表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/98

第2話 身を焦がす男と胸を焦がす男たち




 

 須藤諒輔は雑居ビルのエントランスにいた。


 八階建てのその雑居ビルは三階と四階がオーナーの住居で、一階は学習塾、五階から八階は司法書士事務所や弁護士事務所、市の外郭団体等が入居している。


 JR根岸(ねぎし)関内(かんない)駅から徒歩二分のこの雑居ビル二階が彼らの会社(・・)だ。


 須藤はエレベーターは使わずにビル裏手の非常階段で二階に上がると、暗い廊下の電気を点け、エレベーターの向かいにある事務所のドアを解錠して中に入った。

 室内にこもる熱気を一身に受け、眉根を寄せた須藤は日が差し込んで明るい室内を見回して、空調のスイッチを入れた。



 ◇◇◇



 六月十一日 午後一時十五分


 非常階段のドアを開けた音がした。

 足の運び、歩幅、背丈、体重――敬志だ。飯倉かも知れないが、足の運びが飯倉ではないから敬志だろう。

 事務所のドアが開けられた。

 そこから覗く顔はやはり敬志だったが、いつもと雰囲気が違う。髪を切ったのか。だが、弟の美容院へは行ってないのだろう。理容室に行ったのか。


「お疲れ様でーす」

「お疲れ」


 体型に合っていないスラックス、磨いていない黒い革靴、長袖の白いワイシャツを腕まくりして、青のネックストラップをつけたスマートフォンは胸ポケットに収まっている。


「いいね、普通のサラリーマンだ」

「んふふっ……聞いてくださいよ」

「えー?」


 弟が研修で対応出来ないからと敬志は久しぶりに理容室へ行ったという。そこは親子二代でやっている理容室で、四十代と思科される息子の方にある程度の髪型を指定して切ってもらったが、後で入った客に息子が対応したため、仕上げは高齢の父親が対応したと。


「お父さんに昭和のいい男にされました」


 前髪をフワッと固められたスタイルは顔剃りで整えられた眉毛と相まって男前に見えた。


「いいね、優衣香ちゃんに自撮り、送ってやれよ」

「えー」


 敬志は優衣香ちゃんに一切連絡していない。

 中山からは連絡するように敬志へ伝えたと報告は受けたが、敬志は自撮りを送らないだろう。


「お前が送らねえなら俺が送っちゃうよ?」

「やめてくださいよ」


 敬志は室内を見回している。

 自撮りの背後に何も映らない場所を選んでいるのだろう。送る気になったのか。


 敬志は離婚した後、女を食い散らかして何度かトラブルを起こしていたが、今は優衣香ちゃん以外の女に見向きもしない。

 中学の頃から優衣香ちゃんを好きだと聞いた時は驚いたが、惚れた女のことしか考えていない敬志は幸せそうだ。

 何度も角度を変えて、キメ顔で写真を撮る敬志が微笑ましい。


「早く送れよ」

「うーん……」

「ふふっ」


 ――奈緒美さんは、俺の写真なんていらないだろうな。


 はにかんだ笑顔でスマートフォンの画面を見つめる敬志を羨ましく思った。



 ◇



 俺の右斜め前のデスクに座る敬志はパソコンのモニターから俺に視線を動かした。


「加藤の熱、どうなりました?」

「ん? ああ、インフルとか他の感染症じゃなかったよ」

「そうですか」


 昨夜は公用車で署に行ったが、俺も加藤も傘を忘れてしまい、車を誘導する際にトランクから傘を出した。だが、運転席から降りる加藤に傘を差し出したまでは良かったが、加藤が足を滑らせてしまい俺の足元に転がった。

