第5話 交差点
午後十一時五十六分
事務所に一人でいた葉梨将由は所内の電気を消してドアを開けた。
施錠しているとスマートフォンが鳴り、左手で胸ポケットのスマートフォンを手に取ったが画面を見た葉梨は眉根を寄せた。
画面には『公衆電話』と表示されている。
通話ボタンをタップして応答すると、嗤う女の声が葉梨の耳に流れ込んだ。
「んふふ……見つけた」
そう言って電話は切れた。
すぐさま葉梨は松永玲緒奈に電話をかけた。
◇
同時刻
中華屋から出て来た岡島直矢と飯倉和亮がマンションに戻ろうと角を左に曲がった時、飯倉和亮が右に視線を動かした。
「あの女性、加藤さんじゃないですかね?」
飯倉和亮が指差す方向を見た岡島直矢は、黄色のシャツに白いトートバッグを肩に下げた女の後ろ姿を見た。
「うーん、奈緒ちゃん、かな?」
女は左手に鍋の蓋、右手に鍋を持ち、振り回し始めた。街路灯に照らされた鍋は鈍く輝いている。
「ん、百パー、奈緒ちゃんだね」
「そうですね」
「あ……望月さんのバーに松永さんの彼女がいるじゃん」
「そうだ……」
岡島は思案しているが、二人は目を合わせて頷いた。
「大丈夫でしょ」
「ですね」
二人は加藤奈緒に背を向けてマンションに戻って行った。
◇◇◇
午後十一時五十七分
須藤さんのスマートフォンが鳴った。「玲緒奈さんだ」と言って須藤さんは応答したが、目が動いた。その姿を見た藤川さんは俺に視線を向ける。
「敬志、今、加藤はどこにいるんだ?」
「事務所かマンションですが、葉梨も一緒にいるはずです」
「確認しろ、今すぐ」
「はい」
胸ポケットからスマートフォンを取り出していると、電話を切った須藤さんの声が耳に流れ込んだ。
「山野から葉梨に連絡が来たってよ。『見つけた』とだけ」
「えっ……」
「おい、敬志。加藤に連絡しろ」
「はい」
◇◇◇
同時刻
加藤奈緒は両手鍋の取っ手を持ち、望月のバーの手前の交差点まで来ていた。店の前に視線をやると、望月が女性二人を見送りに出ている姿が見えた。
女性の顔を見た加藤は驚き、後退りしながら周囲を見回していると女性二人が加藤に気づいた。
その時、トートバッグに入れたスマートフォンの着信に気づいた加藤は、スマートフォンをバッグから取り出そうとしたが声がかけられた。
その声は笹倉優衣香だった。
「加藤さん!? 加藤さんだ! 加藤さーん! こんばんは!」
加藤は電話に応答せず、三人の元へと行った。
石川奈緒美、優衣香、望月、加藤の四人は皆で顔を見合わせたが、加藤は笑顔で話しかけた。
「こんばんは! 石川さんと笹倉さんってお知り合いなんですか?」
「えっ、あれ? 奈緒美ちゃんも加藤さんをご存知なの?」
「うん……優衣香ちゃんも……あっ、そっか」
「んんー?」
望月と加藤は目配せしているが、加藤は両手鍋を持っていてハンドサインを送れない。
「石川さんは私が新卒で入った会社の同期なんですよ」
「そうでしたかー」
「加藤さん、どうして両手鍋を?」
「これは……えっと……」
「これはお店からお貸ししてた鍋なんですよ」
加藤のスマートフォンの着信は既に切れていた。
◇◇◇
同時刻
「加藤、出ないです」
「加藤は望月のバーへ行ったんだと」
「えっ、一人で?」
「ああ」
須藤さんと藤川さんは顔を見合わせている。
吉崎さんの駒を刺しただけなら、まだいい。事件化せずに消せる。だが横浜で事件を起こしたとなると厄介だ。
須藤さんは葉梨に連絡すると言い、スマートフォンをタップした。
◇◇◇
午後十一時五十八分
事務所を出た葉梨将由は走り出したが歩行者用の信号は赤だった。
呼吸を整えながら加藤に電話をかけ、スマートフォンを耳に当てている。だが加藤は応答しない。
そこに須藤から着信があり、すぐに応答した。
「お疲れさまです」
「加藤さん、出ないです」
「事務所を出て信号待ちしてます」
「望月さんのバーですね、了解です」
電話を切った葉梨将由は青信号になった横断歩道を走り出した。
◇
同時刻
岡島直矢と飯倉和亮がマンションのエントランスまで来た時、ガラスドアの向こうに青色のジャージ上下の松永玲緒奈がスマートフォンを手に持ち、階段を駆け下りて来る姿が目に入った。
二人の姿を認めた玲緒奈は勢いよくドアを開けた。
「加藤は見た!?」
「え、はい、見ました!」
「連れてって! 山野が近くにいる!」
「ええっ!?」
岡島は走り出し、その後ろを玲緒奈と飯倉は追った。
◇◇◇
午後十一時五十九分
俺たち三人も望月のバーへ行くことになり、ビル裏手の階段を下り、大通りに出て信号待ちをしていた。
「須藤さん。優衣香も今、望月のバーにいるんですよ」
「えっ……」
「仕事でそこの信号サイクルを確認するそうです」
俺たちがいる幹線道路の先、高架の先にある変則交差点の信号サイクルを優衣香は確認するという。事故発生と同じ曜日、時刻でなければならないから。
「超音波式の感知器がついてますからね」
「あー、なるほどね。こんな時間に大変だね」
「優衣香が夜中に車で出かけるのは信号サイクルとか交通量調査もあるみたいですよ」
「……ふふっ、そっか」
藤川さんは須藤さんと俺をちらりと見て、スマートフォンを取り出した。
「どうする? ウチの、呼ぶか?」
「そうだね。お願い」
群馬県警の人たちは、警視庁の人なのだろうか。藤川さんは警視庁だとは確定しているが他はわからない。
信号が青に変わり、俺たちは歩き出した。
◇◇◇
同時刻
望月奏人のバーの前でまだ四人は話している。
交差点を背にする加藤奈緒の左に笹倉優衣香がいて、石川奈緒美は正面にいる。望月は加藤の右にいて、両手鍋を渡してもらおうと手を出している。
優衣香が石川へ、加藤とどういう関係なのかと訊ねた時、加藤奈緒はスマホの着信に気づき左手を後ろに回した。
その時、大通りから角を曲がって来た男がいた。
「奈緒!」
葉梨将由の大声に加藤と石川が反応した。
加藤は視線を左にやって葉梨を見た。石川は振り向いた優衣香の体で見えず、右に一歩出て声がした方向を見た。
迫り来る葉梨を見ていた四人だったが、石川は優衣香の背後に近づく女の姿を見て、目を見開いた。
「花緒里ちゃん?」
加藤は石川に振り向き、視線の方向を見ようと優衣香の後ろを見ると、右手に牛刀を持ち、その手をガムテープで幾重にも巻いた山野花緒里が優衣香の背後に迫っていた。




