第2話 夜の予定
六月二十一日 午前十一時五十三分
「事故渋滞かな?」
「うーん……」
助手席の加藤はカーナビを操作して、進行方向先の表示を見ている。やはり事故があったようで、表示された情報を読み上げた。
「――反対車線ですね」
「ああん!? なんだよ、見物渋滞かよ」
「ナメてますね」
「ふふっ、ナメてんな」
バイパスの車は流れているにはいるが、速度は三十キロ程度だ。だらだらと流れる車列、合流する車列で渋滞している。
本来なら加藤は敬志を迎えに行き、そのまま帰宅する予定だったが、山野花緒里を見つけたことで事務所に再度戻って来た。
敬志を迎えに行く車内で葉梨と何かあったのだろうか。加藤が俺の車に乗って三十分は経過しているが、何も話さない。話があると言ったのは加藤なのに。
「加藤。どうした? 話してよ。葉梨のことでしょ?」
「そうです」
加藤は葉梨がなぜ山野と連絡を取っていたのかと聞いて来た。昨夜は捜査員用のマンションで仮眠を取ったはずだが疲れが見える。早朝から動いていたし山野との経緯もあるから無理もないが、もしかしたら寝ていないのかも知れない。
「玲緒奈さんが松永さんと中山さんに口止めしていたと聞きました」
「ああ、そうだよ」
「どうして、私には共有して下さらなかったのですか?」
「知らせる必要は無い」
「でも……」
葉梨は山野との通話もメッセージも全て記録してある。抜かりはないが、それは俺か玲緒奈さんの指示の元でやることだった。
敬志も中山も、二人が連絡を取り合っていることは認めたが、経緯についてはバラしていない。それを確認した玲緒奈さんは、自分が指示したことだからこれ以上の詮索はするなと加藤に厳命していたが、おそらく加藤はわかっている。
俺が抑揚のない声音で言い切ったせいなのか、加藤は言葉は続けられず正面を真っすぐ見ている。美しい横顔は、目は、何かを見ているようで見ていない。だが、何かに気づいたようだ。
「音量を上げてもいいですか?」
「ん? ああ、いいよ」
細い指先は音量のボタンに触れる。ラジオをつけていたが、音量は絞っていた。
「ふふっ、この曲を私、葉梨に三回連続で歌わせたんですよ」
「何やってんのよ?」
「んふっ……私は曲に合わせて、マラカス振ってタンバリン叩いて、カスタネットも叩いて……それを、松永さんの手駒経由で報告されちゃって、松永さんからお叱りを受けました」
「何でよ?」
「ほら、同業との飲みには相澤同伴じゃないとダメなのに、私がすっかり忘れていて、葉梨とカラオケに行ったからです」
「あー、そういうことね」
二年ほど前の話だろう。
玲緒奈さんから葉梨は加藤に指導させると聞かされ、月に一度のペースで二人は会っていた。玲緒奈さんはまさか恋仲になるとは思ってもいなかったようで、気づいた俺から報告を上げると驚いてはいたが、笑っていた。
加藤は、この曲をどんな思いで聴いているのだろうか。その時と今では違うだろう。
「平井堅のPOP STAR……懐かしいな。加藤だと新人の頃?」
「そうですね、相澤がよく歌ってました」
「ふふっ、俺は結婚する頃の曲だったから、嫁に歌ったよ」
「んふっ、素敵な思い出ですね」
「でも離婚したけどね」
葉梨はいい男です。惚れた女しか夢中にさせない男なんですよ――。
そう言って、笑うとエクボが出来る加藤は恥かしそうにしていたが、今は気持ちが揺らいでいる。
「ごめん、申し訳ない。配慮に欠けてた。ごめんね」
「えっ、いえ、いいんです。お気遣いなく」
俺は今、加藤から恋愛相談を受けているいるわけではない。仕事を仕込んだ先輩として、加藤は腹立たしくもあり、許されない裏切りで葉梨を捨てようとしている。
「あのさ、葉梨の処遇は加藤次第だから」
「えっ、そんな……」
「加藤がね、葉梨と結婚するなら、俺は葉梨を外す」
俺に向いていた加藤は、顔を伏せて体も前を向いた。
加藤はもう組織から逃げられない。だが結婚するのなら、玲緒奈さんの本業を一緒にやることになる。
「中山は葉梨を引き込むの、猛反対してるんだよ」
「……そのようですね」
「葉梨は有能だから俺はいて欲しいけど、中山の反対もあるし……」
「はい……」
「だから、加藤が葉梨と結婚すると言ってくれたら、俺は決断出来る」
加藤は悩んでいる。
中山は駅の改札前で高校一年生の葉梨をスカウトした。それはもちろん自分の後任として育てるためだったが、採用試験を受ける頃には体格が良くなり過ぎていて葉梨は後任には向かなかった。それでも中山は葉梨を可愛がっているし、葉梨は慕っている。
俺が葉梨を引き込むと決めた昨年九月、中山は涙で顔を歪めながら俺の腕を掴んで、『やめて下さい! お願いですからやめて下さい!』と泣き叫んでいた。
