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第4話 利用される女

 六月二十二日 午前五時十七分


 駅の構内は朝特有の静けさが満ちていた。俺は電車に乗り遅れないよう足早に改札を通り抜ける。


 電車内は空調が効いていて、冷たい空気が俺の体を包み込む。電車のシートに座りホッと一息つく。だが――。


「おはようございます」


 車両には五人がいたが、隣の車両から来た女が俺に声をかけた。そして反対側からは男が歩いて来ている。俺は二人を両脇に座らせるため、端の席からひとつ移動しようと、腰を浮かせた。


 黒いスカートスーツにベージュのカバンを持ち、五センチのヒール、ウェーブの髪をひとつに纏めている加藤は最低限の化粧をしていた。そして濃紺のデニムにエンジ色のポロシャツを着て黒いキャップを目深に被る中山は、疲れ切った表情で俺を見ている。


 ――なんで、二人一緒なのよ。


 俺は二人の顔を交互に見る。

 加藤は笑顔だが中山は俺の視線を無視して、俺の左横に座った。中山は俺の顔を覗き込みながら口を開き、俺の耳元で囁くように言う。


「昨夜、加藤の隣の部屋に、山野花緒里が来ました。右隣です」


 ――マジかよ。


 優衣香ちゃんの部屋は加藤の左隣だ。

 右隣の部屋はワンルームの投資物件で現在の所有者は入居者と二年契約。まだ入居者後一年未満の一人住まいの女性のはずだ。


「仕事で?」

「そうです。送迎車のナンバー照会でウラは取れてます」

「そっか」


 昨日の午後六時に事務所を出て、午前八時に事務所へ戻る予定だったはずの中山がなぜ加藤といるのか。

 加藤は昨晩、藤川(ふじかわ)(みつる)を終電まで連れ回していたと聞いている。加藤に視線を移すと、気づいたようで俺に少し体を預けて囁いた。


「昨夜は出掛けて、中山さんに家まで送って頂きました」

「誰と会ってたの?」

「ふふっ、群馬県警の警部補、中村(なかむら)清隆(きよたか)さんです。お話は既に……」

「うん、聞いてる」


 加藤が藤川と会うことを元から中山は知っていたのか、藤川が中山に話を通したのかは知らない。だが優衣香ちゃんには敬志が二人付けているから、中山は行かないで良いはずなのに。

 ちらり中山を見ると、口元を緩めて俺にだけ聞こえる発声法で耳元で囁いた。


 ――そういうことね。


「敬志には言ったの?」

「まだです」

「……とりあえず黙っとくか」


 俺も中山も考えていることは同じだ。小さく息を吐き、腕組みをした。加藤はそんな俺たちを怪訝な顔をして眺めている。左腕に重みを感じながら加藤を見た。


「あの、なぜ、言わないんですか?」

「だって大切な加藤の危機だよ? 敬志は加藤を目の中に入れても痛くないくらい可愛がってるじゃない」

「私は孫ですか」

「ふふふ……」


 玲緒奈さんが敬志に首輪を付けてピコピコハンマーで威嚇すればどうにかなりそうだが、優衣香ちゃんのことになると冷静さを欠く敬志だ。玲緒奈さんではコントロール出来ないかも知れない。だがもしそうなったら、玲緒奈さんは敬志を新技の実験台にするだろうから結局は大丈夫だろう。


 ――敬志には別ルートで連絡が来てるだろうし。


「加藤、悪いけど、寝るから起こして」

「はい」


 夜中の左腕の重みは奈緒美さんだったのに、今は中山が俺の左肩にもたれて寝ている。でも無防備な寝顔を晒す中山に頬が緩む。

 俺もまぶたを閉じて眠りに落ちるまで、時間はかからなかった。



 ◇



 午前六時十分


 捜査員用のマンション最寄駅である石川町駅に着いて、商店街を歩いていた。


「ねえ、ハンバーガー屋の朝メニュー、行かない?」

「ああっ! 良いですね」

「食べたい食べたい!」

「ふふっ、じゃ、行こうか」


 二人を伴ってハンバーガー屋の前に来たが、カウンターで注文する長身の男が目に入った。

 ブルーのピンストライプの細身のスラックスにベスト、ライトブルーのクレリックのワイシャツで、艷やかな黒髪を後ろに流している敬志がいる。

 その姿を認めた加藤は身を隠すように注意深く、敬志に対応する若い女性店員を見た。


「どう?」

「えーと……あ、今、瞳を逮捕しましたね」

「そう。よかったよかった」

「んっふ、ものすごい棒読み」

「ふふっ……」


 敬志は今年で三十八歳になる。

 いつまでもギャングだヤンキーだのチャラい姿は出来ないと言い、岡島に継がせようとしたが失敗している。あれは大敗だった。チンピラでは中堅構成員の無理した若作りにしか見えなかった。


