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ファーレンハイト・第二部  作者: 風森愛
後日譚 8月20日編
95/98

タイタニック兄弟

 午後五時二十二分


 階段を下りる中山を見送っている。

 踊り場で振り向く中山は笑顔で俺を見上げるが、その姿に胸が痛む。十分過ぎるほどのレポートを上げた中山を苛立たらしげに叱責する藤川には怒りしかない。


 部屋に戻り、リビングのドアを開けて藤川を見るとまだあの曲を聴いていた。頬杖をついたまま、俺を見て微笑む。


「諒輔君おかえりー」

「ただいまー」

「あのねー、モラハラクソ上司みたいなの、やりたくないんだけどー」

「そうなのー? そうは見えなかったけどー?」


 笑っているが、ふっと寂しげに目を伏せる藤川は、中山と距離を置くために演技で『モラハラクソ上司役』をやっているそうだが、本当の理由は他にあると思っていた。

 俺が中山を甘やかすから仕方なくとも言っていて、一応は納得していたが、さっき中山が彩花(あやか)――見山(みやま)彩花(あやか)先輩の名を出した瞬間に、俺は確信した。藤川が中山を嫌う理由は見山先輩が原因だと。俺がもし、慌てて藤川を止めなかったら中山はどうなっていたか。


「こんな完璧なレポート上げてんのに、文句言わなきゃならない俺の辛さは理解してくれてる?」

「もちろん」

「ならいいけど」


 ――何で、俺に隠すのかな。知ったらいけないのか。


 動画アプリで再生していた音楽を止める藤川は俺に優しく微笑む。その表情を見ながら、俺は依頼された追加調査のレポートをカバンから取り出した。

 安原美波の不倫相手で、現在は運送会社で働く元警察官についての素行調査だ。


 座卓に座り、正面の藤川に渡す。

 レポートを手に取った藤川は興味無さげに流し読みするが、レポートに視線を向けたまま口を開いた。


「休みなのにごめんね」

「ふふっ、いいよ。早く連絡したいんだろ?」

「うん。いい女性(ひと)そうだし」

「不倫は、いいの?」

「慰謝料完済したんだろ? 逃げないでよくやったと思うけど。お前は?」


 ――人の本質なんて変わんねえよ。


「本気にはならない、な」

「そう」


 会話はこれで終わり、お互い黙ったままでいたが、藤川がレポートを読み終えたところで俺は口を開いた。だが少しだけ、伝えるのを躊躇(ためら)う。藤川を見ていて感じたことを伝えた方がいいと思っただけだが、自分自身に問うているようで躊躇(ためら)っているのだろう。


「昔の男を忘れてないようだけど、いいの?」


 藤川は俺をじっと見て、短い息を吐き出してから俯き加減に笑う。


「俺だって忘れられない女、いるから。お前だって、そうだろ?」


 藤川の、伏せた顔の口元が歪んで見えた。



 ◇



 今日の安原美波は休みで在宅しているようで、藤川は電話をかけるという。俺は席を外そうかと言ったが、いたままでいいと言われ、少し緊張した表情の藤川を眺めている。

 スマホを両手で持ち、何度も深呼吸しては画面をタップしようとして、指先を引っ込めている。


「何やってんだよ、面白い奴だな」

「うるさいなー! 緊張してんだよ」


 藤川の意外な一面に驚くが、無理もないかなと思う。藤川は二十二の時に交番勤務を終えて署に戻ると、用意された服に着替えさせられ、スーツケースと現金二十万円と航空チケット、そして偽造パスポートを渡され、成田空港からフィリピンに連れて行かれたという。

 何があったのか、何をしていたのかはたまに話してくれるが、日本に戻ったのは約十年前、藤川は三十一歳になっていた。その間、一度も帰国していない。


 帰国してから交際した女性はいないという。だから安原美波が自分に興味を持ってくれたことが嬉しいようだ。今の見た目なら女に不自由しないと思うが、ガラの悪い見た目でいた年数が多いせいか、女から避けられていることが当たり前で、女とどう関係を構築すればいいのかわからないそうだ。


 俺が藤川と再会したのは五年前だが、加藤は八年前、六年前、三年前に会っている。いずれの日も見た目が違っていて、加藤は気づかなかったという。


『最初は昭和の暴力団で、次は風俗のキャッチ。最新はロン毛のザイル系ですよ? 気づかないですよ』


 そう言った加藤に、俺が再会した際の藤川の見た目を話すと笑っていた。岡島そっくりの昭和のチンピラだったよと。


「まだかけないの?」

「うるさいなー!」

「ふふふっ……」


 藤川は笑っているが、その口元は緊張のせいか引きつっている。俺は藤川から目をそらし、スマートフォンを取り出す。

 奈緒美さんからメッセージが届いていた。今夜は電車なのか車なのかを問うメッセージに、頭の上にクエッションマークのついたペンギンのスタンプがあった。思わず頬が緩む。


「なんだよ、スマホ見てニヤニヤしやがって」

「ふふっ、羨ましいか? なら早く電話しろよ」

「うるさいなー!」


 ――いいから早くかけろよ。


 藤川に目を向けると、じっと俺を見てから大きく息を吐き、スマートフォンに指先を合わせ、画面をタップして耳に当てた。その横顔には緊張が見えるが、迷いはなさそうだ。俺はホッと胸を撫で下ろす。


