97_VSアニミークリ・ヘズ
夢の狭間から戻ってきた僕たちが次に行うべきことは、偽バルドル召喚のためにアニミークリを用意することだ。
そのためにはまず、偽ヘズを倒す必要がある。
偽ヘズが封印されている場所はヴァーリとヒカちゃんが知っている。場所さえわかっているなら、辿り着くのはそれほど難しくない。
そういうわけで僕たちは2人に案内されて、山の上に建つ館にやってきたのだった。戦乙女か偽バルドルがいなければ館には入れない仕組みになっているが、ヒカちゃんが戦乙女なので問題ない。
僕たちが館の奥へ辿り着くと、そこには炎に包まれた棺のような物が鎮座していた。
「この中に偽ヘズが眠っているのか。なるほど……。前に季桃さんが言っていたけど、これはバーニングスリープって言いたくなるね」
「でしょでしょ? 見た目は全然コールドスリープじゃないよね。ルーン魔術で似たような効果を実現しているだけで、冷凍しているわけじゃないんだと思う」
燃えているように見えるけれど、特に熱くは感じない。炎っぽいだけで本物の炎ではないのだろう。
ヴァーリが顔をしかめながら棺を見つめている。偽物とはいえ、僕たちはヘズと同じ姿をした存在を殺すことになる。ヴァーリの胸中は複雑だろう。
「ヴァーリ、大丈夫?」
「悪ぃ、問題ねぇ。本物のヘズじゃないっていうのは間違いねぇんだ。覚悟は決めたぜ。偽ヘズが俺たちと敵対せずに、協力してくれるってなら心理的に楽だとは思ってるけどよ」
協力関係になれるなら、その方が僕としても助かる。でもたぶん、それは難しいだろう。偽ヘズもアニミークリなのだから、おそらく偽バルドルの味方をするに違いない。
「じゃあ偽ヘズを目覚めさせようか。ヒカちゃん、お願いできるかな」
「わかった。開けるね」
館に入るのにヒカちゃんが必要なように、目覚めさせるのもヒカちゃんじゃないとできない。ヒカちゃんがルーン魔術を唱えて封印を解除し、偽ヘズが眠る箱の蓋を持ち上げる。
箱の中にはヘズの姿をしたアニミークリが眠っているはず……。しかし実際にそこにあったのは、箱いっぱいに満たされた黒い液体だけだった。
「ヒカちゃん、危ない!」
黒い液体が意思を持つように動き出し、身体の一部を棘のように変形させる。そしてヒカちゃんに向かって突き刺してきた。僕は咄嗟に障壁を生成し、さらにヒカちゃんを庇って身をよじる。
心子さんがみんなに注意を促す。
「皆さん構えてください! 既に偽ヘズは自我を持たない、アニミークリ本来の姿に戻ってしまっているようです! おそらく偽バルドルが言っていた、吸収可能な熱量を突破してしまうとこうなるのでしょう!」
神話時代から現代までに数千年の時が流れている。その間、偽ヘズはずっと熱を吸収してきたのだろう。
もしかすると改造されたアニミークリが自我を維持するためには、自身を定期的に冷やさなければならないのかもしれない。封印されていた偽ヘズは、自分を冷やして自我を保つための調整を行うことができなかったのだ。
もしくは順序が逆で、自我を失ったから封印という形で廃棄されたのかもしれないが……。
どちらが真相かはわからないが、この敵が既に偽ヘズとすら呼べない存在に成り果てているのは間違いなかった。
「やっぱりコールドスリープといっても、冷やしてるわけじゃないんだね。もし本当に凍らせてたら、アニミークリだから動かなくなってたのに!」
アニミークリ・ヘズは不定形なその身体をゆすらせながら、封印されていた箱から這い出してきた。
箱の中にぎゅうぎゅうに詰まっていたようで、思いのほか身体が大きい。人間5人分くらいはあるかもしれない。
「アニミークリはより多くの熱量を吸収した個体ほど強く、大きくなります。ニブルヘイムにいた死者とは比べ物になりません。皆さん、心してかかってください!」
僕たちはアニミークリ・ヘズから距離を取る。なぜかといえば、触れられるだけで熱を取られてしまうからだ。最悪の場合は低体温症により行動不能に追い込まれてしまう。
それでも接触を完全に防ぐのは難しい。アニミークリ・ヘズはスライム状の身体を変形させて攻撃を仕掛けてくるので、動きを読みにくいからだ。
それに封印されていたこの部屋が狭いのも良くない。アニミークリ・ヘズは身体の一部を触手のように変形させることで、離れた位置にも攻撃することができる。この部屋全てがアニミークリ・ヘズの射程圏だ。
この部屋自体は狭くとも、館全体はそれなりに大きい。もっと戦いやすい場所へ戦場を移すべきだろう。僕はみんなに方針を示す。
「この部屋に辿り着くまでに、大きな広間があったよね。そこへ誘導しよう!」
「わかった! ユウ兄たちは先に行ってて! 私とヴァーリ君でしんがりを務めるから!」
「ありがとう!」
僕は季桃さんと心子さんを連れて、広間まで転移する。そして僕と季桃さんはルーン魔術起動装置に雹の魔石をセットし直して、『氷の弾丸』魔術を使えるように備えた。