俺の宝物を奪わないで――。
そう言って俺から離れ、崩折れて、顔を手で覆って泣いていた中山の姿は忘れられない。
「加藤。あのね、期限は切らないから。しっかり考えて」
「……はい」
「先輩として恋人として、同じ場所で仕事してるから雑音が入っちゃうけどさ、決まるまでは葉梨に何もさせないから」
加藤は窓越しに流れる風景を見ている。
渋滞は解消し、高架と下道への分岐に差しかかった。
「加藤、せっかくなら、さ……」
「何でしょう?」
「葉梨を一度くらいさ、気が済むまでボッコボコにしてみたら?」
「んふっ……したいですね」
「初回は、見なかったことにしてあげるから」
こちらを向いた加藤は声に出して、笑っていた。
◇
午後一時十一分
加藤の自宅マンションに着いた。
駅を挟んだ反対側は閑静な住宅街で葉梨の実家があるが、加藤の自宅側は商店街と大型スーパーが上手く共存している賑やかな地域だ。
優衣香ちゃんはマンションの内覧でこの駅を初めて訪れたが、商店街が気に入ったと言っていた。
「須藤さん。もう私のことは『奈緒ちゃん』と呼んで下さらないんですか?」
シートベルトを外しながら、ちらりと俺を見ながら、不安そうな表情で加藤は言う。
「ふふっ、葉梨の恋人に馴れ馴れしく『奈緒ちゃん』なんて、呼べないよ」
「でも、松永さんも岡島も、相変わらず『奈緒ちゃん』のままですよ?」
「なら言っておくよ、やめろって」
「でも……」
「何?」
「須藤さんも松永さんも、『奈緒ちゃん、加藤、お前』と段階を踏むから、それで、いろいろと判断している時もあるんです」
――いろいろって何だよ。
「そう」
「なので、出来れば『奈緒ちゃん』と引き続き呼んで頂きたいです」
「何を判断してるの?」
「知らせる必要は無いかと思います」
「……言ったな」
加藤は破顔し、『お願いしますね』と明るい声で言いながらドアを開けた。俺は若干ムカついたが、名前を呼んで欲しいと言われただけ良しとしないとならないだろう。
「ゆっくり休んで。また明日」
「ありがとうございます。お気をつけて」
ドアを閉めた加藤は歩き出す。
そのまま俺はエントランスを入るまで加藤を見ているつもりだったが、中から出て来た女性が加藤を見て挨拶をした。
――優衣香ちゃんだ。
車道からエントランスまでは約二十メートル、か。
どうかバレませんようにと心の中で呟きながら、俺はアクセルを踏み込んだ。
◇
午後二時七分
官舎に戻り、バルコニーの窓を開け放ち空気の入れ替えをした。湿気を含んだ風が部屋を吹き抜け、汗の滲んだ額や首筋を撫でて行く。シャワーを浴びるかとそう考えてエアコンを入れて浴室に向かった時、仕事用のスマートフォンが鳴った。
画面を見ると、つい先日、現在の連絡先を交換したばかりの男の電話番号が表示されていた。
電話に出ると、開口一番、彼はこう言った。
「今夜ね、加藤と会うことになった。プライベートだからね。よろしく」
用件を伝えただけで彼は電話を切った。
――奈緒ちゃん、どうしちゃったのよ。
小さく息を吐き出して、洗面台にスマートフォンを置き、服を脱いだ。
◇
午後二時五十分
ベッドに横になったがタオルケットだけだとまだ肌寒い。足元に畳んである肌掛けを引き寄せた。
肌掛けを広げていた時、スマートフォンが鳴った。メッセージアプリの通知音だった。
枕元に置いたスマートフォンを手に取り、メッセージを見ると思わず頬が緩んだ。
『おはよう』
『今起きた』
『寝過ぎた』
『頭痛い』
――やっぱり寝てたんだ。
俺はメッセージを返した。
仕事を終えて官舎に戻り、これから少し寝ると送ったが、すぐに『うちで寝ればいいのに』と返って来た。
――誘ってるのかな。
電話をかけても良いかと問うと、すぐにメッセージアプリのビデオ通話の着信があり、俺は横向きになって応答ボタンをタップした。
画面の向こうの彼女は仰向けでスマートフォンを見ているようで、枕に黒く長い髪が広がっていた。
俺は枕にスマートフォンを置き、肘を立てて体を支え、画面を見下ろした。その意味が通じたのか、甘い声が俺の耳に流れ込んだ。
諒輔が隣にいてくれたらいいのに――。
俺はスマートフォンに指先を伸ばし、画面に映る彼女の顔に触れながら、インカメに視線を向けて彼女に伝えた。
「奈緒美、俺ともう一度……したい?」
頷いて微笑む奈緒美さんに、今夜また行くと伝えた。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
この章は須藤諒輔視点ですが、次エピソードの幕間も須藤諒輔視点です。
時系列としては前章のエピソードになりますので、幕間としてこの章に組み込みました。
幕間は前編・中編・後編の三話続きです。




