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12話 スレイヤー(上)

 熊だ。

「まず」

 言い切るよりも先に、まるで打ち放たれた砲弾かのような速度で、それは俺へと突進してくる。

 咄嗟に剣を構えるが、直感で理解した。

 安易に立ち向かったら駄目だ。受け止めてしまえば、死ぬ。

 その場から、咄嗟に後方へと飛び退く。

「えっ」

「ど、どうしたの?」

 後ろにいた二人は曲がり角の先をまだ見れていなかったようで、状況が理解できていなかった。

 直後、俺が数瞬前にいた場所に巨体が姿を表す。

「へっ?」

 小日向さんが、素っ頓狂な声を上げる。

 それはその先にあった民家へと勢いのままに突っ込んだ。地が割れたような轟音が鳴り、家がガラガラと根本から崩れていく。

 粉塵が舞い上がり、熊が視認できなくなると、俺はすぐさま二人に叫んだ。

「熊だ! 曲がり角の先にいた!」

「え、ええ!?」

 粉塵の中に、赤い瞳が浮かび上がる。ギラリとドス黒い光を持ったそれが俺を視認すると、怒鳴るように雄叫びを上げた。

「ウオオオオオ――――ッッッッ!!!!」

 まるで、獲物を見つけたと喜ぶように。

 そいつの頭上に表示されたUIを見る。

 マッドベア。レベル23。

「レベル23!?」

 俺のレベルはまだ9だぞ!?

 駄目だ、レベルに差がありすぎる。このゲームのレベル差がどれだけ重要なものかは分からないが……少なくとも無視できるようなものじゃないだろう。

 殺される未来が、すぐそこに見えた。はっきりと、脳裏に死の瞬間がよぎる。

「逃げ――」

 言おうとした直後に、熊……いや、マッドベアが、怒声を上げながら俺の方へと全速力で走ってきた。

 逃がす暇も与えてくれないようだ。

「くそっ!」

 舌打ちして剣を構える。

 迎え撃つように、俺は叫んだ。

「ディザストッ!」

 剣に赤く透明なオーラが纏わりつく。それを振るれば、赤い三日月型の刃が剣から放たれ宙に舞い、襲い来るマッドベアへと降り掛かった。

 肩に命中し、HPゲージが若干削れる。

 若干だ。有効であるとは、とてもじゃないが言い難い。

「オオオオオッッッ!!!!」

 マッドベアは俺の眼前に迫ると、その剛腕を地面へと打ち下ろした。

「っ!!」

 左へ体を反らし、ギリギリで飛び退いてそれを避ける。腕が命中した部分の道路が蜘蛛の巣を張り巡らせたかのようにひび割れ、壊されたコンクリートの破片がいくつも宙を舞った。

 着地すると、俺はさらに後方へと下がり距離を開ける。マッドベアは地に沈んだ腕をゆっくりと持ち上げ、不気味に首を倒した。

 全身に浴びるのは恐怖。そして、圧倒的なプレッシャー。

 思わず足が竦んだ。怖いと、素直にそう思ってしまった。

 喉がカラカラと乾く。全てを投げ捨て逃げろと、本能が警告する。おかしい、手が震える。こいつに勝てるわけがない。けど逃げられる気がしない、背中を向けたら死ぬ、まずい、どうすれば、俺は……。

「シャドウブレイズ!」

 突然、後ろから黒炎が飛来する。燃え盛る影は俺を通り過ぎると厚い毛皮へ着弾し、マッドベアの腕が煤けた。同時に巨熊が呻き、俺から視線を外す。

 小日向さんの魔法だ。振り返ると、杖を握りしめた彼女がいた。

「雪斗くんっ!」

 その手は、震えている。

「っ」

 その様子を見て、殴られたような感覚が頭に響いた。

 俺は今何をした? ビビったのか? 二人の女の子を自分から引き連れてここまで来たのに、予想外に強そうだった敵に怖気づいた?

