73_悪夢_その3
祈里さんは柔らかい笑みを浮かべながら答える。
「結人さんのそういうところかな。私がヒカルちゃんの呪いを解く手伝いを続ける理由はさ」
「どういうこと?」
「私さ、晴渡神社から逃げてきたって言ったでしょ。両親とか、妹弟子の心子ちゃんとか。そういった大切な人たちがいたのに私だけ逃げてきちゃったから……。他の道は無かったと思うんだけど、後悔の気持ちもあって……」
祈里さんは一呼吸をおいてから、言葉を続ける。
「だから結人さんを始めとする久世家の人たちがお互いのことを思いやっていて、仲良くしているのを見るとすごく眩しいというか、嬉しいんだ。それを壊さないためにヒカルちゃんの呪いを解いて、正常に戻してあげたいって思うの。私自身も魔術が原因でいろいろあったから、魔術で困っている人がいたらどうにかしたいって気持ちもあるしね」
祈里さんは笑顔でそう話してくれた。その笑顔が魅力的で、僕はつい祈里さんを見つめる。
「えっなに? どうしたの? そんなに見られると照れるんだけど」
「いや、やっぱり祈里さんはすごくいい人だなって」
「なに急に改まって!? もう、反応に困るなー」
祈里さんは熱を冷ますためか、手でパタパタと顔を仰いで恥ずかしさを隠していた。
「僕はまだ魔力を扱う腕前も全然だし、障壁の魔術しかまだ扱えないけどさ。何があっても祈里さんを守るよ。約束する。だからさ、祈里さんも久世家に来ない……?」
「えっ!? えっ……!? あの、その……。そういうことだよね……? 家族とかそういう話をした直後にその申し出だもん。家に遊びにおいでよとかじゃなくて、結婚の申し出……だよね?」
僕のプロポーズを聞いて、祈里さんは面白いくらいにわたわたとしていた。
「嫌、かな?」
「嫌じゃない……けど……。ちょっと心の整理が! そういうのは一生縁が無いと思ってたから! というか私たちまだ付き合ってもないのに、急に話が飛びすぎだって!」
「でも今言っておかないと、祈里さんはヒカルの呪いが解決した途端に姿を眩ませそうな気がしたんだ」
図星だったのか、祈里さんは押し黙る。祈里さんは自分の居場所なんてどこにもないと悲観している人だった。その思いが強すぎて、彼女は他人から距離を置こうとしてしまう。
きっとこのまま同じように接していても、いつか祈里さんは僕の前からいなくなってしまっただろう。
だから突然ではあったかもしれないけれど……。この話の流れだったからこそ、祈里さんに僕の思いが伝わった。
「私は実家を飛び出して、家族を捨てちゃったみたいなものだしさ。そんな私が誰かと一緒になるなんて許されるのかな、みたいな気持ちもあったりして……。ねぇ、本当に私でいいの? こんな変な来歴の持ち主じゃなくて、もっとまともな普通の人が見つかるかもしれないのに」
「祈里さんじゃないとダメなんだ。こんなに一緒に頑張ってくれる祈里さん以外は考えられない」
「うぅ、恥ずかしい……。不束者ですが、改めてよろしくお願いします……。あぁそうだ! そういうことなら本当の名前を伝えておかないと。実は祈里って偽名なんだよね。本名は季桃なの」
突然の偽名宣言に驚きを隠せない僕だったが、これも関係が進んだ証なのだろう。
呼び方は今まで通り祈里と呼んでほしいそうだが、彼女のことを知れて僕は嬉しく感じたのだった。
さらに9か月が経過した翌年の11月のこと。
祈里さんが魔術師であることや僕が魔術を習っていること、呪いを解くためにいろいろ調べていることをヒカルに話した。
また、ヒカルは僕たちの勧めもあって高校に進学した。初めは苦しい状況だったものの、今では優紗ちゃんという友達もできたらしい。
一方で僕は祈里さんと相談して、戦いに役立つような魔術を習得するよりも、魔術の分析技術の習得に力を注いでいた。
僕も調査に貢献できるようになったことで、以前よりも呪いについて解明するペースは上がっている。
あらゆる面で物事が良い方向へ進んでいるように見えた。
それから僕たちは祈里さんの妹弟子である心子さんに連絡を取って、呪いの解明に力を貸してもらえるように話を取り付けたり。本来は小さいうちに廃棄される予定だったヨグ=ソトースの娘を倒すため、逆に心子さんに協力を要請されたり。
困難なこともあるけれど、それを乗り越えられるような兆しが見えていた。
けれど12月初旬の夜に起こった事件によって、全て一夜にして台無しになった。
「ごめん、ごめんね、ユウちゃん」
武装した集団が久世家に押し入って、魔術で火を放った。そして僕の祖父母は殺害されて、僕とヒカルは誘拐された。
「私の中にある魔力や呪いって、私が死んだら消費されて無くなるんだよね? 私さえ死ねば、もう誰かが傷ついたり、悲しむことは無くなるかな?」
「そう……だね……。そのはずだよ」
「ここからひっくり返すのは……もう、無理だよね。だからユウちゃん、お願い……」
僕は長い間逡巡していたが、ヒカルが言う通り、この状況から打開できる手段は残されていなかった。
だから僕はヒカルを楽にするために、彼女の首に手をかけた。
ヒカルの意識が落ちる寸前、口元が少しだけ動いた。
「あ……り……が……と……」
◇
僕たちが死んだ後、祈里さんもロキに殺されてしまう。結局、僕はヒカルとの約束も、祈里さんとの約束も守れなかった。
だからこんな夢を延々と繰り返し見させられているのだろうか。
…………いや、この夢は僕の記憶から作られたものじゃない。おそらく僕は今、このパラレルワールドの僕が辿った経験を追体験させられているのだ。
僕はヒカルからユウ君と呼ばれているはずだし、僕は祈里という女性と婚約などしていない。
僕がいた世界に心子さんは存在しなかったし、僕はヒカルを殺していないはずだ。
そのはずなのに、僕という存在が塗り替えられるように、何が本当のことだったのかわからなくなっていく。
数十回、数百回、数千回と繰り返し夢を見させられる中で、少しずつだけど確実に、蝕まれるように、……自分が何者なのかわからなくなっていく。
今はもう、夢と現の境界がわからない。
そんなときに、声が聞こえた。
(………………く……。ユウ………く…………)
誰だろう……。僕を呼んでいるのは。
僕をユウ君と呼ぶ人なんていないはずなのに、僕はこの声を知っていた。