第3話 不見・不聞・不言
午後十一時十六分
俺たちはまだ、無言だった。
ピコピコハンマーでフルスイングは俺たち三人だけなはずなのに、なぜ中村さんまでフルスイングされたのだろうか。聞いてみたいが聞けるはずもなく。
まだちょっぴりしょんぼりしている中村さんは、後頭部をフルスイングされたから髪が乱れている。ロン毛を後ろで団子みたいに結んでいるが、髪が二束、飛び出ていた。
――猫耳、だな。
岡島も飯倉も気づいている。だがそれを指摘出来る空気でもないし、勇気もないし、指摘したらその瞬間に噴き出す自信は俺にはある。
俺たちは正体不明な猫耳の中村さんを目の前にして必死に耐えていた。
その時、中村さんが後ろを振り返った。そこには須藤さんがいて、俺たちが纏う空気に異変を感じたのか、ものすごい怪訝な顔をして「遅くなってごめんね」と言いながら俺たちの元へ来た。
須藤さんは中村さんの肘を掴み、二人は俺たちから離れ、俺たちはやっと中村さんから解放された。
飯倉も岡島も、緊張が解れたのか猫耳の中村さんから離れたからなのか、下を向いて笑いを堪えている。
須藤さんと中村さんは俺たちから五メートルほど離れていて、何を話しているかは聞こえない。須藤さんは猫耳の中村さんに髪の乱れを指摘しているようだ。髪をほどいた中村さんのロン毛は肩下十センチほどだった。
「マンションに帰ればよかったな」
「うーん、でもお腹空きましたし……」
「俺もお腹空いてまーす」
――この状況で空腹を覚えるんだ。
思ったよりも図太い神経の二人に頬が緩んだ。
◇◇◇
午後十一時二十二分
マンションに戻っている途中の加藤奈緒は、フォーチュンクッキーを開封し、クッキーから出ている紙を引き出した。
クッキーを口に入れ、紙を見ている。
『ユニークな感性を持った友人と行動しよう! 交差点がラッキーポイント』
街路灯にかざして書かれた文字を読む加藤は少し首を傾げた。
◇
午後十一時二十八分
捜査員用のマンションのリビングにある座卓でチキンスープを食べている中山陸は、キッチンから戻って来ない松永玲緒奈を気にしていた。
キッチンでは、冷蔵庫を開けて奥に隠してあるものを手に取った松永玲緒奈がほくそ笑んでいる。
小皿と箸を二膳を持ち、リビングに戻った玲緒奈は中山に微笑んだ。
「あー、玲緒奈さんそれ、敬志のサラダですよ。食べたら怒りますよ、アイツ」
「いいのいいの。カネで解決するから」
玲緒奈はタコとブロッコリーのサラダを開封し、小皿に取り分けると中山の前に置いた。
「食べな。共犯だよ」
「酷いなー!」
「ふふふ……」
その時、玲緒奈のスマートフォンの着信音が鳴った。応答した松永玲緒奈だったが、微かに目が動いたことを中山は見逃さなかった。
電話を切った玲緒奈に中山は問うが、玲緒奈は答えず、有無を言わせぬ声音で「食べな」と言い、リビングを出て行った。
玲緒奈は女性用の仮眠室へ行き、ドアから一番遠い外廊下に面する部屋の隅に背を向けた。ドアを視界に入れながらメッセージを送り、電話をかけている。
「もしもし、玲緒奈です。緊急です。山野花緒里の所在は把握してますか」
「そうですか。葉梨から連絡がありまして、今、見知らぬ電話番号から着信があり出たところ山野だったと。『許さない』とだけ言って電話を切ったそうです」
「電話番号はメッセージで送った通りです」
「えっ……はい。お願いします」
電話を切った玲緒奈は外廊下を歩く足音に気づいた。
◇
同時刻
岡島と飯倉の二人は捜査員用のマンションの方向へ戻っている。
二人は敬志らと別れた後、望月のバーに行ったが、飯倉がドアに嵌め込まれた船舶用の丸い窓越しに店内を見た瞬間に何かに気づき、バーに入店しなかった。
岡島は横に並んで歩く飯倉へちらりと視線を送ると、気づいた飯倉は口を開いた。
「店に松永さんの彼女と須藤さんの彼女がいたんですよ」
「えー、見たかったなー」
