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幕間 8年目の真実(前編)

 スマートフォンの電話帳の並びを見るといつも何とも言えない気持ちになるが、これを入力したのは自分だ。


 ゴリラ

 安藤哲也

 ホスト

 チンピラ


 電話をかけようとするといつも目に入る静岡県警の安藤(あんどう)哲也(てつや)さんとはもう二年以上連絡をしていない。


 八年前、私と相澤がペアを組んで仕事していた際、早朝の繁華街でナイフを振り回す男がいた。通行人により通報は済んでいたが、まだ誰も臨場していない時だった。

 私たちは走り出してその男の確保に向かったが、私服で防刃ベストも着ておらず丸腰だった私は一瞬、怯んでしまった。

 その隙を突かれ、男は私にナイフを振り下ろした。

 相澤は私を突き飛ばしたが、私の左肩甲骨部分と相澤の左上腕は切りつけられた。

 すぐに男性数人が現れ、男を確保して、男性二人は私と相澤の止血をしてくれた。双方出血量が多かったが、彼らの的確な処置のおかげで私も相澤も生きている。


 彼らが静岡県警の警察官だと知ったのは、私を止血してくれた安藤哲也さんから見舞いの手紙を頂いたからだった。私は彼と、他県とはいえ同業で先輩だからしばらく文通をしていた。見舞いの手紙は筆で書かれていて、見事な筆跡に感銘を受けたのも理由のひとつだったから。

 最後に会ったのは三年前。その時よりも痩せていて、顔つきも変わっていたから私は気づかなかった。


『加藤さんはまだ、独身ですよね? あれからお返事を頂けていないままですが、いつ、お返事を頂けますか? 今でも待ってるんですよ。私も、独身のままですから』


 安藤哲也さんは、今は群馬県警の中村(なかむら)清隆(きよたか)さんだ。なぜ名前が違うのか。それについて触れてはいけない気がする。だが、安藤さんは手紙の返事を待っていると言っていた。すごく面倒くさいことになりそうだ。ならさっさと終わらせてしまった方が良いだろう。


 私はスマートフォンの画面を見た。

 ゴリラとホストに挟まれている安藤哲也さんの電話のマークをタップして、耳に当てた。



 ◇



 午後七時二十八分


 群馬県警の中村清隆さんと七時半に待ち合わせの約束をしたが、電話を切って三十分が経った頃に中山さんから電話が来た。中山さんは少し苛立っている様子だった。


『群馬の警察官(サツカン)に会うんだってな。俺がついて行くから』


 そう言った中山さんは待ち合わせ場所も時間も聞かずに電話を切った。

 なぜ私たちが会うことを知っているのか。やはり不安に思った通りだ。中村さんはもしかしたら警察官ではないのかも知れない。だが玲緒奈さんは私と静岡県警の安藤哲也さんが文通していることを知っているし、相澤と三人で二度会ったことも知っている。それでも何も言わないのだから安心して良い相手なのだろう。

 それにしても、中山さんに連絡が行くまでに誰が間に入ったのだろうか。きっとそれすらも私は聞いてはならないのだろう。聞きたいが、聞いたら負けかなと思っている。


 私は今、待ち合わせ場所にいるが中山さんの姿はない。中山さんの姿を認めることは元から不可能だが、本当について来てくれているのか私は少し不安になる。


 ――連絡してみるか。


 そう思い、スマートフォンをカバンから取り出して中山さんに電話をかけようとした時、私の前に立つ男の足元が視界に入った。中村清隆さんだった。

 優しく微笑む中村さんだが眼差しは鋭い。

 黒いインナーにライトグレーのジャケット、艷やかな長い髪を後ろで束ねたヘアスタイル。少し日焼けしたのだろうか。胸元にはサングラスをかけている。


 ――ザイル系、中村。


 下は普通の黒いパンツかと思ったが、サリエルパンツだ。股下にゆとりがある黒いジャージ素材のパンツ。これはちょいサリエルといったところか。


 ――サリエルパンツ、か。


 私はふと、松永さんを思い出した。七年ほど前、捜査員用のマンションで松永さんがちょいサリエルを履いていた時、私の前でおもむろにサリエルパンツを下げ、Tシャツを脱ぎ、素肌にジャケットを羽織り、ジャケットの裾を持ち上げた。そして『奈緒ちゃん見て見て!』と言いながら私から離れ、『これさ、M.C.ハマーのズボンみたいだよね!』と中腰になり右から左へジタバタと動き、くるっと一回転してまたジタバタ動いていた。

 松永さんが何を言っているのか、何をしているのか私は全くわからず、『M.C.ハマーってm.c.A·Tのお仲間とかですか?』と訊くと、ジタバタ動いていた松永さんは動きを止め、真顔で『お前もしかしてM.C.ハマーを知らないの?』と言った。答えはもちろん『Oh Yeah』だが、松永さんからm.c.A·Tを知っているのにM.C.ハマーを知らないとはどういうことだと詰問された。

 私は警察官を拝命し、幾度となく警察官になったことを後悔したが、M.C.ハマーを知らなかったくらいで先輩が不機嫌になった姿を見た時も後悔した。もちろんくだらな過ぎて、だ。


