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第7話 家族

 午後十一時十五分


「婚姻歴の無い未婚の子だけなんだよね。離婚歴があるとダメって、理不尽だよな?」


 自動車保険の運転者家族限定特約は、別居の未婚の子までは適用されるが、離婚歴があるとダメだと優衣香ちゃんに教えられた。

 葉梨の実家の車は家族限定で、他車運転特約は自動付帯で車両保険も入っていると確認が取れ、俺の車を運転してもらっている。


 俺の車は公用車の後継モデルだが、クラウンパトより大きくなった車体に葉梨はすぐ気づいた。

 カッコいい車だと葉梨は褒めるが、葉梨の実家の車は千四百万を超えるドイツ車の最上位クラスよりも高い国産車だ。

 葉梨の実家を初めて訪問した加藤が、その高級車で自宅まで送り届けられた時のことを話してくれたが、『身の程を知った』と言っていた。


「ご両親は、加藤のこと気に入ってるの?」

「そうですね、初めて会った日に、あまりの美人に驚いていましたよ」

「んふふ……黙っていれば、だけどな」

「ふふっ、あと字が綺麗なのと、たくさん食べるところも気に入ってるようです」


 幸せそうな葉梨の横顔を見ていると俺の頬も緩む。

 見た目が熊の葉梨が加藤との交際報告を上げた時は大騒ぎになった。だがその後、葉梨の実家が官僚一家で親族は官僚か三大財閥の企業勤めがほとんどだと知っている奴らから、加藤は玉の輿狙いで葉梨を誑し込んだと悪意ある噂を流されている。


「葉梨は? 加藤のどこがいいの? 美人だけど狂犬で玲緒奈さんの舎弟だよ? 出来れば距離を置きたい先輩だろ?」


 二人が初めてデートした日は望月のバーだったが、そこにたまたま藤川充がいた。

 藤川ともう一人は三十分ほどで店を出たが、二人の背後を通った時にカウンターの下で葉梨と指を絡める加藤の眼差しに驚いたと言っていた。加藤の方が、葉梨に惚れ込んでいる。


「加藤さんって、男を立てるんです」


 ――ああ、あのことか。


「ん? 下ネタ? 聞かせて?」

「違いますよ!」

「んふふ、ごめんね。酒入ってるから」

「加藤さんって、男が料理に手を付けるまで箸を取らないんですよね」

「ああ、そうだね」


 俺が初めて加藤と食事をした時は敬志も一緒だったが、乾杯した後に敬志はビールに口を付けた程度でジョッキを置き、並んだ料理を次々と食べ始めた。

 そのペースが普段と違っていてどうしたのかと思っていたが、敬志は教えてくれた。加藤は男が食ってない料理には手を付けないと。料理を取り分ける店なら加藤から渡されたら一口でもいいから食わないとダメですよ、と。


 加藤の家が厳しかったわけではない。ただ、母親の実家がそういう家庭だったから、母親を見ていて『そういうものなんだな』と加藤はそれが当たり前だと思っていたそうだ。父親と弟が箸を取ったら自分も箸を取るのだと。


「加藤さんと初めて会った時は岡島さんと相澤さんと四人で食事をしたんですが、岡島さんから事前に『加藤の前にある料理から順に取り分けて俺に渡せ』と指示されたんです」


 ――岡島も理解してるんだ。さすがだな。


「岡島さんって飲みに行っても料理にほとんど手を付けないのに、何でだろうって思ってたんです。でも加藤さんは岡島さんや相澤さんが食べた料理を後追いしてるから、ああ、そういうことかと気づいたんです」


 ――初回で気づいたんだ。さすがだな。


 俺は多分、敬志に言われなかったら気づかなかったと思う。

 加藤に食事の件を訊ねた時、加藤はこう言っていた。


『私は男を立てるとか、そんなことは考えてませんよ。ただ、男性がどういう態度を取るのかは、見ています』


 加藤の母親は、桃を切り分けると見た目の良い美味しい部分を皿に乗せて夫と子供の前に置き、残りの芯を含めた部分を自分の前に置くが、一切れ食べた父親は皿ごと母親と交換するという。幼い弟も真似して加藤と皿を交換していたと。

 それも『当たり前』だと思っていた加藤が『当たり前』ではないと気づいた高校生の時、理由を父親に訊ねると、思ってもみなかった返答に驚いたという。


『お父さんはね、見た目の悪い部分や美味しくない部分を嫁が食べているのに、何も思わないで平気でいられる男に可愛い娘を嫁がせたくないからだよ』


 そう言った父親だったが、母親は『そういう家庭』で育ってしまったから夫と子供を優先させてしまう。父親はその価値観を尊重しつつも、それを『当たり前』だと娘が思い込むことを嫌がり、そこで一切れ食べたら皿を交換することで双方妥協していたという。

