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84_神話の時代

「シミュレーションとはいえ、神話の時代に来ちゃったんだね、私たち」


 季桃さんがそんなことを言う。確かに感慨深いものがあるかもしれない。辺り一面は雪景色なのだけど、ここはどこなのだろう?


 神話時代の情勢や地理を知っているのは、当時の生き証人であるヴァーリと、レギンレイヴの本体から記憶をもらっているヒカちゃんだけだ。


 同じ疑問を季桃さんも覚えたのか、季桃さんはヴァーリとヒカちゃんに質問する。


「偽バルドルについて調べるなら、行き先はニブルヘイムだよね。ここはミッドガルド? それともアスガルド?」


 聞いたことのない固有名詞が多くて、季桃さんが何を言っているのかわからない……。普段僕と心子さんが時空操作魔術について話してるときは、はたから見るとこんな感じなんだろうか。


「ええと、そもそもニブルヘイムとかミッドガルドって?」


 僕が質問すると、季桃さんが教えてくれる。


 北欧神話では、この世には9つの世界が存在すると言われているそうだ。ただし、物理的に繋がっているから、世界というよりは9つの地方という表現のほうが正しいらしい。


 ミッドガルドは人間が暮らす地域、アスガルドは神々が暮らす地域の名前だ。他にもエルフやドワーフが暮らす地域などもあるらしいが、ヴァーリとヘズの行動範囲を考えると、殺害現場はミッドガルドかアスガルドと考えるのが妥当らしい。


 季桃さんが目的地として挙げていたニブルヘイムとは、人間や神が死後に行く氷の世界のことで、ざっくり言えば地獄に相当する場所だ。地獄といっても、地続きで歩いて行けるらしい。


 ニブルヘイムには死者を蘇らせる能力を持つヘルという怪物がいて、伝承ではバルドルとヘズを蘇らせたのはそいつだと語られている。


 確かに伝承を考慮すると、ヘルと偽バルドルには何らかの関係がありそうだ。


「なるほど。ありがとう。確かにニブルヘイムには一度行っておいた方がよさそうだね。それでここはミッドガルドとアスガルド、どっちなの?」


 その問いにはヴァーリが答えてくれる。


「ミッドガルドだ。母親が人間だから、俺はミッドガルド生まれだしな」


 ヴァーリによるヘズ殺しは、ヴァーリが生まれてすぐに実行されたものだ。ヴァーリは赤子の状態からオーディンの魔術によって無理やり大人まで成長させられて、洗脳状態のままヘズを殺した。


 ヴァーリがミッドガルド生まれだから、ここはミッドガルドというのは理にかなっている。


「ここからニブルヘイムへはどうやって行けばいいのかな?」


「世界樹ユグドラシルの辺りから地下へ潜っていく必要があるな。あっちに方向にある、でかい木が見えるか? あれがユグドラシルだよ」


 僕はヴァーリが指差した方角を眺める。そこには天まで伸びるかのような巨木がそびえていた。


 かなり距離が離れているはずだけど、それでもとてつもなく大きい。富士山は余裕で超えているし、木というより山って感じだ。


 神話の時代にはこんなすごいものがあるのか!? といった感じで、僕は驚きを隠せない。僕だけじゃなく、季桃さんと心子さんも驚いていた。ヒカちゃんはレギンレイヴの本体からもらった記憶のおかげか、観光名所を見たくらいのリアクションだったけど。


 そんな僕たちに、ヴァーリが声をかけてくる。


「驚いているところ悪いがそろそろここを離れた方がいい。ヘズが計画通りに死んだか、この時代のカラスたちが確認に来るはずだぜ」


「この時代のカラスたちに発見されたら、この時代のオーディンに報告されるよね。そうなったら情報収集どころじゃないな」


 僕たちは明らかに異物だ。この時代のオーディンに存在を悟られたら、何が起こるかわからない。僕たちはヴァーリの提案に従って、世界樹ユグドラシルが見える方角へ向かい始める。


 ユグドラシルはかなり遠くにあるようだった。エインフェリアの脚力でも、辿り着くまでそれなりに時間がかかりそうだ。


 空間転移で行ってもいいのだが、僕と心子さんの両方が馴染みのない場所へ直接転移するのは少々リスクが高い。念のために、徒歩で移動した方が安心だろう。


 移動の最中、ヴァーリは常にピリピリとした様子で周囲を警戒していた。神話の時代は戦争の真っ只中。どこから何が襲ってくるかもわからない。


 ヴァーリは遥か昔、実際に戦争を経験している。その経験で僕たちを守ってくれていた。


 また、心子さんは僕たちの中で唯一の純粋な人間であるため、エインフェリアや半神と比べると非常に体力が少ない。


 疲れ果てた状態で敵に襲われた場合はまともに応戦できず、命取りになる可能性もある。


 長距離の移動になることはわかっていたので、心子さんの体力を温存するために、僕が彼女を背負って移動していた。


 背中から心子さんが声をかけてくる。


「このタイミングだと、まだオーディンは窮極の門へ行く前なのですね」


「夢の狭間に作ったシミュレーションとはいえ、強さは本物と同じだ。もし僕たちの存在がオーディンにばれたら、夢の狭間から脱出するしかないね」


 もし夢の狭間を脱出した場合、また夢の狭間に神話の時代を再現するところからやり直しだ。そんな調子では、いつまでたってもニブルヘイムへ辿り着けないだろう。


 そもそもオーディンに狙われてしまったら、夢の狭間から無事に離脱できる保証もない。


 もし戦うことになった場合、転移封じは当然のようにしてくるはず。空間転移ができなければ、夢の狭間から脱出することはできない。


「できるだけ、銀の鍵の使用は避けた方が良いかもしれませんね。オーディンは世界中を見通していたとも評される神です。先ほどのヴァーリさんとの一戦で察知されたとはさすがに思えませんが、使わずに済む場面では避けた方が無難でしょう」


