表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ファーレンハイト・第二部  作者: 風森愛
後日譚 8月20日編
90/98

思い出さずに忘れずに

 午前十一時三十四分


 部屋を出て官舎の廊下を歩いていると、飯倉和亮(いいくらかずあき)の部屋の玄関ドアが開く気配がして避けようとしたが、ドアが勢いよく開いて避けきれず、俺は腕で止めた。

 その反動でなのか、出ようとしていた飯倉はどこかぶつけたようだった。


「痛っ!!」

「ああっ! 大丈夫ですか!?」


 室内を覗き込むと、ドアの取っ手を掴んだまま頭を押さえている女がいた。


「どうしたのー? あっ、諒ちゃんだー! ヒマなの?」


 ――すみません、ね。


 飯倉の部屋には、加藤と飯倉、そして玲緒奈さんがいた。なぜ二人がここにいるのだろう。


「加藤……ごめんな、でも勢いよく開けすぎだよ」

「すみません……」

「諒ちゃーん、出かけるのー?」

「はい。出かけます」

「へえ……」


 俺の目を見て口元を緩ませる玲緒奈さんは、俺が奈緒美さんに会いに行くのだと思っているのだろう。今日は五連休の初日で、仕事終わりの奈緒美さんを迎えに行く予定ではあるが、その前に横浜の捜査員用のマンションで藤川と会う約束をしている。


「何で加藤がここにいるの?」

「少女漫画とTLコミックのレクチャーです」


 ――何の話?


「もう私の分は終わったので帰りますけど」

「……そう」


 確か今日の玲緒奈さんは非違事案の内偵のはず。なぜ飯倉の部屋にいるのだろうか。心配そうに加藤を見る飯倉と目を合わせると、俺の疑問を見透かしたのか、加藤に気取られないようにサインを送ってきた。


 ――時間が来るまで待機、と。


 内偵しているのはうちの署員ということか。だから飯倉も動くことになったのか。飯倉も連休なのに可哀想にと思っていると、玲緒奈さんは飯倉に話しかけた。


「あんたさ、AVは持ってる? ポルノサイト見るだけ?」


 飯倉は泣きそうな顔をして俺を見るが、俺は何も言わず微笑んでいると、ロクでもない言葉がまた、聞こえた。


「エロ漫画は? あんたまだエロ漫画で抜けるでしょ?」


 加藤は緩む口元に力を込めながら廊下に出る。俺は飯倉に微笑んだまま玄関ドアを閉め、加藤と一緒にエレベーターに向かうが、加藤は何かを思い出して笑いを堪えていた。どうせロクでもないことだろうと考えていると、エレベーターのドアが閉じられてすぐ、ロクでもない女の舎弟はこう言った。


「ポルノサイトって年齢層別に検索ワードを公表してるんですけど、エロアニメは三十五歳以降になると激減するんです。須藤さんは見ます? エロアニメ。もう卒業しました?」


 いろいろと言いたいことはあるが、何から話せばいいのか。セクハラ発言は女なら許される風潮に俺は物申したいが、何も言えないまま無言が支配するエレベーターは一階に到着しようとしていた。だが、加藤は続ける。


「須藤さんって、レースクイーンがお好きなんですよね?」


 ――なんで知ってるの?


「なら、バニーガールもお好きですか?」


 空腹を覚えて食事をするために外出したものの、家にあるものを食っときゃよかったと俺は小さく息を吐いた。



 ◇



 午前十一時五十六分


「タクシーじゃないんだからさ」

「助手席は別の方の専用席ですから」

「この会話、したよね? 前に」

「んふふ……そういえば」


 炎天下の中、額をぶつけた加藤をバスと電車で帰らせるのも可哀想だと思い、車で送って行っている。ルームミラー越しに助手席の後ろの席に座る加藤を見ると、まだ額が赤かった。


「葉梨は? 何してるの?」

「岡島と葉梨の妹と三人でマッチョしかいないジムに行ってますよ」

「ふーん」

「午後は葉梨と私の実家に行く予定です」


 連休中に両家で食事会をするという。簡略化した結納のようなものだと。だが加藤は親に呼ばれた理由が判然とせず、細かく視線が動いているが、何かを見つけて運転席の後ろのシートを覗き込んだ。


