第1話 ピコピコハンマーと三馬鹿
須藤諒輔は事務所にいた。
所内には他に飯倉和亮、葉梨将由、松永玲緒奈がいて、岡島直矢は所用で外出している。
須藤諒輔はデスクの引き出しからガムテープを取り出し、回しながら切れ目を探している。葉梨と飯倉はデスクを挟んで座り、玲緒奈は須藤の後ろで立っていた。
男性三人はスーツ姿だが、松永玲緒奈は黒い長袖Tシャツにベージュのストレートパンツを履き、水色の花柄エプロンをしている。彼女は手に持つ物を眺めて、眉根を寄せて口を尖らせていた。
葉梨と飯倉は不安そうな顔をしながら二人を見ていると、玲緒奈が須藤に向かって話しかけた。
「じゃあ、貼って。ここ」
玲緒奈はピコピコハンマーを手に持ち、破損した箇所を須藤に向けている。
「ガムテ補強じゃなくてさ、新しいピコピコハンマー買ってよ」
「経費で落ちません。自腹切って下さい」
「じゃあ諒ちゃんが買ってよ」
「玲緒奈さん、これ何個目のピコピコハンマーです?」
「えっとね、確か五個目だよ」
「普通、壊れるものじゃないですよ?」
両人が眉根を寄せて見つめ合う姿を、葉梨と飯倉はちらりと見て、目を伏せた。
◇◇◇
六月二十一日 午前十時十二分
――今日、俺は休みなんだけど。
思わず舌打ちしたくなるようなことが続いている。
明け方四時に鳴り響いた電話に叩き起こされ、吉崎さんから山野花緒里が行方不明だと告げられた。
デリヘルの客の部屋を出た後に行方をくらましたと。所持品に仕込んでいたGPSは外され、スマートフォンも電源を落として追跡不可だと。
石川さんには急遽二人を付けたが、優衣香ちゃんは敬志が部屋にいるから問題無いと思っていた。まさか始発で帰るとは思っていなかったから、敬志の官舎に山野が来ていると連絡を受けて驚いた。
それに山野の回収は飯倉と中山を手配したのに、なぜか飯倉と葉梨がセットで戻って来た。加藤と中山と敬志はそろそろ戻って来る頃だが、何でこの組み合わせなのかと疑問に思っていたし、葉梨に山野の引き渡しをさせたのは誰だと考えていたら、敬志からメッセージが届いた。だが、添えられた呑気な顔文字を見て、ふつふつと怒りが湧いて来た。
『加藤にバレちゃいましたー \(^o^)/』
葉梨と山野が連絡を取っていることは加藤には話すなと玲緒奈さんが厳命していたのに、どうせ敬志がカマをかけられてバラしたのだろう。葉梨に山野の引き渡しをさせたのも加藤だろう。
――あの女、何を考えてんだ。
普段の中山なら葉梨にそんなことを絶対にさせない。それなのにやらせたのは中山も葉梨が黙っていたことが許せなかったからか。俺は中山が嫌がるからさせなかったのに。
それに敬志は玲緒奈さんに加藤にバレたことを正直に報告したから、玲緒奈さんはピコピコハンマーを支度した。だが机を何回か叩いたら破損し、俺にガムテープを貼らせた。
――どいつもこいつも、何なんだよ。
――何度でも言う。今日、俺は、休みだ。なのに何で俺はこんなことしてんだ。
大きな溜め息が出た。
葉梨と飯倉はこちらを見るが、目線を合わすと目を伏せる。
葉梨の横にいる玲緒奈さんはこちらを向いて何か言いたそうにしているから、俺は目を合わせて言った。
「アイツら帰って来たら好きなだけやって下さいよ」
――もうどうなっても知らねえよ。
玲緒奈さんの説教が終わったら俺は、家に帰る。
そう決めて、俺はレース編みを始めた。
◇
午前十時四十八分
スマートフォンが震えている。
メッセージアプリの通知で、アイコンをタップしてトーク画面を見ると表示されていた文字に思わず顔を顰めた。
『売る。手配した』
書かれていたメッセージは数秒で消えた。
――そうですか。
心の中で呟くとまたメッセージが届いた。
『俺の見る目が無かった』
またメッセージは消える。
俺は『俺だってそうです』とメッセージを返した。
スマートフォンの画面の背後では葉梨がこちらを見ていた。
――お前がナメたことしたからだよ。
余計なことをしやがって。仕事増やしやがって。だからこんなことになったんだろうが。でもまあ、俺が葉梨を引き込んだんだ。結局は俺の責任か。
小さく息を吐き出して、葉梨の処遇を考える。
恋する奈緒ちゃんは幸せそうだから、それだけでも当初の目的は達成出来たから良いか。もうどうにでもなれよ。後は加藤がどうにかするだろう。俺は加藤次第で考えるから、今はいい。考えたくない。疲れた。早く家に帰りたい。