「銀の鍵を使っているところを誰かに目撃されたら、それが回り回ってオーディンへ伝わるくらいはありえるかもね」


 銀の鍵を使わずに、この時代を生き抜くことは可能だろうか。ヴァーリが口を挟んでくる。


「でも全く使わねぇってのは無理だろうな。格上のやつ――例えば巨人なんかが襲ってきたら、出し惜しみしている余裕はねぇしさ。そのときは銀の鍵も駆使して巨人を屠って、その場に居合わせたやつは皆殺しにするしかねぇ。仮に居合わせたやつが、エインフェリアや人間だったりしてもな」


 あまり殺生はしたくないが、仕方ないか。


 そもそも僕たち以外はシミュレーション上の偽物で、本当に命を持っているわけではない。しかも僕たちが夢の狭間の維持をやめてしまえば泡のように消えてしまう、不確かな存在だ。


 そんなもののために、僕たちの命を危険に晒す理由は存在しない。


「皆殺し……。本当にそこまでしないといけないのかな……。ううん、やらなきゃいけないのはわかってるんだけど、ごめんね」


 平和を望むヒカちゃんには辛いだろう。頭で理解はしていても、心が追いついていないようだった。


「まあ、巨人以外も普通に襲ってくると思うぜ。エインフェリアも、人間もな。どうせ正当防衛だよ」


 ヴァーリがそんなことを言ってくる。エインフェリアはともかく、人間も?


 人間が僕たちエインフェリアに勝てるはずがない。勝てる見込みがないのに襲ってくるなんて、どういう動機があるんだろうか。


「それはヘズを殺したヴァーリを恨んで狙ってくるのとはまた別……ってことかな?」


「あぁ、そうだぜ。この時期はもう、陣営関係なく争い始めていてめちゃくちゃなんだよ。辺りを見りゃわかるけど、一面雪景色だろ? これでも暦の上では夏なんだぜ?」


「こんな寒いのに夏!? もしかして不作で物資が限界なのか。味方同士で争い始めるほどに」


「だから勝ち目が無くても、何かを求めて襲ってくるんだよな。そのときは相手がどんなやつだったとしても迎え撃つしかねぇ」


 ヒカちゃんが悲しそうに目を伏せながら頷いた。


「フィンブルの冬って呼ばれてるやつだよね。レギンレイヴの本体から記憶が流れてきてるから、私も知ってるよ。私もそうだけど、レギンレイヴの本体もすごく悲しんでるの。仕方ないのかな……。争わなきゃいけない状況って本当に悲しいね……」


 戦争が始まってしばらくしてから、北欧の大地はこうなってしまったらしい。もう何年も雪と氷に閉ざされていて、物資的にも精神的にも追い詰められている。


 だから親子や兄弟ですら争って、血を流し合って、殺し合って。そうして終末へと進んでいくのだ。



 ◇



 世界樹ユグドラシルまでの道のりを、3分の1ほど来た頃だろうか。先頭を歩いていたヴァーリが僕たちを静止して、木々の向こうへ声をかけた。


「Hæ, ég veit að ég er þarna.Ég mun sakna þess núna, svo farðu einhvers staðar.」


 ヴァーリが発したのは古い北欧の言語なので、何を言ったのかわからない。レギンレイヴから知識をもらっているヒカちゃんならわかるだろうか?


「ねぇヒカちゃん。ヴァーリは何て言ったの?」


「『いるのはわかってる。見逃してやるから去れ』って言ったの。敵がいるみたい」


 しかし、こちらの勧告に反して、3人のエインフェリアが姿を現した。彼らは弓や剣などを携え、明らかに敵対的な雰囲気をまとっている。


「Jafnvel þó það sé slasað fólk.Við erum ekki heppnir.」


「Ég held að þú getir sigrað Einherja dverga megin.」


「『怪我人がいるくせに。俺たちに見つかったのが運の尽きだな』『ドワーフを連れた程度でエインフェリアに勝てると思うなよ』だってさ」


 奴らは心子さんを怪我人だと勘違いしているようだ。彼女は僕に背負われているから、傍目から見ると怪我人に見えるかもしれない。


 でもどうして僕たちをドワーフだと思ったんだろう? 僕が疑問に思っていると季桃さんが推測を述べてくれる。


「私たちって顔立ちや体格が西洋人とは違うじゃん? ミッドガルドにドワーフはいないはずだから、たぶんあの人たちはドワーフを見たことが無いんだよ。だから適当な推理をしてるだけだと思う」


 ドワーフは人間より強いのかもしれないが、半神と同等の力を持っているエインフェリアよりは弱いだろう。

 口ぶり的に、彼らは僕たちが弱いと見て、物資を奪いにきた様子だった。戦いは避けられそうにない。


 僕は心子さんを背中から降ろして、みんなに声をかける。


「現代のエインフェリアより強いかもしれない。だけど、こんな奴らに負けるわけにはいかないんだ。みんな、全力で行こう!」


 神話時代のエインフェリアと戦うのは初めてだ。しかもこんな過酷な状況でも生き残っているということは、彼らはエインフェリアの中でも上位の強さなのかもしれない。


 けれど僕たちの最終目標を考えれば、この程度は跳ね除けないと駄目だろう。

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