「ああ、それは石川さんの会社の社内報だよ。俺と本城が載ってる。見ていいよ」


 社内報には、六月末の町内会の防犯講話が載っている。加藤は社内報を手に取り、該当する記事を探して、見つけたようだ。口元を緩ませている。


「本城……元気に復帰してくれて、本当によかったですね」

「ふふっ、そうだね。防犯講話は本城じゃないとダメだからね」


 俺も本城も行けず、間宮と加藤が行くことになった昨夏の防犯講話はクレームは来なかったものの、出席者は間宮の見た目が怖かったようで、加藤は『もう二度と間宮さんを行かせちゃダメです』と言っていた。奈緒美さんも怖かったと言っていた。


「須藤さん」

「んー?」

「石川さんとは順調なんですか?」


 ルームミラーを見ると加藤と目が合う。この目は話したいことがある時の目だ。さっさと続ければいいのにしないのは、俺の反応を確認したいのだろう。


『家庭を大切にしろ、嫁を第一に考えろというの、どんな風にすればいいのか、お手本を見せてもらえませんか?』


 敬志から言われて俺は見本を見せないとならないと思ったが、俺は奈緒美さんに連絡が出来なかった。怖くて、一歩を踏み出す勇気が出なかった。

 だが、すぐに玲緒奈さんにバレた。奈緒美さんにその場で連絡をさせられて、殺傷力の増した小さいピコピコハンマーを片手に仁王立ちする玲緒奈さんの前で、俺は日付と時間を決めざるを得なくなり、七月末の奈緒美さんの誕生日前日に会った。


 奈緒美さんは絵里の件について何も言わず、話を避けている素振りを見せたから、俺はもう関係を続けてはならない、別れるべきだと考えて切り出すと、奈緒美さんは『気にしてないよ』としか言わなかった。

 だが帰りがけの車内で、奈緒美さんはご主人の話をし始めたが、調査では引っかからなかった話が出てきた。


『私ね、付き合ってた頃に何度も浮気されてた。結婚してからも。だから私ね、相手の女に慰謝料請求して、四年間で五人、総額一千万近く分捕(ぶんど)った。話し合いの時、ずいぶんと酷いこと言われたけど、哀れだなとしか思わなかったんだよね』


 資産調査はもちろんしたが、その出処(・・)までは調査していなかったし、亡くなったご主人に関しては経歴や勤め先のみの調査だけだったから、婚姻中にそんなことがあったのかと驚いた。


『夫が亡くなって、思ったのはね、やっと、私だけの(ひと)になったって、思ったんだよね。もういないのに』


 そう言って、窓の外を眺める奈緒美さんに対し、俺はどうあるべきなのか、答えは出なかった。

 その日以降は会っていないが、電話はするし、メッセージも返している。ただ、俺の中の漠然とした不安は残ったままだ。

 その不安を払拭したくて加藤に聞いてもらいたいが、ここで加藤に言ってどうするのかという葛藤がある。言ったところで、気を遣った女性部下に慰められるだけだ。


「順調だよ。おかげさまで、ね」

「そうですか……よかった」


 妙な間が気になった俺はルームミラーを見ると、加藤は窓の向こうの流れる景色に顔を向けていた。だが、俺が正面に視線を移した時、加藤の声が耳に流れ込んだ。


「須藤さんは、別れた恋人を思い出すことはありますか?」


 ――なんで、このタイミングで聞くのかな。


 ルームミラー越しの加藤の目は不安そうだ。葉梨と何かあったのだろうか。だが思いつめた様子はない。加藤は世間話をするように問いかけていた。


「どうした? 何があった? 聞くよ、聞かせて」

「いえ、そうではなくて……須藤さんのご意見を聞きたくて……」

「あのさ、加藤……違う、よね?」


 加藤は視線を落とした。やはり何かあったのだろう。結婚が決まった加藤は幸せそうにしているのに、何か迷いがあるのか。


「別れた嫁の話でいいなら、話すけど」

「えっ、はい。伺います」

「ふふっ……あのさ、『思い出す』って、普段は忘れてるってことでしょ?」

「ああ、そうですね」

「俺は思い出さないよ。だって忘れてないから。ずっと想ってたから」


 ルームミラーには、肩を落とす加藤の姿が映っている。俺はその様子を見て口元を緩ませた。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