幕間 御曹司系警察官と盆提灯(前編)
七月十八日 午後八時三十三分
俺は今、望月さんのヤン車を運転している。葉梨の実家近くにある運動公園へと行くために――。
前を照らすヘッドライトの光は夜の闇を鮮やかに彩る。
アクセルを踏み込むと、光は加速する車のスピードと同じ距離を保ち――って当たり前か。どうやら俺は、久しぶりの車でデートだから、いつもよりポンコツになっているようだ。
ポンコツとはいえ、今日はドラレコの車内向けカメラは隠してるし、音声も消している。今日は、大丈夫――と言いたいが、あの松永さんが何も仕掛けないわけがない。絶対に。だから入念に、出発前にいろんな所を探した。
探している間は、新人の頃を思い出していた。
指導員の先輩から、『よし、今日はアレな』と言われ、一発で不正改造車とわかるテンプレ通りのヤン車を職務質問したことを。
そのヤン車のマフラーは長くて飛び出してて上に曲がってて、タイヤが斜めにハミ出してるフルスモークの型落ちスポーツカーだった。職質ビギナー向けの見本車――。
そんな何も出て来ないはずがないヤン車から降りてきた運転者は、当時まだチンピラにはなっていなかった新人の俺に『ああん!? やんのかゴルァ!』と、これまたテンプレ通りの応答をしていたことを思い出していた。
あれから十六年。
垢抜けない八百屋の三男坊から昭和のチンピラを経て令和最新版インテリヤクザにクラスチェンジした俺は、ヤン車を運転している。あの時のようなヤン車ではないが、ヤン車はヤン車だ。
ヤン車と言えばアレか――そうだ、アレだ。
俺はオーディオの電源を押して音楽を再生した。
――ドゥンドゥンうるさいよ。
前回この車を借りた時、松永さんは『ミュージックサーバーの十一番目、オススメ』と言っていた。
麻衣子さんを自宅に送った帰り道、ふと思い出して俺はその十一番目の音楽をかけると、重低音がドゥンドゥンドゥンと響いた。モニターに表示されていたタイトルはヤン車音漏れMIX――そのままだった。
あの日、中央区のタワマンに到着した俺は、飯倉から『ズンドコズンドコうるさいですよ』と言われた。俺はヤン車と言えば『ドゥンドゥン』だと思っていたが、飯倉は『ズンドコ』だった。
解釈違い――しかしそれは俺が正しいわけでも飯倉が間違ってるわけでもない。違いを認めて尊重する。それが多様性なのだと、俺はヤン車で学んだ。
ヤン車は重低音を響かせ、ドゥンドゥンズンドコズンドコと音漏れさせながら目的地に着いた。麻衣子さんの家の近くの運動公園――ふたりのいつもの場所だ。
◇
運動公園の駐車場に車を停めて駅まで歩いて来た。時間通りに麻衣子さんは改札口の向こうに現れたが、麻衣子さんは俺に気づかずトイレに入った。
須藤さんや松永さんは、麻衣子さんの休みに合わせて休みを取らせてやると言ってくれた。だが、当の麻衣子さんはこのところ休みの日にいろいろとやることがあるようで、仕事終わりに会いたいと。
とはいえ、午前様ではないが遅い。今日の待ち合わせだって九時半だ。本当なら食事をしたいけど、そこまでの時間は無い。
だから俺は駅で待ち合わせをして運動公園でデートをしているが、須藤さんからは『中学生のデートかよ』と言われ、白い二重封筒に入れた二十万円を渡された。カネが無いわけじゃないのに――。
封筒の厚みにグラグラと心は揺れ動いたが、さすがにお金はもらえない。だから俺は運動公園でデートをしている経緯を正直に話してお金をお返ししたら、須藤さんから憐憫の眼差しで見つめられた。本当のことなのに。哀しい。
松永さんに運動公園でデートしていることを話した時は、『わかるーわかるー』と同意してくれた。てっきり彼女の望みを叶えるのが男の役目だとかそんな意味かと思っていたが、違っていた。
『観光地の公園だとさ、クレープとかソフトクリームとか売ってるからさ、一緒に食べてさ、あーんとかさ、したいよね! ねっ?』
松永さんが嬉しそうにその話をしていた時は玲緒奈さんも近くにいたが、玲緒奈さんは俺にこう言った。
『敬志はね、中学生の時に彼女に恋したから、その頃に彼女としたかったことを、今、やっと出来るようになったの。敬志は今年三十八になるけど、心はピュアッピュアな中学生のままなんだよ』
