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第7話 永遠に

 優衣香はすぐに戻って来たが、後ろに左手を回して口元を緩めている。何か隠しているのだろうか。背中を見せないようにカニ歩きしている。


「敬ちゃん、立って」


 促された俺は優衣香の前に立つと、優衣香は左手に持っていたものに手を添えて、(ひざまず)いた。


「私と結婚して下さい」


 そう言って優衣香は赤い薔薇の花束を差し出した。


 ――あっれー? 俺がプロポーズされてる!


 俺は慌てて膝立ちになり、優衣香から薔薇の花束を受け取った。


「優衣ちゃん……」

「返事は?」

「あ、えっと……よろしくお願いいたします」


 微笑む優衣香は続ける。

 プロポーズには十二本の赤い薔薇の花束を贈るが、一本一本にそれぞれ意味があるという。だから一本を自分に返して欲しいと。その意味を誓って欲しいと。


「どんな意味があるの?」

「あれ? 敬ちゃんはおばさんや玲緒奈さんから聞いてないの?」

「何を?」

「あれー?」


 顔を合わせ、お互いに首を傾げてしまう。

 優衣香からプロポーズされた驚きと嬉しさはあるが、なぜ母と玲緒奈さんが出てくるのかわからなかった。


「おじさんと敦志お兄ちゃんは結婚記念日と誕生日に薔薇の花束を贈ってるって……」

「うん、そうだよ」

「おばさんも玲緒奈さんも、毎回同じ意味の一本を返してるって……」


 ――知らないよ、そんなの聞いてないよ。でも……。


「ねえ、優衣ちゃん。それって、優衣ちゃんが俺に返すんじゃないの?」

「あ! そっか!」


 ――優衣ちゃん、何してるの?


 仕方ない。もらった花束で、俺が優衣香にプロポーズし直せばいいだろう。


 俺は立ち上がり、優衣香にも促す。そして今度は俺が(ひざまず)き、薔薇の花束を差し出した。


「優衣ちゃん、俺と結婚して下さい」

「んふふ……はい。よろしくお願いします」


 はにかむ優衣香は薔薇を一本抜き出して、立ち上がった俺に差し出した。


「永遠」


 ――お母さんは永遠を誓ってたのか。だからか。


「敬ちゃん」

「ん?」

「私の命が尽きるまで敬ちゃんを愛し続けます」


 両親の結婚記念日に赤い薔薇一輪が仏壇に供えられているのは、そういう意味だったのか。母は今でも誓っているのか。ずっと誓い続けた『永遠』を。


 俺は立ち上がり、優衣香を抱き寄せて唇を重ねた。

 抱きしめた優衣香の向こうに一本の薔薇。

 今日、ずっと願い続けた夢が叶った。その嬉しさを優衣香を抱く腕に込めて、強く抱きしめた。



 ◇



 午後九時五十六分


 俺は今、優衣香と風呂に入っている。

 ぼくが考えた最強の作戦は大失敗したと思いきや、大成功を収めた。


 優衣香は俺に、『私に会えなくて辛いからかな?』と言ったが、さっき優衣香と一緒に風呂に入りたいと全力でゴネた時に俺はこう返した。


『優衣ちゃんに会えなくて辛いから優衣ちゃんと一緒にいる時はずっと一緒にいたいの。離れたくないの。お風呂も一緒に入りたいの』


 来月三十八歳になるいい大人が何を言っているんだとは自分でも思っているが、敬ちゃんは優衣ちゃんラブだから仕方ない。だが――。


「あははー! 湿布臭いねー!」

「うん……そうだね……」


 加藤に勧められた湿布臭いバスソルトを入れた湯船に優衣香と入っている。本当に、湿布臭い。びっくりした。だがハニーミルクの甘い香りの中であんなことやこんなことをしてキャッキャウフフするはずだったのに、どうしてこうなった。


 事の発端は、買ってきた入浴剤を渡した時に加藤に勧められたバスソルトを見た優衣香が、湿布臭い方のバスソルトは持ってると言い、ダブってるから湿布臭いバスソルトを入れると言った。