 何をしてんだよ、穂村雪斗。お前はプロゲーマーだろ。ゲームが上手いこと、それくらいしか取り柄のない人間だと、自らが彼女に言ったんだろう。

 なら戦えよ、腰抜け。逃げられないと思うなら、死力を尽くして剣を振れ。

 昂ぶる。今まで培ってきた全てが、この身を奮い立たせる。

「小日向さんはそのまま魔法で攻撃を! 飾さんは下がってて!」

「雪斗くんは!?」

 その問いに、俺は剣を握り込んだ。

 今にも襲いかかろうと爪を空に立てるマッドベアを、睨み返して言う。

「俺は近づいて囮になる」

 HPの削り幅に着目する。

 俺がダメージを与えた時はそこまで減らなかったが、今さっきの小日向さんの攻撃では、俺の倍かそれ以上のダメージが入っていた。

 つまり、あいつには小日向さんの攻撃――魔法が効く。恐らく俺の攻撃のような物理的なものより、魔法使いが扱うような魔法的なものの方がダメージが入るタイプのモンスターなのだろう。

 それっぽく言うなら、物理より魔法が効果的って感じか。ゲームじゃあそういうのは珍しくないから、そんなシステムがこの世界にあっても不思議じゃない。

「は――ッ!!」

 俺は地面を蹴ると、マッドベアへと一直線に接近する。

 作戦は単純だ。俺がやつの注意を引き付け、その隙に小日向さんに叩いてもらう。

「グォォオオオッッッ!!!!」

「んだよ、モンスター如きが!」

 虚勢を張った。

 本心では近づきたくないが、俺が下がれば注意が小日向さんに向く可能性がある。

 それはまずい。そうなれば、俺よりも防御力が低い彼女はあっという間に死んでしまうだろうから。

 マッドべアと近距離でやり合うのは、このゲームで俺がやるべき役目だ。ヘイトを取りながら、味方に殴ってもらう。ゲーム的にはタンクという役職に近いだろう。

 とはいえ、俺は何発も攻撃を受けられるほど丈夫じゃない。

 近づき、攻撃を避けつつ、だがマッドベアの意識が俺以外に逸れないようにする。

 バカみたいに難しい。聞く人が聞けば頭お花畑かよとツッコまれるだろう。相手はでかい熊で、人間が勝てるようには見えないそいつの動きは簡単に予測できるようなものじゃない。

