95_VS神話時代のロキ_その1
「悪戯しちゃうわね?」
ロキはルーン魔術を発動する。魔力の流れから察するに、僕たちが今まで見たことのない魔術のようだ。
ロキが魔術を発動すると、黒い霧が僕を包み込んで視界を遮ってきた。さらに中級ルーン魔術の『動きを縛る吹雪』魔術をくらったときのように、身体を思うように動かせなくなった。
幸いにして、ダメージそのものは無いようだ。無事である旨をみんなに伝えようとして、僕は気づく。
……声が出ない。
仲間と連携を取り辛くなるのはもちろんだが、声を出せなければ呪文の詠唱ができないので、魔術も封じられてしまったことになる。
正確に言えば詠唱を必要としない魔術もあるので、全く使えないわけではないけれど。戦闘力が下がるのは間違いない。というわけで詠唱を必要としない魔術を発動しようとしたのだが……。うまく発動できなかった。
どうやら声が出せないだけじゃなく、魔力の放出も制限されているようだ。一応、僕は銀の鍵と特別なパスで繋がっているから、魔力の放出を制限されていても障壁くらいなら出せる。でも魔石と魔術起動装置でルーン魔術を発動することはできそうにない。
さすがはロキが使う魔術といったところか。肉体的な戦闘能力も、魔術的な戦闘能力も、黒い霧1つで全て封じることができる。僕のような銀の鍵の使い手じゃなければ、あとは一方的に嬲り殺しにできるだろう。
「ユウト、後ろへ跳べ!」
「Svalinn heitir, hann stendr solo fyr, scioldr, scinanda goði!」
指示をくれたのはヴァーリ、魔術の詠唱をしたのはヒカちゃんだ。ヴァーリの指示に従って、僕は後ろへ向かって全力で跳躍する。黒い霧のせいで身体の自由が効かないから、銀の鍵で『ヨグ=ソトースの拳』という魔術を発動し、自分自身を吹き飛ばす要領で。
『ヨグ=ソトースの拳』を使うのは久々だが、これはミゼーアの先端を追い返したときに使ったのと同じ魔術だ。これでダメージを与えることはできないけれど、任意の対象を吹き飛ばすことができる。
僕が後方へ跳んだ直後、前方からとてつもない威力の攻撃が僕に命中する。その攻撃によって、僕はさらに後方へ吹き飛ばされる。
黒い霧は発生した場所から動かない仕様のようで、僕は後方へ移動したことで黒い霧から抜け出すことができた。また、黒い霧は意外と狭い範囲にしか展開できないようで、飲み込まれていたのは僕だけだったらしい。
黒い霧から抜け出して、僕は状況を理解する。どうやらロキが一気に距離を詰めてきて、黒い霧に飲まれていた僕に襲い掛かってきたようだ。
ヒカちゃんがルーン魔術で障壁を張ってくれていたけれど、ルーン魔術で作る障壁には癖がある。一定回数の間ならかなり威力の高い攻撃も軽々と受け止めてくれるのだが、弱い攻撃でも強い攻撃でも同じく1回とカウントされる。
ロキはその特性をよく理解していたようで、まず軽い攻撃を数発打ち込んで障壁を消し、それから本命の攻撃を僕に叩き込んできたらしい。
でも幸いにもヴァーリの指示のおかげで、自分から後ろへ跳ぶことができた。また、ヒカちゃんが作った障壁のおかげで、ロキが強い攻撃を叩き込むまでに猶予ができた。その2つの要素が重なったことで、被害をかなり軽減できたようだ。
まともにくらっていたら、もしかすると一撃で戦闘不能に追い込まれていたかもしれない。ヴァーリとヒカちゃんが助けてくれなければ、とても危なかった。
ありがとう、と2人にお礼を言おうとして声が出ないことに気づく。どうやら視界は黒い霧から離れれば回復するようだが、それ以外はすぐには治らないようだ。
心子さんがトートの剣で僕を回復してくれて、ようやく普通に動けるようになる。僕は改めてお礼と、僕が陥っていた症状についてみんなに共有した。
僕がみんなに説明している間、ロキは襲ってこなかった。彼女も自分の考えをまとめるためなのか、誰に問いかけるでもなくぶつぶつと呟いている。
「あーそっか。そこにいるヴァーリ君は生まれたてじゃないんだわ。戦争を生き残ってからここに来てるのよね? だから予想してたより判断が的確なのね。それと、障壁を張った女の子はエインフェリアに見えるけど、たぶん2代目以降の戦乙女よね。普通のエインフェリアにしてはルーン魔術が上手だし。……本気でやらなきゃダメそうね」
当初のロキの思惑としては、初手で銀の鍵を持っている僕を潰して、それから残りを相手にすれば十分と考えていたのだろう。