いつもは異常事態に対処しやすい『異常状態を正す』魔術を扱える太陽の魔石か、『魔術的強化を解除する』魔術を扱える年の魔石をセットしていることが多い。だけどこの状況なら、攻撃にリソースを割り振った方が良いだろう。
アニミークリ・ヘズは魔術的な強化を行いそうにないし、異常状態は心子さんが持っているトートの剣で治療することができる。
心子さんの分のルーン魔術起動装置は無いけれど、彼女には万が一の反撃に備えて銀の鍵で障壁を張ってもらった。
あとはヒカちゃんとヴァーリを待つだけだ。2人を追いかけてアニミークリ・ヘズが現れた瞬間を狙って、僕と季桃さんで氷の弾丸を撃てるだけ撃ち込む。
その後は広い空間を活かして持久戦だ。建物の柱などを遮蔽物にしつつ距離を取って戦えば、ほとんど一方的に攻撃できるはず。
ヒカちゃんとヴァーリの位置は探知魔術で常に把握している。もうそろそろ広間に現れるだろう。
「いくよ季桃さん。あと3、2、1、今だ!」
僕の合図とちょうどぴったりのタイミングで、ヒカちゃんとヴァーリがアニミークリ・ヘズを連れて広間へ転がり込んできた。
僕と季桃さんは氷の弾丸を可能な限りの魔力を込めて、アニミークリ・ヘズへ撃ちまくる。ここに誘導するまでにヒカちゃんとヴァーリも攻撃を加えていたようで、僕たちの攻撃でアニミークリ・ヘズはかなり弱っていた。
ニブルヘイムにいた死者たちより大型のアニミークリとはいえ、弱点がわかりきっているならこんなものか。このまま押し切れそう……。そう考えているときだった。
「なんか2つに別れたよ!?」
「分裂ってそんなのありかよ!?」
ヒカちゃんとヴァーリが驚きの声を上げる。大きさは半分になっているが、アニミークリ・ヘズが突然2体になってしまった。
考えてみれば偽バルドルだって、複数の分体に分かれて行動している。これくらいは事前に予想するべきだったかもしれない。
「弱っているのは間違いないんだ。1体ずつ確実に倒していこう。まだ分裂するかもしれないから、気は抜かないようにね」
「アニミークリの強さは身体の大きさと相関があります。1体当たりは先ほどより弱いはずです」
心子さんの言う通り、分裂後のアニミークリ・ヘズは弱体化していた。単純なパワーやスピードだけじゃなく、攻撃のリーチも短い。どうやら攻撃の頻度も減っているようだ。
ただし、触れただけで熱を奪われてしまうのは変わらない。分裂して数を増えたせいで、僕たちが完全に回避することは難しくなっていた。
「僕と心子さんは守りに集中して、みんなに障壁を張って回るよ。その間に残りの3人で、まずは1体を倒してくれるかな」
「それが一番確実だよね。じゃあそれで頑張ろう!」
遠距離戦を徹底しているし、2体だけなら僕と心子さんがそれぞれを注視していれば大丈夫そうだ。
でもこれ以上増えると難しいかもしれない。僕は魔石を『異常状態を正す』魔術を扱える太陽の魔石に戻して、障壁が間に合わなかったときに備える。熱を奪われても、このルーン魔術で多少は緩和できる。
分裂したうちの片方に集中攻撃を始めてしばらくして、アニミークリ・ヘズが再び分裂する。
「また分裂した!」
「攻撃してねぇ方はまだ分裂しねぇな。ダメージを与えなきゃ分裂しねぇのか?」
「アニミークリに知性は無いんだっけ。分裂してるのは戦略とかじゃなくて、弱りすぎて巨体を維持できなくなっただけかもしれないね」
触れただけでアウトなのは大きさに依らず変わらないので、数を増やされる方が厄介だ。だけど数をこちらでコントロールできるなら、これほど有利に戦闘を運べる情報はない。
「分裂していない方は後回しだ! 今はとにかく、攻撃を集中させよう」
「きっとそろそろ分裂できなくなる頃合いだと思いますよ! 一番小さく分裂した個体は、ニブルヘイムにいた死者より一回り大きい程度ですから。死者たちは分裂しなかったので、おそらく人間サイズ以下の個体は分裂能力を持っていません」
結論から言うと心子さんの予想通りで、一番小さく分裂した個体はこれ以上分裂できないようだった。ヒカちゃんが放った氷の弾丸を受けて、最後には黒い鉱石のようになって砕け散った。
そうとわかれば話は早い。
残った個体も小さいやつから順に攻撃を集中させて、1体ずつ確実に仕留めていく。氷のルーン魔術や旧き印の効果を帯びた攻撃で、アニミークリは全て崩れ去って動きを止めた。
「分裂して驚いたけど、これで召喚につかうアニミークリを確保できたね」
「それではさっそく偽バルドル召喚の準備に取り掛かりましょうか。結人さん、お手伝いをお願いしますね」
「あぁ、もちろんだよ」
この調子で偽バルドルも倒すことができれば、黄金の腕輪を手に入れられる。そして黄金の腕輪があれば、窮極の門へ至る道が開ける。
僕と同じパラレルワールドから来たヒカルが、窮極の門で待っている。