第2話 深夜のソフトクリーム
七月十九日 午前一時四十七分
俺と飯倉、本城の三人は署の隣にあるコンビニから出た。それぞれ二つづつ、チョコレートのソフトクリームを持っている。
署の裏口へと向かう角を曲がった時、署から出て来た男が見えた。岡島だった。
「おう、お疲れ。お前のソフトクリームも買ってある」
「ありがとうございます」
疲れ切った顔をした岡島は隣に来た。飯倉と本城は岡島に会釈して先を歩いている。
俺が岡島にソフトクリームを渡すと、岡島は視線を送って来た。
「ん? どうした?」
「すみません、松永さん、ちょっと……」
岡島は俺とだけで話したいようだ。先を行く二人の後ろ姿を見ながら、俺たちは止まって話し始めた。
「奈緒ちゃんの家の隣って、松永さんの彼女なんですよね?」
――今度は何だ。
「うん。加藤の隣の部屋だよ」
「あのですね、実は彼女が……」
「ん? 葉梨の妹?」
「はい、そうです」
岡島は、会う度に彼女の歩くペースが速くなっていると気づいていたが、理由を知って困っているという。
「マッチョしかいないジムで松永さんの彼女と一緒にトレーニングしているようで……」
――その話は加藤から聞いてるけど……。
「奈緒ちゃんが彼女に、『岡島は警察官だから歩くのが速いんです。追いつけるようにトレーニングしませんか?』って言ったようなんです」
「うん。それで?」
「土曜日に奈緒ちゃんとマッチョしかいないジムに行ってて」
「うん。で、なんで俺の彼女が一緒にトレーニングしてるの?」
岡島が言うには、加藤はマッチョしかいないジムを葉梨の妹に勧めたが、マッチョしかいないジムはマッチョしかいないと偏見を持っている彼女を納得させるために事件前に二人で訪れたという。だが怪我で行けなくなり彼女は葉梨と一緒に行っていたが、葉梨も都合がつかないことから、加藤は優衣香を紹介したと。
――うん。それは加藤から聞いた通りだけど、さ……。
「奈緒ちゃんはジムで彼女に『笹倉さんは隣の人』とだけ言ってて、笹倉さんには『彼女は恋人の妹』とだけ言ったようです」
「……で?」
「ほら、奈緒ちゃんの事件の時に俺は笹倉さんにご挨拶をしましたし、ジムで彼女がお世話になってるなら、きちんと言わないとならないと思うんです」
「あー、なるほどね」
「今後は俺もジムに行くようにしますから」
――コイツはポンコツだ。何も気づいてない。
優衣香に礼をしたいと考える岡島は真面目だなとは思うが、加藤の罠に引っかかったとは思いもしないのか。コイツは何年加藤と付き合ってんだ。
加藤は、岡島が何かと言い訳して運動をしようとしないことにキレていて、同時に葉梨の妹の歩くスピードが身長体重を考えても遅いと気づいた。ならば彼女に筋トレをさせれば、岡島もジムに行くだろうと考えて計画を立てた。
まず、彼女をジムに行かせるには岡島をダシに使えば良いと考えて実行すると、秒で成功した。
次に岡島をジムに行かせようとした加藤が編み出した作戦は、優衣香を介入させることだった。そうなると真面目な岡島はジムに行かざるを得ないから。
今回の加藤は暴力に頼らず岡島を罠にハメた。加藤の成長は頼もしいが、岡島は何にも気づいていない。仕事面では何にも問題は無いのに、たまにポンコツになる岡島が俺は少し不安だ。
「あ、そうだ。須藤さんと玲緒奈さんには今、報告したんですが……」
「ん? なに?」
「来年一月に結婚することになりました」
「もう? 早くない? 早くない?」
「はい……葉梨の父ちゃんにハメられました」
「葉梨の妹にはもうハメたの?」
「松永さん!」
「ごめん」
「まだですけどね!」
「まだなのに!?」
昨晩、葉梨の妹と運動公園でデートしてたら父親とばったり出くわして、結婚式の日取りが決まったという。
――展開早えな。
「おめでとう!」
「……ありがとうございます」
「なに? 嬉しくないの?」
「うーん……」
岡島はもっと時間をかけて息子と葉梨の妹と関係を築き上げていきたいと思っていたのに、こんなに早く結婚が決まるとは想定外だったという。
「無理もねえな。わかるよ」
「うーん……」
「お前の気持ち次第だろ? 来月は余裕あるし、ちょうど夏休みだから都合つけろよ」
「はい」
「大丈夫だよ。お前なら、大丈夫」
深夜二時前にソフトクリームを食べながら幸せそうな顔をしているムッチムチな岡島を、俺は生暖かい目で見守った。
◇
午前十時五分
久しぶりに弟の美容院に来ている。
特にヘアスタイルの希望は無く、弟におまかせした。
「兄ちゃんさ、おまかせして逆モヒカンになったらどうするの?」
「お兄ちゃんとっても困っちゃう」
「ふふふ……」
敬志は目を伏せた横顔がおじさんそっくりだな――。
俺によく似た弟の理志も目を伏せた横顔が父によく似ている。
理志は美容学校卒業後に美容院に就職して、アシスタントしていた頃に父が殉職した。
