92_ルベドの正体_その1
「シミュレーション世界で何かやり残したこと、調べておきたいことはありますか? 後から仮想世界を作り直してやり直しもできなくはないですが、手間を考えると一度で済ませたいですね」
心子さんが僕たちにそう問いかけてくる。
調べられそうなことと言えば、ルベドの正体とかだろうか? 彼の正体が神話上に語られている人物だったら、弱点がわかったりするかもしれない。
「炎の巨人のことをムスペルと言うんだっけ。ムスペル教団と名乗っているくらいだし、ルベドと何か関係あるかな?」
僕がそう言うと、季桃さんが意見をくれる。
「そうなると次の目的地はムスペルヘイム? ムスペルヘイムって言うのは、炎の巨人が暮らしている灼熱の地だね。ムスペル教団が持ってるレーヴァテインも、元々は炎の巨人の持ち物だよ」
しかし、ヴァーリは渋い顔をして反対する。
「やめとけやめとけ。ムスペルヘイムに行くのは断固反対だ。あそこは命がいくつあっても足りねぇ」
巨人は住む場所によって霜の巨人、山の巨人というように呼び方が変わる。種族も基本的には同じなので、強さもそう違わない。
だけど炎の巨人だけは特例で、彼らだけは他の巨人たちよりも一線を画した強さを持っているらしい。
僕たちなら1人や2人は倒せるかもしれないが、さすがに本拠地に乗り込んで大立ち回りをするのは無理がある。そうなると、ルベドについては他の線から探るしかないだろう。
ルベドの正体について、僕たちは一度議論したことがある。そのときに判明したのは2つ。1つ目は『ルベドは竜殺しの英雄シグルドと共通点が多い』こと。2つ目は『ルベドはシグルドではない』こと。
ルベドは竜殺しの英雄シグルドと同様に、ルーン魔術に非常に精通しており、尚且つ竜の血を浴びた人間だ。だけどシグルドは既に死んでいるので、ルベドはシグルドではない。
あのときの議論では正体を暴けずにいたけど、今はロキから追加の情報を得ている。それを元に考えれば、今度こそルベドの正体に辿り着けるんじゃないだろうか。
以前は知らなかったルベドの情報は、『ルベドはロキの陣営として神話時代の戦争を生き残った人間』という内容だ。これについて、僕は以前からヴァーリに聞きたいことがあった。聞く機会がなかったので、今まで先延ばしにしてしまっていたけど。
「神話上では戦争の終わりに人間が2人生き残ったそうだけど、ルベドの正体ってそのどっちかって可能性はないの?」
「ねぇと思うけどなぁ……。ロキの陣営として生き残ったってことは、ルベドはロキが匿ってた第3の生き残りじゃねぇのか?
俺が知ってる人間の生き残りは男女1人ずつなんだけどよ、女の方はまず性別がちげぇし、男の方もルベドとは雰囲気とか性格が全然ちげぇんだよな」
「そうは言っても、長い年月の中で性格が変わる可能性だって無いとは言えないし。それに生き残った時点でロキの陣営なら、ヴァーリには本性を隠していた可能性はあるんじゃない?」
「それを言われると弱いけどよ……。でもマジかぁ? ルベドの正体がリーヴってマジかぁ……? 信じられねぇ……」
とりあえず、生き残った人間の男の名前はリーヴというらしい。リーヴとルベドの人物像はもはや正反対と言えるレベルらしく、ヴァーリはしきりに頭を捻っていた。
「とりあえず、リーヴさんとやらの似顔絵を描いてみましょうか? それが一致するかで考えましょう」
心子さんがそう提案する。認識阻害があるせいで、トートの剣を持つ心子さん以外は、ルベドの容姿を正確に認識することができない。
ヴァーリの証言を聞きながら、心子さんが手持ちのメモ用紙に似顔絵を描いていく。
「似ているとは思いますが……。微妙なところです。同一人物と断定するのも難しいですし、別人と判断するには共通点が多いですね」
日常的にしている表情で顔つきが変わってくるというし、数千年の間で変わってしまったのだろうか。
そう考えると、ほぼ顔つきが変わっていないらしいロキは一体……。彼女は今も昔もオーディンのことばかり考えているから、表情も変わってないのかもしれない。
「そういやルベドが竜の血を浴びているって話は誰からの情報だ?」
ヴァーリが訪ねてきたので、僕が答える。
「偽バルドルの証言だね。偽バルドルは信用できない相手ではあるけど、偽バルドルがルベドを庇う理由もないし、竜の血に関して嘘は無いと思うよ。……無いよね? なんか自信無くなってきたな」
初対面のときから思っていたけど、偽バルドルはどうしても胡散臭くて信じられない。偽バルドルとルベドは敵対しているから、敵の敵は味方……でもないけど、そんな感じで嘘はついてないはず……。