 加藤はそんな父親みたいな男と結婚したいと言っていた。きっと、葉梨は父親のような男なのだろう。


「加藤さんって後輩と同期には厳しくて食べ物も奪うのに、俺には先輩方と同じ対応だと気づいて理由を聞いたら、『葉梨は特別だから』って言われて、もう……俺でもいけるんじゃないかって思って」

「んふふ……」

「加藤さんなんで、絶対に言葉が端折られてると思ったんですけど、あんな美人に特別だと言われたから、ダメ元で気持ちを伝えました」


 恥ずかしそうに頬を緩ませる葉梨は俺に視線を送る。俺は二人の出会いから交際に至る経緯を知っているから葉梨が幸せなことを心から喜べた。だが――。


「加藤へのやっかみ、お前の耳にも届いてるだろ?」

「はい。知ってます」

「加藤にどう納得させたの?」


 二人がケンカしていた時、話し合いで加藤は別れることも念頭に置いたという。加藤の実家は父親と弟が国税局勤めで母親は市の保育士だ。悪意ある噂話が耳に届いてしまった加藤は悩んでいた。家柄が違う、と。だが結果として二人は仲直りして結婚も決めたから、葉梨家にとっては加藤が長男の嫁でも問題無いのだろう。


「そもそも、うちは葉梨家でも分家なんで、姉と妹は官僚ですけど、俺は高卒の警察官ですし」

「ふふっ、そうだな」

「本家の方は閨閥(けいばつ)がありますけど、うちは自由です。母も年上ですし……それに離婚歴があるんです」

「え、そうなんだ」

「はい。えっと、あれです。嫁して三年子無きは去る、です」


 ――おっと……。


 葉梨は俺の離婚原因を知らない。

 教える必要も無いが、再婚後に三人の子に恵まれたのはうちと同じだ。女性を傷つける言葉に嫌悪感を催す。


 葉梨は両親の出会いを楽しそうに話している。

 今なら『官僚をストーカー規制法で逮捕』とネットニュースに文字が踊りそうな内容だ。

 官庁の食堂で働いていた母親に一目惚れした父親が猛アタックだったと。手紙、待ち伏せ、つきまとい。今ならアウトだ。


「加藤さんも岡島さんも、同じことを言うんです。『家柄に見合った人と結婚すべきだ』って」

「あー、わかるよ」

「母もそう言って断り続けたそうで、父はちょっと、世間知らずなんです」


 葉梨は続ける。

 母親が子供は公立小学校に通わせ、中学受験させた方が良いと父親に言ったという。『公立小学校は社会の縮図だから』と。

 父親は小学校から私立学校で大学までエスカレーターだった。そして閨閥と学閥の中にいるから、弱者はいない世界(・・・・・・・・)しか知らない。父親はその言葉の意味が理解出来なかったという。


「子供を官僚にさせるなら、なおさら肌感覚として記憶させないとダメだと」

「なるほどね」

「俺も警察官になって、もし小学校から私立だったら、すぐに辞めていたと思います」

「そっか」


 葉梨は小学校時代の実家近くの友達とは今でも仲良くしているという。


「姉は小学校の時の同級生と結婚しました」

「そうなんだ」

「商店街にある電器屋さんの息子です。だから問題無いのに、お二人とも気にしていて……」

「まあ、無理もないな」

「加藤さんに『本家に嫁ぐような家柄の女性が高卒警察官と結婚すると思う?』と言ったら、『そうだよね』って、納得してました」


 今日の葉梨はよく話す。

 加藤の話だからしたいのだろう。

 だが、『本家に嫁ぐような家柄の女性』とは妹のことだと思うのだが、兄は気づいていないのか。姉が電器店の息子と結婚したのだから良いのか。


「首都高乗ります? それとも下道に降ります?」

「ああ、そのまま首都高で行けばいいよ」

「はいっ!」


 加藤が葉梨を結婚を決めてくれて本当に良かった。肩の荷が下りた。これで葉梨を外すことが出来る。


 本当は、葉梨は有能だからこのまま俺の手元にいて欲しい。二人が結婚すれば加藤は玲緒奈さんの本業(・・)を一緒にすることになるから、なおさら葉梨はこちらにいた方が安全なのに、葉梨を外さないとならない。中山に反対されたから。

 中山は、葉梨に自分が何をしているのか知られたくないという。高校生の葉梨をスカウトして、採用面接で自分の名前を出してくれた葉梨が可愛いから。


 俺の宝物を奪わないで――。


 中山が嫌がるなら仕方ない。

 俺は中山が大切だから、葉梨を手放す。


 そう決めた俺は、料金所手前で減速する中山の宝物を見つめていた。





 

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