 加藤を起こそうと右手を差し出したものの、加藤が変な体重のかけ方をしたから俺も転んでしまった。


 台風の影響による強風と豪雨だった。

 傘を差すのはやめて署まで走ったが、スロープでまた俺たちは転んだ。

 それでお互いにヤケクソになり、二人で笑いながら両手を広げて空を仰いだ。体調が良くなかった加藤は、それでとどめを刺されたのだろう。


「感染症じゃないから、マンションで療養してるよ」

「ん? あっちの? 自宅?」

「あっちの。加藤は一人暮らしだし、何かあった時は俺らがすぐ見れるあっちのマンションが良いだろ?」

「そうですね」

「今は中山がいる。治るまでは誰かしらいるようにするから」

「了解です」


 そういえば、敬志は中山が優衣香ちゃんと接触済だと知ってキレていた。

 優衣香ちゃんの好みのタイプが中山みたいな奴だとは事前に知っていたから中山に接触させたが、敬志が本気でキレたことに俺は驚いた。恋する敬志君は不安なのだろう。


 優衣香ちゃんが夜中にふらりとドライブに出かける理由――それは敬志に会えないからだと敬志に思わせろと中山へ命じたが、俺も中山も理由は別にあると考えている。

 敬志は思い至っただろうか。優衣香ちゃんは犯罪被害者だと。敬志だって同じじゃないかと思うが、警察官は一般人とは立場と視点が違う。だから思い至らない。警察組織に染まると普通の感覚(・・・・・)がわからなくなる。


 ――普通は、身元調査された時点でドン引きだぞ。


 優衣香ちゃんは警察官の妻になるためにおばさんへ教えを乞うた。真面目な優衣香ちゃんは、敬志が安心して仕事が出来るようにおばさんをロールモデルにしている。


 高校時代、敦志の家に遊びに行くと必ず挨拶に来てきちんと頭を下げる中学生の敬志が可愛かった。それは今でも変わらない。どうか、幸せになって欲しい。だが――。


「須藤さん」

「なに?」

「須藤さんは中山の恋人のことも把握しているんですか?」

「もちろん」

「そうですか」


 パソコンのモニターに視線を戻した敬志だったが、横目でちらりと俺を見た。


「なあ、敬志」

「はい」


 体を俺に向けた敬志へ俺は言わなくてはならない。優衣香ちゃんのことになると冷静さを欠く敬志を、このままには出来ない。


「俺さ、対象は笹倉(ささくら)優衣香(ゆいか)としか中山に言ってないんだよ。なのにお前の女だと、どうして中山は知ってたんだろうな」


 口角が下がり、ありありと動揺が見て取れる目。ダメだ、こいつ。


「お前さ、仕事と女、どっち選ぶ? 警察辞める?」

「えっ……」

「敬志が優衣香ちゃんを選んでも、俺は賛成するよ」


 俺の問いかけに敬志の目は揺れる。

 敬志は俺と同じ道を選ぶのか。

 俺は敬志に気取られないように息を吐いた。


「あの、どうしてか、教えて頂けませんか」

「ふふっ、官舎から優衣香ちゃんの車に乗ったろ? それは良いんだけどさ、優衣香ちゃんのマンションに着いた時、中山は至近距離でお前を見てた。でもお前は全く気づかなかった」


 目を閉じて唇を噛む敬志に、怒りと愛しさが湧く。どうか俺と同じ道を選ばないで欲しい。惚れて結婚した女が家を出たことを三ヶ月も気づかなかった俺みたいにならないで欲しい。


 でもまだ、敬志は大丈夫だ。


「ちゃんとさ、優衣香ちゃんに連絡しなよ」

「……はい」

「敬志、中山の彼女のことは本人に聞け」

「はい」


 中山の存在に気づかなかったことを悔やんでいるのだろう。敬志はまだ唇を噛んでいる。


「俺から言えることは、お前ら仲良いから恋人も似たような女性だ、ってことだけ」

「似てるってどういう意味でですか?」

「関係が長い。中山は十五年」

「えっ……そんなに?」

「ああ。あとは本人に聞けよ」


 中山はマメに連絡している。中山が以前、恋人とどうしたら円満でいられるかと相談して来た際、俺は『毎日大好きってメッセージを送ればいいんじゃないの?』と適当にアドバイスしたが、中山は本当に実行しているという。男はバカな方が、ちょうど良いのかも知れない。


 中山も敬志も胸を焦がす恋人がいる。羨ましい。

 奈緒美さんと知り合って二年経つが、奈緒美さんが俺に心を向けてくれることは無いと思う。

 でもそれでいい。今のままでいられるなら、俺はそうしていたい。もう失くしたくないから。


 あの日、三ヶ月ぶりに家に帰った俺が見た手紙――テーブルに置かれた結婚指輪に添えられた手紙は今でも夢に見る。


 もう私を解放して下さい――。


 身を焦がす恋をしている今が、一番幸せなのだと思う。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