「あの……加藤さん?」

「えっ、ああ、すみません、ごめんなさい」

「何かありました?」


 ――ええ。ロクでもない先輩のロクでもない記憶が蘇っていました。


「ふふっ、よくお似合いだなと思いまして」


 そう言って中村さんに微笑むと、中村さんは歯並びの良い白い歯を見せ、笑った。


「ありがとうございます。でも加藤さん、まさかギャルの格好だとは思いませんでした」

「ふふっ……たまにはギャルメイクをしないとやり方を忘れてしまうので……」

「そうでしたか。よくお似合いです。美人は何しても美しいですね」

「ありがとうございます」


 私たちは微笑みを交わし、歩き始めた。

 中村さんは相澤がいないこと、二人きりで会うことに何の質問も投げかけず私に歩幅を合わせて歩いている。

 中村さんは、私が今日、相澤がいない理由を理解しているのだろう。そう感じたが何も聞かなかった。



 ◇



 中村さんは少し不思議な雰囲気がある。

 会うたびに雰囲気が違っていて、相澤とともに二度会った時も私たちは声をかけられるまで気づかなかった。

 見た目が完全に昭和の暴力団だった六年前は、混雑する新宿駅西口がモーゼの如く人波がかきわけられ、ものすごく歩きやすかった。三年前は、小太り体型で目つきは鋭いが柔和な笑顔の茶髪だった。相澤は『風俗のキャッチみたいだね』と言っていた。

 今日の中村さんはザイル系だが、かなり痩せたとはいえ顔つきが全く違う。昭和の暴力団、風俗のキャッチ、ザイル系と変遷しているが、松永さんみたいな仕事なのだろうか。ただ、笑顔に不自然さがある。


「メキシコ料理店はよく行くんですか?」

「一回だけ行ったことがあります。美味しかったのでまた行きたいなと思いまして」


 葉梨と行ったメキシコ料理のお店はもちろん料理も美味しかったが、明るく朗らかでムニムニしている店員のラティーナは私の一番のお気に入りだ。もう一度、会いたい。


 お店の前に着き、中村さんがドアを開けてくれた。


「予約はしました?」

「いえ、していません」

「そうですか」


 店内からはムニムニのラティーナ店員のスペイン語による明るい声が響いた。


「ビエンべニドス! いらっしゃ――」

「ブエナス ノーチェス、ソモス ドス。ノ テンゴ レセルバ……二人です……予約はしてません……」


 ――スペイン語、話せるんだ。


 私をちらりと見た中村さんはものすごい目ヂカラで私を見た。


 ――触れてはいけないんだな。


 私は目をそらした。

 余計なことは考えない。言わない。それで、いい。

 ただ、中村さんの笑顔の不自然さはコレかと理解した。外国語を話すから歯を見せる笑顔だったのかと。その笑顔を出さぬように不自然な笑顔だったのかと。だが、外国語がわかることを私に知られたくなかったのだろう。中村さんはものすごく殺気立っている。


 ラティーナ店員は席まで案内している。私は中村さんの後ろにいるが、スペイン語が話せるとバレた中村さんはスペイン語で話しかけられている。スペイン語はわからないと誤魔化しているようだが、ムニムニのラティーナには完全にバレていてお構いなしだ。


 ――笑ってはいけないメキシコ料理店。


 私はいろんな意味で、来なければ良かったと後悔した。



 ◇



「加藤さん、今日はなぜ、私にお誘いを?」


 中村さんは『カマロネス アル テキーラ』という海老の料理を前に殻と格闘しながら訊いてきた。私の前にも同じ料理があり、同じく殻と格闘している。

 身の部分の殻は剥いてあるが、頭と尻尾に殻が残っていて格闘しなくてはならない。手掴みしたい。


「ここに来たかったからですよ」

「それなら私でなくとも良かったでしょう? なぜ、私なんですか?」


 私は海老の身の部分だけナイフで切りながら答えた。頭と尻尾の身の部分を諦めるのは惜しいが、仕方ない。


「久しぶりにお会いしたので、お食事でもと思いましてね」

「二年も放ったらかしたお詫び、ですか?」

「ふふふ……ひとつ、伺いたいのですが」


 テキーラの強い香りがする濃厚なクリームソースをたっぷり乗せた海老を口に運ぶ中村さんは、目で続きを促す。


「私のどこが、良いのでしょうか」


 中村さんは私の止血をしている間、他の警察官に指示を出していた。私は血圧が低下し、意識が薄れてゆく間、中村さんが私を励ましていた記憶だけがある。

 入院中に見舞いの手紙を頂き、そこで初めて名前と所属を知った。それから六年間文通をして、間に二回会っただけだ。手紙には大したことは書いていない。


「そうですね……加藤さんの書く文字が、相澤さんのことに触れた文字だけ、踊っているんですよ。最初は微笑ましいと思ってましたけど、だんだんと――」


 ――相澤が好きだとバレていたのか。


「――その気持ちを私に向けてくれたらな、と思うようになりました」


 中村さんは真っすぐ私を見ている。

 見た目のことを言われるだろうと思っていた。見た目を好きになったと言われたら、いくらでも返す言葉は持っている。だが、相澤のことを出されたら、私は何も言えない。


「この二年、どうすることも出来なくて、想いは募りましたよ。でも、加藤さんは相澤さんじゃなくて他の男性とお付き合いを始めたそうですね。何もしなかったことを後悔しています」


 ――どうして葉梨のことを知っているんだ。


「……ですから今日は、彼から加藤さんを奪う最後のチャンスだと思っています」


 優しく微笑む中村さんの鋭い目線に、私は身動き出来なくなった。


 いったいこの人は何者なのだろうか。

 岡島と一緒にいたあの日、声をかけられた時に感じた不安は、やはり的中した。





 

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