のすぐそばを何かが吹き抜けた。
生じた突風で耳鳴りがする。甲高い音が脳内に響き渡る。
それより、目の前にいたはずのマッドベアが、いない。
「は……?」
今通り過ぎたのがマッドべアであったということに気が付くのには、そう時間はかからなかった。
まさか。
「くそっ!!」
狙いは俺ではなかった。標的はその後ろ、小日向さんだったのだ。
瞬時に振り返る。そこには、小日向さんへと襲いかかるマッドベアの姿があった。
「逃げ――」
俺の言葉は、届かない。
彼女へと超至近距離まで接近したマッドベアは、彗星のように赤い尾を空中に残して、剥き出しにした鉤爪を殺意のままに振り払った。
爪が小日向さんの胴体へと食い込む。
そのまま、彼女の上半身と下半身が分断された。鮮血が、宙を踊る。
「ぁ」
声が出なかった。
信じられなかった。
目の前で起きている光景が。
小日向さんは目を見開く。手から杖がこぼれ落ちる。マントは靡き、ネックレスは揺れていた。小日向さんのHPゲージから、生きた緑の色が消え失せ灰色一色になる。
瞬間、彼女の体が光の粒子となって、空中に粒が霧散していった。武器や装備ごと、着ている服まで、どんどんと世界から消失していく。
足が消える。体も消えていく。最後に残された顔が、悲痛な笑みを浮かべる。
開いた口から一言、聞こえたような気がした。
「ごめん」
それは恐らく、謝罪の言葉だった。
俺が応える間もなく、遂に顔まで消えた。彼女が何も見えなくなってから、俺の目の前にウィンドウがポップする。それはパーティー機能からの通知のようで。
小日向つむぎが死亡しました。
画面中央に、それだけが書かれていた。
体が痺れたように動かない。動かせない。ウィンドウとマッドベアの間で、数回視線を行き来させる。
死んだ。小日向さんが、マッドベアに殺された。HPがゼロになって、母さんと同じように、光になって消えていった。
時間が経つに連れ、信じたくもない現実を、勝手に頭が咀嚼し始める。
「……」
マッドベアはなぜこんなことをできた? 今のスキルは俺が避けたものとは違ったはず。となれば、二つ目のスキルか。
じゃあなぜあいつはこれを初めから使わなかったんだ。こんなにも強力な技なら、初めから使えばよかったのに。何か条件があるのか。あえて使わなかっただけなのか。
小日向さんのHPはマックスまであったのに、それを削り取られた。彼女の防御力を加味しても、そこまで強力な技なのか。
いや、そんな思考は、もはやどうでもいい。
「お、まえ……ッッッ!!!!」
死んだ。
あいつが、殺した。
許せない。
「殺す!!!」
目の前の敵を。
小日向さんを殺したこいつを。
「ディザスト!!!!」
それが、今俺の頭が考えられるたった一つの思考だった。
「あああああああ――――ッッッ!!!!」
乱雑に剣をぶん回して、ディザストを撃ち放つ。赤い刃が雨のように降りかかり、毛皮から血が吹き出す。
「ブレードアタックッッ!!!」
そのまま接近して、持てる力を全て使って剣を薙いだ。
マッドベアの胴に剣がめり込み、肉を断つ感覚が手に伝わってくる。俺は、力任せに剣を押し込んで切り払った。
肉が裂け、マッドベアが呻く。
「オ゛オオオ……ッ」
すると、それだけでマッドベアの体力はゼロに達した。
マッドベアは断末魔に低い唸り声を上げる。
「グオオ」
と、小日向さんと同じように光を舞い散らせて消えた。
倒せた。そんな感慨に浸る余裕なんか、俺には存在しなかった。
もう一つ、俺の目の前にウィンドウが現れる。レベルアップの通知だ。
レベル10に到達したと、そうそこには書かれていたが、今の俺にはそんなものを考える余裕はなかった。
「……小日向さん」
握っていた剣が地面に落ちて、乾いた音を立てる。
俺は、さっきまで彼女がいた場所に近づいていく。そこには何も残っておらず、一つも気配が無かった。
朗らかな声は、もう聞こえてこない。
横から飾さんが駆け寄ってきた。手で口を抑え、その目は恐怖に震えている。
「うそ、嘘でしょ」
「…………」
「し、死んだ、の? つむぎは」
彼女の声は、弱々しくひび割れている。
