第5話 写真
女性スタッフは料理を盛った皿やドリンクを俺たちの前に置いてすぐに去ったが、残った吉崎さんはワインボトルを手にしている。
「初めまして。オーナーの吉崎です。松永さんにも、お世話になっています」
黒いスーツ姿で金糸を編み込んだ濃紺のネクタイを締めた吉崎さんは微笑んでいる。だが、優衣香ちゃんをよく観察している。俺は何も言えない。吉崎さんが話すまでは。
優衣香ちゃんは笑顔で応えたが、名を名乗らない。店舗内装を褒める言葉を連ねながら、ちらりと俺を見た。オーナーから敬志の名が出たことを不審に思っているのだろう。
「スパークリングワインは私からのサービスです」
微笑んだままの優衣香ちゃんは俺を見る。だが俺は吉崎さんを見ていて、目は合わせられない。
俺のワイングラスにワインを注ぎ終えた吉崎さんはボトルを置き、優衣香ちゃんに微笑んだ。
吉崎さんは警察を辞めて五年経つ。だが、元々刑事課の強行犯係だったから目つきの鋭さも佇まいも残ったままだ。おそらく優衣香ちゃんは気づいているだろう。
「私は五年前まで、警視庁の警察官でした。地域課にいた頃は、新人の松永さんの指導員だったんですよ」
吉崎さんはそう言いながら、俺を見た。そして、優衣香ちゃんの笑顔に微笑んだ。
――問題無い、と。
良かった。ただそう思った。俺は優衣香ちゃんと目を合わせて微笑んだ。
吉崎さんは敬志の父親にお世話になったのもあり、松永ブラザーズを可愛がっている。玲緒奈さんを含めた松永家の三人を警察を辞めた今でも変わらずに目を掛けているから、吉崎さんは山野花緒里を引き受けてくれた。おそらくだが、玲子さんも吉崎さんと繋がっているはずだ。
「笹倉優衣香です。松永さんとは幼馴染です」
優しく微笑む吉崎さんはちらりと俺を見てから、話し始めた。
「笹倉さんのことは松永さんから聞いていますよ。警察官は家族の写真を警察手帳に入れておくんですけど、松永さんは笹倉さんの写真も入れてました。多分、今でもでしょうけどね」
――マジかよ。知らなかった。
驚く優衣香ちゃんは俺を見て、恥ずかしそうに目を伏せた。
「松永さんが新人の頃に見せてくれました。高校生の時に笹倉さんと一緒に撮ったプリクラだと。次はぜひ、松永さんとご一緒にご来店下さい」
笑顔のまま、吉崎さんは個室を後にした。
◇
午後八時三分
テーブルに置かれた料理は全て綺麗に片付き、スパークリングワインのボトルには三分の一ほど残っていた。
食事中は優衣香ちゃんの仕事や車の話をしていた。いつもの内容で、敬志のことには一切触れないのも、いつものことだ。
だが今日は、俺が話があると呼び出したのだから話さなくてはならない。優衣香ちゃんはそれについて何も言わなかったが。
「須藤さん、ワインを飲み切っちゃいましょうよ」
「ああ、そうだね」
テーブルに置かれたワインを、二人同時に取ろうとして指先が触れた。お互いに手を引っ込め、顔を見合わせて笑う。
「今日、誘ったのは俺だから、俺が」
「ふふふ、そうでしたね」
スパークリングワインの残りは、丁度二人分の量だった。
「優衣香ちゃん、今日は……」
「はい。伺います」
「敬志のことで、ね」
「はい」
いつも笑顔を絶やさない優衣香ちゃんは、アルコールが入ると普段より笑う。酒は強い方だろう。まだこの量なら酔ってはいない。
何を言われるか不安なのか、目が動いている。手を握り締めるような動きをしたが、テーブルに手をついた。
「敬志から、連絡は来てる?」
「うーん、毎日というわけでは無いですけど、メッセージやスタンプは返してくれますよ」
