頑張れる秘訣は推し
AM8:30
「おはようございまーす」
冬季の職場は、自宅から電車と徒歩で20分程度の距離にある。
朝の満員電車は体力を削られるが、3年目となれば慣れたものだ。
「みっちーおはよ」
「おはようございます、あれ?倉持さんそんなスーツ持ってました?」
「え、気づいた?これこの前彼女にもらってさ。
今日商談あるからおろしたんだよ~。どうよ、似合う?」
彼女からもらったおろしたてのスーツを嬉しそうに自慢する彼は、
冬季の元教育係で6年目の倉持辰也。
この会社ではかなりやり手側の人間だが、実に明るく後輩想いの良い先輩である。
「似合ってますよー、彼女さんのセンス素晴らしいですね」
「ほんとに思ってる?なんか棒読みなんだけど」
「気のせいじゃないですかね」
・・・いい先輩ではあるが、この彼女自慢が最近頻出しているため
冬季の返事も適当を極めている。
「あ、そういやこの前の商談、どうだった?進みそう?」
「はい、お客さんも結構乗り気でそのまま進みそうです。
ただ工期がかなりシビアで・・・あともう1件のところも___」
冬季が勤めるリフォーム会社は、中小企業とはいえど
リフォーム専任の会社としてはかなり伸びのある企業として名を挙げている。
ゆえに、この12月という年末時期には多忙を極める。
毎日数件の見積りと現場で、休みは週に1回あれば御の字だ。
「最近忙しさ半端ないよな。大丈夫か?案件まわってる?」
「んー・・・正直ぎりぎりですけど、
桐島くんに貢ぐためなら全然問題ないですね」
「また桐島くんかよ、いや趣味にお金使うのはかまわんけど
変なところで無理するなよ?俺はフォローも入れるわけだし」
「もちろん自己管理はしてるつもりです。でもありがとうございます」
会社内で冬季の推し活動はかなり有名である。
どれだけきついことがあっても、桐島という2文字だけで立ち直る姿は
社内の人間も関心するレベルである。
「あ、現場行かないと。すみません、先出ますね」
「おう、いってらっしゃい!気を付けてねー」
今日は午前中に2件の現場、午後より商談2件。
スマホ内のスケジュールを見ながら、
定時内に事務所へ戻っての作業は不可能だろうとため息をつく冬季であった。
_______
時刻は17時半。
「戻りました~」
「おつかれさまですー」
現場2件、商談2件を終えた冬季は、定時の18時より前に事務所へ到着していた。
今日中に済ませたい事務処理は3件。
定時退社には残り30分と厳しい戦いである。
「おつかれ!現場問題なさそうだった?」
「おつかれさまです。そうですね、1件目はもう内装まで進んでますし、
2件目も大工終盤なので問題ないかと思います。商談もぼちぼちでした」
「ならよかった。今日は?定時で帰れそう?」
「いやー・・・3件今日中に済ませたい分あるので、ちょっと無理かもです」
冬季の会社は意外に残業する人間が少ない。
どれだけ多忙を極めようが、残業するレベルまで仕事を請け負わないスタンスが多いからだ。
その中で冬季が頻繁に残業しているのは、
周りが請け負わないあぶれた案件を請け負っているためである。
「なー、みっちー。ちょっと俺不思議に思うことがあんのよ」
「なんですか?」
「なんでそんなに仕事頑張れるの?いや、周りはめちゃくちゃ助かってるよ。
俺も含めて、残業しないレベルでしか案件持たないけど、みっちーは結構
無限に請け負ってるだろ?どこからそのエネルギー沸いてんのかなって」
倉持は心底不思議そうな顔と、心配の顔を交互に見せている。
冬季は少し気まずそうな顔をしながらも、そのエネルギー源を思い出していた。
「あー・・・またかよって感じかもですけど、桐島くんのおかげですよ。
桐島くんがね、とある番組で“どんな女性に惹かれますか”って聞かれてまして。
その時に“人の為に頑張れる人や本気で仕事してる人”って言ってたんです。
私決してリアコにはならないって決めてるんですけど、どこかの世界線で
桐島くんに出会った時に、桐島くんに素敵な女性だなーって思われたいので
こうやって頑張ってるって感じです。・・・恥ずかしい話ですけど。」
大学4回生の夏。
就活も終わって、バイトと卒論だけの日々で
それ以外といえば推し活しかしていなかった時期。
スウィートリチアでゲスト出演していたトーク番組で、
メンバーそれぞれが惹かれる女性について答えていた。
その時期の冬季は、未来の自分に対して特に何も考えることはなく、
ただ漠然と社会人になることを憂いていた。
そんな時に聞いた桐島くんの話に、まんまと乗せられて今に至る。
ある意味ぐだぐだと何も考えず過ごしていたあの時より、
よっぽど自立した人間にはなれたと思う。
「なるほどねぇ・・・つまりエネルギー源は推しってことよな。
推しもすごいけど、それをエネルギー源にそこまで頑張れる一途なみっちーが一番すごいか」
「いやいや、まだまだですよ。こんなのでもし桐島くんに出会う世界線に飛ばされちゃったら、
なんも足りてなくて走って逃げなきゃ失礼なまでありますし」
「そうかぁ?十分褒めてもらえるレベルだと思うけどなぁ」
「倉持さんに言われるのも十分うれしいです。
でもまぁ、桐島くんに出会う世界線とかありえないので、倉持さんで我慢しときます」
「ちょっとまって、素直に喜べんのか。わからんぞ?意外とばったり会うかもじゃん」
「1億の商談決めるより難しいですよそれ・・・」
桐島くんと出会える世界線。なんでも夢見た世界線である。
某青いロボットからなんとかボックスがもらえれば、その世界線も創造できるかもしれない。
だが現実は無常である。マックスで推しと近距離で会えるのは握手会くらいだ。
これ以上を求めてしまっては、そこらのリアコ勢と同類となってしまう。
冬季はとにかくリアコになることだけは避けていた。なにせ推しに迷惑でしかないからだ。
昔のアイドルとファンと言えば、実に距離が遠く、アイドルはどこまでもアイドルだった。
しかし、SNS等アイドルの私生活を覗けるコンテンツが増えた今、
酷いところではストーカー被害、そこまでいかずとも推しにガチで恋をしてしまって
熱愛や結婚の報道が出るだけで発狂するファンは爆増している。
それは「ワンチャン自分にも推しと付き合えるチャンスがあるのでは?」と思わせる
アイドル側の発信・何となく感じる距離感の近さが誘発するものだろう。
「みっちーのエネルギー源も知れたことだし、申し訳ないけど先帰るな。無理すんなよ」
「はい、ありがとうございます。おつかれさまです」
倉持と話し込んでいる間に、時刻は18時10分。
もちろん手を動かしながら話をしていたものの、もう少し残業が必要である。
「うーん・・・1件終わらせたらごはん買いに行って、そっから続きしよっかな」
ラッキーなことに明日は休みだ。
少し遅くまで残業しても問題ないだろう。
社内にはすでに冬季1人だけになっていた。
周りを見渡して、自然に出そうになるため息をぐっと我慢してから、
もう一度パソコンに向かった。
皆様こんばんは。向井です。
私のよくないところは初めの更新スピードは異常に早いのに
少しずつ落ちていくところです。
なんとか頑張ってください、私。笑