「ルベドと偽バルドルが裏で内通してるとかじゃない限り無いでしょ。……実はルベドもアニミークリで……とかだったらありえる?」
と季桃さんも『嘘はない』と言いながら疑い半分だった。ヴァーリが季桃さんの疑念を否定する。
「ルベドがアニミークリってのはねぇと思うぜ。ルベドの正体がリーヴだとしたら、あいつには子供もいるしな。アニミークリが外見を再現してるといっても、たぶん生殖機能まで再現してねぇだろ」
そうか。ルベドの外見年齢が若いから意識してなかったけれど、確かに実年齢を考えればルベドに子供がいてもおかしくない。それどころか孫やひ孫、そしてさらに先の子孫もいるのだろう。
仮に神話時代の末期が3000年前だとして、25歳くらいで子供を産んでいくと考えると、150代くらい先の子孫がいる計算になる。
あれ? 待てよ……? 仮にルベドの正体がリーヴだとすると、ルベドと一緒に子供を作ったのは生き残ったもう一人の人間だ。
そしてその人間が初代レギンレイヴの子孫であることはカラスたちから聞いている。つまりつまり……。そこまで考えたところでヒカちゃんが声をあげた。
「子供!? じゃあルベドってパパさんなんだ!?」
ヒカちゃんの言葉にヴァーリが突っ込みを入れる。
「いやヒカル。仮にリーヴとルベドが同一人物だとしたら、お前ってルベドの子孫だろ。リーヴの結婚相手って、唯一生き残った人間の女性だからさ」
「えっ!? あぁそっか! 他に女性が残ってないから、結婚相手がレギンレイヴの子孫なのは確定なんだ!」
ヴァーリがヒカちゃんに教えた通りだ。ルベドの正体がリーヴだとしたら、ヒカちゃんはルベドの子孫になる。
「ヒカちゃんが驚いちゃう気持ちもわかるな。ルベドって復讐を遂げることに全てを捧げているようだしさ。その一方で、家族という概念に思い入れがある様子でもあるけどね」
僕がそういうと、ヴァーリは何か引っかかるところがあったらしい。
「家族……家族か……。リーヴたちが結婚するとき、生き残りのみんなで結婚式を挙げたんだよな。物資や人数の問題で本当にささやかなものだったけどよ、未来を信じるといえばいいのか? リーヴは幸せそうだったぜ」
「他に何か覚えてない? 結婚式ならどこの文化でも新郎のスピーチくらいあるよね」
「ええと確か、『自分が産まれる前に父親は死んで、母にも愛されなかったから家族というものがわからない。だけどそれでも戦争を生き残った者同士として、夫婦で支え合って生きていきたい』とかだったと思う」
オーディンを恨むあまりに世界を滅ぼそうとする人の台詞とは思えないな……。リーヴの人柄を聞いていると、本当にルベドと同一人物なのか疑わしくなってくる。
でも季桃さんは何かに気づいたようで、思うところを伝えてくれる。
「産まれる前に父親が死んでる? 竜殺しのシグルドって奥さんよりも先に死んでるんだよね。シグルドに子供がいたって話はあまり聞かないんだけど、もしかして……?」
「どうだかな。戦争で片親が死んで、その後の荒れた生活で子供が蔑ろにされることは、この時代ではよくあった話だ。偶然の一致って可能性の方が高いと思うぜ」
戦争のせいで子供が蔑ろにされることがよくあるなんて、本当に荒れ果てた時代なのだと感じさせられる。
ヴァーリのいう通り、偶然の一致の可能性が高いかもしれないが、確認するだけしてみたい。ルベドを探ることを諦めるのは、その後でも遅くはない。
「ルベドがシグルドの息子だとして、この時代の彼はどこにいると思う?」
僕がそう聞くと、季桃さんがヴァーリに尋ねる。
「人間だからミッドガルドで確定だね。シグルドが死ぬ前か後かでどの国にいるか変わってくると思うけど、この時代だともう死んだあと?」
「あぁ、もう何年も前に死んだって話だな」
「じゃあシグルドの奥さんは復讐のために再婚した後か。息子もそこにいるだろうし、行ってみようよ」
ヴァーリは神話時代の生き証人だけど、当時を全体的に俯瞰した内容を知っているわけじゃない。逆に季桃さんは正確なことはわからないけど、神話という形で全体的な内容を知っている。
これまでもそうだったけれど、今回も2人がうまく協力して、次の目的地を割り出してくれた。
ちなみに、神話時代の話をまとめて現代に残したのはヴィーダルらしい。彼は詩の神でもあるオーディンに憧れて、様々な出来事を散文の形でまとめていたそうだ。
今は亡きヴィーダルだが、彼は偽バルドルを本物のバルドルだと偽証していた疑惑がある。神話として残っている話が一部不正確なのは、情報源が古い上に欠損があるというのはもちろんだけど、ヴィーダルによる偽証が混じっているせいかもしれない。
少し話が逸れたが、次の目的地はミッドガルドだ。僕たちはニブルヘイムから地上へ戻り、ミッドガルドへ向かうことにした。