 もちろん俺は全力でゴネた。

 加藤のオススメはハニーミルクの香りだからと言ったが、無理だった。


 敬ちゃんはしょんぼりだが、髪を後ろで纏めた優衣香の美しいうなじが見えているし、お湯で血行がよくなり頬がほんのり上気しているし、優衣香のおっぱいは俺の手の中にある。だから敬ちゃんの敬ちゃんは元気いっぱいだ。


「優衣ちゃん、明日は会社?」

「午前中は家で仕事して、午後は横浜地検に行くよ。敬ちゃんは?」

「うーん、夕方まで空いてる」


 ――なら、朝も、出来るな。


 今夜は二回、朝は一回だ。在宅ワークなら朝も大丈夫だろう。


 ――マズいな、敬ちゃんの敬ちゃんがもっと元気いっぱいになったぞ。


 俺は優衣香の肩に唇を這わせて、うなじに舌を這わせた。優衣香の体は小さく震える。甘い吐息を漏らす。その度に、湯船に小さな波が立つ。

 優衣香は耳も弱い。俺は舌先で耳の輪郭をなぞり、耳朶を食む。すると優衣香の体は再び小さく震えた。だが――。


 ――湿布臭い。


「優衣ちゃん、我慢出来ない。上がろう」

「……ここでする?」


 ――いや、俺がしたいのはハニーミルク版のお風呂でキャッキャウフフなんだけど。


 こちらに向いた優衣香は軽くキスをした。

 優衣香は俺の首に唇を落としていく。

 耳を舌先で舐めて、耳朶を食む。その刺激に背中がぞわりとして、たまらず優衣香を強く抱きしめた。


 浴室の中でお湯が波立つ音や二人の吐息の音だけが響いている。


 深く重ねた唇。

 優衣香の甘い吐息が耳に響き、いつもより、高い声を上げる優衣香にどうしようもなく興奮する。腰骨をなぞるように指で撫ぜると、たまらないと言いたげな吐息を漏らす。

 お湯の熱さなのか、それともお互いが高揚しているからなのか、呼吸が荒い。


「敬ちゃん」

「ん?」

「のぼせちゃう」

「うん。だよね」


 交通事故死や殉職よりはるかに多い入浴中の事故防止のためにも、出ないとマズいだろう。


 ――いいところだったのに。


 少ししょんぼりしながら、風呂から出た。



 ◇



 午後十時四十八分


 俺は今、加藤が言っていた言葉を思い出している。


『ぐっすり眠れるんですよ』


 湿布臭いバスソルトの効果は絶大だった。

 腕の中で、優衣香がぐっすり眠っている。


 ――敬ちゃんの敬ちゃんは元気いっぱいなのに。


 今日の優衣香は炎天下の中で仕事していた。辛かっただろう。食事をして、風呂に入ってベッドに入ったら、あとは寝るだけだ。気持ちはわかるが、敬ちゃんはとっても辛い。おっぱいモミモミしてパフパフしている間に寝息が聞こえてきた哀しみを俺は一生忘れない。


 ――寝顔も可愛いな。


 優衣香がプロポーズされた六年前、俺は寂しさよりも安堵の方が比重は大きかった。

 これで仕事に集中出来ると、そう思っていたが事件が起きてしまった。優衣香がまた俺の手に届くところに戻って来てしまい、俺は悩んだ。優衣香は俺を求めるが、それは恐怖からであって、男としてではなかったから。

 それから四年経ち、優衣香が俺を求めてくれたから今がある。だが、怖くてたまらない。自信がない。

 本当は優衣香の気持ちは俺に向いていないのではないかと、俺の執着が優衣香にそう思わせているだけではないのかと、思うこともある。

 だけど今、俺と優衣香は一緒に生きている。


 ――永遠。


 死ぬまでずっと。

 死が二人を別つまで、永遠を共に過ごすと誓った。

 この温もりも、声も、優しさも、俺だけのもの。その優越感に浸りながら、優衣香の香りに包まれて静かに目を閉じた。





 





 ここまでご覧いただきありがとうございました。

 松永敬志と笹倉優衣香のラブストーリーはここでハッピーエンドとなります。

 最終話までの残り2話はエピローグのようなエピソードになっています。最後までご覧いただけたら嬉しいです。

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