だけど僕を倒すのに失敗したし、ロキの予想よりも僕たちは1人1人が強かった。だから本腰を入れて僕たちと戦うつもりになったらしい。
でももしかして、ロキは心子さんも銀の鍵を持ってることには気づいてないのか? そのことがこちらの有利に働く場面が来るかもしれない。
「めちゃくちゃにしちゃうわ」
ロキは黒い霧の魔術を連続で発動する。対象は僕、ヒカちゃん、ヴァーリだ。
可能な限りで動き回って視界を確保して、対象にされなかった季桃さんに魔石と魔術起動装置でルーン魔術を発動してもらう。
季桃さんが発動したのは中級ルーン魔術の『異常状態を正す』魔術だ。ヨグ=ソトースの娘と戦ったときにも使ったが、この魔術は毒だけじゃなくて魔術的な異常も治せる。
傷を癒す効果も付属しているので、ロキからの追撃で受けたダメージも回復できて、一石二鳥だった。
ロキは季桃さんがルーン魔術を使ったのを見て驚いている。
「え、待って何それ。どうやってルーン魔術を発動したの……? あ、わかった。ヴィーダルが研究してたルーン魔術起動装置ね。未来だと実現してるんだ」
さすがの観察眼と言うべきか、ロキは僕たちの戦い方をどんどん理解していく。でも僕たちだって、ロキに少しずつ傷を負わせることはできていた。
初見の戦術でロキが戸惑っている間に、どれだけ僕たちが優位に立てるか。それが勝負の分かれ目になりそうだ。
しかしロキもそれはわかっている。
「さっさと終わらせた方がよさそうね。じゃあ、必殺の一撃をくらいなさい!」
何か強い攻撃が来る。そう考えて僕とヒカちゃんが障壁を張るが、中級ルーン魔術の『魔術的強化を解除する』魔術を発動したロキにかき消されてしまう。
さらにロキは黒い霧で僕たちの動きを阻害した上で、懐から短剣を取り出して大きく振りかぶった。
「死ななかったら誇るといいわ!」
そんなセリフと共に、ロキは超高速で剣を投擲する。至近距離で雷が落ちたような、耳をつんざく轟音を立てて短剣が僕へ飛んでくる。
この短剣はただ投げられたわけじゃない。身体能力だけでもロキは北欧の神の最上位なのに、そこからさらにルーン魔術と時空操作魔術を組み合わせて、投擲能力と剣の射出速度の向上を図っていた。
もはや投擲された剣というより、ロケットに近い。ロキの手を離れてからも、魔術によってさらに推力を増していく。
間違いなく、今まで僕たちが目にしてきた中で最強の威力を誇る攻撃だ。これをまともに受ければエインフェリアどころか神や巨人も即死するだろう。
僕たちは今、障壁を消されている上に黒い霧によって魔術を封じられている。ロキからすれば防がれるはずのない、まさに必殺の一撃だ。
だけど……。最初に黒い霧を受けたときに確認した通り、僕は銀の鍵と特別なパスで繋がっている。だから普通の魔術師なら抗うことのできないこの状況でも、簡単な時空操作魔術なら使える。
そういうわけで僕は銀の鍵で障壁を作り、ロキの一撃を正面から受け止め……ようとして、完全に無力化するのは不可能だと悟った。
そこで僕は短剣を一瞬だけ障壁で受け止め、その隙に短剣の軌道から身体を反らす。その直後、短剣は障壁をぶち破り、進路にある家屋や木々、さらには地形すらも粉々に壊しながら、遥か彼方へ飛んで行った。
僕が生き延びたのを見て、ロキは驚愕の表情を浮かべる。
「嘘っ!? 本当に死ななかった!? あーもう、銀の鍵って厄介ね!」
僕としても本当にギリギリだった。首の皮一枚繋がったようなものだ。黒い霧のせいでいつもより障壁の強度が弱まっていたとはいえ、銀の鍵で作った障壁を真っ向から突き破られたのは初めてだと思う。
ヴァーリがロキを責めるように言う。
「おいおい、この国にいる人間も巻き込むつもりかよ。ここにはリーヴもいるんだろ?」
「ここが現実空間なら自重したけど、どうせ私も含めて偽物だもの。それなら貴方たちの排除に全力を尽くしたほうがいいわね」
そもそもの生存者が少ないとはいえ、国の中心から放ったこともあり、巻き込まれて死亡した人間が何人もいることだろう。しかしロキはどこ吹く風といった様子でヴァーリの言葉を聞き流していた。
ロキの切り札はとにかく威力が高すぎる。もう一度同じ攻撃をされたら、次も防げるかはわからない。
幸いにもかなりの魔力を消費するようで、連発できない様子なのが救いだった。再度撃たれる前に、次はこちらから攻める必要があるだろう。