明け方、体に残る熱と疲労で気怠くて、腕に重みを感じながらまぶたを閉じた。だがすぐに仕事用の電話が鳴って俺は飛び起きた。ゆっくり寝るはずだったのに。レース編みをあらかた仕上げてしまおうと思っていたのに。全て山野とアイツらのせいだ。
そんなことを考えていると、事務所のドアの向こうで人の気配がした。三馬鹿だろう。
俺はスマートフォンを胸ポケットにしまい、ドアを開けて入って来た三人を見たが、敬志と中山は俺から視線をそらした。
不機嫌な加藤、優衣香ちゃんに会えて血色の良い敬志、疲れている中山の三馬鹿が事務所の中に入ると、振り向いた玲緒奈さんは顎を動かして、三馬鹿にソファに座るよう促した。
玲緒奈さんは隣の葉梨にソファの方向を指差し、葉梨は小さく頷き、立ち上がった。
飯倉も立ち上がったが、飯倉は椅子と一緒に俺の横にやって来て、胸ポケットから板チョコの半分を取り出し、紙の上から割って銀紙を剥がして、俺に差し出す。
「お前、すっげー適当に割るんだな」
「ふっふっふっ……」
紙の上のチョコレートは大小様々な三角形だった。
俺はひと欠片を手に取り、口にした。
飯倉も食べて顔を見合わせて笑い合うと、ソファからピコピコハンマーの『ピッ』という呑気な音が四回聞こえた。そちらに視線を動かすと、中山と加藤は頭を押さえているが、敬志は頭と頬を押さえていた。
――相変わらず義弟には容赦ねえな。
そう思ったが、自業自得だ。
玲緒奈さんの背後にいる葉梨もそうだ。
自分の女が、自分のせいでピコピコハンマーを全力で振り下ろされて頭を押さえているんだ。『ごめんなさい』じゃ済まないだろう。
玲緒奈さんはまた敬志の頭にピコピコハンマーを振り下ろしていた。
山野花緒里は死んだ方がマシだと思える人生になるだろう。そう思うが、もう俺らには関係のないことだ。組織から出したが、禊が済むまでは安全に保護する予定だったのに、それを反故にしたのだから仕方ない。どうにでもなれよ。日本のデリヘルとソープが天国だったと思い知ればいい。
――ああ、本当に疲れた。早く帰りたい。
敬志にだけピコピコハンマーを何度も振り下ろして説教している玲緒奈さんを見ながら、そんなことを思っていた。もう何も考えたくないから。
椅子の背もたれに身を任せるとギシッと金属音がする。顔を上げ、天井を見ていると飯倉の声が耳に流れ込んだ。隣の飯倉は、俺にだけ聞こえる声で言う。
「石川さんのマンションはどうします?」
「そのままで。官舎に帰る」
「了解」
――何年ぶりだ。女と一緒にいて呼び出し食らったの。
素肌にネイビーのロングワンピースを着ただけの姿だった。出て行く俺を責めることもなく、何か納得したように何度も小さく頷き、笑いながら俺を見ていた。
――まだ寝てんのかな。
明け方のことを思い出していると、飯倉は俺をちらりと見てチョコレートを食べろと言う。
俺はチョコレートを口に入れた。舌の上で転がすようにしばらく転がしていると、玲緒奈さんがこちらを向いた。俺はチョコレートを飲み込んだ。
三馬鹿はまだ説教されている。葉梨は目を伏せていて、何を考えているのかわからない。玲緒奈さんはまた俺をちらり見た。そろそろ俺の出番かと思っていると、事務所のドアが開いた。
そこには状況の掴めない岡島直矢が手に持った紙袋を遠慮がちに掲げて、ぎこちない笑顔で微笑んでいた。
◇
午前十一時十二分
岡島が買って来た出来たて胡麻団子は各自二個配られ、一つを食べたところで加藤を席に呼んだ。
胡麻団子を加藤に渡すと目を合わせた加藤は嬉しそうに笑ったが、『話があります』と囁いた。
「加藤、家まで送って行ってやるよ」
「ありがとうございます」
葉梨も――と言いかけた言葉を飲み込んだ。加藤はそれを望んでいないようだ。俺の顔を見て加藤は少し口角を下げたから。
そんな俺と加藤の様子を見ていた葉梨は立ち上がり俺の前に来たが、その気配を感じた加藤は葉梨に一顧だにせず席に戻った。葉梨は加藤に声をかけようとしたがかけられず、俺に何か言おうと口を開きかけた時、中山の苛立たしげな声が聞こえた。
「葉梨、もしかしてお前、帰れると思ってんの? 次は俺だよ?」
葉梨の背後で加藤は、中山と顔を見合わせていた。