 だが、俺にならできる。そう信じている。そうでなければいけない。

 なぜなら、でなければ、終わりだからだ。

 ここで失敗すれば終わる。文字通り今まで培ってきた全てが、人生が、命が。

 だが、似たような経験はしてきた。持っている全てをぶつけ、相手に挑む。どれほど強く攻略が不可能に見えても、諦めずに戦い続ける。

 その精神は、俺がプロゲーマーになってから身に付けた、最も大きなものだ。

「ディザスト!」

 俺はマッドベアの目に狙いを定め、剣を横薙ぎに振り払った。鎌鼬が空を切り、命中すると巨体が吠える。

「ガオオォッ!!?」

 目を両手で抑え呻くマッドベアへと、続けざまにまた黒炎が襲いかかった。

 HPの削れ具合は良好だ。ダメージは多くはないが、これなら何十発か打ち込めば倒せるだろう。

「小日向さん! できるだけ高速で打ち込んでくれ!!」

「わ、わかった!」

 よろめく熊の足元まで近づいた俺は、スキルを詠唱しながら剣を叩き込んだ。

「ブレードアタック!!」

 マッドベアの足に傷がつく。ダメージも少しだが入っていた。

 どうやらこの程度の攻撃でもしっかりと痛みを感じているようで、マッドベアは怒りを顕にする。

「オ゛オオッッ!!」

 鋭い銀爪が空気を裂きながら俺へと降りかかった。

 だが、それは容易に読めている。攻撃をすればそれに対する反撃が来るなんて、簡単に分かるようなことだ。

 俺は奥へ抜けるようにその攻撃を避けると、瞬時に反転してがら空きになった背中を叩く。

「ブレードアタックッッ!!」

 剱が巨躯の背を撫で、鮮血が迸る。

 蝿のように纏わりつく俺へ振り向こうとしたその顔を、俺はスキルを使用し切りつけた。

「ディザスト!!」

「グオオッッ!?」

 空に舞う半月が顔面に衝突し、マッドベアは一歩よろけた。

 いい感じにヘイトが俺へと向き続けている。

 使えるスキルは二個しかないが、工夫の余地は無限にあると、強く実感が湧く。

「シャドウブレイズ――!!」

 炎が空間に影を落とした。さらに一撃が入り、HPゲージが順調に減っていく。

 とはいっても、まだ十分の一ほどが削れた程度だ。倒すにはまだ足りない。まだ多くの魔法を撃ち込まねば。

 マッドベアは怒号を飛ばし、小日向さんの方へと顔を向ける。それを視認した俺は右腕を払い、後頭部へと斬撃を叩き込んだ。

 後ろからどつかれた形になるマッドベアはイラついた様子で俺の方へと振り返る。

「よし……!」

 小日向さんには向かわせない。俺の方へと引き止め続ける。

 直後、マッドベアは腕を擡げた。

「オオオオオオ!!!」

 叫ぶと共に、巨腕が赤色に発光した。

 全身に悪寒が駆け巡る。

 なにか、来る。

「ふう……っ」

 だが、焦らないよう努め、腕の動きを注意深く目に留める。

 ゆらりと揺らめいた腕は。

「は――っ!?」

 気が付くと、目の前に"あった"。とてつもない速度で殴りかかってきたのだと理解する間もなく、俺は咄嗟に剣でそれを受け止める。

 瞬間、圧倒的な質量の激突に体が後方へとぶっ飛んだ。

「がはっ!!?」

 宙に浮いた体は後方にいた小日向さんの横を抜け、そのまま外壁に叩きつけられる。

 全身が弾けるような激痛が走った。

 肺が収縮して呼吸ができない。手から剣が滑り落ち、俺は地面へと蹲る。

 苦しい。今まで味わったことがないくらいに。

「雪人くん!?」

「穂村くん!」

 駆け寄ろうとしてくる飾さんを何とか手で制止すると、未だ痛む体を気合で持ち上げた。

 油断はしていなかった。だが、攻撃があまりにも早すぎて思考が間に合わなかった。ギリギリ剣で受け止められたからまだマシだったが、これをまともに受けたらどうなるか。

 顔を上げる。苦しんでいる暇はない。

「くそっ……」

 HPゲージを見ると、およそ三から四割が消し飛んでいた。

 火力がイカれてる。

 打撃を受ける直前、マッドベアの腕が赤く光っていた。どこか既視感がある気がして、少し考えると。

 答えが出た。スキルだ。俺もスキルを使うとき、剣が赤い光を纏う。

「あいつもスキルを使えるのか……?」

 少なくとも、似たような何かがあるのかもしれない。

 だとすれば、いくつ使えるんだ? 俺みたいに二つ使えるのか? いや、むしろそれ以上あるかもしれない。全てに対処するなんて可能なのか……?

「ちっ」

 考えても分からない。少なくとも、何かがあるということしか。

 マッドベアはどこか満足げに、にやりと頬を釣り上げている気がした。ギラリと光る銀の爪が、強烈な殺意を想起させる。油断しているのか、がら空きになった小日向さんを叩きに行く気配はない。

 俺は剣を拾い上げると、小日向さんのカバーに走った。

「俺のことは気にするな! とにかく魔法を!」

「う、うん!」

 俺が戦闘に復帰してようやく、マッドベアが動き出す。腕を大きく振りかぶり、同時にコンクリートを踏みつけ砕きながら前方へと飛び出してきた。

 腕は光っていない。スキルは未使用か。なぜ使わない? もしかして気軽に使えるようなものではないのか? 発動条件があるとか、或いはクールタイムが必要とか……。

 とにかくさっきほどの爆発力はないってことだ。

「ブレードアタック!」

 俺はスキルを使用すると、振るわれる剛腕に合わせるよう剣を薙ぎ払った。

 刀身と毛むくじゃらの腕がぶつかり、とてつもない勢いに腕ごと持っていかれそうになって、即座に柄から手を離す。剣が遠くへと吹き飛んでいき、どこかで地面に鉄が落ちる音がした。