見ると、飾さんの目の前にも、あのメッセージが表示されていた。
「……っ」
すぐには答えられなかった。
俺は、地面を見つめる。思考が上手く回らない。でも、はっきりとしたことは、二つだけある。
マッドベアを、俺達が倒したこと。それと。
「ああ。多分」
小日向さんが、死んだことだ。
「そんな」
それだけ呟くと、飾さんの目からは涙が溢れた。
「つむぎ……つむぎ」
しゃくり上げるように、赤子のように、そんな風に泣き出した彼女を見て、俺の心は壊れそうなくらいに痛む。
俺のせいだ。
俺がもっと小日向さんに下がるよう伝えていれば。
俺がもっと小日向さんに警戒するよう言っていれば。
あの攻撃が来るその予兆が見えた時、俺がすぐに逃げるよう叫んでいれば。
嫌な予感がしたのなら、それを芯から警戒しなければいけなかった。
俺がリーダーだったのだから。俺が先頭を歩き、二人を連れて歩いたのだから。
俺の、せいだ。
「……ごめん」
口をついてでた言葉は、謝罪だった。あの時の小日向さんと同じように。
俺は今誰に謝ったのだろう。守りきれなかった小日向さんにだろうか。それとも、泣いている飾さんにだろうか。
俺達は戦いに勝った。
だが、勝負には負けた。失ってはいけないものを、この手から滑り落とした。
「飾さん」
俺が呼ぶと、彼女は泣き腫らした目でこちらを見上げる。
「ここじゃ危ないから、まずは学校にいこう」
「……なんで」
飾さんは、涙で濡れた手で俺の胸を掴んだ。
「つむぎが」
「ああ」
「つむぎが……」
歯を食いしばる。
何がプロゲーマーだ。
俺は、ただの弱い人間だった。人一人守りきれないような。
「行こう」
彼女の手を掴んで、強制的に連れて行く。
外は危ない。空に昇る太陽は、今の俺達には明るすぎる。
校内はシンとした雰囲気が漂っていて、そこからは人の気配を感じなかった。
廊下に足音が響く。後ろを歩く飾さんは一言も発さず、俺も口を開けなかった。
足は動くが、思考は働かない。ただひたすら、後悔の念が押し寄せてきて何も考えられない。
俺のせいで人が死んだという事実が、そこにある現実が、ただただどうしようもなく俺の海馬を埋め尽くす。
死ぬ直前の表情が、言った言葉が、脳裏から離れない。
地面を見つめる。こんなに静かな学校を見るのは初めてだ。廊下は冷たそうで、落ちる日差しは温かい。
「……あ」
ふと、飾さんから声が漏れた。
俺が顔を上げると、廊下の先に誰かがいた。
「か、飾!?」
男は飾さんの名を呼ぶと、すぐにこちらへ駆け寄ってくる。
その人には見覚えがあった。確か上級生の担任をしている、なんとかって先生だ。
多分、飾さん達が言っていた、学校で一緒にいた人の中の一人だろう。熊に襲われた時に別れたって言ってたが、どうやら無事だったらしい。
「それに……君も南の生徒か?」
「はい。穂村っていいます」
「穂村。君も飾と同じ二年か」
「そうです」
俺が頷くと、先生は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「そうかあ。良かった、無事なやつがいて」
そのシンプルでポジティブな言葉が、胸に突き刺さった。
確かに、俺達は無事だ。俺のHPはそこまで削れていないし、飾さんに関しては無傷で怪我一つない。
だが。
「そうだ、小日向は? 飾と一緒に逃げただろう」
飾さんは顔を伏せた。
俺が言うしかない。俺が、責任を取らなければいけない。
俺が。
俺が。
「小日向さんは、さっき死にました」
「……は?」
「俺の判断ミスです。すみません」
信じられない。そんな風に、先生は目を見開く。
「死んだって、お前何を」
「マッドベア――熊と戦って、勝ちはしましたが、その戦闘で小日向さんを守りきれませんでした」
「な、お前熊とやりあったのか!?」
「はい」
俺が頷くと、先生は額を抑える。
「なんてこった、そんなやつがいるとは」
「けど、失敗しました」
「小日向は熊に殺されたってことか」
「はい」
「そうか……小日向も熊に」
その発言に、俺は違和感を覚えた。
小日向も? も、ってどういうことだ?