「前髪を結わえた写真、どうだった?」
「んふふっ、びっくりしました」
「敬志に何て返したの?」
「えっ?」
――アイツ、送ってないのか。
「あ、俺が送ったから言えないよね、ごめんね」
「ふふっ、そうですよ。でも毎日見て笑ってます。んふふ……」
――やっぱり送ってない。何やってんだよ。
優衣香ちゃんはワイングラスに手を伸ばした。
ワインを飲むが、一口が多い。敬志と何かあったのか、微かな心の動きが気になる。
「優衣香ちゃんは、敬志でいいの?」
「えっ?」
「敬志が警察官であることは事実だけど、所属を明らかに出来ないし、帰って来ないし、連絡も途絶える時があるし……それでも、いいの?」
優衣香ちゃんの目は動揺はしていない。笑っている。
「それは問題無いですよ」
「うーん……それは友達関係なら、でしょ? 今は恋人だし、結婚も考えているんでしょ? 以前とは違うよね?」
「あー、確かに。でも大丈夫ですよ。ふふっ」
――何がどう、大丈夫なのよ。
目を合わせたまま、微笑む優衣香ちゃんはまたワイングラスを手にした。
また、一口が多い。グラスに残ったスパークリングワインがわずかだと気づき、全て飲み干している。
膝に置いたハンカチで口を拭い、俺を見た優衣香ちゃんは話し始めた。
「私は敬ちゃんのために生きていこうと決めたんです」
優衣香ちゃんは続ける。
親を亡くして一人娘の自分は独りになってしまい、生きる理由は何なのかを考えたが、敬志が部屋に来ると表情が柔らかくなるから、自分は敬志にとって必要な人間なのだと気づかされたという。
「敬ちゃんが仕事に集中出来るようにしてあげたいです」
敬志は十四歳の時に幼馴染の優衣香ちゃんに恋をした。ラブレターを渡して、断られて、それでも幼馴染として関係は続いていて、やっと恋が叶った。きっと敬志は不安なのだろう。優衣香ちゃんを想うがゆえに、思いつめてしまっている。
「でもさ、会えないよ? 帰って来ないし、連絡も……」
その言葉に優衣香ちゃんは笑う。
メッセージはたまに返って来るし、電話もたまにある。今までと比べたら繋がる時間が増えたから良い、と。
「多分ですけど、敬ちゃんが毎日帰って来たら……ケンカになると思います」
――何で?
「敬ちゃんは、ずっと、私にベッタリなんですよ……たまにちょっと、面倒な時もあって……ふふふ」
優衣香ちゃんは少し困ったような顔をしている。
敬志は優衣香ちゃんが視界から消えると探すという。キッチンの引き出しから物を取ろうとしゃがんで姿が見えなくなっただけなのに探しに来ると。スーパーで買い物をした時はずっと手を繋いでいて買い物がしづらく、手を離したら後ろから二の腕や腰を掴んでいたと。部屋を出ようとするとどこに行くのか訊ねると。一緒に寝ていても優衣香ちゃんがいなくなるとすぐに起きてしまうという。
――敬志はそんな奴だったのか……意外だな。
「私が家で仕事してる時は我慢してるみたいで、可哀想だなとは思うんですけどね」
「そうなんだ……敬志が、ね……」
「んふふ……でも、毎日帰って来たら来たらで嬉しいですよ」
「そっか」
優衣香ちゃんは問題無い。玲子さんだって敬志が優衣香ちゃんと結婚することを望んでいる。
敬志はなぜ不安なのだろうか。また折を見て話せばいいか。スパークリングワインを飲みながらそんなことを考えていると、優衣香ちゃんの声が耳に流れ込んだ。
「須藤さんの警察手帳には、誰の写真が入ってるんですか?」
優衣香ちゃんの思いがけない問いに、俺はむせてしまった。