「すみません、俺は松永さんの彼女に顔を見せられないんで」
「じゃ、しょーがねえな」
二人はマンション近くにある中華屋へ入って行った。
◇◇◇
午後十一時三十三分
岡島と飯倉と別れ、須藤さんと中村さんと三人で別の店に行くことになった。
その店は俺が初めて中村さんに会ったバーだ。
店に着き、入口を前にして須藤さんは俺に振り向いた。そして、思いがけない言葉を発した。
「おばさんに電話しろ。事情はわかってるから」
――あー、そっちなんだ。
隣の中村さんはあの時と同じ緊張を解いた目をしている。口元を緩めて俺を見ていた。
二人は俺を置いて店内に入って行く。入口左手のすりガラス越しに二階へ行く二人のシルエットが見える。
――中村さんは警視庁ってこと、か。
俺は胸ポケットからスマートフォンを取り出して、母に連絡をした。
母からはたまにメッセージアプリで連絡が来る程度で、俺から連絡することは稀だ。前回は四月で、優衣香が引っ越した旨の連絡だった。
呼出音が鳴る。
もう十一時半を過ぎたが、まだ起きているだろうか。
呼出音は四回鳴って、母は応答した。
「もしもし」
「あ、お母さん? 俺だけど、夜遅くにごめ――」
「どちらさまですか?」
「オレオレ詐欺じゃないから」
「ふふっ……須藤くんから連絡来たわよ」
「うん……」
俺がこの仕事をするようになったのは約十一年前の離婚後だった。
九年前に父が殉職して、父の仕事の遺産として、情報網を引き継いだ。それは全てではないと知るのは、もっと後になってからだった。
兄と俺の二人が全ての情報網を引き継いだと思っていたが、優衣香の実家の事件があった後に玲緒奈さんも引き継ぐことになった。その際、母はこう言っていた。
『あと三人、いるからね』
その三人が誰なのかを玲緒奈さんは聞いたが、母は答えなかった。
それぞれの情報網は独立していない。誰かが、他の情報網の誰かと繋がっている。それを知ろうとしてはいけないと母は言った。
「敬志」
「はい」
「いつもの言ってごらん」
「不見、不聞、不言、です」
「……彼はお父さんの直属だったの。名前は藤川充。敦志と須藤くんの同期よ」
「そうですか。お母さん、あの、藤川さんはお父さんの警察葬に――」
「敬志、言ったよね」
「……はい、すみません」
母は、警察官の妻としての情報網も持っている。父が殉職して一人で全ての情報網を引き継ぐことになり、予定より早く兄と俺に引き継いだ。本来なら父が退官する四年前のはずだった。
引き継いだのは、兄と俺と玲緒奈さん、そして須藤さんだが、五人目は藤川充さんだと判明した。ならばあと一人だ。
「明日ね、優衣香ちゃんがうちに来るわよ」
「ああ、そうみたいですね。連絡は受けています」
「石川奈緒美さんも来るから」
「はっ!?」
「敬志、不見、不聞、不言よ」
「……はい」
電話を切った俺は、逃げ出したくても逃げることの出来ない現実に、溜め息が出た。
◇◇◇
午後十一時三十四分
捜査員用のマンションに戻って来たのは加藤奈緒だった。
マンションへ戻る途中に買った品をテーブルに置き、中山陸へ月餅を渡している。
「チキンスープ美味しいですよね」
「これってモッチーが作ってくれたやつでしょ?」
「そうです。後で両手鍋を返して来ます」
「ごめんね、迷惑かけて」
「いいんです。私だってご迷惑おかけしましたし」
松永玲緒奈はキッチンからアイスを三個持ってリビングにいる二人の元へと来た。
「小豆のアイスと高級アイスと普通のアイスがあったよ。ウチなら取っ組み合いのケンカになるわ」
「んっふ……中山さんは高級アイスで」
「いいよ、俺は普通のアイスで」
「だめよ。高級アイスは諒ちゃんが買って来たやつだから陸が食べなさい」
「……はい、すみません、頂きます」
「奈緒ちゃんは普通のアイスね。私は小豆のアイスにするからここに置いといて」
そう言った松永玲緒奈はリビングを出て行った。




