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幕間 加藤奈緒と二人の男

 六月十九日 午前一時十九分


 私は今、岡島の頬を引っ叩いている。


「痛っ! なんで!? どうして!?」

「こんな時間に炭水化物って何考えてるの?」

「だって直くんはお腹すいたのー」

「バカなの?」

「うん」


 事務所に近いコンビニでサンドウィッチとおにぎりを手に取る岡島を、私は冷めた目で見ていた。ちょっと太ったから痩せたいと言い出したそばからコレかと、私は呆れている。


 ――麻衣子さんのイケてる彼氏になりたいと言っただろう。


 岡島は二年ぶりに麻衣子さんと会い、ついに麻衣子さんの瞳を逮捕して交際が始まった。幸せそうな岡島が痩せたいと言い出してから、私の妄想はドントストップだ。


 麻衣子さんからは、岡島が夜中に霞が関まで迎えに来てくれると、喜び満ち溢れるメッセージをもらっていた。

 その後、岡島と何を話したのかなどの連絡は無い。まだ国会会期中だ。官僚は大変なのだろう。だが私は知りたかったから、岡島に聞いてみた。だが岡島も話してくれなかった。ただ、岡島が一つだけ漏らしたのは、『麻衣子さんに腹を(つま)まれた』だった。

 あの麻衣子さんが岡島の腹を摘んだのかと私は驚いた。なぜ岡島の腹を摘むに至ったのか、私はそこが知りたい。私の妄想はドントストップだ。


 私としては岡島の女絡みに一ミクロンも興味は無いのだが、相手が葉梨の妹の麻衣子さんだから仕方ないのだ。ついにアレが現実のモノになるのだ。仕方ないだろう。


『お嬢様が恋した相手はヤクザ!? 一途なカレの溺愛に甘くとろける官僚は今夜もコワモテなカレに愛されちゃいます!』


 そうだ。麻衣子さんの恋心を知ったあの日、TLコミックにありそうなタイトルというかアオリ文みたいなものが頭に浮かび、同時にヤクザと霞が関の官僚が関係を持ったらいろいろとマズいからやめて欲しい事案だが、岡島は警察官だしな、問題ないなと思い直した件が現実になるのだ。

 一度、コトに及んだ後はどんなタイトルになるのだろうか。私の妄想はドントストッ――。


「お前ら何モメてんの?」


 声に振り返ると松永さんがいた。

 松永さんはサンドウィッチとブロッコリーのサラダを手にして、おにぎりの什器の前にいる私たちを見ているが、なんとなく不機嫌だから私の妄想はここでストップだ。


 ――どうしたのだろうか。


 松永さんは岡島の手にあるおにぎりとサンドウィッチを見て眉根を寄せた。


「お前さ、痩せたいんじゃねえの?」

「うーん……」

「チキン食えよ。タンパク質にしとけ」

「えー」


 そう言った松永さんは、岡島が手にしていた鮭のおにぎりを奪ってレジに行った。


 今の松永さんを傍から見れば後輩へ栄養指導をしたようなものだが、私にはわかる。松永さんはラスイチだった鮭のおにぎりを食べたかったのだ。おそらく、玲緒奈さんに自分のおにぎりを食われたのだろう。

 事務所を出る際、お腹すいたと騒いでいた玲緒奈さんに『敬志さんの鮭おにぎりとサラダがありますよ』と言ったのは私だが、バレてはいないようだ。良かった。


 フランクフルトも注文し、会計を済ませた松永さんは私たちをちらりと見て、「じゃねー」と言ってコンビニを出て行った。


「岡島さ、おにぎり食べたい?」

「うん。サンドウィッチも食べたい」

「じゃあさ、私の言うこと聞いたら、おにぎりとサンドウィッチを食べて良いよ。松永さんには黙っててあげる」

「……なに?」


 ――松永さんの教えを無視する気か。


「麻衣子さんとのこと、教えて」

「ダメ」

「食べたいんでしょ?」

「……ダメ」


 岡島は松永さんの教えを守り、麻衣子さんの秘密も守っている。かなりムカつくが、岡島は信用出来る男だと思った。


 サンドウィッチを什器に戻した岡島は手ぶらでレジに行き、チキンを頼んでいる。

 私は、松永さんが言っていたチキンとはサラダチキンのことだと思うのだが、サンドウィッチもおにぎりも我慢した岡島を評価して、フライドチキンを注文する岡島を生暖かい目で見守った。



 ◇



 午前一時二十八分


 私たちは捜査員用のマンションに戻っている途中だが尾行されている。


 私の隣でフライドチキンを食べている岡島ももちろん気づいているが、あまり気にしていない様子だ。なぜだろうか。


「二人、だよね? どうする?」

「問題ないよ」


 岡島は食べ終わったフライドチキンを袋に入れ、おしぼりで指を拭いながら私を見た。


「同業だよ」

「えっ……神奈川県(ここ)警?」

「俺からは言えない。須藤さんか玲緒奈さんに聞いて」

「……わかった」

「あの二人の歩き方、今はそれだけ覚えて」

「……うん」


 私は十六年前に膝カックンした岡島をいまだに許していないし抹殺してやろうと思い続けているが、仕事に関しては信頼している。とてもムカつくが仕方ない。

 岡島の言う通り、あの二人の歩き方は特徴がある。尾行が本業ではないのだろう。どちらも武道経験無しだ。


「吉原絵里とその男関連だって」

「ああ、そうなんだ」

「一応、情報は共有してるって」

「そうな――」

「こんばんは。加藤さん、岡島さん」


 ――えっ……もう近づいてたの……?