そう言った玲緒奈さんは、憐憫の眼差しを義弟に向けていた。
――あ、麻衣子さんが出て来た。
改札手前で俺を見つけた麻衣子さんが、笑った。可愛いな。
薄いピンクのテロテロした素材の半袖。フリフリした袖口から伸びる細くて白い腕。オフホワイトのフレアースカートにベージュのヒール。
カールしたブラウンのロングヘアは後ろでまとめている。トイレに入る前はおろしていたのに。
――運動公園、クッソ暑いからね。
「お待たせしました」
「おかえり」
「んふふ……」
俺に会えて嬉しそうにしてくれる麻衣子さんが、愛しくてたまらない。
「行こう」
「はいっ」
差し出した左手の指先に麻衣子さんの細い指先が触れる。絡めた指先にほんの少しだけ力を込めて、俺たちは歩き出した。でも手のひらは重ねない。だって、クッソ暑いから――。
◇
「岡島さん、アイスを食べませんか?」
商店街の外れにあるコンビニで飲み物を選び、レジに向かっていると麻衣子さんがアイスの什器前で立ち止まった。
麻衣子さんが指差すのは、瓶を模したプラパッケージのアイスだった。二個入りのアイスを二人で分けるのか。まさに中学生のデートだ。
「いいね」
そう言いながら麻衣子さんに微笑むと、麻衣子さんはマスカット味を手にした。
その瞬間、俺は思い出した。
記憶が鮮やかに、蘇ってきた。
夏のクッソ暑い日に奈緒ちゃんから『アイス食べる?』と言われて、このアイスを二人で食べたことを――。
あの日、炎天下の中を俺たちは歩いていた。水分補給は欠かさずにしていたが、暑くて辛くて、コンビニに入って涼み、そして飲み物を買った。その際に奈緒ちゃんはアイスを食べようと言い、このアイスを買って俺にくれた。
だが奈緒ちゃんだ。あの、奈緒ちゃんだ。何も起きないはずがない。
もいだ先っぽ二つを俺にくれた奈緒ちゃんはアイスの本体二本を交互に食べ、『冷たーい』と嬉しそうにしていた。
俺はそんな奈緒ちゃんを見ながら、口の中で一瞬にして体温で溶かされたマスカット風味のわずかな液体を、ゴクリと飲み込むしかなかった。
◇
コンビニを出て、運動公園へ向かっている。
アイスを袋から取り出した俺は、先っぽをもいで本体を麻衣子さんに渡したが、麻衣子さんは俺の指先にある先っぽを見て、微笑んだ。そして――。
「子供の頃、姉と兄でアイスを買いに行った時に、このアイスは二本しかないので、いつも姉は兄と私に食べるよう言うんです。でも兄は姉に食べるように言って、兄はいつもその二つだけ食べてました」
――奈緒ちゃん! 葉梨には本体食わせてやってね! 約束だよ!
「ふふっ、葉梨は優しいですからね」
「ええ。家のおやつも兄は私にくれて、姉は兄にあげるんです。私は姉におやつをあげるんですけど、おやつが移動しているだけで、皆、食べる量は同じなんですよね。んふふ……」
――なにやってんだ、葉梨家の子供は。
うちは男三人兄弟でメシもお菓子も争奪戦だった。
食うか食われるか――生存を賭けた食卓は、婆ちゃんも母ちゃんもおかずを作り過ぎるから、おかずを食べ切っても『台所にあるから自分で取ってきな』の一言でおおむね平和な食卓だった。
お菓子はケンカになるから必ず三個買っていた。油性マジックで名前が書かれていてまあまあ平和だったが、たまに戦が始まることがあった。戦犯はだいたい酔っぱらった爺ちゃんと父ちゃんだったけど。
「麻衣子さん」
「はいっ」
アイスを口にしていた麻衣子さんは俺の問いかけに慌ててアイスを口から離した。
――濡れたその唇を奪ってしまいたい。
唇から麻衣子さんの瞳に視線を動かして、俺は微笑み、そして、手にしていたアイスの先っぽを麻衣子さんの唇に近づけた。
「食べる?」
「え、はい」
「あーん」
少し恥ずかしそうに唇を開いた麻衣子さんだったが、アイスの先っぽが唇に付いた瞬間、俺はアイスの代わりに軽く唇を重ねた。
そして、アイスの先っぽは、俺が食べちゃう。
麻衣子さんは驚いた表情で俺を見上げるが、唇をキュッと噛んで恥ずかしそうにしている。
女の子がキュンキュンするシチュエーション――大成功だ。
――ありがとう、奈緒ちゃん。読めと命令された少女漫画は全て履修済だからね。
俺は麻衣子さんに視線を送り、繋いだ手に力を込めた。