 電話はすぐに繋がったようで、緊張した藤川の顔がパッと明るくなった。だが、俺は呆気にとられた。


「藤川です。ご連絡が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。お手紙を頂き、ありがとうございます。実はまた横浜へ行くことになりまして、ぜひお会い出来ないかと。いつが、ご都合がよろし――」


 ――早口過ぎるだろ。聞き取れねえよ。落ち着けよ。


 安原美波は何かを言っているようで、藤川は動きを止めて目を見開いている。俺は不安になるが、次に藤川が発した言葉に頬が緩んだ。


「はいっ、来週ですね、水曜日、はいっ!」


 電話を終えた藤川はスマートフォンを耳から離し、画面をじっと見つめている。そして満面の笑みで俺を見た。

 喜びを隠し切れない表情でニヤニヤと笑っている。


「どこ、行けばいいのかな」

「ふふっ……ふふふっ……」

「なんだよ」

「楽しそうだな」

「うるさいなー!」


 そう言いながらも藤川は満面の笑みでスマートフォンに指先を滑らせている。横浜のデートコースならみなとみらいだろうと思うが、町沢署の裏の支社に転勤するまで、奈緒美さんはみなとみらいにある支社に勤務していて、こう言っていた。


『みなとみらいでデートって、何するんでしょうね? オフィスビルとタワマンしかないのに。遊園地かな?』


 自分の勤務時間と同じ時間帯に営業しているショッピングモールやイベントは、ただの日常の景色となっていたのだろう。


(おお)さん(ばし)に行けば?」

「ああ、水上(すいじょう)署の先の?」

「そうそう。先っぽでタイタニックごっこでもして来いよ」

「タイタニック、か……」

「ん?」


 タイタニックが上映された頃はまだ藤川は日本にいたはずだが、何かを思い出して笑いを堪えている。


「何、なんだよ、気持ち悪いな」

「えー? ふふふっ……」


 テーブルに片腕を乗せ、笑いながら話す内容がロクでもなさすぎて、俺は溜め息が出た。

 勤務終わりに成田空港へ連れて行かれたまま、十年近く帰れなかった官舎は、もちろん自分の荷物は無くなっていたが、三ケ所に分けて保管されていたという。そのうちの一つは松永さんの自宅だったと。


「先輩から回ってきたAVもそのまま残されててさ、俺、要らないから松永さんにあげたんだよ」

「ふふふっ……」

「そのうちの一つがタイタニックのケースに入ったAVでさ――」


 ――それってもしかして……。


「中身はパイパニック。パイとパニックの間は星マークだった気がする」


 ――やっぱりな。


「……あのAV、どうなったんだろうな」

「知らねえよ。玲子(れいこ)さんに聞いてみろよ」

「怖くて聞けねえよ!」


 歯並びの綺麗な白い歯、濃い眉毛で二重まぶたの切れ長な目。笑いジワが刻まれた目尻は下がり、はにかんだ笑顔を向ける藤川は楽しそうだ。


「この後は? まだ仕事か?」

「いや、出かける。ロシア人美女とデート」


 ――何言ってんだ、コイツ。安原美波はどうした。


「敬志にさ、遊びの女紹介してって言ったら紹介してくれてさー」

「もしかして、エカテリーナ?」

「うん……何? 何かあるの?」


 ――特に問題無いけど……さっきまで安原美波に浮かれてたのに何なんだ、コイツは。


「誰かと穴兄弟になっちゃうとか?」


 ――そんな話、誰もしてねえよ。


「……少なくとも、俺はヤッてない」

「なら、他の誰かは……ってこと? 誰よ?」

「知らねえよ」

「なんだよ、教えろよ」

「誰と兄弟になっても問題ねえだろ。じゃ、俺は帰るからな」

「えー!」


 俺はロクでもない藤川に背を向けてリビングを出ようとしたが、藤川は立ち上がり後をついてきた。


「教えてよー」

「わかったよ」


 ――教えてやるよ。仕方ねえな。


 俺は藤川を見上げ、微笑みながら伝えた。


「パイパニックのケースに入ったタイタニックは俺が持ってる」

「そーなの!? いや、違うって、そっちじゃなくて」

「離婚してさ、寂しいだろうからって先輩がパイパニックくれてさ、なら見ようかなってケース開けたらタイタニックだった俺の気持ち、わかるか?」

「沈んじゃう」

「……じゃあな」

「おいっ!」


 そう言って廊下に出たが、藤川は背後でブツブツと文句を言っている。


 ――うるせえな。


「諒輔くーん、教えてよー」

「とりあえず、俺の手元のは、エカテリーナに手は付けてない」

「ふーん……お前は口説いたことあんの?」

「無いよ。たまに会って手配してもらってたロシアの毛糸とか買ってる」

「……他の奴らは?」

「岡島は野菜と果物の目利き要員で、たまに呼び出されて買い物同伴。飯倉はエカテリーナが作った甘い菓子を食わされてる。中山はジムで用心棒」

「お前ら何やってんの?」


 ――ホントにな。俺も意味わかんねえんだよ。


 唇を尖らせて不満そうな藤川に、最後のアドバイスを伝えた。


「エカテリーナは手強いぞ。簡単にヤれると思うなよ」

「えー」

「あの敬志ですらダメだったんだから。頑張れよ」


 そう言って、俺は捜査員用のマンションを後にした。





 





 パイ☆パニック!

  (・∀・)b


 次話は加藤奈緒視点です。

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