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第9話 本業(後編)

 家庭と仕事の板挟みになり、何度も何度も警察を辞めようと考えた玲緒奈さんだったが、三人目の子の妊娠が発覚した際にこう言っていた。


『もうここまで来たら辞めない。会社(・・)にしがみついてやる』


 玲緒奈さんの初めての子の妊娠は二十年前で、三人目の子は十年前だ。さらに十年経った今、会社(・・)は変わった。子を産み育てる女性警察官と、子が産まれた男性警察官への福利厚生は充実している。


 今、上の世代は会社を変えようとしている。皆同じことを考えているから。


『あの頃にもあったら、こんなことにはならなかったのに』


 自分と同じ思いをしないで欲しい。ただそれだけだ。


 玲緒奈さんの本業で一番気を遣うのは、今回のような動画を撮られて情報を流すよう脅されるパターンではない。夫婦間の不和が原因の不倫だ。不和の原因を辿れば、警察組織への不満へ必ず行き着く。

 単なる性欲処理ならバレずにやれよとしか言いようが無いが、夫婦間の不和は双方の問題だ。ただただ、やりづらい。


 敦志も玲緒奈さんも不倫経験は無い。

 敦志の父親が現職の頃は、松永家の情報網は全て敦志、玲緒奈さん、敬志、ついでに俺も監視していたから、もし不倫しようものなら吊し上げを食らっていただろう。



 ◇



 ノートパソコンの生中継画面の二人は、そろそろ終わりそうだ。男の荒い息遣いが聞こえている。女の細い腰を掴んで速度が速くなって、止まった。


「諒ちゃんはバック好き?」

「好きですよ」

「寝バックは?」

「いいですねー」


 ――なんで友達の嫁にこんな話をしなきゃならないんだ。


 ここで『玲緒奈さんは?』と聞けばグーパンを食らうことになる。理不尽だなとは思うが、自分が言ってることがセクハラに該当するとは露ほども思わないのだから仕方ない。俺と玲緒奈さんは先輩後輩だ。後輩の俺は我慢しないとならない。理不尽だ。


 生中継画面は、コトが済んで布団を被っていた。だが、女が動き出した。口でしている。終わって間もないのに……と思っていると、玲緒奈さんが鼻で笑った。


「だって女イッてないもん。んふふ……」


 ――やめて。傷付くからやめて。


「えっ、二回目出来るの!?」

「おー!!」

「若いって良いねー」


 頭に浮かんだ言葉を続けたいが、完全なセクハラだから俺は言えない。玲緒奈さんからはセクハラを受けているが、俺は言わない。理不尽だが仕方ない。


 女は布団を床に落として、ベッドの足元に顔を向けている。別のカメラに映そうとしているのだろう。正常位で男を迎えていた。女の嬌声が響くが……。


「んふふ……あんま気持ち良くないんだろうなー」


 ――やめて。聞きたくない。


 スピーカー越しに女の喘ぐ声が響く中、俺は先輩からセクハラとモラハラを同時に受けている。


 早く帰りたい。

 ただそう思った。



 ◇



 俺は画面の生中継を見ているが、玲緒奈さんはソファに深く腰掛け、天井を見上げている。


「ねえ、諒ちゃん。石川さんとは会ったの?」

「いえ、会ってません。でも連絡はしてますよ」

「そう……」

「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですから」


 玲緒奈さんはソファの背もたれに身を深く預け、俺に疑いの眼差しで見た。


 ――どうせ知ってんだろ。絵里のことだって……。


「諒ちゃんさ、約束したこと、忘れてない?」

「えっ、約そ――」


 ――やべぇ。忘れてた。


 加藤の入院により玲緒奈さんにさらに負担が掛かり帰宅出来ない日が続いたから、俺は玲緒奈さんに頭を下げて帰宅してもらった。だが、その際に交換条件をつけられていた。


『なら石川さんに会いに行ってよ。約束だよ』


 顔さえ見れば安心するんだよ――。

 そう言った玲緒奈さんは、敦志に弱音を吐いていた。玲緒奈さんが『早く帰りたい』とメッセージを三回送ったら限界だと夫婦で決めてあり、ビデオ通話をするのだと。

 だがビデオ通話したのに、すぐに『早く帰りたい』と届いたから敦志は俺に連絡を寄越した。


「えっと……すみませんでした」

「もー! 約束したから私は帰ったのに!」


 さすが狂犬の親玉だなと思わせる鋭い目線を、俺は見ることが出来ない。

 こんな女性(ひと)の夫をやっている敦志は凄いなといつも思うが、敦志は玲緒奈さんを大切にしている。弱音を吐いた玲緒奈さんの代わりに敦志はこうメッセージを寄越した。


『レオちゃんに会えないとボク寂しくて死んじゃう』


 玲緒奈さんは俺に言えないから代わりに敦志が俺に伝えているが、管理職として未熟だと言われたようなものだ。ライオンとウサギの絵文字を添えてメッセージを送って来た敦志に、俺は申し訳ない気持ちになった。


