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幕間 御曹司系警察官と盆提灯(後編)

 アイスを食べながら運動公園の入口までやって来た。階段を上がりきると、自然豊かな運動公園が目の前に広がる。奈緒ちゃんはマラソンコースで葉梨と走ったことがあるという。

 いつもは遊歩道を右に行って一周するが、今日は車で来ているから駐車場のある左へ麻衣子さんを誘った。


「麻衣子さん、来月は余裕があって休みが取れるんですが、どこか行きたい所はありますか?」

「うーん……上野にある美術館に行きたいです」


 ――美術館か。ついに来たな。


「何か、特別展示とかしてるの?」

「そうなんです。今度、パブロ・ピカソの『アビニヨンの娘たち』が展示されるんです」

「どんな絵画なの?」

「キュビズムの絵です」


 ――キュビズム。


 キュビズムは多視点のイメージを一枚絵に集約させてるやつだ。

 後ろ姿なのに顔がこっち向いてたり横を向いてるのに顔のパーツが正面向いてたりするやつだ。

 ピカソが描けばキュビズムだけど、俺が描いたら『バカなの?』って奈緒ちゃんに言われるやつだ。


「ああ、キュビズムね……先輩に教わりました」

「そうなんですか」


 葉梨から、『麻衣子はよく一人で美術館に行ってます』と聞いていた。

 いつか誘われるだろうと思い、アートの知識が無い八百屋の三男坊はとりあえずネットで調べた。だが調べる中で、キュビズムはなんとなく見てて不安になるから、俺は松永さんに聞いた。

 絶対に、完全に、人選を間違えてる気がしたが、とりあえず聞いてみた。ところが、松永さんはキュビズムについてすごく丁寧に教えてくれて、俺は一発で理解出来た。ただ、松永さんだから説明が本当に、ロクでもなかった。


『あー、キュビズムね。お前はバックでヤるの、好き? 俺は好きなんだけど、バックでハメてるエロ動画なら女の喘ぐ顔とガン突きされて揺れるおっぱいが見れてイイ感じだけど、いざ自分がバックでヤると顔もおっぱいも見れないだろ? 背中しか見えなくてつまんないだろ? でも見たくね? 女のおっぱいと顔。それを一気に解決したのがキュビズムだよ』


 俺はなるほどと思った。

 一発で理解出来る説明をしてくれた松永さんは凄いなと思ったが、麻衣子さんには絶対に言えない。絶対に。


「どのような説明でした?」


 ――岡島直矢、もう大ピンチ。


 俺は今、人生の岐路に立たされている。

 ここで松永さんのとても参考になるロクでもない説明を話したら全てが終わる。どうしようかと思っていると、麻衣子さんの声がした。


「あれ……なんだろう……?」

「ん?」


 麻衣子さんは左手にある木々の暗がりを見ている。

 そこには薄らボンヤリと浮き上がる二つの青いものがあった。地面に近い所に、青くボンヤリとした光がある。そして、その光はこちらに向かって来た。


 ――盆提灯、かな。


 時代は令和だし、盆提灯だって自走するよね。掃除機だって動く時代だから――。


 ――なーんてね、ふふっ。


 脳内の俺は今、奈緒ちゃんから手の甲で引っ叩かれている。そして『バカなの?』と言われている。そう、間違いなく俺はバカだ。盆提灯は自走しない。令和の今でも仏壇の両脇でくるくる回っている。


 麻衣子さんは少し怯えている。俺に体を寄せて来た。俺は左にいる麻衣子さんの前に出て麻衣子さんを右にして、肩を抱いた。

 不規則な動きをする盆提灯的な何かは、街灯の灯りが届く所まであともう少しだ。


「あ、お父さん」

「んんっ!?」


 盆提灯的な何かの間に、なんとも言えない顔をした葉梨の父ちゃんがいた。


「やあ、岡島さん、こんばんは」

「こんばんは!」


 俺は麻衣子さんの肩を抱いた手をそっと離した。デート現場を彼女のお父さんに見られた中学生の気分だ。悪いことはしてないのになんとなく居心地が悪い。だが、キュビズムのロクでもない大ピンチは切り抜けられた。良かった。


 葉梨の父ちゃんの足元にある盆提灯的な何かはポメラニアンだった。

 夜間の視認性向上、事故防止のためにピカピカ光るものをポメラニアンの首に付けている。青い光は点滅し、フワッフワな毛で覆われて見えず、暗がりでは盆提灯のように見えただけだった。


 ――ウニちゃんがクルミちゃんより大きくなってる!