「じゃ、先に行きますね」


 そう言った加藤はひとつに纏めていた髪留めを外して、大きなウェーブを靡かせながら敬志の元へ行った。


「いつまで加藤にこんなことさせるんですかね」

「代わりがいない」

「だからって……」


 加藤は敬志の左腕にしがみつき、見上げて、ひと言二言、何かを言い、敬志は加藤の髪に指先を絡めて、顔を寄せる。

 女性店員は加藤を見て眉根を寄せた。


 敬志は『もうこの年齢(トシ)じゃナウいヤングなガールは無理です』と言っているが、時折、イケるかどうか試している。そして、状況次第では女の影をチラつかせるために加藤を使う。

 過去に何度か加藤が女どもから標的になった時もあった。その都度加藤はキレて大惨事になり、敬志に手当たり次第いろんなものを投げつけて、敬志はひたすら耐えていた。だが加藤が長机を持ち上げた時はさすがに俺は止めた。


 二人は注文が終わったようで、イチャイチャしながら二階へ上がっていった。加藤はまだ狂犬にはなっていない。今は、まだ。


「行くか」

「はい」


 俺たちも若い女性店員の元へ行った。

 若干の険のある目をしているが、良い笑顔で対応している。


「いらっしゃいませ!」

「お疲れさま。朝っぱらからイチャイチャしてムカつくね」


 隣の中山は噴き出し、女性店員は下を向き肩を震わせた。



 ◇



 午前六時五十五分


 ハンバーガー屋を出た俺と中山は、前を歩く敬志と加藤の後ろ姿を見ながら歩いていた。


「先の植栽で、やる気だな」

「本当に、アイツは挫けませんね」

「な。やりたいなら笹倉さんにお願いすればいいのに」

「……笹倉さん、多分、応じないと思いますけど」

「ふふっ、俺もそう思うよ」


 玲緒奈さんの後継者として加藤をこちらに引き込んでそろそろ八年が経つ。

 表の仕事のペアは敬志で特別任務のペアは中山だが、黒髪ストレートにノーメイクで仕事をしていて、飲みに誘うとジャージにリュックを背負って来る加藤を自分好みの女に大変身させた敬志は、いつか加藤のストッキングを破くと言い続けている。


 当然だが加藤は嫌がっている。

 それを玲緒奈さんに報告した時、玲緒奈さんは『カネで解決しろ』と言ったそうだ。ロクでもない女の親玉もロクでもないなと思ったが、加藤は『じゃあ三千円で』と敬志に言うと、敬志は玲緒奈さんに報告し、加藤と敬志は玲緒奈さんから叱責されていた。


 玲緒奈さんは『デリヘルのオプションじゃないんだから』と加藤に叱責したが、敬志も叱責されているのに『そーだそーだ』と合いの手を入れていた。キレた玲緒奈さんは敬志にグーパンをかましたが、現場に居合わせた俺は見なかったことにした。


 加藤を植栽に追い込み、体がよろけた加藤を支えるふりしてシレッと加藤の脚を植栽に引っ掛けている敬志を見ながら、中山へ山野のことを話した。


「山野をね、吉崎さんは海外に売るって」

「えっ、だってカネは? 返済はそれで賄えます?」

「お釣りが来るってよ」


 海外で高収入だと甘言につられてカネの欲しい日本人女が行く。だが仕事(・・)を終えて無事に帰国する女などいない。女のパスポートを使って、日本に帰国(・・)するのは別の女だ。

 現地で性産業に従事するハメになった日本人女は、日本で風俗店から出禁を食らう日本人男や、東南アジアで買春する日本人男が可愛く思えるようなプレイ(・・・)で身も心も再起不能になる。

 外務省も現地大使館も注意喚起はしている。『救出は出来ません』と。

 日本は血統主義だ。

 他人が山野花緒里になりすます前に、複数人の山野の子供(・・・・・)に日本国籍が自動付与されるだろう。いずれもカネになる。


「ホストクラブって本気でヤバいですよね」

「んふっ……キャバクラならカネの無い男は行けないし、嬢も相手してくれないからな」

「せめて売掛だけでも規制すればいいのに」


 加藤から裏拳を食らっている敬志の姿を視界に入れながら、俺たちは顔を見合わせて、笑った。





 

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