 私が振り返ると、そこには口元に笑みを浮かべる男がいた。岡島と同じくらいの背で痩せた男。ワイシャツにネクタイ、スラックスでショルダーバッグを肩に掛けている。目つきは鋭い。髪型はオールバックだ。なぜこの男は私たちの名前を知っているのだろうか。


「ご挨拶をと思いまして。加藤さん、お久しぶりですね」


 岡島は私の右前に出た。チンピラモードに切り替わっている。男の後ろからは、小走りで柔和な笑顔の男が寄って来ていた。


 ――この男は誰だろうか。思い出せない。


「こんばんは! すみません、突然に」


 二人が揃うと、長身痩躯の男の目は優しくなり、それを見た岡島も体から力が抜けた。


「先ほど、須藤さんと松永敬志さんにはご挨拶をいたしました」


 そう言って、二人は警察手帳を提示した。彼らは群馬県警の刑事部薬物国際捜査課だが、過去に関わったことは無いなと考えつつ、今の私たちは警察手帳を持っていないことを思い出し、どうすればいいのだろうかと考えていると岡島が口を開いた。明るい声で笑顔だ。


「須藤からは何も聞いていませんが、なぜ、ここで声を私どもに……?」


 男二人は人当たりの良い笑みを崩さない。

 岡島の質問の意図はわからないが、何か試しているような気がした。

 私たちに声をかけた長身の中村(なかむら)清隆(きよたか)と名乗る男は一瞬だけ射抜くような強い眼差しを岡島に向けたが、私を見ると柔らかな笑顔でこう言った。


「加藤さんの変わらぬお美しいお姿をお見かけしまして。せっかくだからご挨拶しようと」


 ――思い出した。この人は……。


 私は岡島の横に出て、ほぼ直角に頭を下げた。


「気づかなくて申し訳ありませんでした! おかげさまで元気にしております! これもひとえに……」


 ――名は言えない。警察手帳の名は私の知っている彼の名ではなかったから。


「あはは、本当にお元気そうで良かった」


 頭を上げると、彼は微笑んでいた。

 岡島をちらりと見ると目を細めて私を見ている。


 ――岡島はおそらく知っていた。試されていたのは私だったのか。


 だがなぜ、彼は所属も名前も違うのだろう。私の知っている彼は静岡県警の組織犯罪対策部薬物銃器国際捜査課の巡査部長、安藤(あんどう)哲也(てつや)さんだが、この場でそれを聞いてはならないだろう。そう思いながら岡島の挙動を見ていると、彼の声が耳に流れ込んだ。


「加藤さんはまだ、独身ですよね? あれからお返事を頂けていないままですが、いつ、お返事を頂けますか? 今でも待ってるんですよ。私も、独身のままですから」


 岡島の鋭い目線が私に向けられた。

 安藤さんは岡島を視界に入れているが私を見ている。隣のもう一人の男性は、緩む口元に力を入れた。


「加藤さん。また、近いうちにお会いすることになります。お返事はその時に」

「えっ……そんな……」

「夜分にすみませんでした。須藤さんへは、お二人にお声がけをした旨を連絡いたします。では」


 そう言って、二人は背を向けて立ち去った。

 髪型はオールバックではなく結んでいたのか。

 ああいった軽口を叩く人ではなかったのに。それになぜあんなに痩せてしまったのだろうか。

 そんなことを考えながら彼の後ろ姿を見ていた私は、岡島の視線を受けていることに気づいた。


「奈緒ちゃん」


 その声音はいつもの軽薄さが鳴りを潜め、冷たく感じた。


「……なに?」

「どういうこと? 説明して」


 私の左肘を掴んで引き寄せ、正面を向かせた岡島は睨めるような目で私を見ている。


「……過去の話だよ。彼と文通してたから」

「文通!?」

「同業だし、毛筆の手紙だし、私も練習がてら六年間、文通してた」

「六年も……あっ、そっか、もうそんなに経つか……」

「あの一件は八年前だけど……」

「奈緒ちゃん」


 岡島の優しい声に顔を上げると、溜め息を吐かれた。少しだけ眉根を寄せた岡島は、右肘も掴み、こう言った。


「葉梨を裏切ることは、しないでね。お願いだよ」


 私は頷いた。

 ただ彼は、私に好意を寄せていると手紙に(したた)め、私は返事を返さなかっただけ。私と彼の間には何もない。

 出会ったのは八年前で、六年前と三年前に彼が警視庁へ研修に来た際、相澤と三人で会ったきりだ。


「約束してね、奈緒ちゃん」

「うん」


 思ってもみなかった彼との再会に、私は漠然とした不安を胸に抱いた。





 

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