「もしかして、他にも誰か死んだんですか」
「ああ。飾と小日向が逃げた後、佐貫……分からないか、三年のやつが囮になってな」
表情が一気に暗くなった。俺と同じように、死んだその人を思い出しているのかもしれない。
「置いていけと、佐貫はそう言ったんだ。だからといってその言葉に従うのは、教師として失格なのかもしれないが」
「そんなことが……」
「大人は必要だからと、自分が囮になると言って聞かなかったんだ。俺達はそれに甘えて……今ここにいる」
「他の人もいるんですか?」
俺の問いに、先生は首を縦に振った。
「ああ、上に二人な。一年の学生が一人と、年配の方が一人だ」
「そうですか」
「みんなも心配してたんだ、飾が帰ってきたら……きっと喜ぶよ」
飾さんは小さく頷くのみで、何も口にしなかった。
「穂村も。詳しい話は上で聞かせてくれ」
「はい」
「案内するよ。つっても、通ってんだから知ってるよな」
明るく努めているのだろう、先生が豪快に笑いながら歩き出す。
俺達はその後に、黙ってついて行った。
もし小日向さんがここにいれば、きっと先生とは気が合っただろう。話が盛り上がって、俺達もそれにつられて笑ってしまったかもしれない。
けど、そんなことは起こり得ない。俺が、その可能性を消してしまったから。
なんで俺は戦いを挑んだんだろう。
いや、そもそもなんで俺は、もっとレベルを上げて行かなかったんだろう。そうすれば苦戦せず戦えたのに。小日向さんが死ぬこともなかったのに。
先を急いで、しくじった。いけると思った。敵が弱いと決めつけ、己の能力を過信した。
俺はただのバカだ。
「ついたぞ」
階段を登り、廊下を少し歩いた先にあるC-2教室の扉を開けると、中には先生が言った通り二人の人がいた。
二人は先生に続き教室へ入ってきた俺達を見て、嬉しそうに声を上げる。
「飾先輩! 帰ってきたんですか!」
「ああ、柚子ちゃん! 生きてたのね、良かったわあ」
片方は快活な短髪の少年、もう片方は年老いたおばあちゃんだった。
飾さんの帰還を、本当に嬉しそうに、二人は駆け寄ってくる。
「落ち着け、温田。新しいメンバーも入ってきたからな」
「あなたは僕と同じくらいですよね。南の人ですか?」
温田。名をそう言うらしい少年に聞かれて、俺は頷いて返す。
明るく自己紹介でもすべきなんだろうが、どうも口が動かなかった。見かねてか、先生が代わりに話してくれる。
「二年の穂村だ。熊と戦って、なんと倒してしまったらしい」
「え、ええ!? あいつをですか!?」
「ああ。だが……いや、それはきちんと話を聞いてからだな」
「ほおら、座って座って」
おばあちゃんが座布団を用意してくれて、俺達はそれに座る。
足を崩す気になれず、正座をした。そうでなければ、俺は駄目だと思ったから。
「井村っていいます。穂村くんって言うのね、よろしくねえ」
「はい。よろしくお願いします」
「ええ。柚子ちゃんもおかえりなさい」
こくりと、飾さんは頷く。その様子から何かがおかしいと察したのか、井村さんがはたと気がついたように口を抑えた。
そして小さく、聞いてくる。
「つむぎちゃんは?」
「死にました。俺のミスです」
愕然としたように、井村さんは固まった。
「そんな……」
温田くんが声を漏らす。
俺は。
彼の目を、見れなかった。