 玲緒奈さんには三人の子がいて、長男は大学生、次男は高校生になったが、末娘はまだ小学生だ。敦志の方が時間的な余裕があるが、だからといって玲緒奈さんを拘束していて良いわけがない。だが玲緒奈さんはそれでも俺や後輩を優先させようとしていた。


『だって敦志もいるし、うちの母もお義母(かあ)さんも来てくれるから大丈夫だよ』


 捜査員には恋人がいる。

 飯倉は一番若く恋人がいないが、仕事から離れる時間を同等に与えなければならない。

 玲緒奈さんは捜査員に恋人に会いに行けと口煩く言っている。それは自分がそうしたいからだ。

 顔さえ見れば安心するんだよ――。

 敦志を失いかけたからからこその言葉なのだろう。


「すみません……あの、罰は何でしょうか。痛いのは嫌です」

「痛くないと罰じゃないよね?」

「おっしゃる通りです」


 玲緒奈さんは考えている。腕を組み、ノートパソコンを眺めながら俺に何をするか考えているのだろう。

 画面は、騎乗位から対面座位に体位が変わっていた。女は手を自分の尻にやり、男の手が重なっている。


「これだ!」


 ――何。どうするの。何するの。何されるの。


 玲緒奈さんは足元に置いたカバンを膝の上に置き、中からピコピコハンマーを取り出した。


「ドンキで小さいピコピコハンマーを見つけたのよ」

「そうですか」

「あとね……」


 カバンの奥深くから何かを取り出した玲緒奈さんは、ピコピコハンマーにそれを被せた。


 ――ずいぶんと殺傷力が増したな。


「んふふ……次男が作ってくれたのー」

「そうですか」

「よし。じゃ、ベッドにうつ伏せになって」

「はい」


 言われるがまま、俺はベッドにうつ伏せになった。

 玲緒奈さんはベッドの脇に立ち、左袖に指先を入れたと思ったら、いつの間にか幾重にも巻かれたヒモを手にしていた。


 ――見事だな。俺が被害者じゃなきゃ褒めたいけど。


「後ろ手で縛るよ」

「はい」


 後ろ手で縛られてもいくらでも対処は出来る。玲緒奈さんのヒモの動かし方を感じ取るが、無理だと悟った。ベルトにもヒモを巻き付け、外すことは不可能だ。


 玲緒奈さんはヒモを縛り終え、俺に仰向けになるように指示した。足も縛るのかと思ったが、足は何もしないという。

 俺が女の体勢になってるということは――玲緒奈さんはどうするのだろうか。


 後ろ手拘束で仰向けになり、顔に枕を置かれ、足を伸ばして下腹部にも枕を置かれた俺は玲緒奈さんの次の動きを待った。


 ――重っ。


 顔の枕を取られ、見上げると玲緒奈さんは俺に馬乗りになって殺傷力の増したピコピコハンマーを手にしていた。


「よし、じゃ、挿入()れるね」


 ――ピコピコハンマーをどこに?


 また枕を俺の顔に置いた玲緒奈さんのほくそ笑む声が聞こえる。

 何をされるのか。ピコピコハンマーをどこに挿入()れられるのか。俺は覚悟して待ったが、玲緒奈さんの手は俺の脇の下に滑り込んだ。


「ちょあっ! やめっ! ムリムリムリやめてー!」


 俺の脇をくすぐる玲緒奈さんは無言だ。俺は足を立ててジタバタするが、どうにもならない。


「もっ……やめっ! 玲緒……さんあーー!! やめてー!」

「痛いのは嫌なんでしょ?」

「そうで、あー! やめ、ムリムリやめてー! あー!!」

「んふふふっ……」


 なんで俺はラブホで友達の嫁に後ろ手拘束されてくすぐられてるんだ。警察官にならなかったら玲緒奈さんはただの友達の美人妻だったのに。警察官になっちゃったから先輩からパワハラされるハメになっている。理不尽だ。


「ちょあっ! もうやめてー! やだー! ムリムリムリー!」

「石川さんに会いに行くー?」

「行きます行きます行きます!! だから、あー!!やめてー!」


 パワハラセクハラモラハラの三連コンボをキメた玲緒奈さんは脇の下から手を抜いた。

 俺の顔に置いた枕を取った玲緒奈さんを見上げると、口元を緩めて俺を見ている。


 ――警察官になるんじゃなかった。


 俺はただ、そう思った。

 俺の上で、汗ばんだ肌を上気させて少し荒い吐息を漏らしている美人な人妻を見ながら、俺はただ、そう思っていた。





 

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