 最後に会ったのは新入りのウニちゃんがまだ小さかった頃だ。ちょうどサル期で、貧相だったウニちゃんはモッフモフになっている。可愛い。


「クルミちゃん! ウニちゃん!」


 俺はしゃがみ、盆提灯みたいなポメラニアンを撫でようとした。だがポメラニアンズは警戒している。無理もないか。二年ぶりだ。

 手のひらをポメラニアンズの口の下に差し出すと匂いチェックをされたが、クルミちゃんが尻尾を振った。やった。覚えててくれたんだ。嬉しい。


 俺の膝に前足を乗せるクルミちゃんをワシャワシャしていると、葉梨の父ちゃんの声が落ちて来た。


「岡島さん、よかったらうちにいらして下さい。お茶でも……」


 ――マジかよ。


 いつもは電車で来ていて、公園でベンチに座って麻衣子さんと少しだけ唇を重ねるけど、今日はヤン車で来てるから涼しい車内でTLコミックにあったちょっと甘いシチュエーションくらいのことはしようと思ってたのに。出来ない。悲しい。奈緒ちゃんに命令されて読まされたTLコミックだって全て履修済なのに。


「はいっ! ありがとうございます!」


 俺はそう言うしかなかった。そう、俺はヘタレだから。


 麻衣子さんはポメラニアンズのリードを父ちゃんから受け取り、俺は父ちゃんと並んで歩くことになった。麻衣子さんは先を歩いている。自走する盆提灯とともに――。


「岡島さんは、さすが警察官ですね」


 ――ん?


 葉梨の父ちゃんは、ポメラニアンズの散歩をしていたら階段を上って来る俺たちを見つけ、隠れたそうだ。


 ――元高級官僚で天下りした企業の社長が隠れたの?


「すぐに隠れている人を見つけて、麻衣子を守りました。さすがですね」


 ――いや、盆提灯があったからです。人は見えませんでした。


「ああ、まあ……」

「本当に、岡島さんで良かった」

「ん?」

「ふふっ、岡島さん。将由(まさよし)と奈緒さんは結納の日取りを決めているところですが、麻衣子とはいつ頃にしますか?」


 ――もう、俺たち結婚することになってるの? いつの間に?


 まだ付き合って一ヶ月で運動公園でデートしかしてないのに。普通のデートもしてないのに。どうしてこうなった。


「えっと、まだ考えてないです、けど……」

「ふふふ、そうですか」


 葉梨の父ちゃんと視線を合わせると、口元は笑みを浮かべているが、鋭い目で俺を見ていた。

 さすが元高級官僚だ。圧力のかけ方が地方公務員と違う。俺は警察官としていろいろと経験しているが、元高級官僚の圧力はメンタルをエグるタイプだと初めて知った。


 ――コレは、絶対に逆らっちゃいけないやつだ。


 警察組織にいる者として、こんなのは何度も経験している。上から降りて来た黒いものでも白だと言われたら白と言わなきゃいけない、そんなやつだ。逆らったら東京湾に沈むか奥多摩に埋まるか二択のやつ――。


 先延ばしだ。それしか無い。どうしようか、先延ばし出来るような何か……イベント、そうだ、イベントた。


「将由君の結婚式が済んだ後にでも、と考えています」


 多分だが、二人の結婚式は来年の春とかだろう。それまでには息子と麻衣子さんを会わせて良い関係を築き上げて、それから――。


「そうですか。では年始、ですね?」


 ――え、結婚式は年内なの? 早くない? そんなもん?


「はい! そうしましょう!」


 言っちゃった。言っちゃったよ俺。

 だが脳内の俺は今、奈緒ちゃんからこう言われている。


『岡島さ、長いものには巻かれときなよ。面倒くさいから』


 そうだ。奈緒ちゃんは正しい。

 いろいろと、本当に面倒くさいから、長いものには巻かれといた方が良い。巻かれてしまえ。どうにでもなれだ。長いものには巻かれた方がお得だ。だが……。


「では、結納はいつ頃にします?」


 ――ん? だから年始って今、決め……もしかして、父ちゃんは結婚式の話をしてたの?


「えっと、結婚式は年始、です、か?」

「ええ、今、そう決めましたよね?」

「はいっ! そうです! 結納につきましては可及的速やかに対応致します!」

「はい。よろしくお願いします」


 ――葉梨の父ちゃんに騙された。


 だが俺は長いものには巻かれろをモットーに生きていくことを、今、決めた。だって、もうそれしか選択肢は無いから。東京湾に沈みたくないし、奥多摩に埋もれたくないし。


 署に行ったら、須藤さんと松永さんに報告しなきゃな。そう思いながら満足そうに微笑む父ちゃんと、自走する盆提灯、そして麻衣子さんの後ろ姿を見つめていた。





 

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