 ダメか。スキルを使っていない状態の攻撃も、俺は受け止められない。

 武器を失った俺に、熊は浴びせるように連撃を放ってくる。

「グオオオオッッ!!」

 こいつの攻撃は強力だが、かなり大振りだ。つまり予備モーションが大きく、よく見ていればどこに攻撃が来るのかがわかりやすい。あのスキルみたいなのは別だが。

 狙いを定められないよう左右にステップして動きを散らすと、思い通りに攻撃をスカってくれる。こいつ、打撃は強烈だけど頭は弱いらしい。

 後方へと引きながら攻撃をよけつつ。

「戻ってこい!」

 念じると、飛んでいったはずの剣が手元に現れた。

 どこかにいってしまった剣は、一度消して再度取り出すことで呼び戻すことができる。今思いついたけど、これは結構使える場面がありそうだ。

「ディザスト」

「シャドウブレイズ!」

 斬撃と共に黒炎が降りかかる。目を攻撃され怯んだマッドベアの胴体に魔法が直撃し、一層HPゲージが削れた。

 まだ足りない。俺たちは息を合わせながら、連撃を叩き込んでいく。

「オオオ……ッッ」

 一歩後ろへと引き下がったマッドベア。思わず、感情が高ぶる。

 効いている。

 あのスキルにさえ気を付ければ、いける。

「オ゛オ゛オ゛ォォォォ――――ッッッ!!!」

 怒号が響き、死闘が始まった。

 迫る連撃をなんとか捌きながら、スキルを使って相手の注意を引く。

 流星のように、漆黒の尾を引いた炎がマッドベアへと降り注ぐ。

 HPゲージが、少し、また少しと削れていく。

「がっ」

 凶爪が頬を掠めた。鋭い痛みが走り、俺のHPが削れる。液体が頬を伝う感覚から察するに、血が出ているようだ。

 だが、そんなことはどうでもいい。

「うおおおおおおおっ!!」

 今は、目の前に立つ敵の動きだけを見ていればいい。

「オオオオッッ!!」

 大きく横に振り抜かれた腕を、俺は軽く後ろへ飛び退き避けた。攻撃する前の動きで、こうくることは簡単に予測がついている。

 だんだんと癖が読めてきた。やはり、分かりやすい。

 だが、そう簡単には攻略させてはくれないのが世の、ゲームの常である。

「でかいのが来る! 気をつけろ!」

 また、腕が赤く光りだしたのだ。条件が揃ったのか何なのか知らないが、ヤツはまたあれを使う気らしい。

「え、なに!?」

「さっきのだ! 俺が喰らったやつ!」

 ここから取れる択は三つある。

 一つは、こちらから仕掛けること。だがこれは現実的じゃない。今からあいつを怯ませられるだけの火力をぶち込むのは無理だろう。それよりも早く、あちらの攻撃が俺に到達するはずだ。

 次に、逃げること。これは論外だ。間に合わない。

 最後に残った選択肢は、避けることだ。

 さっきまでで分かった通り、あいつの動きは単調。となると、あの時だって恐らく直線的に攻撃をしてきたはずだ。

 出だしだけでもモーションを捉えられれば、避けることは可能なはず。

 そう思ったからこそ、俺は未だ接近戦を仕掛けていた。HPまでぶっ飛ばされたあの時に、俺はここまで思考を巡らせていた。

 可能かどうかは、俺の反射神経にかかっている。

「はっ」

 だが、俺には自身があった。

 なぜか。似たような状況を、スプ7で経験してきたからだ。

 格闘ゲームには差し替えしという技術がある。簡単に言えば、相手が殴ってくるのを避け、その後隙に攻撃をぶつけるという技術だ。

 口で言うには簡単だが、これは思ったよりも難しい。なぜなら、その後隙というものは大抵十数フレームしかないからだ。

 十数フレーム。秒数にすれば、約0.5秒。相手の攻撃を見てから0.5秒で反応して、反撃をするためにボタンを押さなければいけない。

 一般的には難しい、もしくは無理だと思われるだろう。だが、格闘ゲーマー、特にプロともなれば容易にそれをこなす。

 なぜそんなことができるのか。それは、訓練されているからだ。

「…………」

 相手の動きをよく見る。

 予測する。

 準備をしておく。

 その練習を、何度も、無限に重ねる。

 そうすることで、自然とそれがこなせるようになる。

 そして、俺にはそれができる。

「こいよ……!」

 スプ7では相手の動きは素早いかつ複雑なので、練習を重ねなければ差し返しは難しい。

 だが、今回の相手は単調な動きをしている。早いだけのバカだ。

 それなら、できる。

「――――オ゛オ゛ッッ!!」

 オーラを纏った腕が、赤い軌跡が描く。

 その直前、マッドベアがとった動きを俺は見た。

 あいつは、右腕を後方に振り上げた。そこから予測できる動きは振り下ろし。直線的かつ原始的な叩きつけ。

 俺は地面を蹴り放ち、横方向へと自らの身体を押し飛ばした。

 直後、一瞬前にいた場所に腕が撃ち込まれ、地面が弾け飛ぶ。吹き飛んだ破片を剣で受け、僅かなダメージも防ぎ切った。

 成功だ。俺は、あいつのスキルを避けた。

「おい」

 手応えが無かったことに戸惑っているのか、目を泳がせるマッドベアに俺は剣先を突きつける。

 レベル23。巨躯に圧倒的な攻撃力。

 だが、俺はそれを攻略した。倒せる未来が、はっきりと視認できる。

「もう、リーサルだぞ」

 そのHPを削り切る算段は、既についていた。

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