75_悪夢からの脱出_その2
僕は夢の狭間へ転移した。
どうやら季桃さんも僕と同じように、夢を見せられているようだ。僕は彼女を正気に戻すべく、声をかける。
「季桃さん!」
「えっ、結人さん……? 何でそっちの名前を知ってるの? まだ本当の名前は教えてないよね?」
「季桃さん、目を覚まして! 思い出して! キミは魔術師じゃないし、ヨグ=ソトースの義娘でもない。このパラレルワールドとは違って、キミは実家の神社を継ぐことにしたと言っていたよね。元のパラレルワールドへ帰って神社を継ぐんでしょ!?」
「そんなこと言ったっけ……? あれ……? 確かに言った覚えがある」
夢の狭間を利用した存在の上書きは、外部からの干渉に弱いようだった。
僕がヒカルから接触されて自分を取り戻したように、季桃さんも僕の声によって正気を取り戻す。
「私、どうして忘れてたんだろ。すごく悩んで、そうしてやっと決めた大切なことだったのに」
「よかった。正気に戻ったんだ。季桃さんはお祖母さんに存在を書き換えられていたんだよ。キミがこのパラレルワールドの季桃さんになるようにね」
「うわ……。要するに、死んでしまったこのパラレルワールドの私を疑似的に蘇らせて、自分を銀の鍵の使い手に選んでもらおうとしてたってことだよね」
季桃さんはふと何かに気づいた様子で僕に訪ねてくる。
「もしかしてミゼーアを呼び出したところから、ここまでが1つの計画?」
「たぶんそうだと思う。僕たちがミゼーアを追い返したからタイミングがずれたけど、季桃さんを書き換えて銀の鍵の使い手になって、オーディンと同じようにミゼーアから角度の次元を経由して、窮極の門まで行くつもりだったのかな」
なんにせよ、これでお祖母さんの企みは完全に阻止できた。
季桃さんも助けられたし、もうここには用は無い。
「現実空間へ戻ろうか、季桃さん。みんなが待っているよ」
「そうだね。空間転移をお願い。私はそういうのさっぱりわかんないし」
魔術はわからない、と季桃さんが言うと、魔術師である祈里さんとの違いを感じる。
僕が知っている季桃さんはこっちだ。本当に、間に合ってよかった。
僕は空間転移を行い、季桃さんと一緒に現実空間へ戻ってきた。
◇
「やっと戻ってきやがったか。こっちも一通り片付いたところだぜ」
戻ってきた僕たちに、ヴァーリが嬉しそうに告げる。
お祖母さんの計画は完全に挫いた。今、お祖母さんはどこにいるんだろうか。
ヒカちゃんが僕に声をかけてくる。
「ねぇ、ユウ兄。ミゼーアを呼び寄せた後に一度逃げたのに、こうしてまた仕掛けてきたってことは、もしかしてお祖母さんは近くにいるのかな。今なら捕まえられるかもしれないよ」
「それなら少しだけ探してみようか。お祖母さんはエインフェリアである僕たちを追い詰めるだけの実力を持っているから、できればここで決着をつけたいな」
僕たちがそういった相談をしていると、少し離れた場所からお祖母さんの声が聞こえてきた。
「私についての相談か? 探さなくてもここにいるぞ」
僕たちは声がする方向へ目を向ける。
お祖母さんは隠れたりせず、自ら姿を現してきた。まさかまだ何かを企んでいるのだろうか。お祖母さんほどの優れた魔術師が相手だと、気を抜くことはできない。
ヴァーリがお祖母さんを挑発する。
「なんだよ、降参しに来たのか?」
「まあ、文句の1つでも言っておこうと思ってな。よくも私の計画をことごとく邪魔してくれたよ」
お祖母さんは怒るでもなく、怯えるでもなく、至って冷静のようだった。
ミゼーアを追い返した僕たちの実力は把握しているだろうに、怖気づく様子もない。
「お前たちの素振りや状況から、そこの女が異なるパラレルワールドの季桃だと気づいたときにはしめたと思ったものだが……。中々ままならないものよ。うまくいけば窮極の門まで辿り着けるはずだったのだがな」
季桃さんが理解できないものを見る目をしながら、お祖母さんに問いかける。
「どうしてそんな大勢を犠牲にしてまで、タウィル・アト=ウムルになろうとするの? 上位存在に振り回されるのが嫌って気持ちはわかるけど、もっと平穏な幸せとかあるじゃん。お婆ちゃんが使役しているような化け物だって、普通に暮らしてたら一生出会ったりしないでしょ」
「奴らは気まぐれだからね。いつ平穏な暮らしが壊されるか、わかったものじゃない。だからどんな手段を使ってでも炙り出して叩いて、予め消しておく。人類のためを思えばこれが一番じゃないか。私は人々の平和のために行動しているんだよ」
お祖母さんは滅茶苦茶だ。ついさっきもミゼーアを呼び寄せて、数千万単位で死者を出そうとしていたくせに、どの口が平和を語るのか。けれど単なる詭弁ではなく、お祖母さんは本気でそう信じているようだった。
時空操作魔術もそうだが、邪神から力を借り受ける魔術は人間の精神に悪影響を及ぼすことがあり、付き合い方を間違えると身の破滅を招く。僕や心子さんはまだ問題ないが、数十年と使い続けてきたお祖母さんは既に手遅れとなってしまったのだろう。
存在が書き換わらなかった季桃さんには興味がないのか、お祖母さんは彼女から視線を外す。そして今度は、心子さんを睨みつけた。
「……心子、疫病神め。今思えばお前は弟子なんかにせず、出会ったときに殺しておくべきだった。そうしておけば、お前に銀の鍵を取られることもなかったというのに。……まさか、この状況はお前が作り出したものなのか?」
「そんなはず無いでしょう。買い被りすぎです」
「ふん、どうだかな」
お祖母さんはやけに心子さんを敵視していた。
今の状況は、僕たち、ムスペル教団、お祖母さんの3勢力が独自に動いて作り出されたものだ。黒幕が糸をを引いて、この状況を作り出したわけではない。ましてや心子さんがその黒幕という結論に至るのは、本当に意味がわからない。
弟子が優秀すぎて、そんな妄想に取りつかれてしまうほど、お祖母さんは普段から焦りを感じていたのだろうか。もしくはお祖母さんの発言はまともに取り合ってはいけないのかもしれない。彼女は人類のためといいながら、大量の死者を出そうとするほど壊れてしまった人なのだから。
「なぁユウト、殺しておくか? 今なら頭を射って終わりだぜ」
ヴァーリがそう提案してくれる。
お祖母さんは人間でありながら、エインフェリアである僕たちに対抗できるほどの魔術師だ。ここで逃せば、次は何をするかわからない。また多くの人を犠牲にしようとするかもしれない。
「頼む、ヴァーリ。お祖母さんが逃げないように、僕は転移を封じておくよ」
今まで僕は何度も転移封じをくらってきた。
僕の出身パラレルワールドでロキに使われたのが1回目。雫と行動していたときに襲ってきた別世界の僕が2回目。そして晴渡神社でロキとお祖母さんの同時発動が3回目。あとは季桃さんが囚われていた夢の狭間に転移するときも、お祖母さんが転移封じを使っていた。
さすがにこれだけくらっていれば、発動の仕方もわかるというものだ。僕はお祖母さんが逃げ出さないように、転移封じの発動を開始する。