自宅で納棺する前、理志は父の髪を整えた。最初で最後のカットだった。
美容師の国家試験合格のお祝いに父から贈られたハサミで、涙を溢しながら震える手で、理志は父の髪にハサミを入れていた。
「サイドパートモヒカンにしよっかな」
「片方だけ刈上げってこと?」
「そうそう。四ミリ……だね」
「おまかせするよ」
笑顔の理志を視界に入れながら鏡越しに店内を見回す。この店は薄いラベンダー色の壁紙と白木の家具、クリスタルガラスの照明がある可愛らしい店舗内装だ。男性客はちょっと入りづらい雰囲気の店だが、男性美容師が多く在席していることから六割が男性客だという。通常、オープンから女性美容師がいるはずだが、今日はいない。
「いつもの女の子は休み? 声がデカくて元気な子」
「ああ、産休……の予定」
「ん? 結婚したの?」
その女性美容師は理志と同い年で、いつも『彼氏欲しい』と言っていた。なら俺が素行に問題の無い警察官を紹介してやろうかと考えていたが、彼女の姉が神奈川県警の事務職員で、警察官だけはやめろと言われているからダメだと言っていた。
俺は神奈川県警がダメなだけで警視庁なら問題無いだろうと言ったが、そういう問題じゃなかったらしい。
「そうそう。男出来て同棲して結婚まであっという間で、籍入れたと思ったら子供出来たって」
「おめでたいねー」
「うん。でも、悪阻が酷くて仕事は無理ってなってね……」
「あらら……大変だね」
「女性美容師がいないと、店も大変だよ」
この店にはもう一人女性美容師がいるが、彼女は小学生と未就学児の子供がいて、週五で十一時から十五時まで勤務しているという。
「彼女が産休というか辞めたというか……出勤出来ないから、三時以降は美容師が男しかいなくなっちゃって。男性客と男の美容師だけの時もあってさ、そこに女性客が来店すると、びっくりするんだよね」
「あー、だよねー」
「二十代後半から三十代の美容師ってさ、経験も積んでお客さんも付いて一番安定してるけど、女性美容師は離職する時期でもあるんだよ」
求人はかけているが応募者はいないという。
美容室の数が飽和しているのもあるが、そもそも美容師の数が減っていると。
「美容師って修行しなきゃいけないけどさ、オープンラストの勤務で閉店後は練習したり、休みの日はメーカーの講習とか、カットモデル呼んで撮影とか、本当に大変。ふふっ」
「あー、理くんもそうだったね」
「そうやって、三十代になって、自分の裁量で出来ることが増えるのに女性美容師は離職しちゃう」
「でも復帰するでしょ?」
「うーん……人によるよ」
鏡越しに目が合った俺と理志だったが、来店した客が見えた。振り向いた理志は、ドアを開けた女性に声をかけた。
「おはようございます。早いですね」
「おはようございまーす。あっ! お兄さん! いらっしゃいませ」
十一時から勤務開始の女性美容師だった。
彼女は客が俺だけだから理志とプライベートな話を始めた。
「今日はダンナが代休だからさ、早く来れた」
「そうなんですか」
「スタッフルームの掃除する。いい加減やらないと……ねえ?」
「ごめんなさい……ふふっ。よろしくお願いします」
店内奥のスタッフルームに向かう姿をちらりと見ながら、理志は話を続ける。
「今の人は、来月別の店に異動する」
「……なら、女性美容師はいなくなっちゃうってこと?」
「そうそう。去年家を買ってね、最初はさ、通勤に時間がかかるから辞めたいって言ってたんだけど、ウチの社長が『家に近い場所に新店舗出すから辞めないで』って」
「マジで!?」
――そこまでしないと美容師の確保が出来ないんだ。
美容師は業界がブラックであることが周知され、美容師学校の入校志望者も減っているという。少子化だからだが、警察も同じだ。志望者が減っている。公務員志望者はいても、上意下達の体育会系の公安職は敬遠するだろう。
しかも警察官は警察学校で脱落するし、奉職してもすぐ辞める奴もいる。それを見越して採用数を決めているが、そもそも志望者が多くなければ警察の未来は無い。
「あ、そうだ、優衣ねえがさ」
「んんっ!? 何?」
「髪切りたいってずっと言ってる」
「ええっ!?」
「兄ちゃんは嫌でしょ? 優衣ねえのショートヘア」
「うん、やだ。絶対」
「ふふふ……とりあえず、どこまでが許容範囲か、優衣ねえに教えてあげてよ」
「うん! わかった! 今日の夜に聞くよ!」
俺の反応が思った通りで面白いのか、肩を震わせている理志だが、髪を切りたいと言う優衣香をなんとかして諦めさせているという。
――理くん、ありがとう。
今日の俺は、真剣に優衣香と話し合わなければならない。転属の話、葉梨の妹とマッチョしかいないジムの話、髪の毛の話。
――もりだくさんだ。
バリカンを持って右側を四ミリに仕上げている理志を見ながら、俺は脳内で想定問答のイメトレを始めた。




